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「あー…痛っ」
「大丈夫?痛い?」
「ああ…ま、そのうち治る」

あの火事で至るところに軽い火傷を負った次元。そんな次元のおかげでほとんど無傷だったイヴは彼の看病をしていた。上半身だけシャツを脱いだ次元に薬を塗ってやれば時折、次元は呻く。

「ごめんなさい…私のせい…」
「お前さんは何にも悪くねぇだろ。俺はお前さんを責める気なんて更々ねぇんだ。じゃなきゃ…一度でもマグナムを撃つことをためらったりしねえ」
「…次元…」

それでも、イヴの心は晴れなかった。今回の一件は全て自分の左目が原因だったのだから。俯きかけながらも、再び薬を塗ろうとした手を強く掴まれた。

「!?」
「イヴ…俺はもう一度こうしたかった」
「じ、じげ…っ!?」

素肌のままの次元の胸板に優しく押し付けられた。イヴは頬を染めてもがくが、意味は無いらしい。男の胸板は想像していたよりも厚くて逞しかった。かつて自分が女であることを呪い、男に憧れていた時に想像していたのなんかよりもずっと立派。あまりの違いにイヴの抵抗は次第に治まっていった。

「イヴ…生きていてくれて良かった…」
「次元……っ」

このまま身を任せてしまいそう。イヴはそう感じた。そして…




彼になら任せても構わないと…

















「次元、話があると…」




バッ!!!




「なんだ、イヴもいたのか。次元、ルパンが話があるそうだからもうしばらくしたら行くと」
「……五ェ門、てめえ…」
「?どうかしたか」

何も知らない五ェ門は普通に次元の部屋に入ってきた。その瞬間、イヴは物凄い速さで次元から離れたのである。明らかに邪魔された、と次元は怒っているが五ェ門は全く気付いていない。

「私もう行く次元また後で」
「おいちょっ…待てイヴ!!」

次元の制止も聞かずに顔を真っ赤にして棒読みで言いながら去っていくイヴ。五ェ門は相変わらずハテナマークを浮かべている。次元は怒る気も失せ、ため息をついた。

「………はぁ。…で、五ェ門…ルパンの話ってなんだ。それになんでルパン本人が今来ねえんだよ」
「ルパンは出掛けている。電話で、もうすぐしたら帰るからその時次元に話があると」
「チッ…あいつめ」

まだ傷が残る体でペルメルを吸い出す次元。未だイヴの温もりを抱きながらふぅ、と煙を吐く。

(あの顔──…)




顔を真っ赤にして


まるで初めて男の体に触れるみたいに


驚きと恥ずかしさを持ったイヴの顔が頭から離れない



(…まさか本当に男の体に触れんの初めてか?)

今までの彼女の人生からするとまさにそうかもしれない。イヴにとって男は自分の左目を狙い、あらゆる手を尽くす醜い存在だった。ならば、女として愛されたことなど無いはず。







(……イヴ…)























青い空。優しい風。今までこんな風に自然がきれいだなんて思ったことなんて無かった。

「…きれい」

美しい世界。この左目のような“宝石”の美しさではなく、自然が作り出した美しさ。こんなにきれいなものにどうして今頃気付いたのだろう、とイヴは思った。アメリカの田舎町であるここはのどかな農村。海と畑と空と人々。何となく、生まれた町を思い出した。

「…私…変わった…?」

少し前はこんな風にまわりを見てきれいだとか思わなかったのに。きっとそれはルパン達と会って…次元と再び巡り会えたからだろう。感情を思い出した気がする。

(恋して…着飾って…“普通の女”になれた気がした…


次元…大好き…)

好きで堪らない。次元を求めて止まない。男を愛するなんて有り得ないと思っていたのに。

(好き、好きなの


あなたのことを考えずにはいられない



あなたのためならこの左目をあげてもいい



大好き…)

でも、だから。だからこそ…













「よーう、イヴちゃん##35##」
「!ルパン!」

はっとして顔を上げれば柵に座って手を振っているルパンがいた。

「ル、ルパンいつからいたの?」
「イヴちゃんが海とか空とか眺め始めたあたりから。いやぁ〜大自然と美女ってのもなかなかねぇ##35##」

かあああっと顔を赤くするイヴ。

「やめてよ、ルパン…ちょっと…久々に自然なんて見たから…」
「成程ねぇ〜じゃあこれから嫌というほど一人旅できるわけだ」

その一言にイヴは目を見開いた。ルパンには全てバレている。

「……」
「いやあいいねぇ〜イヴちゃん結構溜め込んでるっしょ?全世界自由気ままに旅行!羨まし〜」
「…………ルパン」
「……素直になりなよ、イヴちゃん。君は次元の側に居たいんだ。次元も…「やめて…!」」

ルパンの言葉を遮るイヴ。既に彼の顔つきは真面目だった。

「…言わないで…ルパン…私はもう決めたの…。もう…」
「……イヴ、どうして逃げるんだ?君は人生最高の幸せを逃そうとしてるんだ。いいかい?






世界でたった一人、自分を愛してくれる男は絶対に手放しちゃならねえ
「……っ」

泣いてしまいそうになったが、必死にこらえたイヴ。揺らいでしまいそうになる。それでも…

「…ルパン、もうやめて…!」

それだけ言ってイヴは走り去っていった。



























その日の夜。この田舎町を出てニューヨークへ戻ることになったルパン一行。不二子は既に次のお宝を目指しているらしい。

「これよこれ!!今度展示されるっていう世界一のルビー“エンジェル・ルージュ”!ねえルパン、これ欲しい!」
「ほんじゃお礼にデートして##35##」

いつものパターンが始まり、次元と五ェ門はため息。

「なあなあ次元ちゃん、五ェ門ちゃん手伝って〜##35##」
「「断る」」
「そんなつれないこと言うなよ〜!ま、あのルビー以外にもっと宝石ちゃんも展示されるそうだからさぁ。俺らはそっちを頂こうぜ」

その話なら…ということで次元と五ェ門はしぶしぶ承諾した。その時、次元はイヴを振り返る。

「おい、イヴも行くだろ?」












だが、居るはずのイヴはそこには居なかった。













「……イヴ?」

次元の声色が変わったことに気付いた三人もイヴを探すがやはりいない。ただ波の音が遠く聞こえるだけである。ルパン一人だけが何かを悟った顔をしていた。

「え?イヴどこに行っちゃったのよぉ!」
「先程までは居たのは間違いあるまい」

まさか…と次元は勘づいた。あのイヴの性格からすれば…。すぐにルパンの胸ぐらを掴んだ。

「次元!?何やってんのよ!」
「ルパン、てめぇ…!!イヴが出ていくこと知ってたな!!!」
「………」

今までにない次元の怒り方。だが、ルパンは何も言わなかった。長年の相棒だからこそ互いが何を考えているのかわかった。ルパンが何かを知っていたことも…

「何だと!?ルパン、お主…!」
「ルパン、あなたイヴが出ていくのをみすみす見てたっていうの!?」
「…イヴが決めたことだ。俺らがどうこう言う権利はねぇよ。だが…」





ひょい、と次元に投げ渡したのはゲイルの部下に付けたものと同じ発信器の場所を示す機械。










お前にならあるんだぜ、相棒










「……すまねえな、





相棒」

























とりあえずはアメリカを出なくてはとイヴは駅に向かっていた。

(駅までが遠い…)

夜で、この距離はきついが致し方ない。少しでも次元から離れたかった。彼女の決意…それは愛するが故に次元から離れること。

(ごめんなさい、次元…でもあなたの側にいてはいけない


私はあなたを愛してる


だからこそあなたに甘えてはいけない


必ずまたオッドサファイアを狙ってくる奴等が現れる



そんなこともうあなたに任せられない




お願い、私を許して)





イヴの想いは次元の身を心配してのことだった。




(この世で一番不幸な左目を




許してほしい




そして忘れて)












サファイアの瞳からぽたり、と涙がこぼれた。その時、

















「女に涙は似合わねえもんだぜ、イヴちゃんよ」










聞きたくて聞きたくなかった声。回り道をしていたのか、木にもたれかかっていつもの笑みでこちらを見てくる次元がいた。

「次元…!!」
「散歩にしちゃあ遠いな…もう夜も深い、いくら田舎とはいえ無用心だ」
「………」

茶化しているつもりなのか。何故か次元に対して恐怖を感じるイヴ。勝手に出ていったことへの罪悪感がそうさせるのか。

「…イヴ」
「…!」

名前を呼ばれただけでびくりとするイヴ。怖さと悲しさと…





愛しさ。



「……ハッキリ言う…この際だからな…」
「や、ダメ…言わないで…っ」
「俺はお前が…」
「ヤダ…!!!」

聞きたくなかった。次元がもしそう言ってしまえば…

「なんで嫌がる、イヴ」
「いけない…っ!私は男にすがってなんて生きてはいけない…!お願い、だから…」

涙を流したイヴを見つめて




次元はそっと口にした。











俺はお前を愛してる…イヴ













「………っ」

とめどなく溢れる涙がイヴを襲う。相思相愛というものがこんなにも辛いものだったなんて。愛されたことなど無かったイヴにとって愛されることは未知なる恐怖だった。

「イヴ、俺はお前の悲しみも背負っていく」
「そん、な…」
「お前の左目の重みも…だがそれさえも惚れてんだぜ、俺は」

そっと顔を上げさせ、次元はイヴに顔を近づけた。涙で濡れた顔さえ愛しいと感じる。

「俺にだけ“女”のイヴを見せろよ…」









(ああ






こんなにも愛しい…)




次第にイヴの涙は枯れていく。悲しい愛が消えていく。

「…笑ってくんねえか。俺はお前さんの笑顔が好きでな」
「……ありがとう…次元……」






初めての





心からの笑顔があるとするならば








今のイヴのことだろう。










二人の唇が重なる瞬間は月だけが見ていた。

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