サヨナラ





メフィストが帰った後、サキュバスは獅郎と洗濯物を干していた。既に夕暮れで空が赤く染まっている。

「お仕事の話だったの?」
「ああ、ったくめんどくさいこと押しつけやがってよー」

ぶつぶつと文句を言う獅郎を見てクスクスと笑うサキュバス。そういえば初めて獅郎達と人間の食事をしたのもこんな夕暮れの日だった。夕暮れはなぜか気持ちを落ち着かせる。

「………獅郎、私ね」
「なぁ、サキュバス」
「えっ」

話を切り出そうとしたサキュバスだが獅郎にさえぎられる。彼は夕日をまっすぐ見つめたまま、話し出した。

「お前は…これからどうしたい?」
「これから、って」
「………この中途半端な関係だよ、俺達の」
「…!」
「……お前は悪魔だ。俺達人間とは違う……」
「……」

わかっていること。いずれこの生活は終わる。サキュバスは悲しげに顔を俯かせたが、いきなり手を引かれ抱き寄せられる。

「!!ちょ、獅郎」
「………お前が望むなら……俺は、お前を…」
「…?」

強く抱きしめられ赤面するもサキュバスは獅郎の言いかけた言葉の意味が分からなかった。獅郎はなにかを堪えているかのように見える。

「……たった一言でいい、お前が望むなら…!俺は祓魔師の禁忌を犯してもかまわない…!」
「え…」

祓魔師の禁忌。それがどんなものかはサキュバスにはわからなかった。ただわかるのは獅郎が自分のためにすべてを投げ売ろうとしていること。

(ダメ…獅郎が私のためにすべてを失うなんて、そんなこと絶対にさせたくない)

そう思っているのに突き放すこともできず、サキュバスはただ獅郎の常服を掴むことしかできない。だから何も答えなかった。もし一言でも獅郎を望んでしまえば、獅郎はきっと………

「………」
「サキュバス……俺は…」

獅郎もまた同じく、先を言えないようだった。二人は自然と見つめ合い、互いにどうするべきかわからないまま………





そっと口付けた。







悲しくて、でもどうすることのできないこの感情はどうすればよいのだろう。
















「お前、最近人間のとこによく言ってるらしいなぁ?」
「……!」

それから一週間後、サキュバスは久々に虚無界に帰っていた。月に一度はサタンに会いに行かなくてはならない。彼女の美しさを見初めたサタンが彼女を愛人にしてからもう数百年経つ。サキュバスが一人の男に固執することができない性質のため、サタンは彼女を自分以外の悪魔や人間と関係を持つことは許可していた。だからこそサキュバスは虚無界や物質界を行き来して男を選りすぐってこれたのだが。今回、虚無界のサタンの住処を訪れ、いつものようにサタンに媚を売ろうとすればいきなりサタンに直球で言われた。

「……どういうことかしら?」
「とぼけんなよ、オレ様はこれでも情報通なんだぜ?お前が一人の男に固執するなんざ意外だぜェ?」

背筋がひやりとした。何故。何故サタンが知っている?物質界に憑依するものが存在しないサタンが自分と獅郎のことを知っているなんて。サキュバスは悟られないよう必死にごまかそうとする。

「固執?そんなことないわ、ただのエサよ」
「そんなただのエサにしょっちゅう会いに行くってのはどういうことだァ、サキュバス?お前は一人の男に依存できねぇ性分のはずだろ」
「………」

怖い。相手は悪魔の神。自分なんてひとたまりもない存在だ。サタンがそっとサキュバスの腰を妖しく撫でるが、それさえ震えを隠すので精一杯。今までサタンを恐れたことはあまりなかった。だが今、自分は簡単に始末されてしまう危険性がある。

「どんなヤツなんだ?その人間ってのは……オレよりイイのか?」
「……っそんなんじゃない…」
「…いいかサキュバス、お前は弱く脆い悪魔だ。オレ様の指一本でお前の魂なんざ消滅させることができるんだぜ?そんなお前をオレが気に入ってなけりゃお前は虚無界ですら生きられねぇ。…わかるな?お前はどんな男に抱かれようと、最後は必ずオレのもとへ戻ってくる。お前はオレのモノだろ…?」
「………っ」

喉にあてられた爪が少しでも動けば自分は…。そしてサタンは獅郎の存在を知らないらしい。

(でももし…このまま…サタンが獅郎のことを知れば…)

彼を危険な目に遭わせるわけにはいかない。いくら祓魔師とはいえサタンに狙われたら…。

「……わかった、もう会わないから…!けじめは、つける」
「…下手な真似したらわかるな?その男共々お前を引き裂いてやるぜ」
「………わかったわ…」

辛い選択だった。だが、それが獅郎を守る道。サキュバスは震える手を必死におさえていた。




















そして。獅郎とサキュバスが出会ってから一年が過ぎた頃。ある雪の降る夕方だった。オレンジの日差しと白い雪が美しい日。獅郎は修道院の前の雪かきをしていた。

「ったくー結構積もるな。扉開かねぇっつーの……」

ぼやきながら雪をどけていく獅郎。そしてふと門の方を見ると。

「!……おおサキュバス!久しぶりだな!最近来ねぇからよ、どうしたー?」

そこにはサキュバスがピンクの髪を靡かせて立っていた。獅郎が買い与えた赤いマフラーとベージュのコート、黒いスカートとタイツ。一見すれば本当に普通の人間の女の子の姿。だが表情はとても暗かった。

「……」
「どうした?中入れ、寒いだろ?」
「……私、…今日は、お別れに…来たの」
「…はぁ?」

いつものように明るく接してくれる獅郎の態度が温かくて、悲しかった。

「……私、しばらく…虚無界で用事ができちゃって……………なかなか、会いに来れなくなる、から」

サキュバスは嘘をついた。『もう二度と会えない』とはどうしても言えなかったのだ。だから用事で“しばらく”会えなくなると告げた。…それはサキュバス自身の願いでもあった。獅郎はサキュバスの言葉にしばし呆然としていたが、ふっと悲しげに笑った。

「…そうか、お前に会えなくなると寂しくなるな」
「……」
「……じゃあその用事とやらが済んだらまた来いよ。メシ用意して待ってるぜ」
「…うん」

言葉を発するだけで瞳から何かがこぼれそうになるのをサキュバスは必死で我慢した。そして振り返り、歩き出すサキュバス。遠ざかる二人の距離が辛かった。するとしばらくして獅郎がサキュバスを呼び止める。

「サキュバス!!」
「…?」

振り返れば獅郎は白い吐息を吐いてにかっと笑った。

「お前の好きなカレー、次までにもっと美味くしといてやっからな!いつでも帰ってこい!!」
「…!」

いつでも帰ってこい。それはサキュバスが帰る場所がここだということ。その言葉に、その笑顔に。サキュバスは驚き、そして泣きそうになった。だがぐっと堪え、サキュバスは






「うんっ!!」

今までで一番の笑顔を見せて獅郎に手を振った。



















それから二十年間。サキュバスは虚無界で過ごした。二十年なんて悪魔にとっては些細な時間。だがそれでもサキュバスにはとても長く感じた。サタンの側にいて、獅郎のことを忘れようと常に思っていた。だが、それでも彼女は二十年間一度も獅郎の理想としたこの姿を変えようとはしなかった。サタンは何も言わなかったが、彼女とその男を引き離したことが面白かったらしい。サタンだけの相手をして二十年。一度も物質界へ行かなかったサキュバス。サタンから物質界へ行くことを禁じられていたからだ。そんなある時、サタンが虚無界から姿を消した。

「アマイモン、サタンは?」
「父上は現在物質界です。なんか、ようやく父上に耐え得る可能性のある肉体が見つかったようで」
「ふうん…」

サタンの息子であるアマイモンに事情を聞けばサタンは物質界にいるとのこと。彼が物質界で保つ肉体が無いことは常識だった。それを覆す、肉体。

「……」

サタンが物質界で肉体を得たらついに物質界もサタンのものになるのだろうか、とサキュバスはふっと考えていた。











しばらくしてサタンが虚無界に帰って来た。どうやら計画は失敗したらしいが何故か笑みを浮かべていた。同時にようやく物質界を行き来する許可がおりた。だが獅郎のもとに行けるはずも無く、サキュバスは正十時学園の理事長をしているというメフィストのもとを訪れてみた。そして告げられた真実。




「…獅郎が、死んだ?」
「…はい。三日前のことです」

それは彼女にとって信じたくない、真実だった。






――こいつは俺達がこうしてメシを食うのと同じ行為をただしてただけだ。






もう




――…悪い悪魔じゃねぇよ






会えない




サヨナラ




■あとがき
次回、回想編終わります。獅郎との想い、それが燐へとつながっていきます。


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