よみもの



10.春よこいこい




 リィシン様とノギク様の第一子の皇子は、シオン様と名づけられました。『シオン』とは、ノギク様の世界で『菊』という花の一種なのだそうです。星のように放射状に伸びる花びらの姿に由来して、『星』という意味もあるそうです。まさにお二人の御子様にぴったりの、素敵なお名前です。

 シオン様の瞳はフェイレイ様やリィシン様の色を受け継いだ、綺麗な深い海の色をしていらっしゃいます。髪の毛はノギク様寄りでしょうか。ふわふわの、太陽のような暖かい色をしています。

 高貴な身分の方は育児には携わらず、乳母に任せるのが通例でしたが、皇后様が自ら育児をなさってからはその習慣も薄れてきています。

 ノギク様もシオン様を乳母に任せず、ご自分で世話をなさっています。

「ほえ〜、男の子って、小さい頃はこうなってるんだねぇ……」

 おむつを替えてあげるときに、マジマジと眺めてそんなことをおっしゃるノギク様。

「ノギク様、感心していないでちゃんと綺麗に拭いて差し上げてくださいね」

 母親としての先輩であるジュリア先輩がクスクス笑っています。

「だってウチ、妹しかいなかったから、男の子のは見たことなかったんだもん。へえ〜、ほお〜」

 ……ノギク様、上から下から見すぎです。見ているこっちが恥ずかしいです。シオン様も心なしか、やめてくれと言わんばかりにジタバタ暴れていらっしゃいますよ。

「マリオン、顔を赤くしていないで、後学のためにちゃんと見ておきなさいな。貴女もいずれはお母さんになるんだから」

「はい……」

 またもやジュリア先輩にそうアドバイスされます。ですが、なんだか私には遠いお話ですね。何しろ成人まであと二年もありますし。平民の結婚適齢期は二十歳過ぎから三十前くらいですから。カサンドラ先輩のような貴族だと、跡継ぎの問題などもありますから、結婚が許される十六から二十代前半くらいと早いですが。

「そういえば、マリちん、彼氏は?」

「おりません」

 シオン様を抱き上げるノギク様に、苦笑して見せます。

 女性嫌いのマリウスだって、最近はカサンドラ先輩の妹君、アイリス様の愛情深いお手紙に返事を返す仲になっているというのに。実は二人は学校で先輩後輩なのだそうですよ。マリウスは優秀ですから、貴族たちの通う名門校に特待生として通っているのです。ちなみに私の母校でもありますが。

 廊下ですれ違っては、ほんのりと頬を染めるアイリス様に、マリウスが丁寧に頭を下げる光景が見られるそうです(黒髪の少女、アイリス様の侍女さんからの情報です)。お姉ちゃんは羨ましいです。私が在学中にはそんな出会いはありませんでした!(平民で頭のいい女子は鼻に付く存在だったのですよ。ぐすん)。

「マリちん、エーリッヒくんと仲いいじゃない」

「あら、そうよね」

 ノギク様とジュリア先輩がそんなことを言い出します。

「……ええ、まあ、仲が良いと申しますか、毎朝鍛錬にお付き合いしていただいています。でもギュンター様や他の騎士様方も一緒ですよ」

 おかげさまで、この半年で更に腕が上がったと女官長からお褒めの言葉を頂きました。

「どうなの、エーリッヒくんとは」

「侯爵家の跡取りだし、なんてったってリィシン様から信を置かれている方よ。ノギク様付きの貴女にはぴったりじゃない」

 そうですね。

 私はエーリッヒ様の眩いばかりの笑みを思い浮かべました。

 同僚としては尊敬すべき方ですし、お家柄も安心、小姑様も安心、その上女性の扱いもお上手でお話していても楽しいですし、結婚相手として不足はありません。というか、過ぎたお方です。カサンドラ先輩を「お姉様」とお呼びするのも素敵な未来だと思います。

 ですが。

 男性の騎士様を捕まえて笑顔で急所を突く練習をなさったり、逃げる騎士様をまた捕まえて笑顔でフルボッコにしたり、更に逃げる騎士様を捕まえて笑顔で止めを刺したり。ともかく笑顔なのが恐ろしいエーリッヒ様。

「これが敵だった場合、毒針で体を痺れさせ、審問にかけます。暗部が忙しい時には我々が直接聞き出したりしますので、戯言に惑わされて手加減しないように。ああ、そういえば先日、リィシン様のお知り合いの吸血族の方からこんなものを頂いたのですよ。賊が男性だった場合に重宝しそうですね。効果を試したいので君、実験台になってくださいね」

 と、今にも死にそうなほど弱っていた騎士様を……あああああ。

 私の口から説明するのは憚られるのですが……吸血族の方から頂いたモノとは、食人植物の一種の種だったのです。掌サイズのそれは、魔力を与えると急激に成長し、人の二倍ほどの大きさになります。そうして、大きな口のような花を咲かせ、そこから人を丸呑みにし、食べてしまうのです。

 ……そのままの『食べる』という意味ではありません。

 ええ、その……丸呑みにして服をつるりと剥ぎ取って、ぺっと吐き出したら全身に太い蔓を絡ませて、無理やりあれやこれやをして搾り取とるという、『食べる』であって……あああああ。

 吸血族が持っていた物だから吸血植物だと思っていたら、違うものを搾り取る植物だったのです。何を搾り取るんだとは聞かないでください。ナニをです。

 しかもそれだけではないんです。それだけではないんです……! 

 きっと正常な道を歩んできたであろう騎士様の後ろを執拗に攻め立てて開発して、「もうらめぇ!」とか言いながらも、食べてもらいたそうに頬を紅潮させて目を潤ませる騎士様とか、更に艶かしく蔓を這わせてかわいがってあげている食人植物の一種の姿なんて、記憶から抹消したいです。酷いトラウマです!

「これはこれは、本当に素晴らしい。マリオン、ノギク様に危機が迫ったら、迷わずこれを使いなさい。普通に拷問するより遥かに従順になって話を聞き出すのも楽です。貴女方の貞操も護れて一石二鳥ですね」

「い、嫌です! 危険はなくともノギク様の精神が穢されそうです!」

「あの方なら大丈夫でしょう」

「大丈夫ではありません!」

「マリオン、貴女は素晴らしい護衛となるのです。これしきのことで動揺してはいけませんよ。広い心で受け入れなさい。我々は何があっても冷静さを失ってはいけないのですから」

「受け入れたくありません! てか、早くあの騎士様をお助けください!!!!」

「悦んでいるようだからいいんじゃないですか」

「良くありません!!!!」


 ……その騎士様のその後を私は存じ上げません。最近お姿を見ないので、どちらかに移動になってそちらで活躍しているのだと……思いたいです。

 あの種は丁重にエーリッヒ様にお返ししました。

 ですが、もし万が一、私たちの手に負えないような事態になれば、使った方がノギク様のためになるのかもしれません。いざというときには非情さも求められますし、主の命より大事なものなど私たちにはないのだから。……イヤイヤイヤイヤ、そんな事態にならないよう、頑張ります。



 そんなことを思い返した私は、

「エーリッヒ様だけは有り得ません。私の手には負えないお方です」

 そう、呟いていました。





 その後は平和な時が過ぎました。シオン様がお生まれになった日以来、襲撃者も減ってきていますからね。やはりリディアーナ様の『白花の護り』を見せ付けられ、フェイレイ様の剣を受けた衝撃は大きいのでしょう。

 育児休暇の一年が過ぎ、危険も減ったということで、ノギク様も公務に復帰されました。

 リィシン様と遺跡の調査に向かわれたり、大陸各地にある神殿に併設された孤児院や高齢者の介護施設、病院などの慰問に向かわれたり、皇族として宮中行事に参加されたり。

 私たち女官もそれに随行してサポートいたしました。

 随行しない場合は、侍女さんたちと一緒にシオン様のお世話を担当いたします。

 ノギク様が育児をなさっているので、シオン様のお世話もノギク様付きの者たちで行っています。

 シオン様はとてもお元気な御子様です。

 良く食べて良く寝て、良く動きます。一歳になる前にはちょこちょこと室内を歩いていらっしゃいました。どんな狭いところにも潜り込んでしまわれるので、ひと時も目が離せません。追いかけると大喜びで逃げていくので、私たちも微笑ましく思いながら本気で追いかけます。……そのくらい足が速いです。本当に一歳児なのですか、シオン様?


 そこから更に一年。

 今日もリィシン様とノギク様は離宮を離れていらっしゃるので、私がシオン様のお世話をしています。

 本日の遊びはチャンバラごっこです。お父上が剣を振るう姿を見ているので、興味がおありなのですね。

 シオン様はまだ二歳になられたばかりだというのに、驚くほど動きが俊敏です。さすがはリィシン様のご子息です。
 私たちの言う言葉もきちんと理解されているらしく、右に踏み込んで剣を振る、左足を後ろに引いて武器をかわす、などと言えばきちんとその通りに動けます。私と同じく足を運べと言えば、ちゃんと同じように動くのです。天才ですか。理解の早さはさすがノギク様のご子息です。

 三歳になったらリィシン様から本格的に剣を習われるのが良いでしょう。魔力の使い方も習わなければなりませんしね。本当に将来が楽しみな御子様です。

 そんなことを考えていると、シオン様が元気に振っていた木剣をポトリと地面に落とし、両手を挙げて私の方へ駆け寄ってきました。

「まーり、ちゅかれた。だっこぉ〜」

「はい、畏まりました。では手を洗っておやつにしましょうね」

「あーい!」

 良いお返事のシオン様に心が和みます。

 使っていた木剣を片付けてからシオン様を抱っこして城内へ向かって歩いていると、後ろから声をかけられました。

「おー、マリオンの嬢ちゃん」

「あ、ギュンター様」

「これはシオン様もご一緒でしたか。シオン様、ご機嫌麗しゅう存じます」

「うるっしゅ!」

 ギュンター様が右手の拳を胸に当てて頭を垂れると、シオン様も元気に挨拶をなさいました。

 かわいらしいご挨拶に頬を緩めながらも、私の視線はギュンター様のお隣へ向かいます。

 黒髪に涼やかな青い目の、線の細い少年がいました。細いといっても、頼りないということはなく、騎士の正装をしている姿は雄々しい雰囲気を纏っていますが。

「こちらは?」

「今度新しくノギク様付きになるヴィルヘルムだ」

 ギュンター様が少年を振り返ると、彼は一歩前に出て、カッ、と靴を鳴らして敬礼しました。

「ヴィルヘルム=ガルシアです! シオン殿下、女官殿、まだまだ未熟な身ではありますが誠心誠意勤めさせていただきますので、どうぞご指導、ご鞭撻のほど、宜しくお願いします!」

 通りの良い声を響かせて、少年、ヴィルヘルム様は挨拶をしました。いつもやる気なさげなギュンター様とは違い、やる気に溢れた真面目そうな方です。

「ノギク様付き女官のマリオン=フューラーです。こちらこそ宜しくお願いします」

 私はシオン様を抱っこしていましたので、目礼のみで失礼させていただきます。

「随分お若い方ですね? 見たところ、騎士学校を卒業したばかりのような……」

「ああ、そうなんだよ。卒業したばかりの新人さ」

「それなのに、もう近衛に入ったのですか?」

 高貴な方の身辺警護をする近衛騎士団に入団するには、まず一兵卒から始まり、3年以上勤務してから騎士団への試験を受け、そこから更に経験を積み重ねていって、上官の推薦を貰って初めて近衛に入団出来るのです。学校を出たての新人が即入団出来るところではありません。

「それだけ期待の新人ってとこだな」

 ギュンター様はヴィルヘルム様の肩をポンポンと叩きました。

「はい! リィシン殿下、並びにノギク妃殿下のお役に立てるよう、精進いたします!」

 元気に返事する彼を見て苦笑したギュンター様が、私の耳元で囁きました。

「まあ、実のところ、ノギク様付きの騎士がエーリッヒの野郎のおかげで何人か辞めちまっただろ。その上妙な噂が出回ってるから誰も離宮勤務をやりたがらないんだよ。だから、何も知らない新人を引っ張り出してきたのさ」

 ギュンター様は溜息交じりにおっしゃいました。

「噂って、まさか……」

「離宮勤めになると新しい扉を開いちまうって噂だよ。まったくのデマじゃないってのが怖いところだが」

「う……」

 思い出させないでください。トラウマが蘇ってきます。

「ったく、勇者様のお城っていやあ、騎士連中で争奪戦が起きるほどの人気職場だったのになぁ」

「エーリッヒ様はそれをご存知なのですか……?」

「そんな噂程度で怯むような軟弱な輩はいらないってさ」

「……それって、わざと噂を消さないでいるのでは」

「そうなんだろうなぁ。気骨のある奴を見極めるための情報操作、だな。嘘じゃないから信憑性はあるし、それでも離宮勤めを志願するような、忠誠心の厚いヤツを求めてるんだろうさ」

 エーリッヒ様はリィシン様に心から忠誠を捧げる者だけを集めたいのですね。……集め方が間違っているような気もいたしますが。

 とにもかくにも、私はこの新人さんに忠告せねばなりません。

「ヴィルヘルム様、くれぐれも、エーリッヒ様にはお気をつけくださいませ」

「エーリッヒ殿というと、リィシン様の侍官殿ですね。大変厳しい方と伺っていますので、御眼鏡にかなうよう努力いたします。マリオン殿、ご忠告痛み入ります」

 ひとつも表情を崩すことなく、やる気に満ち溢れたお顔でそう言うヴィルヘルム様。ああ、なんだかこの真面目さがほっとします。私の周りの方々、個性的な方ばかりで……たまに普通の方にお会いすると心が安らぎますね。

「頑張ってくださいね」

 微笑を浮かべながら、そうお伝えしようとした私は。

「ひゃああっ!」

 何故だか悲鳴をあげていました。

 視線を下げれば、シオン様が……シオン様が、小さなお手手で私の胸をぱふぱふと叩いていました。

「し、シオン様っ?」

 私の声に顔を上げたシオン様のお顔は、真剣そのものでした。

「まーり、おっぱいふわふわ! なんでぇ?」

「え、ええっ?」

「なんでふわふわなのぉ? かーしゃん(母さん)のは、ふわふわしてなーい」

「ぶふっ」

 ギュンター様が笑いを堪えようとして失敗しました。笑うなんて失礼です! と非難の視線を送ると、咳払いをなさいました。

「あー、シオン様? その事実は母上様にお伝えしてはいけませんよ?」

「んー?」

「ここだけの秘密にしておいてくださいね」

「ひみちゅ? うん、わかったぁ」

 そう言いながら、シオン様は私の胸をぱふぱふぱふぱふ。なんだか楽しいらしく、物凄く笑顔が眩しいです。

「おっぱい! えへっ!」

「し、シオン様ぁ……」

「おっぱい、おっぱい! ふわふわ!」

「やめてくださいぃ、恥ずかしいですぅ……」

「あっはははははは! 良いじゃないかお嬢ちゃん、これで勇者一族も安泰ってことだからなぁ」

「どういうことですかぁ!」

「男が助兵衛だと一族が栄えるってことさ」

 何を言っているんですかギュンター様! そういうことを言うから侍女さんたちに睨まれるんですよ!

 
 顔を赤くしながらギュンター様を睨んでいたら、ふと、ヴィルヘルム様と目が合いました。

 真面目なお顔をほんのり赤く染めて、目を反らされました。

 うう、なんですか、この羞恥プレイ。




 その後、ご帰宅になったノギク様に駆け寄ったシオン様が、満面の笑みで言いました。

「あのねぇ、あのねぇ、まーりのおっぱいはふわふわなの! かーしゃんとちがうの。なんでかなぁ。これはね、ひみちゅのおはなしなのよ?」

 愛らしい笑みで落とされた爆弾に、ノギク様のお顔が引きつりました。

「……マリちん?」

「ひいっ!」

 
 私はノギク様から、おっぱい揉み揉みの刑に処されました。

 シオン様の裏切り者ー……。









 

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