第四夜

鶴丸さまのご婚約を知ってからも、私はごく普通に生活を続けた。どれだけ悲しいことがあっても、時間は待ってくれないことを痛感しながら。
あんなに美味しかったご飯は上手く喉を通らないし、楽しかった着物選びや路面電車でのお出かけ、パーラーでお友達とお喋りする回数も減ってしまった。女学校のお友達は、原因が分からないけれどとにかく落ち込んでいることには気づいたみたいで、何とか元気づけようとしてくれているのが分かった。でも、誰にも相談できる内容じゃないから、体調が悪くて、としか言えない私。
心配してくれているのに、本当のことを打ち明けられない私をどうか赦して…。
あれから鶴丸さまからの連絡は、一切なし。私からお手紙を差し上げるなんて、以ての外。
知りたいのに、知りたくない。会いたいけれど、会えない。
そんなもどかしく苦しい日々はもう七日目を迎えようとしていた。

今日は帝都ホテルで業種を超えた大規模な晩餐会が行われる。財閥の長、大御所俳優、銀行の頭取さまに、海外産の雑貨を扱うお店の社長様。何人か外人さまもいらっしゃるってお父様が教えてくださったわ。
週末の夜は大体お父様と一緒に夜会に出席するのが伯爵令嬢としての務めと教えられてきたから、今夜も勿論例外じゃない。
お化粧で目の下の隈を隠し、桃色の頬紅で顔色を明るくする。唇には鮮やかな紅をさし、馴染ませる。女中さんから終わったことを告げられて瞼を上げれば、そこには幾分大人びた顔の私が居た。
うん、これならきっと大丈夫。ここに居るのは飛鳥井伯爵令嬢のつばき。女学生の私じゃないわ。
笑顔を作ってみれば、まあまあの出来。どことなく憂いは残っているけれど、そんなの気づくのは鶴丸さまくらいよ、ね。
「…もう、忘れるべきなのに」
鶴丸さま。
喉の奥から出たか細い呼びかけは、ノックの音と私を呼ぶお父様の声でかき消された。
さあ、楽しい夜会の始まりね。

開会の挨拶などは恙なく進み、予定の進行過程は全て終わり。後は広いホールに楽隊の生演奏が密やかに、けれども華やかに流れている。参加者は思い思いに会話や食事を楽しんでいて、ホールの真ん中では社交ダンスも踊られていた。
男性が優雅に先導すれば、女性がくるりと回ってたっぷりとした布地が空気を含み花弁のように広がる。御伽噺のような光景に、普段なら幾分心が弾むのに、今夜は全然ダメみたいね…。
様々な人が成す波を見渡すけれど、新雪のような白はどこにもなし。
目的の色が見つけられずにつくのは何度目かも分からないため息だけだった。
私には跡継ぎの弟がいる。弟はまだ幼いから、彼の支えになれるようにと思った私は、一足先に社交界の情勢を学ぶために参加していた。
でも、鶴丸さまにお会いしてからは彼に会うことが目的になっていた事を今更になって気づかされる。
今会って話したら、何を話せば良いのかしらね…。
そんな事を考えながらお父様に連れられて挨拶回りをしていると、陽気な声が正面からかけられた。
「今晩は!楽しんでいらっしゃいますか?」
振り向けば、たっぷりと口髭を蓄えた鷹司伯爵が笑顔で立っている。そして、その隣には深い青のドレスを着こなす女性がいた。噂の鷹司伯爵令嬢その人だった。
艶やかな胸までの黒髪は豪華なシャンデリアの光を受けて天使の輪を作っている。微笑を浮かべる唇はふっくらとしていて熟れた桃のような甘やかさが感じられた。ほっそりしているのに、出るとこは出ているし。…うらやましい、なぁ。
「こんばんは、飛鳥井伯爵さま」
落ち着いた雰囲気と気品をまとった声が聞こえて、ついお父様の背中に隠れてしまう。
「こんばんは、鷹司伯、そして鷹司伯爵のお嬢さん。…どうした、つばき」
「いえ、その…」
声からも美人の気配を察知!顔が見たくない、なんて言えないわ…!
「鷹司伯爵さまのお嬢さまがあまりにもお可愛らしいので、恥ずかしくて」
「何だ、お前が人見知りなんて珍しいじゃないか。確かにこんなに美人ならその気持ちも分からなくはないがな」
ありがとうございます、と彼女の控えめなお礼の言葉から会話が始まる。
右手で言外に圧力をかけられれば、会話へ参加する以外の選択肢は残されていない。
何もない時なら、こんなに美人なお姉様は大好きでお近づきになりたいと願って止まないのだけれど。
楽しそうに談笑する三人に適当な相槌を打ちつつ、ついつい彼女を観察してしまう。
まぁ、睫毛がとっても長くていらっしゃるわ。唇もふっくらしていて柔らかそう。仕草も優雅でお上品。あああ、触ってみたいっ、じゃなくて!
「…えぇ。五条さまも今日いらしてるんです」
「えっ」
耳慣れた単語につい反応を返してしまう。
もう、私のバカ!
「あら、飛鳥井のご令嬢さまも五条さまをご存知なのね」
「…はい。以前声をかけていただいてから、ご挨拶をするくらいですけれど」
ぎこちなく笑って、当たり障りのない事を返せば、彼女の綺麗な瞳が輝きだした。
「そうなのね!彼の事業展開はとても素晴らしいのよ。それにね、彼自身もとても美しくて魅力的でいらっしゃるの」
途端に声が明るくなって、初めに見せていた笑顔よりも格段に柔らかい表情で語りだすご令嬢。
あぁ、とっても愛らしいお顔。すごく、生き生きとされてるわ。
ズキン、と鳩尾の辺りが鈍く痛み、拳を押し当てられた感覚に陥る。
…鷹司伯爵のお嬢さんの気持ちは痛いほど分かるし、鶴丸さまにとって悪いお話じゃないもの。受けるのも当然よね。
「彼はね、白がとてもよく似合うの。でも赤だって同じくらい似合うと思うわ」

『白がお好きなんですか?』『あぁ。同じくらい赤も好きだぜ』『縁起のいい組み合わせですね』『鶴らしくていいだろう』

知ってる。

「お酒もお強くて、とても男らしいの」

『君はいつも果実の飲み物ばかりだな』『だってお酒はまだ飲めないんですもの。そういう鶴丸さまはいつもお酒ばかりね』『まぁ、嗜みみたいなもんだ。君が飲めるようになったら、俺が気に入っている店に一緒に行こう』『はい、ぜひ!』

知ってるわ。

「それにね、あの人は手品がお上手なの」

『つばき』『っ、はい』『そのドレス、君にとても似合ってる。綺麗だ。素敵な驚きをありがとう』

髪に触れた優しさと、魔法のような去り際の贈り物を、私は知ってる。まだ、こんなにも鮮明に覚えている。
あぁ、またこの感覚。胸が押しつぶされそうなほど苦しくて、息が上手く出来ないの。
嬉しそうに鶴丸さまの事を話す彼女を見ていると、もどかしくて何とも言えない気持ちになる。
私の方が鷹司伯爵のお嬢さんよりずっとずっと鶴丸さまのことを分かっているのに。私の方が先に鶴丸さまを好きになったのに。私の方が、
そこまで考えてハッとする。
私、こんなにも嫉妬し、て…。
「お褒めに預かり光栄です」
「五条さま…!」
沈みかけた意識が異なる二つの声で一気に戻ってくる。
音楽が溢れている中でも聞き分けられる。ずっとずっと聞きたかった、大好きな彼の、声。
「こんばんは。飛鳥井伯爵令嬢、鷹司伯爵令嬢」
ねぇ、婚約者の方が一緒に居るのに。

私を先に呼ぶのは、どうして?

ほんの些細なことなのに、嫌な優越感が心満たす。
ドロドロとした醜い嫉妬で溢れている今の私じゃ、きっと鶴丸さまに嫌われてしまう。

こんな顔じゃ、鶴丸さまに会えない…!

「私、少し風に当たってきます…!失礼いたします!」
「あっ、おい!」
引き留めるような声が追い駆けてきたけれど、ヒールを履いた足を止めることは出来なくて。
頬を伝う涙さえも拭わずに、人気のない方へと絨毯の敷かれた螺旋階段を駆け抜けた。

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