第ニ夜

それから何度か顔を合わせて、お話をするようになった私が鶴丸さまに惹かれるまで、そう時間はかからなかった。
恋、というものは不思議なもので。
誰かの事を考えるだけで胸がいっぱいになったり。心臓がたくさん脈打ったり。身体が熱くなったり。何度も何度も彼の言葉で嬉しくなったり泣きたくなったり。
「自分なのに、自分じゃないみたいになってしまうのね」
夜会をこっそり抜け出した庭園で夜空を見上げて、盛大にくしゃみを1つ。誰も居ないし、大丈夫よね。
夏も近くなって来たから、肩が大きく開いた形のドレスを選んでみたのが裏目に出たかしら…。
両腕を軽く組もうとしたら、不意に後ろから何かが掛けられて、温もりに包まれる。ふわりと香るのは、陽だまりの匂い。
「そんなに肌を見せていると風邪ひくぜ、つばき」
「鶴丸さま…!」
肩の方に目を向ければ、どこから持って来たのか白い肩掛けがかけられている。
ぎゅう、と腰を抱き寄せられ、身体が密着すれば寒さなんてどこかへ行ってしまう。
脈打つ鼓動の音が途端に大きくなって、彼に聞こえてしまわないか心配になる。
「待たせてすまない」
温かな吐息が耳に触れてくすぐったい。
「そんなことない、ですよ?だから、その…」
「離して欲しい、って言うんだろ?」
「うう…、だって、近すぎます。いい香りがするし、温かいし、このままではドキドキし過ぎて、心の臓が壊れてしまいそうで…」
言いつつ身体に回された腕を解こうと手を重ねると、逆に右手で両手を抑え込まれてしまう。
今日は手袋をしていないのか、直に人肌の温もりが伝わってきた。
ほう、と一つため息が落とされて、思わず身を捩る。
「鶴丸さま、耳に息をかけないでくださいっ」
「…じゃあ、こっちの方が良いか?」
「囁くのは反則です」
私が弱いことを知っていてこうしてくるんだから…!
それでも与えられる温もりや、安心感には逆らえなくて、紡ぐ否定の言葉はどうしても弱くなる。
甘えるように頬を寄せれば、唇が晒された首に触れる。細くてしなやかな右腕は胸の前を横切って左肩に移動した。
「なに、」
「味見させてくれ」
「っ!」
かぷり、と軽く首筋に歯を立てられた後、吸い付かれて声が漏れる。
「ああもう!」
一気にしゃがんで緩い拘束から抜け出す。ドレスの裾を翻してムッとしつつ彼を見つめれば、苦笑した鶴丸さまが落ちてしまった肩掛けを拾い上げる。
「こんなところで、そんなことなさらないで下さい!」
「あんまり君が可愛い事を言うからいけないんだぜ?」
「可愛くないです!それと破廉恥なことをしていいことは一つも繋がりなんかないですからね?」
「あれくらいで破廉恥なんて言ってるなんて、つばきもまだまだ子供だな」
子供。たったその一言が胸に刺さる。私は飛鳥井財閥を束ねるお父様の庇護下にある子供で、自分の行く末も将来も私の物であって私の物じゃない。世間から見れば、飛鳥井伯爵のご令嬢。それ以上でも、それ以下でもないの。
私は伯爵家の生まれだけれど、鶴丸さまは自分の代で財を成した男爵。同じ華族ではあっても、由緒正しい爵位と、当代からの爵位では社交界での信頼度は格段に違う。
身分差の、恋。
そしてそれを覆すだけの力や決定打を、女の私が持って居るはずもない。
決まりきった未来しか与えられないなんて、初めから分かっていたのに。
「そうですね」
笑顔を浮かべて見せると、すぐに鶴丸さまの表情が切なげに変わる。
あぁ、もっと上手に心が誤魔化せたらこんな苦しい思いはしなくて済んだのかしら。
「…つばき」
名前を呼んだ彼が両腕を広げて待ってくれている。
私は無言で駆け寄ると、その広い胸の中に収まった。深呼吸をすれば、鶴丸さまの香りが肺いっぱいに入ってくる。
「私たち、どうしてあの日に出会ってしまったのでしょうね…」
もっと早く言葉を交わしていれば。もっと近い身分に生まれていれば。私と鶴丸さまの立場が逆であれば。
「君は俺と出会ったことを後悔しているのか?」
「まさか!」
胸元に埋めていた顔を上げれば、目と鼻の先には繊細な美貌。好奇心に彩られている金の瞳は水面のように揺らめいているようだった。
映り込んでいるのは泣きそうな私の顔と、不安。
「今がどんなに辛く、この先どんなに苦しくても、私はあなたと出逢えたことを決して後悔しないわ。それ以上の嬉しさ、楽しさ、驚きを、鶴丸さまは与えてくださったから…」
縋りつくように背広の胸元を握りしめる。
「私は、自分の選んだ選択に後悔なんてしません。だって、選んだのは私自身だから」
たとえそれが、一つしか選ぶことの出来ない道だったとしても。
「そうか。…そうか」
一度目は何かに納得するように。二度目はじっくり噛みしめるように。
同じ言葉なのに、二度目の方がずしりと重く聞こえた。
「なぁ、つばき」
「何でしょうか?」
「俺に、盗まれてくれないか?」

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