第一夜

帝都一と名高いホテルで開かれた夜会でのこと。各界の著名人や華族の人たちが一堂に会する
豪勢な会で私は彼に出会った。
異国風な背広をそつなく着こなす細身の体躯。襟足だけ伸ばした白の髪。宝石のように美しい金の瞳。
まるで御伽噺の王子様みたいって女学校の友達が話していたことが頭の片隅に浮かんだ。
立食形式のパーティーで、お父様はお得意様の鷹司伯爵とお話をしていた時の事。ふと視界に入った彼の横顔に思わず見惚れていたら、振り向いた彼と目が合ってしまった。それだけならまだしも、こちらに歩いてくる。
あぁ、どうしよう。はしたないと思われたかしら…。
でもその場から逃げることも出来ずに、私は胸の鼓動をごまかすように手元のオレンジジュースを一口飲んだ。
「こんばんは。少し話してもいいかい?」
にこやかに隣にやってきた彼は、にっこりと笑顔で手にしていたグラスを掲げる。
「ええ、勿論」
私もそれに応えるように笑ってグラスを合わせた。華やかな音楽と話し声にグラスの当たる音が響く。
「五条海運の五条鶴丸だ」
「飛鳥井つばきと申します」
「あぁ!飛鳥井財閥の!色んな事業に取り組んでいて本当に面白いとこのご令嬢か」
屈託なく笑う五条さま。
うちの財閥を面白いっておっしゃった方は初めてで、少し戸惑いつつもお礼を言っておく。
「ありがとうございます」
作った笑顔で一礼すると、途端に五条さまの顔が曇る。形の良い眉が顰められた。
「…君」
「はい、何でしょう?」
「君の笑顔はあまり面白味がないな」
「え…」
いきなり何を…。
困惑して思わず怪訝な表情になってしまう。
「退屈なのか?そんな顔ばかりしていたら心が死んでしまう」
真剣な金の瞳にじっと見つめられ、思わず一歩後ずさる。
確かに、夜会はあまり好きじゃない。社交辞令ばかりだし、上の爵位の人とあわよくば繋がりたいって下心が満載の男性は山ほど見てきた。
ごく当たり前に、心の片隅にいつも抱えていた思いだった。
そんなに顔に出ていたかしら…。でも、適当に取り繕っておこう。
「そんなことないですよ?こんなに素敵なドレスも着れますし」
身につけたドレスの裾をつまんでみせる。今日は一番気に入ってる薄い桃色のドレス。白に近くて、光の具合で桃色に見える。仕立ててくれた職人さんの話では、マーメイドライン、という体の線がはっきり出る種類とのことだった。
「いや、俺が言いたいのはそういう事じゃないんだが…」
「そうなんですか?」
もう、何が言いたいのかしら。
不思議に思いつつ、すぐ傍にあった小さな苺パフェを一口スプーンですくって食べる。
口内に果物の甘酸っぱさと生クリームのしっかりした甘さが広がった。
「んー!」
これ、本当に美味しい!近くのパーラーにも置いて欲しいくらい!
すると、隣から嬉しそうな笑い声があがった。驚いて声のする方を見れば、五条さまが優しい眼差しで私を見ている。
「君も可愛く笑えるじゃないか」
「っ!?」
慌てて咀嚼していたものを飲み込む。
今可愛いって言った!?だ、男性から可愛いなんて言われたことないわよ…!
「さっ、さっきは面白味も何もないとおっしゃったばかりじゃないですかっ。からかっているなら怒りますよ!」
耳慣れない単語に思わず顔が熱くなって、怒ったような口調になってしまう。視線はよく分からない意地で合わせたまま。
あああ、なんて可愛げのない返事なの!身分の上では私が上でも、海運業界では有名な方なのに…!
そんな困惑に気づいていないのか、五条さまは困ったように眉を下げた。
「いやぁ、すまんすまん。さっきの人形みたいにお上品な笑顔より、今の方がよっぽど可愛いぜって事なんだが…」
恥ずかしい事をさらりと告げた五条さまが真面目な声色で頭を下げる。
「気を悪くしたなら謝る。すまなかった」
「いいえ!」
思わず大きな声で否定すると、頭を上げた五条さまはきょとんと目を見開いていた。照明の光が映り込んで大きな宝石のように煌めく。その瞳があまりに綺麗ですぐに視線を逸らしてしまう。
「…可愛い、とか、その…男性に言われたことなかったので。何て言っていいか、分からなくて」
「ははっ、そういう事か。…君は、」
「おーい、五条!」
「…すまない、呼ばれてるみたいだ。君と話せて本当に面白かったぜ」
手袋に包まれた手が、そっと私の手を掬いあげる。私の掌がすっぽりと収まる、骨張って大きな男性の手。
それに合わせて顔を上げれば、少し高い位置に五条さまの整った顔がある。しっかりと重なる視線にドキリと心臓が大きく跳ねる。
「つばき」
「っ、はい」
「そのドレス、君にとても似合ってる。綺麗だ。素敵な驚きをありがとう」
そこまで言うと、真摯な瞳はきらりと悪戯っ子のような輝きに変わる。
手が離されて、一度羽のように優しく髪が撫でられる。反射的に首をすくめると、良い反応だな、と呟きが聞こえた気がした。
「また会えるといいな!」
すぐに軽い身のこなしで踵を返した五条さまはすぐに人ごみに紛れてしまった。
「…ありがとう、ございます」
見つめられて贈られた言葉にようやく返事が出た頃には、彼の姿はどこにもなくて。
頬が熱くて、胸の奥が鈍く痛んだ気がした。

私の婚約者が決まったのは、何の皮肉なのか、その日の事だった。




私の通う清庭女学校は華族をはじめとして、元士族、振興事業家など幅広い良家のお嬢様たちが通う学校。確かにお父様たちは階級で好き嫌いをおっしゃるけれど、校内ではそんな風潮なんて一切ない。女性の結束力はすごいんだから。
「ごきげんよう」
着の扉を引いて教室に行けば、ごきげんよう、と挨拶が返ってくる。窓際の自分の席に着けば、近くの友達が声をかけてきた。
「ごきげんよう、つばきさん」
「ごきげんよう」
「あら、今日はいつものリボンじゃないのね」
「っ、ええ。昨日いただいたの」
なるべく普通に頷いたつもりなんだけど、大丈夫かしら…。
何気ない指摘だけれど、少し体温が上がる。
普段の白いリボンではなくて、白い椿の髪飾り。
「よくお似合いよ!」
「ありがとう」
「そういえば、昨日のパーティーはいかがでした?」
「帝都ホテルでの夜会に参加なさったんでしょ?素敵な殿方にお会い出来ました?」
「素敵な殿方…」
煌めく金色の瞳、儚げな美貌、大きな男性の手。
『綺麗だ』と告げる声はさっき聞いたみたいに、耳の奥で再生される。
綺麗、って…綺麗って言われた…
「つばきさん…?お顔が真っ赤よ」
「えっ…!や、やだ私ったらぼーっとしてしまって!」
慌てて両手で顔を覆えば、二人がきゃーっと可愛らしい小さな悲鳴を上げる。
「つばきさん、もしかして赤い糸で結ばれた殿方と出逢ったの!?」
「きっとそうに違いないわ!ねぇ、どんな方なの?どちらのお家の方?」
「そ、そんな…運命の人、だなんて。乙女小説じゃないのに…」
「あら、『春は短し、恋せよ乙女』の主人公だって、私たちと同じ女学生ですわよ」
「そうですけれど…」
『春は短し、恋せよ乙女』は、清庭女学校で流行っている乙女小説の名前。
女学生と男性実業家の自由恋愛を題材にしたもので、今女学校内で一番人気の乙女小説なの。
教員の方々に見つかってしまったら没収確定ですけれど。
今は、親の決めた殿方と結婚するのが当たり前。それでも自分たちの気持ちを貫く二人の姿に憧れるのは私だけじゃない。
彼女の言う通り、主人公は私と同じ女学生。けれど、彼女はとても可愛らしくて、お上品なお嬢様で、私とは似ても似つかない。それに。
「私には許婚が、居ますから」
これが決定的な違いだった。
笑顔で返せば、彼女たちも少し寂し気に笑い返してくれる。
私たちの年齢になれば、むしろ許婚が居ない方が珍しい。
全ては私が預かり知らない所で決まってしまったこと。
それでも、そんなお話をしていると、決められた相手と結婚すると分かっていても、ついつい自由恋愛への憧れは募ってしまった。

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