日向と日影

三日月宗近と数日過ごしてみて紅緋には分かったことがある。
壱、三日月宗近とは現在顕現できる刀剣男士で最も希少価値の高い存在であること
弐、本体は作られた当時のまま現存していること
参、見目麗しいのに、自称おじいちゃんであること
そして。
「三日月さん、手順覚えられそうですか?」
本丸内のとある和室。出陣用の支度部屋でここ数日何度も口にした言葉を繰り返す。
一人で正装を着られなかった三日月が部屋を訪ねてきたのは顕現した翌日の朝のことだ。その日のうちに練習と称して半日かけて行った着付けや身支度練習を行い、しっかり着れるようにはなったのだが、いかんせん三日月宗近の正装は紐やら装飾が多過ぎた。誰かに手伝ってもらわなければ上手く着れないという彼の言い分も一理ある。
そこで紅緋は、翌日からはお洒落の得意な清光や似た装束を着ている今剣に頼んでみてはいかがですか?と提案したのだ。すぐに、あいわかった、という言葉を聞き届けたはずが、蓋を開けてみれば毎朝呼ばれることになってしまっていたのだ。
和装なんて浴衣くらいしか着付けられないし、ましてや男性の着替えの手伝いである。
紅緋には中々難易度の高い要求であった。
「はっはっは、難しそうだ。お洒落は苦手でな。いつも人の手を借りる」
「私もそんなに上手じゃないですが…」
「まぁ、気にするな。お前が着付けてくれると一番身に馴染むのでな」
「そう言っていただけると嬉しいです。…手の部分とかはお手伝いしますけど、髪紐は今日から1人でやりましょうね」
両手の武具を留める紐を結び、脇に置いてあった飾り紐を苦笑しつつ手渡す。これさえ付けてしまえば、あとは一人でも出来るはずだ。
「あいわかった」
差し出された掌は改めて見ると大きくて、ついドキリとしてしまう。
(何というか、その…本当に、男の人なんだなぁ。)
短刀たちや蛍丸は弟も同然で、清光は同年代の男子という言葉がしっくりくる。紅緋の中では『男性』ではないのだ。しかし三日月宗近は所作や身長からして紅緋基準の『男性』枠に入っている。しかもこの神に愛されたとしか言いようのない造形の整い具合である。いや、本人が神の末席に位置する存在なのだが。
多感な高校生時代を同性(その県内では美人揃いと有名)のみがいる環境で過ごしてきた紅緋にとっては興味の対象だ。そして、大人の男性という一種の憧れでもある。勿論、色恋沙汰とはまた別の話だ。
とは言え、僅かに顔を伏せて髪紐を結ぶ顔をじっと見つめてしまう。
左側だけ長い髪の向こうには白皙の美貌。睫毛は長く肌は綺麗で、本当に美人としか形容のしようがない。
すると、やや不器用に蝶結びを終えた三日月と視線が交わった。
「なかなかに見えるな。…ん?俺の顔に何か付いているか?」
「は、あ、え、いや何でもないです。美人さんだなーって思ってただけなので」
「ははは、もっと褒めても構わないぞ?」
「流石天下五剣!美人さん!」
「よきかなよきかな」
茶目っ気を発揮してくるのにも慣れて、軽い口調で返す。鷹揚に笑う所作1つでさえも優雅に思えるのだから、これも彼の纏う空気のなせる技なのだろう。
気を抜くとついつい美しい髪に、肌に、声に、見惚れ聴き惚れてしまう。
これはもはや不可抗力!滅多にお目にはかかれない美丈夫っぷりなのだから仕方がない、と自分に言い聞かせる。
「まぁ、褒めて眺めるだけでも良いが、」
笑うのを止め、スッと両目が細められると穏やかな笑顔が変化する。
変わった雰囲気を反射的に感じ取って身を引くが、両手が掴まれる方が先だった。
「触ってよし」
「へ…?」
そのまま彼の両頬に、それぞれの手が導かれて触れた。無駄な肉などないのに柔らかだ。その上に三日月の掌が重ねられ、紅緋の小さな手はすっかり覆われてしまった。
一気に二人の距離が縮まる。立った状態のため身長差が20p以上あるせいで紅緋が腕を伸ばし、三日月に見下ろされる体勢になる。白皙の美貌が眼前に迫る。真っ先に目に飛び込んできたのは重なった掌だった。
(わー、三日月さんの手もほっぺも温かい。私冷え性だから冷たいよね。申し訳ない…)
「指、冷たくてすみません」
「ん?あぁ。気にせずとも良い」
触れた温度差に気を取られていたのか、気の抜けた相槌が返ってきた。
やはり申し訳なさが先に立ち、すぐに離してしまおうと手を引き抜こうとすれば、そのまま手を握られる。先程整えた黒の手袋越しに熱が浸透してきて冷えが溶かされて心地良い。少しだけ幼い頃に手を繋いでくれた祖父の面影が心に浮かんだ。
「三日月さんはあったかいですねー」
「はっはっは。人の身を得たからこその温もりだな」
「そうは言っても、まだ慣れないです、よ、ね?」
目を見て話すのが癖になっているので、つい至近距離で見つめ合ってしまい言葉が途切れる。自覚した途端目を泳がせてしまう。
(今更だけど近い…!目の保養だけど心臓には優しくないっ)
「着替えも終わりましたし、私はこれで…」
「まぁ、そう急ぐな。今日は現世での講義とやらはないのだろう?」
強引に話しを終わらせて離れようとすれば、まだ話は終わっていないとでも言いたげに手を引かれる。
にこにこと笑ってるからただ単にもう少し話したい気分なのだろう。
至近距離から解放されれば話すくらいどうってことない。
気分を切り替えて廊下から部屋の中へと体の向きを変える。
「はい!今日は休講になったんです」
「ではしばしじじいと話してくれるか?」
「ふふ、もちろんです」
何だか小さい子供にねだられているみたいで可愛い。
2人で畳の上に腰を下ろし、今朝の食事や体の感覚、体調はどうかなどの話をしていく。三日月は特に隠し立てをする性格ではないと分かっていても、姉気質の強い紅緋としては気になるところだ。
そしてゆったりとした会話の話題は今日の出陣についてへと変わっていった。笑っていた紅緋が神妙な表情になる。
「あの、いきなり出陣なんて本当にすみません」
「なぜ謝るのだ。敵を斬り、道を切り開く。それが俺達の本分ではないか」
心配そうに眉を寄せると、三日月はけろりとした顔で答えた。むしろ彼女の言葉が理解できない、とも読み取れる表情だ。
すると紅緋は言葉を探すように視線をやや上に流した。
「んー、確かにそうなんですけど、今はこうして人の身をしてるじゃないですか。せっかく自由に動ける身体があって、楽しいって感じられる心があって、気持ちを伝えられる声があるんだから、もっともっと楽しい事を知ってからでも遅くはないのになぁと思って」
人として肉体を得た彼が、食事や畑仕事、風呂に入る事や眠気さえも興味深そうに感じていることはすぐに分かった。それにもかかわらず、自分や政府の都合だけですぐに戦場へと駆り出すことになってしまったのだ。
しょんぼりと肩を落とすと、未だに繋いだままだった手にほんの僅かに力がこもった気がした。
「なに、それは焦らずとも1つずつ味わって行けば良い。この戦いはまだまだ先が長いであろう」
「そうですねー。早く終わるに越したことはないんですけど…」
「ふむ。…それにしても」
「っ!?」
グッと身体を抱き寄せられ、抗う間もなく付喪神の方へと全体重を預けることになってしまう紅緋。未だに力の加減が上手く出来ないのか、長い指が二の腕にやや食い込んで痛かったがほんの束の間。
あれよあれよという間に膝の上に乗せられ、太ももで三日月の両脇をを挟むようにして向かい合わされた。
逃げないよう腰に腕を回す三日月に、紅緋は驚いて動けないのかきょとんとしたままである。上品な香を焚き締めた蒼の狩衣がふわりと香る。
「え、三日月さん、どうしたんですか?」
いつもと違い目線の高さが同じ瞳は笑っているのに、心の奥底を全て見透かしているような静謐が支配していた。彼が瞬きをするたびに媚月が見え隠れする。
ゾクリと背筋を悪寒が走り抜ける。
「審神者よ。お前は俺に謝り過ぎではないだろうか」
幼子に言い含めるような穏やかな声だったが、ほんの僅かに声の調子が真剣みを帯びた。
「お前は、俺を通して『誰』かに謝っているのではないか?」
「っ…!」

『主!』
風に靡く髪、自分より小さな背、明るい笑顔。

『笑って、ほしいな。そして、次の僕が来たら、また、大切にしてあげ、て…』
一週間前の、記憶。

身体が無意識に強張り、心臓が早鐘を打つ。それでも頭の隅に残った冷静な部分がするすると言葉を紡ぐ。
「そんな事ないですよー。さっきも言った通り、私の都合で振り回してしまうのがなんだかなーって思っているだけなので!」
(心配をかけちゃいけない。笑顔笑顔)
徐々に冷静さを取り戻し、笑ってみる。弱い所は、見せられない。
だって今日は戦の日。彼らはこれから命のやり取りをしてくるのだ。何よりも目の前の敵に集中力を注いでほしい。
「ご心配ありがとうございます」
「ふむ、そうか」
小さくお辞儀をする紅緋に三日月は頷くしか出来なかった。
「では、お前の憂いを晴らすような結果をもたらさなくてはな」
無理に笑顔を取り繕う彼女を見て、三日月は黙って彼女の髪を撫でる他ない。だって彼は自分の主を慰める術を何一つ知らないのだから。
さっきの問いは、ほんの好奇心だった。昔の恋人や焦がれる俳優、あるいは亡くなったのかもしれない家族と重ねているのだろうと読んでいたのだ。
そんな、迷子のような、泣きそうな顔をさせるつもりなど微塵もなかったのに。
胸の辺りに鉛を詰め込まれたような、肺に水を注ぎ込まれたような感覚に陥りながら、三日月はずっと彼女に温もりを分け与えていた。



昼過ぎに清光を隊長として、四振りの第一部隊は戦場へと赴いた。数度の歴史修正主義者との戦闘を経て、少々の怪我は負ったものの、全員が無事に戦場から帰還することとなったのだった。
心配で指示用の電子板から目が離せなかったけれど、少しだけ緊張が解れる。
「良かった…!みんなが帰ってくる前に、ご飯とお風呂の準備しよっか」
「はい、主様!こんのすけもお手伝いいたします」
「ありがとう。よーし、そうと決まればパパッと済ませちゃおう」
嬉しくて執務室から駆け出せば、後ろから悲鳴のようなものが聞こえてきた。
「あ、主様!お洋服を考えてお走り下さいませ!」
「平気平気ー!」
そんなやり取りをしながら、慌ただしく湯殿の用意をする。次いで全員分の夕飯の簡単な下準備を済ませると、出迎えのために正門へと向かった。
本丸の正面には重厚な木製の巨大な扉が設置されている。左の柱からは物見の為に二階へ上ることも出来るようになっている。大人が騎乗しても余裕でくぐれるほどの高さがあり、侍たちが命を懸けて領地を争った時代を彷彿とさせた。右側の柱には近代的な機械パネルが取り付けられている。これを操作することで、現世や歴史修正主義者の存在する時代へと飛ぶことが出来るのだ。刀剣男士が増えれば遠征部隊を出撃させるようにもなるけれど、それはまだ先の
話。
紅緋は帰還した刀剣男士たちの邪魔にならないよう、門から少し離れた所で立ち止まった。こんのすけも一歩後ろに控える。
「主様」
「んー?」
反応を返しつつ、小さく柔らかな身体を抱き上げる。こんのすけもあらかじめ予想がついていたのか、特に抵抗はしない。
「もう、大丈夫でございますね」
あぁ、この子もずっと気にかけてくれていたんだ。
どこか安心したように腕の中で身じろぐこんのすけに、頬擦りする。
「うん…ありがとう。清光たちにも、ちゃんとお礼を言わないとね」
すると夜の帳を裂くように一条の光が走り、青年の声が響いた。
「開門!」


眩い光を抜けると、微笑を浮かべた少女の姿があった。直前まで何か作業をしていたのだろうか。紅葉のような掌はやや赤みを帯び、袖が捲られていた。
足元には式神が行儀よく座っている。
先頭を歩んでいた隊長・加州が適度な距離を空けて立ち止まる。すると彼女の表情も自然と引き締まった。
「主」
「はい」
「無事に、帰還しました」
「とても、嬉しく思います」
すると不意に加州の纏う空気が変わった。戦場に居る時の、肌を刺すような緊張感が嘘のような、柔らかいものに。
「ねえ、紅緋。俺、俺…全員で、みんなを連れて、帰って来たよ」
「うん。…うん!」
何かを堪えるように、凛とした声に震えが混じる。それもほんの玉響。彼女の表情は再び凛々しさを纏う。
「清光、今剣、蛍、そして三日月さん」
名を呼び刀剣男士と目を合わせる審神者。こっそりと探る様に視線を交わらせれば、澄んだ瞳の奥から感じられたのは感謝、そして、心からの安堵だった。彼女の声が震えた原因は分からずじまいである。
「…お帰りなさい!」
ふわり。固く閉じていた花芽が一気に開くように微笑みが零れる。
彼女の憂いのない笑顔は、三日月が考えていた以上に甘やかで、愛らしかった。

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