ごめんねの代わりに愛の囁きを

燦々と降り注ぐ夏の日差しが眩しい昼過ぎ。大きめのトートバッグと燭台切特製のお弁当を持った私は本丸の玄関にいた。今までの鍛刀結果とその傾向を研究するために政府に召集をかけられたのだ。幸か不幸かランダム抽選の結果らしい。
発表の手間がかかる代わりに美味しいお茶菓子やら報酬が出るらしいから五分五分かしら。
研究会と銘打ってはいるけれど、現世の学会のように三日間などではなく日帰りで予定は組まれていた。だから見送りはいらないと断っていたのだけれど。
「忘れ物はありませぬか?」
何故か玄関先には近侍である小狐丸の姿。皆のお陰で資料は数日前に完成して提出済みだから、あとは私が行けば問題ない。それでも耳のように跳ねた白く美しい髪は心なしかペタリと倒れている。
私は彼の不安をかき消すように微笑み返す。
「ええ、準備は万端よ。後は適当に参加して美味しいお茶菓子でも食べてくるわ」
「もしお口に合えば買いに参ります故、覚えて帰って来てくださいませ」
「それなら、一緒にお買い物へ行きましょう」
「…!はい。お供いたします」
ふふ、と二人で笑い交わす。
「本日は何時頃お戻りになるのですか?」
「そうね…」
資料にはそんなに夜遅くまでかからないと記載があった気がする。でも、政府主催の研究会は長引くってこの前の演練相手の方がおっしゃってたわね。
遅めの時間を告げておけば、多少早く戻って来ても問題はないけれど、遅くなった場合は迷惑がかかる。特にこの子には。
「夜遅くなるかもしれないわ」
「と、おっしゃいますと」
「日付が変わる頃かしらねぇ。あ、でも近くまで政府の方が護送してくださるから大丈夫よ。明日は更に古い時代へ出陣するから、先に眠っていてね。頼んだわよ、私の近侍さん」
口を挟まれる前にふわりとした笑顔と、お願いという形で主命を残す。その間小狐丸はずーっと何か言いたげに唇をあけたりしめたり、視線をさ迷わせていた。整った眉も少々下がっている。
「…分かりました、ぬしさま。ご不在の間、本丸のことは私にお任せ下さいませ」
一拍の瞬巡の後に返された首肯と柔らかな微笑み。そこには先程の迷子になったような心細さの影もない。ごめんなさい、こんなワガママな主で…。
「ありがとう。行ってまいります」
謝罪の言葉を飲み込んで本丸を後にする。建物の影から出れば目映い光に少しだけ目が痛くなった。

***
「まさか本当にこんな時間になるなんて…」
宵闇に沈んだ本丸の門で一旦立ち止まり、時計を見る。現在時刻、午前零時半過ぎ。空を見上げればぼんやり光を放つ月に薄く雲がかかり、輝きの恩恵は半減している。灰色の隙間からは星明りもちらほら伺えた。
研究会は思いの外討論が盛り上がりを見せ、気付けばこんな時間になっていたのだ。
予想通りと言えば聞こえは良いけど、まさか本当にここまでかかるなんて思ってなかったわ。
自身のテリトリーへ戻ってきた安堵感からか、多少怠さの出てきた両足を前へ前へと進める。視界に入る限り灯りはなく、沈黙を守る本拠に僅かな寂しさが掻き立てられた。
自分で先に眠っていてと言ったのに、誰も起きていないと思うだけで寂しいなんて…。
子供じゃあるまいし、なんて自嘲気味に笑みをこぼして入り口の引き戸を静かに開けた。
「ただいま戻りました…」
返事を期待していた訳ではなく、いつもの癖で言っただけだったのに。
「審神者さま…?」
鼓膜を揺らす心地好い低音。
薄闇に包まれた廊下の向こうから大きな影が駆け寄って来る。え?小狐丸?
「ぬしさま!」
声は控えめだったけれど、喜色が滲んでいるのがよく分かった。心臓が一度、大きく脈打つ。
極力足音を消していたけれど、小狐丸はあっという間に目前へと馳せ参じた。
私はといえば、驚きと良くわからないふわふわした感情で固まってしまって草履すら脱がずにその場で棒立ち。
「ぬしさま、お帰りなさいませ。無事のご帰還嬉しゅうございます」
「ただいま帰りました、小狐丸。…もしかして、待っててくれたの?」
草履を脱いで荷物を渡しながら頭上の野性味溢れる顔に視線を注ぐ。
それに気付いたのか、私を見つめ返してくれた紅の瞳は暖かな光のように優しかった。
「…少々眠れなかったものですから、散歩をしておりました」
自然な動作で空いた方の掌が私の手を握った。大きな手に引かれ、静謐を壊さないように歩き出す。
「そう、なの?」
「ええ。ですがお戻りになられたぬしさまのお声を聞いたら急にねむくなりました」
安心したのでしょうなぁ。なんて聴こえたのは都合の良い空耳、よね?
「何か言った?」
「はい。審神者さまのお声はとても心地好いと申したのです。眠りに落ちるまでずっと聞きたいほどですよ」
声を潜めて悪戯っぽく笑う姿に不覚にもときめいてしまった。
一歩前を歩む頼もしい後ろ姿と、繋がった指先の温もりに胸が締め付けられる。いつもは私が前を歩くのにね。
今なら、素直に言えるかしら。
「小狐丸」
「なんでしょうか、審神者さま」
進行方向を見たままだけれど、先を促すような甘い声音とちょっとだけ力が籠る繋がった部分。その熱にまた心臓が自己主張し始めた。ああ、こんなに静かだと心音が聞こえてしまわないかしら。
ねぇ、小狐丸。私、たくさんたくさん言いたいことはあるのだけれど、今はこれだけ言わせて。
「大好きよ」
「っ、反則、ではありませんか…?」
愛らしすぎます、審神者さま。
振り返り様に耳元で囁かれて、すぐに唇へと熱がもたらされた。

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