この夢が醒めるまで

とろりとした日差しが心地良い初夏の午後、書類をコピーしようとコピー機へ向かう途中で呼び止められた。
「おっ、審神者。ちょうどいい所に来てくれたな」
「え?私ですか?」
「君意外に誰も居ないさ」
金色の瞳を細めて人懐っこい笑顔で手招きをする彼は、鶴丸国永さん。私がこの会社‐テレビ五条に入ってからずっとお世話になってる人だ。簡単に言ってしまえば、彼が私の上司。
厳しい時もあるけど基本的に気さくで面白い人だから、頼りになるお兄さんというイメージの方が強い気がする。
「済まないがこれをデスクまで届けてくれないか」
数枚の紙を差し出してくる。そんなに枚数がない所を見ると、今日の夕方の放送原稿だろう。
「もう手直しをしてある本文だから断られることはないと思う。頼んだぜ」
「承りました。それにしても、鶴丸さんがスーツなんて珍しいですね」
細身でグレーのスーツに白のシャツ。赤と金のストライプのネクタイが薄い色彩に華を添えている。髪も少しだけセットしてあって、外に行くのが一目でわかった。
普段はオフィスカジュアル、と言うにはカジュアルすぎる格好でお仕事をしている。基本はスキニーパンツとシンプルなTシャツを着てるのだ。勿論、取材に行くときは着替えているけれど。
時々思うけれど、そこら辺のモデルよりカッコいいんじゃないだろうか。
「ははっ、普段からかっちりした装いの君にしてみればそうだろうな」
「確かにほぼ変わり映えしない就活用スーツばかり着てますからね」
「着慣れないだろう?君もあまり気を張らずにもっとラフな格好出来たらいいさ」
「…お、お給料が入ったのでオフィスでも着れそうな服をそのうち新調します」
「えっ」
「え?」
何か変なこと言った?
つい反射で聞き返す。すると鶴丸さんはすぐにニヤリと口端を上げた。
「いや、何でもない」
「そう言われると気になります!」
「おーっと、そろそろ次の現場に行かないといけないんだった」
心底楽しそうに笑顔を見せた鶴丸さんは無邪気で子供っぽい。それも束の間、颯爽とエレベーターへ向かってしまう。少し細身だけど広い背中は大人の男性の頼もしさが感じられる。
…仕方ない。とにかくこれを報道デスクに持って行かないとね。
自分の仕事は特に急ぎじゃなかったし、先に持って行った方がよさそう。
一旦書類を机に置いた私も、白髪の上司を追うようにフロアを後にする。報道デスクがあるのは一つ上の階だから、エレベーターを使うまでもない。
外へと向かうためにエレベーターの前には三人のスタッフの姿。鶴丸さんと、カメラマンさん、ADさんだ。かすかに笑い声が耳に入ってくる。
記者は現場に行った際の行動指針を決める立場に居るからこそ、カメラマンやADとのコミュニケーション能力が欠かせない。話し上手な鶴丸さんはカメラマンさんからの信頼も厚いのはよく知られていることだった。
その姿を視界の端にとらえ、手前にある階段を上る。何の飾り気もない黒のパンプスが数段進んだところで、不意に後ろから声が飛んで来た。
「審神者ー!一人での初仕事、頑張れよー!」

***

酷い喉の渇きで三日月宗近は目を覚ました。素肌に触れるのは滑らかな触り心地の布。上半身を起こせば真っ白なシーツが微かな衣擦れの音を立てて滑り落ちていく。露わになった均整の取れた美しい体はほどよく鍛えられており、目にしたら見惚れずにはいられないだろう。男性らしく広い背中には幾筋か赤い線が走っているが、彼がそれに気づくのはもう少し先のことだ。
長い睫毛に縁どられた優美な目もとに、やや寝乱れた宵闇色の髪がかかって何とも言えない色気を醸し出していた。気だるげに髪をかき上げる仕草さえ様になってしまう。
ゆるりと視線をベッドに戻せば、白い布の海の中に一人の女性が丸くなって眠っている。
「あぁ…夢ではなかったか…」
重く深く胸にたまった感情を吐き出すように零れた呟きは、幸福と苦悩を含んでいた。

初めは、この思いを遂げる気はなかったのだ。
高校からの知り合いである鶴丸に連れられて来るようになった初々しい女性。それが審神者への第一認識だった。何となしにプライベートで彼から話を聞けば、自分の後輩とのこと。それからというもの、鶴丸は会うたびに審神者のことを話すようになっていた。
審神者が社内で頑張っていること、好きな食べ物、苦手なタイプ、休日の過ごし方や服装…鶴丸から彼女の話を聞く回数が増えるにつれて、三日月自身も彼女に惹かれていくのにそう時間はかからなかった。
しかしあくまでも三日月と審神者はビジネス上での関係しかない。自分の見目が麗しいことは百も承知な三日月だったが、それだけで彼女が自分に一定以上の好意を持ってくれているとは考えにくかった。
勿論、行動を起こそうと何度も試みていたのだが、仕事が終わってしまえばすぐに鶴丸が連れ帰ってしまう。プライベート用のアドレスを渡すことも、食事に誘うことすら不可能だったのだ。
だが、今日は違った。審神者が一人でやって来たのだ。仕事を一通り終え、話を聞けば鶴丸は別件があり今回は自分一人が任されたのだという。柔らかな笑顔で話してくれる彼女に、心臓が跳ねたことは記憶に新しい。
そこからはあっという間だった。食事の約束を取り付け、食事を済ませたらそのままバーへと移動。カクテルを楽しみつつ話を聞いている内に、話題は色恋沙汰へと発展した。
「ぶしつけな質問で悪いが、好きな人はいるのか?」
「彼氏、ならいます。でも、好きかと聞かれると…」
少し悲し気に目を伏せる彼女。その横顔は愁いと色気を帯びてとても美しかった。そう、その色香に誘われてしまったのだ。
「…俺なら、心地良くしてやれるがな」
「えっ…?」
「俺なら彼氏よりも極上の快感を与えられる、そう言ったんだ」
笑んでみせれば、審神者の瞳に迷いと希求の色が見え隠れしたように感じた。
「なぁ、俺に貴女の一夜をくれと願うのは罰当たりだろうか」
「そ、れは」
「案ずるな。これは俺と貴女だけの秘め事。今宵の事を知るのは俺たちのみだ」
優しく頬を撫で、甘い声を耳元に囁く。すると小さな彼女の手が自分の手に重ねられる。
「私で、いいのなら」
そこからの記憶は途切れがちだ。
唯一つ確かに言えるのは、お互いに「好き」という言葉はなかったことだけ。
それでも彼女を欲する心を止める理性など、三日月には残されていなかったのだ。
肌を重ね、互いを求めあう時は彼が想像していた以上に甘美で幸福と快感に満ち溢れていた。もう、このまま時が止まってしまえばいいと願うほどに。

長いようで短い回想を終え、正面の壁掛け時計へと視線を送れば、午前六時を指していた。左手の大きな窓からはレースのカーテン越しに朝日が差し込んでくる。三日月の複雑な心情とは裏腹に白藍色の空には雲一つない。
「あと30分といったところか」
生憎と今日は重役会議が朝から入っている。どう頑張ってもここに留まれる時間はそう長くない。
「こういう時に限って、このような用事があるとはなぁ」
せめて離れる前に、もう一度彼女の温もりを確かめたい。
再び柔らかな布団にくるまれて、眠り続ける女性へと手を伸ばす。
起こさないように注意を払い優しく髪を撫でれば、安心しきった表情で頬を摺り寄せてくる。
「ん…」
「…可愛らしいな。昨夜はあんなに乱れていたというに」
三日月さん、三日月さんと熱の籠った声と視線に溺れ、貪るように繋がった時が鮮明に蘇る。
「夢中になってあまり優しくしてやれなんだ。すまなかった」
頬に手を滑らせれば、指先に熱と柔らかさが伝わってきた。胸元には幾つもの赤い花弁が散っていて、白い肌をより一層白く見せている。その跡をなぞるように触れるだけの口づけを落としていく。胸にかかっている所は少しだけ舐め、彼女の柔肌をひっそりと味わう。
「ぅん…あ…」
「はは、…これ以上はお互いに毒だな」
小さな桜色の唇から熱っぽい吐息が聞こえて、慌てて離れる。起こしてしまう心配よりも、自身の熱が止まらなくなる方が懸念材料だ。
名残惜しむようにもう一度彼女の頬にキスを贈り、三日月はベッドから抜け出す。
「…好きだ。もう、どうしようもないほどに好きになってしまった」
素直にそう告げられれば、どんなに良かっただろう。
切実な愛の告白は誰にも聞かれることなく朝の静寂に溶けて消え去っていった。


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