風花の園

新たな年を迎えて数日が経過したある日のこと。珍しく早起きした審神者はひっそりと端末を起動した。設定するのは、冬の趣景。今まで貯めていた小判で、ようやく冬の庭になるシステムを購入することが出来たのだ。
本丸の皆には、明日は朝から冷え込みそうだよ、と注意はしてあるし、誰かがうっかり風邪をひく心配もないだろう。
「これでよし」
操作が完了しました、の文字を見て笑みが零れる。
さて、どんな感じなのか私が一番に確かめよう!
うきうきしながら厚手の上着を羽織り、自室の障子を開くと、冬の朝独特の澄んだ空気に全身を包まれた。心なしか、木々もぴしりと背筋を伸ばしているように思う。
一度大きく深呼吸をして、空を見上げる。視線の先に広がるのは、雲一つない空だ。夜明け前の空は薄い紺色に覆われていたが、東の方角はぼんやりと朝日の色を滲ませていた。
「わぁ…!」
吐き出した息が白く形を作り、ゆるりと解けて無くなる。
一つ、また一つと大きめの風花がゆったりと降り注いできたのだ。
審神者が現世で住んでいる所では、雪は降っても積もりはしない。それに昨今の気候変動諸々の影響で本物の雪を見るのは子供のころ以来だった。久しぶりすぎて、心が躍る。
ここの本丸には庭へとすぐに降りられるよう、縁側にはサンダルが常備されている。審神者は肌寒さも忘れて雪降る中へ駆けだした。
羽織っただけの上着が落ちないよう胸元の前で押さえる。そのままくるりと回ってみれば、彼女を中心に風が動く。それに合わせて空から降り注ぐ雪の結晶も向きを変えた。
童心に帰ってはしゃいでいると、不意に後ろから声がかけられた。
「主殿!?」
「っ!?」
慌てて振り向けば、刀剣男士の部屋側の渡り廊下に寝間着姿で立っている。寒さ対策に渡した厚手の上着を二枚重ねて着ている辺り、もしかしたら寒がりなのかもしれない。
服装や髪形からは特に寝乱れも感じさせず、驚きからか美しい金の瞳は大きく見開かれていた。
まだ本丸の皆が起きだしてくるには早すぎる時間なのに。
お互いにそれは心得ているため、驚きを含んだ声は抑えられている。
「い、一期さん…」
あぁ、どうして。こんなに子供ぽい所を、憧れの王子様に見られてしまうなんて。
顕現してからというもの、彼の柔らかな物腰や優しい仕草、そして何よりも温かな微笑みに何度心躍らせたか分からない。彼の前では、彼に釣り合うような素敵な女性でありたいと頑張っていた努力がこの一瞬で台無しになってしまった…気がする。
気まずさと落胆、そして特大の気恥ずかしさでついつい俯いてしまう。
「あの、えっと、その、これは、ですね…」
「ふふ、とても楽しそうに駆け回っていらっしゃいましたね」
「…はい」
この分だとすべて見られていたに違いない。…駄目だ、恥ずかしすぎる。
耳まで真っ赤になって小さく頷くと、衣擦れの音と共に鼻先を一期の香りが掠めた。次いで肩が温もりで覆われる。
はっとして顔を上げれば、ついさっきまで一期が羽織っていた上着の一枚が掛けられていた。
「風邪をひいては一大事ですからな。よろしければお使い下さい」
「そんな…今度は一期さんが風邪をひいてしまいますよ」
「ご心配は嬉しいのですが、大切な主殿に何かあっては私が心配で眠れなくなってしまいます。それに、こう見えても私も刀剣男士ですから、しっかり鍛えているのですよ」
穏やかな微笑みで返そうとする手をそっと抑えられては、返す言葉もない。思っていた以上に大きな掌と彼の体温についついときめいてしまう。
「ありがとう、ございます」
「そのお言葉だけで、心が温まります」
彼の弟たちに向けるのとは、また異なった柔らかな笑顔に、ついつい見入ってしまう。心臓の音を抑えようとこっそり深呼吸をしていると、一期が空へと視線を上げた。
「それにしても、これは…」
「実はさっき、本丸の趣景を冬に設定したんです」
「なるほど。だから雪が降っているのですな」
笑顔でお互いに言葉を交わすたびに、吐息が白く浮かび、消えていく。
納得したように頷いた一期だったが、興味深そうに降り注ぐ氷の結晶を目で追っている。寝間着姿とは言え、華やかな顔立ちの彼に雪が降り注ぐ光景はどこか幻想的で御伽噺を彷彿とさせた。
「もしかして、一期さんは雪を見るのは初めてですか?」
「いえ。目にするのは初めてではないのですが」
掌をひっくり返し、雪を受け止める一期。
「実際に触れるのはこれが初めてなのです」
それは直ぐに色と形を失い、透明な水滴へと姿を変えた。一瞬で形を変えた雪を見つめていた彼の目が、少しだけ悲しげに伏せられる。
「…雪は触れると、溶けてしまうものなのですな」
そのままちらりと視線が流された。食い入るように彼の横顔を見ていた審神者は、彼の纏う儚さと色気に思わずドキリとする。
「まるで貴女のようです」
「わた、し?」
続いた言葉が予想外で、声が掠れる。一期は隣に並んでいたが、今度はしっかりと審神者へ向き合った。
「ええ、審神者です」
凛々しさよりも甘さが勝っていると感じてしまうのは。
向けられる視線に熱が籠っていると思ってしまうのは。
全部、気のせいだろうか?
「美しいから手を伸ばせば、手に触れた途端、儚く消えてしまう…」
僅かに髪に降り積もっていた雪を掃いながらどこか寂し気に彼が呟く。
…この際、勘違いでも、いい。
下ろされた一期一振の掌をそっと握れば、一瞬脅えたように広い肩が跳ねた。
「あの、一期さん」
「何でしょうか?」
「私は、消えたりしませんよ?…だから、」
もっと触れてください。
続きの言葉は一気に縮まったお互いの距離に挟まれて、消えていった。

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