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対地支援艦「まつしま」型


 一般的に、旗色の悪い軍勢では起死回生・あるいは現状維持のために、ありとあらゆるプランが検討され、また実行される傾向がある。むろん、劣勢下にあるということは、誰もが余裕を失っているということでもあり、個々のプランについてはろくな検討がなされないことが多い。
 結果、戦場における有効性もろくに検証されないまま、一体どこをどう考えたらこんなものが生まれるのか、と誰もが首をかしげるような兵器がしばしば誕生することになるのだ。
 たとえ出自はとんでもなくても兵器として誕生した以上、兵士たちはそれを使って戦わねばならぬ。中にはある程度の戦果を上げることに成功したものもあるが、それは開発者の、というよりは、環境と運用した兵士たちの功績に帰するべきであろう。

 これから紹介する艦艇も、そんな戦力維持策の中で誕生した兵器のひとつである。

   ***

「まつしま」型は、海上自衛軍に所属する支援艦艇である。
 対地支援艦の名が示すとおり、本級は上陸作戦時、あるいは陸自からの要請に応えての対地支援を主任務として建造された。そのため火力、特に砲熕兵器が強化されているのだが、その方法というのがいささか特殊なものとなっている。

 本級の最大の特徴は、その特異な艦形にある。
 基準排水量は19,500トンで、商船構造を応用した幅広の艦体を持った本艦は、太目ながらも戦闘艦艇にも引けを取らぬ巨体を持っている。支援艦艇ならそれも分からなくもないが、本艦をさらに特徴付けているのは、甲板上に据えつけられた2基4門の巨大な砲塔である。鋼鉄の塊であるといってよい砲塔は、甲板上がすっきりしていく一方である昨今の海自艦艇のなかにあって、異様な存在感をかもし出している。
 どことなくデフォルメされたようなほどに砲塔が不釣り合いなのも道理で、この砲塔はもともと、装甲護衛艦「やまと」に搭載されていた45口径46センチ砲と砲塔装甲が交換された時の不用品を再利用した物なのである。
 本来ならスクラップとされるはずの砲身や装甲が支援艦に生まれ変わるについては、海自の思惑があった。
 
 過去半世紀にわたり徐々に人類領域が侵食されていく中、幸いにも日本本土はかろうじて幻獣の顎(あぎと)から免れていたが、国家としての基本的性質から世界中の資源・食料を必要とする関係で、商船隊と海軍――海上自衛軍は、世界各地で幻獣と矛を交わしていた。
 だが、圧倒的な戦力には抗すべくもなく、海上自衛軍もその活動領域を徐々に狭めていくことになり、必然として外洋海軍としてよりも沿岸海軍として活動する機会が多くなってきていた。
 むろん、これまでの艦艇も沿岸での活動、ことに対地支援能力を持ってはいるのだが、本来外洋での活動を主任務とする艦艇をこのような任務に使用することは、なんというか能力過剰であるようにも思われたのだ。また、これまでに発生した損害も決して無視はできず、また範囲は狭くなったとはいえ守るべき通商路はいまだ多く、艦艇群はまずもって外洋に配属されなければならなかった。
 こうした理由から、主に本土近海で活動することを前提とし、大火力でありながら比較的安価で――つまり言ってしまえば、失ってもそれほど惜しくない戦力として設計されたのが本艦であった。
 はたして、主砲の在庫があったから思いついたのか、装備を探しているうちにたまたま思い至ったのかは定かではないが、いわゆる地方隊レベルの沿岸防備戦力として、本艦の建造が(順位ははるか下のほうであったが)認められることとなった。

 本級の設計には、第二次防衛戦などにも使用されたとされる砲艦――モニターやポケット戦艦、または北欧などで活躍したとされる海防戦艦などの設計が参考にされた。
 全長のわりにずんぐりとした横幅や砲塔配置などはその最たるものであるが、機関だけは別だった。本来なら中古のディーゼルでも当てるべきところを、なんとガスタービンエンジンが採用されていたのだ。
 むろん、本級に高速性や機動性を期待されたものではない。ちょうどこれ以降の時期に建造される艦艇向けに開発された新機関のテストベッド扱いとされた、というのが本当のところであった。
 そのせいで本艦は機関系の故障にあれこれと悩まされることとなったが、その代わり、他の艦艇においてその手のトラブルは激減したのだから、ある意味試験艦としての十分に役割を果たしたともいえる。
 また、これについては悪いことばかりでもなく、排水量に比べて強力な機関を装備できることが可能となったために、本級は28.3ノットという速力を手に入れることに成功していた。もっとも、それだけの速力で走ろうものなら艦体の動揺が激しく、全力発揮をすることなどほとんどなかったが、それでも巡航18ノットを手に入れることができたのだから、当時はそれほど悪いわけではないものとされた。

 本艦は1993年に建造が開始されたが、優先順位が低かったこともあり、本艦が「まつしま」として就役したのは1996年に入ってからのことであった。1隻だけでは戦力としての運用は難しいため、「まつしま」をネームシップとして「いつくしま」「はしだて」が相次いで建造され、日清戦争時の海防艦にちなんで「三景艦」と呼ばれることとなった(全艦が就役したのは1998年に入ってからであった)。
 1999年現在、本級は全艦が佐世保地方隊に所属、主に九州沿岸部での作戦行動に従事していたが、佐世保の陥落直前に本州への脱出が命令され、この3隻は直前まで迫りくる幻獣に対し46センチ砲弾をたたきつけ、最後には甲板にまで基地要員や避難民を乗せたうえで無事に脱出した。呉基地に到着した3隻はそこから九州沿岸の各地へ出動しては撤退する友軍を支援し続け、時には沿岸に座礁してでも砲撃を止めなかったという。

「まつしま」  1999年5月8日 宮崎沖にて幻獣の攻撃を受け大破・座礁。船体破断
「いつくしま」 1999年5月22日 主力の熊本湾突入作戦を支援するため出撃、水俣湾にて座礁し浮砲台となる。後に放棄
「はしだて」  2005年3月時点で現存。九州上陸作戦「防人」に参加予定
(2020年5月2日改訂)


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