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大型工作艦「あかし」


 名称は旧幕府海軍工作艦「明石」から。
 海上自衛軍が、海外作戦(いまとなってはどこの世界の話だと笑われそうではあるが)のために計画した本格的な工作艦。
 1970年代前半、ユーラシア東部がいまだ人類領域であったころ、海上自衛軍はしばしば各国の救援要請に応じ(もう少しひらたく言えば海外の自国民並びに資産、資源地帯の確保、ならびに対幻獣戦闘の戦訓を得るため)しばしば艦隊を出動させていた。
 このなかにはかの有名なサイゴン撤退戦や、「東洋のダンケルク」と呼ばれる釜山撤退戦なども含まれるわけだが、その際常に悩まされたのは港湾設備、特に遠隔地における補修設備の不足であった。
 かつて中東・東南アジア領域と言えば第二次世界大戦(後の第二次防衛戦)の激戦区が随所にあったせいで、各国とも軍事施設に事欠くことだけはなかった。
 単純に列挙するだけでも中東ならばディエゴガルシア、インドのコロンボやマドラス、東南アジアならシンガポール、ベトナムのカムラン湾やブルネイ、フィリピンのスービック米海軍基地などを挙げてもよかろうか。
 だが、いまやこれらは幻獣の手に落ちており、サイゴン撤退線のおりにはまともな港湾設備自体が使えずに、揚陸艦が砂浜に直接乗り上げたり(ビーチング)、洋上に停泊した輸送船にはしけなどを利用して沖積みまでが行われたぐらいである。こんな時でも幻獣は容赦なく攻撃を仕掛けてきたため艦艇・船舶に損害が多発した。しかし先に述べたような理由により、のんびりと補修などを行えるわけもなかった。
 しかし、これではいったん損傷が発生した場合、はるばる本土の根拠地まで戻らなければならないということになってしまう。この時期、海上自衛軍にはまだ戦力的余裕があったので、交替部隊を派遣することはさして難しくなかったが、それでもひょいひょいと部隊が交替できるわけではない。呉−サイゴン間に限っても約4000キロ、巡航速度で片道約4日の行程である。一分一秒を争う撤退戦において、これがいかに重大なことかは言を待つまでもない。損傷の程度によっては長距離航海が難しくなる事も考えられ、多少の修理さえできれば帰還できる艦艇をみすみす失わなければならなくなるような事態さえ考えられた。これは戦闘艦艇だけではなく、貴重な人員・資源を輸送する支援艦艇や民間船舶にも同様のことが言えた。
 このような予測は実は意外と古く、1960年代の半ばには既に国防問題の一端としてかなり真剣に考慮されていた。これは特に驚くにはあたらず、海外から途切れそうになりながらも伝えられる、あまりに悲惨なまでの負けっぷりを見せる人類側の戦況と、実際に起こった数々の悲劇を見せつけられていたからであった。いかに戦線から遠く離れていたところでこんな物を見せられてしまっては、想像の翼が刺激されようというものであった。
 その結果、政府ならびに自衛軍はあるひとつの決断を下すに至った。
 まあ、何事も外圧に流されやすい、特に国防問題に関しては無定見そのものであるこの国にしてはよくやった、あるいはそう表現するのがいいかもしれなかったが、ともかく本型の建造計画はこのような経緯で始動したのである。
 本艦は最大で航空護衛艦(空母)を含む1個機動護衛隊群(16隻程度)に対応できることを目的として設計されている(同時対応は両舷で2隻となるが)。
 4万トンを超える艦体のなかには艦内工場が12存在し、工員640名、旋盤やフライス盤などを始めとした工作機械が約1200台ぎっしりと詰め込まれ、大量の予備資材・部品なども合わせ持つことで、単独で完結した補修ラインを確立している(むろん、資材は補給船を同伴することで更に拡充することもできる)。
 艦外設備も豊富で、100トンクラスのデリックや診断用のセンサー等、必要なら併走しながら5インチ砲塔の吊り下げ交換などもできると言われている(もちろん、これは相当に危険なので普段は行われないが)。
 当初は艦型を浮きドック型にして、中央に艦艇を引き込んで修理できるようにしようかという意見もあったが、戦況は徐々に逼迫してきており過去に建造したことのない新艦型に挑戦する時間はないし、浮きドックは必要なら随伴して別途送り込めばいいと判断され、通常の商船構造で設計されている。
 結果的にこの判断が功を奏し、本型の設計は非常にスムーズに進んだとされている。
 彼女らは戦線の後方に常時待機していたが、必要とあれば前線すぐ近くにまで進出してその手腕を奮った。これで最も有名なのはサイゴン撤退戦時に幻獣の攻撃を受けた装甲護衛艦「やまと」を、2番艦の「なると」がわずか4時間でともかく全力離脱可能に仕上げた件を挙げれば充分であろう。この時「やまと」は機関は無事だったものの、煙突に損傷を受けていて全力発揮が不可能だった。また、艦首部にも破口が存在していた。「なると」はこれを応急煙路の設置と破孔補修で対応している。
 巨大な艦形と大容量の積載量を利用し、時には自ら救難船として多数の難民を収容したりもしている。
 本級は3隻が計画され、運用性の優秀さから更に3隻が追加建造された。また、本型の設計を更に改良・拡大した「つしま」級も建造され、1999年現在4隻が就役している。
 この時代、彼女らが遥か海外で活躍する機会はほとんどなかろうに、と思われるかもしれないが、皮肉にも彼女らは港湾設備の確保できなくなりつつある韓半島、そして九州においてその手腕を奮うこととなるのだ。

(2020年5月1日改訂)


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