初めてのお泊り【加筆訂正版】その1
夜の帳が、熊本市を包んでいる。
五月に入ったというのに、昼はともかく、夜はいまだに冷たささえ感じる空気が漂っていた。
静かな夜だった。
この時代、戦場音楽は人類にとってもっとも馴染み深く、同時に聞きたくもないものとなっているが、今夜はそれもどうやらお休みのようだ。
かつての平穏な時を彷彿とさせる空気に、誰もがわずかに安らげるひと時を過ごしていた。それは戦いの主力たる学兵もまた例外ではない。
時刻は午前二時。少し前までなら整備に訓練にと余念のない時間だったが、今日ばかりはそれもなく、五一二一小隊のホームベースたるプレハブ校舎には人の気配もない。
いまや学兵の間で知らぬ者のない第五一二一独立対戦車小隊、その中でもダントツのエースパイロットたる速水の部屋は、プレハブ校舎の置かれている尚敬高校からさほど離れぬところにある。
その部屋も今は真っ暗で、時計が時を刻む音だけが響き渡っているが、人の気配は確かにあった。
寝室に目を向ければ、ふたつの人影を見つける事が出来る。速水と――舞だ。
どちらも、生まれたままの姿で毛布に包まれ、静かに横たわっている。ベッドの傍らには、脱ぎ捨てられたパジャマや下着が、いささか乱雑に散らばっていた。
部屋の中には、先ほどまでの睦みあいの残滓がそこはかとなく漂っていたが、眠るふたりの寝顔はまったく穏やかで、満ち足りた、あどけないとさえ言ってよいものだった。
と、速水がわずかに身じろぎしたかと思うと、そっと目を開いた。しばし動きを止めていたが、やがて状況を理解したのか傍らに目を移す。
舞が、そこにいた。
いつものポニーテールを下ろした彼女はその髪をゆったりと流し、速水の右腕を枕にしたまま、彼に寄り添って静かな寝息を立てている。
速水は、そっと舞の髪を撫でてみた。
「ふ、ん……」
かすかな身じろぎのあと、彼女は一層速水に身を寄せる。一糸まとわぬ体からぬくもりと、意外と言っては失礼だがふくよかな感触、それにほのかに芳しい匂いが伝わってきた。
その感触を楽しみながら、速水はふ、と笑みを洩らす。不意に、初めて彼女が泊まった時の事を思い出していた。
――まったくあの時は、今みたいになることができるなんて、思いもしなかったなあ……。
「それが、今は……」
それ以上は、あえて言葉にするほどでもなかった。
苦笑と共に、過去の記憶が鮮やかに甦ってきた――。
***
一九九九年三月末。
九州は昨年の八代平原攻防戦に続き、幻獣の圧倒的戦力のもとで第三次防衛戦の真っ只中にあった。
戦況ははなはだ人類に不利であったが、時間稼ぎを主目的として投入された学兵の一部隊、五一二一小隊は初陣をなんとか切り抜け、戦力と兵員が揃うにつれ、ようやくのことですべてのサイクルが本格的に稼動し始めていた。
それに伴い仕事量も各段に増えてはいたが、初陣の成功以降徐々に皆がめいめい自信をつけ始めており、助走からいわゆる飛躍の時を迎えようとしていたのだ。
普通なら、このようないわゆる「調子に乗っている」時こそ一番注意を払わなければならない時期なのだが、小隊司令たる善行は多少のことについてはあえて黙認していた。この部隊がいわゆるイレギュラーの集合体であることを十分に熟知している彼は、緒戦の勝利によって盛り上がった空気をあえて消す必要性を認めなかったのだ。
それに、その初戦すら切り抜けることができずに歴史上の存在と化した部隊の多さを考えれば、多少のことには寛容になろうというものである。
そんなこんなで、一時的ではあるものの敵勢力の減少もあわせ、部隊にはいささか穏やかな空気が流れていた。ときおり響く砲声や、戦況を伝えるニュースさえ聞こえてこなければ、これぞ学生生活、とさえ錯覚できそうな雰囲気であった。
そんななか、士魂号三番機のガンナーである舞は、指揮車ドライバーたる加藤と味のれんで昼食をとっていた。
舞にしてみればまったく珍しい出来事であり、実際一度は断ろうかとも思ったのだが、加藤のあっけらかんとしているくせに、いささか強引な物言いに引っ張られたことで、この珍しい昼食会が成立したのである。
実際加藤は、この小隊の中でも速水やののみ・萌などとならんで「芝村である」という事だけで偏見を持たずに舞に話しかけてくる数少ない存在であった。しばらく後の舞を取り巻く環境を考えるといささか信じがたいところがあるが、ともかく小隊発足当初、芝村とはある意味禁忌に近い存在だったのである。
まあ、加藤についていえば、あまり芝村云々について気にしていなかったというのも確かにあるが、それに加えて「モノを売れるか、売れないか?」という視点で物事を考えていた節も見受けられる。それはこの後すぐに証明されるのであるが、舞にとってはいまだあずかり知らぬことである。
ともあれふたりは、味のれん名物コロッケ定食を頼み、学兵向けのボリュームと、相変わらずなかなかの妙味を見せる親父の腕前に素直に感心しながら箸を進めていた。
親父の方も心得たもので、例え女性といえども、訓練に戦闘にと、常人とはくらべものにならないエネルギーを必要とする彼ら学兵にたいしては、せめてもの足しにでもなればとカロリーや量により一層気を遣っている。これもまた、彼なりの戦争貢献策というわけである。
親父心づくしのコロッケをつまみながら、お互いに話に花を咲かせ……とはいかないのは仕方がない。なにしろこの当時、舞はこのようなときの会話というものにまったく無関心であったのだから。
それでもあれこれと加藤が話しかけてくるのへ、いささか無愛想ながら返事と合いの手だけは律儀に返していたのだから、案外それなりにうまくいっているのかもしれなかった。
「……それでな、ウチはその親父にきつぅ言ってやったんや」
「ほう」
「そしたらその親父ビビリよってな、ウチが言ってもいないような品物までバンバン出してくるようになってな……、いや〜あれは痛快だったわ」
「ふむ……。そなたは、なかなか色々な所に手を出しているのだな。多芸なことだ」
少々呆れたような舞の口調と表情に、加藤はにやりと笑みを浮かべた。
それはまさしく商人の笑いであった。
「そらもう、事務官いうたら表から裏からいろんな事に手ぇ出さないかんからな、むしろウチなんか、これでもおとなしゅうしてる方なんやで?」
「そ、そういうものなのか?」
「もちろんや。まあ、こんなことしよるから、自然と情報もうちのところには集まってくるんや。なんなら良いネタひとつふたつ提供しよか?」
「い、いやいい。今の所は間に合っている」
舞は慌てて首を振る。彼女といい速水といい、芝村である事に何のこだわりもなく接してくる者たちと会話をしてくると、どうにもいささか調子が狂う。
それに、確かに彼女の情報は正確さについては文句のつけようがないのだが、同時にまったく無償というわけではない。過去の数少ない経験から、舞はそれを理解していた。
それを熟知している身としては、たとえ雑談の合間でもうかつに首を縦に振ったりしてはいけない事を学んでいた。
すでにだいぶ失敗している気はするが。
「そうなん? いや〜残念やな〜。いろいろとええ情報が手に入っとるんやけど」
努めて舞は聞こえない振りをして冷静さを保っていたが、それも次の言葉を聞くまでだった。
「あ、そや。そう言えば舞ちゃん、今度速水君と付き合い始めたんやって?」
ぐさぁっ!!
ただいまの記録、三四センチ。
コロッケが四分五裂して宙を舞い、キャベツが紙ふぶきのように飛散する。皿を貫くかと思われる勢いで箸を滑らせた舞が、周囲の惨状に気をとめる余裕もなく、軋むような音を立てながら首を巡らせた。
「なっ、なぜそにゃ、いやそなたがそれを知っている……?」
「なんでって、皆知っとるで? こんなん商売にもならんわ」
「な、なんだと……?」
――こ、この話は秘中の秘として隠していたというのに、なぜだ、なぜ漏れた? あ、厚志がまさか……? いや、この件については厳重に口止めしたはず……。
ずんどこ思考の袋小路にはまりこんでいく舞を見て、加藤は思わずため息をついた。
――いくらなんでも屋上なんかで告白したら、分からないはずがないんやけどな……。それに気がつかんいうのも、なんや、舞ちゃんも結構抜けてるんやな。
そう考えると、なんとなくおかしみというか親近感が湧いてくる。世間では色々と言われているようだが、芝村といってもやっぱり人の子というわけだ。
「ふうん、やっぱり舞ちゃんは速水君のこと好きやったんやねえ。いや、あっついあっついわあ」
「な、な、なななな……。か、加藤、声がでかいっ」
うんうんと頷く加藤を抑えようとするも、そんなものどこ吹く風といった態度に、舞はどうしたものやら顔を赤らめていくばかりである。
と、加藤がいささかの真剣さと多大な興味をこめて、なぜかこちらも多少顔を赤くしながら、さすがに遠慮したのか小声でささやいた。
「それで、な? 舞ちゃん、速水君とはどこまでいったん?」
「にゃ、にゃにを……ではない。何を言っておる。私があつ、いや速水とどこに行ったというのだ?」
舞としては良く分からぬながらも必死に回答したのだが、それを聞いたとたんに加藤の頭がカクンと揺れた。
「あー、その、別にそういう事やないんやけどな……。ま、ええわ。その様子やと、速水君チにもまだ行った事なさそうやな」
ズバズバと切り込んでくる爆弾発言に、舞の狼狽は極に達していた。
「は、は、は、速水の家だと? な、ななななぜ私が……」
「なんや? ホントにまだやったん?」
「う、あ、え……」
なんとかこのあたりで主導権を取り戻したいところであるが、ショックの連続で言語機能が麻痺でもしたか、うまく言葉が出てこない。
あわあわとうろたえる舞のかわいさに、加藤は確信した。
「なーんや、やっぱり行ってるんや。……そういや速水君チ猫が生まれたいうてたもんな。舞ちゃん猫好きやし、ま、当然やろな」
「ま、待てっ! 速水の家の事はともかく、そ、そなた、なんでそんなことまで知っている!?」
自らの叫びがすべてをあっさり自白した事には、舞はまったく気がついていなかった。
――またひとつ、情報ゲットな。なんか張り合いないわー。
加藤はしれっとした表情のまま、
「その辺は勘や、カ・ン」
と、さらりと返した。
――ホントはののちゃんに聞いたんやけどな。
「ま、ええことやん。そっかー、そういう事ならウチも協力出来ると思うけど……。ちょっと話だけでも聞かん?」
「協力、だと? 何をだ?」
たった今までの狼狽どこへやら、きょとんとした表情で舞が訊ねる。
――あー、もうくるくる表情が変わっちゃって……。もう、可愛いやん。速水君の果報者ぉ。
「ま、ええからええから。とりあえずメシ食ったら、ちーと場所変えよ、な?」
笑いを収めると、加藤は残りの定食に箸をつけた。舞も半ば呆然としたまま加藤に倣ったが、ふ、とそこで箸が止まる。
舞の皿の中身は、すでに景気良く周囲にばら撒かれており、親父が怒るべきか苦笑すべきか、ひどく迷った表情を浮かべていた。
***
舞が加藤といささか賑やか過ぎる昼食を摂っていた頃、プレハブ校舎屋上でも似たような団欒が繰り広げられていた。
ただし、こっちは野郎ふたりであるが。
噂の当事者となっているとはつゆ知らず、速水と、もうひとり瀬戸口が膝を交えるようにして弁当を広げていた。
いつもならここに滝川がいるはずなのだが、なんでもゲームに金を使いすぎたとかで、財布に氷河期が訪れているらしい。やきそばパンを買う金すら残っていないらしく、
「水飲んで寝てるわ」
と一言残して、いささか恨めしげに速水の手元を見ると、しおしおと立ち去っていった。
「滝川には悪いことしちゃったかなあ? でも……」
速水も手元を見ながら、すまなそうに呟く。そこにはいつもと違い、やや不揃いの、少々焦げたり崩れたりしたおかずの入った弁当箱があった。
――でも、これはあげるわけにいかないんだ。ごめんね、滝川。
親友に心の中で詫びをいれておいてから、いそいそと箸をめぐらしていく。傍で見ていても微笑ましくなるほどだ。
「……ふーん」
「? どうしたの?」
瀬戸口は直接は答えず、なおも速水の持つ弁当箱をしげしげと見つめていたが、やがてずばりと切り込んできた。
「なあ、それ、姫さんの手作りか?」
「えっ……う、うん。そうだよ」
いささか顔を赤らめはしたものの、速水は迷いなくはっきりと答えた。
「今朝、靴箱に置いてってくれたんだ。……でもなんで?」
「お前さんたちが付き合い始めたのなんてとっくに知ってるよ。というか、ばれずに済むとでも思っていたのか……いや、姫さんはそう思ったかも知れんな」
その指摘には、速水も苦笑せざるを得なかった。
「なあ、それ少しもらってもいいか?」
瀬戸口は、弁当の隅に入っている黒豆を箸で指した。
「え? う〜ん……、少しならいいよ」
本当に惜しそうにしぶしぶと差し出す速水に拝むまねをすると、瀬戸口は箸をそっと差し入れ、豆を口に入れた。
砂糖の甘味が口の中に広がった。本物のようだ。少々甘味が強いのは分量を間違えたか……。皮にもしわがあるから、甘味を浸透させる時に手順を間違えたのかもしれない。
だが、中身はちゃんと煮えており、ほっくり柔らかな豆の味が口の中に広がった。二度三度と噛み締める。
「ど、どう?」
まるで自分で作ったみたいに、速水はおそるおそる心配そうに声をかけた。
「ん、初めてにしては上手じゃないか……。けどなぁ……」
「けど?」
ぺ。
妙な音とともに何かが吐き出される。
「こんな『おばあちゃんの知恵』みたいなコツを知ってるのは大したもんだが……」
瀬戸口の手の中には細長い金属――ありていに言えば小さな古釘があった。
「あ……」
「いま少し精進が必要だな」
思わず顔を見合わせたふたりは、どちらからともなく苦笑を漏らす。
黒豆は古釘と一緒に煮ると、色がよくなるといわれている。
――気づかずに口に放り込んだ瀬戸口君も、どうかとは思うんだけどなあ。
そう思いはしたものの、速水は会えて口には出さなかった。
食事も一段落し、紅茶で喉を潤していると、瀬戸口がやや感慨深げに呟いた。
「あの姫さんが弁当ねえ……。さぞ苦労したろうにな」
「うん、僕もそう思う。だから、とても嬉しいよ」
速水は微笑みながら、もう一度手元の弁当箱を見直した。
確かに不器用で、決してきれいとはお世辞にもいえなかったが、それでもこの弁当にはそれを補って余りあるほどの想いが溢れている、そんな気がした。
「ま、それにしても正直お前さんも物好きだな。あれだけ嫌われてる姫さんと付き合ってるんだから」
「瀬戸口君は舞の事知らないからそんな事が言えるんだよ。舞は本当に素直で可愛いんだから。まあ、皆が気づいてなくて幸いだけどね」
揶揄ともとれる言葉に、臆面もなくぬけぬけと言い放つ速水。ただ、その口調にはかすかに剣呑なものが混じっていたかもしれない。
「おやおや、のろけてくれるねえ」
瀬戸口はにやりとしたが、すぐにやや表情を改めて言葉を続ける。
「勘違いしないで欲しいんだが、俺はむしろお前さんたちがくっついてよかったと思ってるんだぜ。姫さんもああ見えて意外に物知らずなところがあるようだし、ひとりで放っておいたらどこかで足をすくわれるんじゃないかって気がして、危なっかしく見えたしな。ま、その点はお前さんも御同様ってところだが」
「……僕が?」
瀬戸口は黙って紅茶を口にした。
「ひとりでいる頃は、なんでか知らないがどことなく脆そうに見えた。どんどんと誰も行かない深みにはまっていきそうな感じで、放っておけないから色々ちょっかいも出しもしたがね。だけど姫さんと付き合い始めてからなんだか様子が変わったな。収まるべきところに収まった。そんな気がするよ」
「そう……」
「ま、俺はお前らが結構好きだからな。姫さんはそうでもなかったが、最近考えが変わった。いいんじゃないか? ぽややんな男が己の居場所を得るのも、芝村の姫さんに恋人ができるのも。それぞれのラブ、君に幸せあれ、さ」
そう言いながらまったく邪気もてらいもない笑顔を浮かべる瀬戸口に、速水もつられるように笑顔を浮かべた。
***
そう、すべては数日前の夕方に始まった。
ここ、つまりプレハブ校舎において、速水はなんの前触れもなく舞からの呼び出しを受けたのだ。
屋上に行ってみると、彼女はひとり堂々とした態度で彼を待ちうけていた。少なくともその時はそう見えたので、速水はてっきりまた何か叱責されるのかと一瞬思ったぐらいだ。
なにしろ、呼び出しのために机に挟み込まれていたメモには、たった一言こう書かれていたのだ。
「屋上にて待つ 舞」
一体どこの果たし合いだ。
だが近づいてみると、舞は常日頃の冷静さなどかけらもなく、そわそわと落ちつかなげにあさってのほうを見やりながらしきりに息をつき、襟元を少し緩めたりしていた。夕日のせいでよく分からないが、こころなしか頬に赤みがさしているように見えなくもない。
その間、速水は表面上はじっと待っていたが、彼は彼で、ある期待と不安に胸を躍らせていた。
やがて踏ん切りがついたのか、舞は速水の方に向き直ると視線を据え、瞳に浮かぶ意志に似合わぬ、意外なほどの小声で話し始めた。
「……そなたのせいだ」
「え?」
いきなりこんなことを言われたら、誰だって間抜けな返事を返すのが関の山であろう。だが舞は速水の反応などお構いなしに言葉を継いでいく。
「いや、そうではないのかも知れぬが、そなたがそばにいるとなぜか息苦しい、まともに思考ができぬ。芝村としてこれは恥ずべき事態だ。わ、私はそれを打開すべく幾度も対策を試みたが……すべて失敗した」
言葉が途切れ、かすかに俯く。だが、話を止めるつもりはなかった。
「屈辱だ。だが、たとえそうであったとしても、私はこの状況を認めざるを得ん。……ああ、私は何を言っているのだ。先ほどから訳のわからぬことばかり言っている……すまぬ」
「ううん、そんなことない。ちゃんと分かってる……と思うよ。続けて?」
「そ、そうか……。いいか速水、一度しか言わん、良く聞くがよい」
「うん」
瞬間、沈黙が落ちる。
舞は大きく息を吸い直す。
言葉は言霊。ひとたび口にのぼせれば、取り返すことはかなわぬ。
それでもよいかという自問に、舞は、
――構わぬ。
と自答すると、最後の言葉を放った。
「速水、今から我らは一対の存在だ。故なくして私のそばを離れる事は許さん。これは互いに成長し、生きていくのに必要不可欠な事と心得よ」
そこまで言ってからやや不安そうに付け加える。
「まあ、なんだ。あくまでそなたが望むというのなら、だが……。も、もし嫌なら今この場で言うがいい。わ、私は、恨みには思わん……」
最後は消え入るような声だった。速水の顔を見ていられず、思わず再びうつむいてしまう。こんな動作も芝村らしくないと痛感していても、止めることはできなかった。
それでも結果は見なければならぬ。意図してのことではなかったが、舞は思いっきり上目遣いで速水を見つめた。
彼は、ぴくりとも動かない。気のせいか、彼の顔も赤味が増しているようにも思えるが、それだけだった。
舞の瞳がかすかに揺れた。
「ど、どうした? 何故黙っている? へ、返事をせんか……ひゃっ!?」
突然手を握られ、舞の声が裏返った。怒鳴りつけようとしたが、意外なほどの近さに速水の顔があって、思うように声が出せなくなる。
「ずるいなあ……」
「ず、ずるいだと? 私のどこがずるいのだ!」
何を言われたのか良く分からず、舞は声を荒げかけた。だが、速水が彼女の手の感触を慈しむようにしながらかすかに顔を赤らめ、
「だって、僕が言おうと思ってたことを全部言われちゃったんだもん……。もう、かっこ悪いなあ、いつ言おうかって考えてたのに」
と漏らした瞬間、すべての思考は空の彼方まですっ飛んでしまった。
「な、ななな、なんだと……!?」
――速水も、だと? そ、それでは……!
頬が痛いほどに熱を帯びてきた。心臓がタップダンスのし過ぎで爆発しそうだ。
「あ、答えがまだだった……。いいかな?」
微笑みを浮かべた速水の声はあくまで穏やかであったが、語尾がかすかに震えていた。
「う、うううううむ。い、言うがよい」
――胸が、苦しい。
あらゆる感情が渦を巻くのを必死に抑えつけながら、次の言葉を待った。
「……もちろん、イエスだよ」
舞の心臓が一拍、確かに打ち損なった。
速水は、聞こえてないのではないかと思ったのか、やや声を大きくして言い直した。
「イエスだよ。喜んで。いや、君が嫌だと言っても離さないから、覚悟してね? ……もちろん、君がよければ、だけど」
「た、たたたわけ。私も本気で言ったのだぞ? い、嫌なわけなどあるはずがなかろう……」
消え入ってしまいそうなその返事に、速水は笑みを大きくした。
「あはっ、そうだったね。じゃあ、これからもよろしく……舞」
「なっ! ……う、うむ。よろしく、だ……。あ、厚志よ」
そのままふたりはしばらくの間動こうとはしなかった。
やがて、夜の帳があたりに落ち始める頃、ふたつの影はどちらからともなく近づき、そっとひとつに寄り添った。
……その一部始終は、某戦隊が仕掛けたカメラにばっちりと収められたという。
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