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無口【加筆訂正版】その1


 古人曰く、「災難は、忘れたころにやってくる」

 一九九九年四月三〇日(金)。
 早くも開戦から約二ヶ月が経過していた。
 当初は一九九九年中にその九九%が死亡するといわれていた生徒会連合軍――学兵は、四月上旬に実施された熊本城攻防戦において奇跡的な勝利を獲得。その後の各地区における徹底的な掃滅戦の結果、かなりの優勢を確保することに成功していた。
 だが、その後本格的に投入されるべき本州以東の正規軍(自衛軍)は再編成の途上であり、兵員の入れ替え(第六世代化)の遅れともあいまって、いまだ小規模な増援に留まっており、戦果拡大とはいきそうになかった。
 とはいえ、完全勝利とはいかないものの、現在の九州中部戦線勢力図はほぼ完全な青――つまり味方優勢に塗りつぶされており、小規模な増援を受け、戦力が多少回復した自衛軍の郷土部隊(第八師団を主幹とする陸戦部隊)でも充分に戦線維持が可能となっていた。このままであれば人類優勢のまま自然休戦期へと突入、休戦明けに向けてより一層の戦力の充実を図ることも夢ではなかった。
 この機を捉え、体勢を整えるべく、総司令部は緊急出動部隊を除く全学兵に対して戦力の再編ならびに装備の補修・整備を下令し、各部隊は疲弊しきった戦力の建て直しにおおわらわとなっていた。
 その、はずなのだが……。一つだけ、そんなものどこ吹く風といった部隊がいた。
 五一二一小隊である。
 別に彼らが何もしていなかったわけではない。その証拠は各種メディアの中に容易に見出すことが出来る。
『学兵の中でも最精鋭たる生徒会連合第五一二一独立対戦車小隊においては、不断の努力怠らず、一朝有事あらばすぐさま先手守手として立ち働くべく、隊員これ皆心を一にして粉骨砕身任務に邁進するという、誠に学兵の鏡というべき部隊である』
『見よ、かくのごとき努力ありて、輝かしきばかりの赫々(かくかく)たる戦果を収めたるは、まさに生徒会連合の誇りと言うにふさわしいものではないか。いざ誉めや称えや五一二一小隊……』
 ……とまあ、第二次防衛戦の頃の戦意高揚記事(いや、今だって状況はたいして変わらないが)も真っ蒼な、なんとも仰々しい美辞麗句がここしばらくの戦闘詳報や新聞を飾っていた。実際に本人たちが耳にしたかどうかは知らないが、もし知ったとしたら、尻どころか全身いたるところが死ぬほどむずかゆくなって困ったに違いない。
 一部の者は訳知り顔に、
「彼らは常在戦場の精神をもって常に準備を怠らないし、敵弾などすべて回避してみせるから、特別な整備など必要ないのだ」と言ったが、もちろん真実には程遠い。完全に嘘というわけでもないが。
 不断の努力というあたりは当たっているが、ただの学兵に過ぎない彼らの基本行動原理は原則として「死にたくない」「死なせたくない」であり、その想いが彼らを突き動かしていた。
「どこかの誰かの未来のために」という例のフレーズがようやく自らにも、そして部隊としても納得できるものとなってきたのは、本当にここ最近のことでしかなかった。
 つまり、そもそも世間一般の想像と実態とはベクトルが正反対だった、そう言い換えてもいい。
 また、整備状況が文句のつけようもないほどなのは、四月の中旬から下旬にかけて行なわれた、地獄のほうがまだマシという転戦の結果、パイロット・整備士問わず否応なく整備手順に慣れざるを得なくなっただけである、という猛烈に現実的な一面もある。
 原辺りに言わせると「あの子たちったら不要なところを端折る技術ばっかりうまくなって……。まあ、それで生きて帰ってこれるならいいわ」ということらしい。
 戦況有利になり、転戦で鍛え上げられた腕が遺憾なく発揮されるようになった結果、他の部隊など及びもつかぬほど素早く、そして要領よく整備が可能だった。それだけのことであった。
 もっとも、この整備能力と即応体制の高さが総司令部の目にとまり、「不断の敢闘精神の表出」とやらで、五一二一小隊に二日間の特別完全休暇が与えられることとなったのだから、一体何が幸いするか分からないものである。
 たとえ、学兵に対するアメという部分があろうと、勘違いの結果であろうと、もらってしまえばこっちのもの、である。
 かくして、小隊一同、にやけそうになる顔を必死に引き締めなおしながら、ありがたく拝命したのであった。

 休暇となれば遠慮はいらない。
 たがの外れた彼らは、本来の年齢相応の行動力を発揮してそれぞれの休日を満喫することに決めた。ある者は思う存分休養し、ある者は遊びに出かけ、そして、ある者たちは久方ぶりにふたりきりの時間を楽しんでいた。
 三号機パイロットたる速水厚志、芝村舞の両名もその一部だった。
 休暇二日目。
 太陽はだいぶ西に傾き始め、空はオレンジから紫、やがて藍色へと変化していこうとしている。東側にはもう少しすれば星が瞬き始めるだろう。
 地上も闇に包まれ始め、家々の明かりと街灯が、それにわずかに抵抗していた。
 その明かりのひとつが、築六〇年にはなろうという古いアパートに優しく灯っていた。炊事の湯気が上がっているところを見ると、食事の支度の真っ最中のようだ。
 コンロには寸胴がかけられ、中ではなにやら液体がぐだぐだと煮込まれている。白濁したそれはいささか不気味ではあったが、音はなんとも楽しげであり、あたりには一種独特なこくのある香りが漂っていた。
「舞ー、なにか手伝おうか?」
 速水が居間からひょっこりと顔を出す。普段からぽややんとした表情であるが、今は状況が状況だけにぽややん度一三〇パーセント増しといったところである。放っておけば空でも飛びそうな声の問いかけに、台所に立っていた人影――舞はくるりと振り向くと、一見悠然とした口調で言い放った。
「無用だ。そなたは構わずそっちでゆっくり休んでおれ……熱いっ!」
 ……火にかかった鍋に触れば、そりゃ熱かろう。
「ま、舞、大丈夫?」
「だ、大丈夫だ。いいから向こうへ行けっ!」
 熱さに顔をしかめ、目の端に涙をためつつも、舞は片手をぱっぱと振って追い払ってしまった。
 正直なところ、速水にしてみれば心配どころの騒ぎではないのだが、一度こう、と言い出したら聞かないし、これ以上横から口を出していらぬ怪我でもされてはたまらないので、おとなしく引き下がることにした。
 もっとも、頑固という意味では速水もどっこいどっこいなのだから、舞も彼には言われたくあるまい。その意味で彼の撤退は、双方にとって大変に幸せなことであった。
 たぶん。
「まったく、あやつときたらすぐに顔を出したがるのだからな。私とて教わるばかりの女ではない。もう少し落ち着きというものが持てんのか……」
 言葉はともかく、その口調は優しく、そしてどこか嬉しげであった。もっとも、それを本人に指摘したら、烈火のごとく怒るであろうことは想像に難くない。
 ついでに、いま着用に及んでいるエプロンについても、論評は差し控えるべきだろう。なにせ速水からのプレゼントであるそれは、小隊メンバーが見たらひっくり返りそうな猫さん柄なのだから。
「さて、そろそろこちらも頃合いだな……」
 中華なべを手にした舞は、それを火にかけると少々ラードを放り込んだ。
 何かを炒めるつもりらしい。

「やれやれ、舞ったら、今日はなんだか特に張り切ってるなあ……。本当に大丈夫かな?」
 台所から派手に響いてくる油の音を聞きながら、ソファに座り込んだ速水は心配げにつぶやいた。ただ同時に、実際にはそんなにひどいことにはならないだろうとは踏んでいる。
 付き合い始めのころならともかく、最近の舞の料理の腕前は成長著しいものがあった。まだいささか危なっかしいところがあるのは否めないが、それでも全体的に安定してきたのは間違いない。
 ――そういえばはじめの頃、芯まで真っ黒焦げの卵焼きってのが出てきたけど、あれはさすがに驚いたよね、うん。
 この場合、芯まで真っ黒にできた舞の奇跡に驚くべきだろうか、さもなくば卵焼きと見分けた速水の眼力に感心すべきだろうか?
 それはともかく、告白から一ヶ月ちょっと、最近は弁当以外に率先して料理を作ることも多い。
 今日も速水が、
「今日は外食やめて、家で食べようか?」
 と言った途端に、
「うむ、では早速食材を調達とするとしよう。任せるがよい」
 さっさと家を飛び出していってしまったかと思うと、小一時間ほどして、どこで調達してきたかと思うような大量の食材を抱え込んで戻ってきたのだ。
 ――舞、まだ予備を買いすぎる癖、抜けてないね?
 自分が作るつもりだった速水は、その成り行きを半ば呆然とした思いで見つめていた。と同時にため息ひとつ。
 戦闘における兵站活動の重要性を熟知しているがゆえに、舞はこと食事の支度となると、いわゆる「戦略予備」としての食材も大量に買い込んでくるのがはじめの頃の常だった。
 まあ、必ず予備に手をつけたのでそれはよいのだが、最近はそんなに要らないだろう、と思わなくもない。
 おかげで彼女の家の台所には、いつ使うのかと思うような大量の食材が山積みになるのだ。
 その大半が合成の常温保存パック品で、なおかつ速水が更に半加工品か作り置きにして問題なく使ってしまうのだから、いらぬ心配ともいえるが、主計科の士官あたりが見たら、もしかしたら顔をしかめたかも知れぬ。
 だが、そのことを敢えて舞に言う気は速水にはない。彼女とて気がついていない訳ではないし、口には出さねども、速水の処置に感謝はしている。
 それよりなにより、彼になんとかしてちゃんとしたものを食べさせたいという、彼女の心のあらわれなのだから、それが嬉しくないわけがなかった。
 とはいうものの、今日は一体何が出てくるのか、容易に判別はつきかねた。
「うーん、あんな料理教えたっけ……?」
 などと首をひねっていると、台所のほうから声がかかった。
「厚志、準備ができたぞ! 来るがよい!」
「はーい!」
 返事を返しながら、一体何を食べさせられるのか期待半分、不安半分の速水であった。

   ***

「わあ……」
 一歩台所に入った速水は、テーブルの上に並べられたものを見て目を丸くした。
 やや浅めの大きいどんぶりに太めの麺が入っており、その上に炒めた海鮮と野菜、それと先ほどちらりと見えた白濁したスープが注ぎ込まれている。
 あとは箸休めの漬物ぐらいだが、この一品に注がれた努力が並ではないことは、見ていればよく分かった。
 ……その背後に、「かつて食材と呼ばれしモノ」の山がこんもりと見て取れる件については、触れないでおくのが優しさというものであろう。
 ――この辺も手際よくいくようになったら、完璧かな?
 などとどうでもいい批評をしながら、速水はおとなしく席の前に立った。
 ほのかに上がる湯気とともに、ごま油の香りがふうわりと漂う。その湯気の向こうで、舞がまるで戦闘に臨むかのように緊張した表情でこちらを睨んでいた。
 本人にしてみれば、まさに「戦闘」であったに違いない。
「な、何をしている? 早く席に着くがよい」
「あ、ごめん」
 改めて席に着き、それを眺めてみる。
「これってもしかして……ちゃんぽん?」
 舞がこっくりと頷く。そして、
「た、たまにはこういうのもよかろうと思ってな。……気に入らなかったか?」
 舞はエプロンの裾を掴んだまま、思いっきり上目遣いに速水を見た。
 彼女が尽くした懸命な努力は報われたといっていいだろう。速水はにっこりして、
「とんでもない。……ありがとう」
 そう言ったのだから。
 言葉こそ少ないが万感の想いが込められている。彼のことを考えて、少しでも喜ばせようと思って、いろいろと苦労した上で作ってくれたのだ、それに勝る喜びがあろうか?
 それを聞いた舞も、ようやく少し表情が緩んだ。
「さあ、冷めないうちに食べよう? いただきます」
「う、うむ」
 そうして、夕食が始まった。

 そっとレンゲを差し込んで、まずはスープを一口。少しさまして、口に含む。コクがあるのに意外とさっぱりと飲めるスープが喉を流れていった。
「おいしい」思わず言葉がついて出る。その声に舞が顔を上げた。こしょうを持った手がつ、と止まる。
「ほ、本当か?」
 普段の、自信に満ちた声しか知らない者が聞いたら、何と思うだろうか。
「うん。さっき煮込んでたのはこれだったんだね。すごいや」
「あの、その……。スープは材料が揃わなくてな……。既製品を使っておる……」
 俯いたまま舞が言った。照れ隠しか、手が細かく動き続けている。
「ううん、結構手を加えたみたいだし、大変だったでしょう? ご苦労様」
 後ろの残骸の山には、確かに煮込まれたとおぼしき物も混じっていた。画一的なスープにどうにかして工夫を凝らそうとしたのは一目瞭然だった。
「たたた、たいした事ではない。その、あまり言うな。本当にたいした事ではないのだ……」
 声がますますか細くなり、同時に手の動きが早まる。本人は何をやっているのかまったく意識していないらしい。
「これだけの手間をかけて作ってくれたんだもの。いくら誉めても誉めたりないよ」
 野菜を食べ、麺をすすってから速水が答えた。どちらもなかなかの出来栄えである。さらに言葉を継ごうと舞のほうを見たとき、何かに気がついたのか慌てて声をかけようとしたが、時すでに遅し。
「ももも、もうよい……ウグッ!?」
 耳まで赤くなりながら、乱暴に突っ込んだレンゲでスープを一口飲んだ舞の表情が激変した。と同時に周囲に飛び散っていた粉末が効果を表す。
「舞っ!?」
「グッ! ……くしゅん! くしゅん!!」
続けざまにくしゃみが飛び出した。
 照れ隠しに動いていた手のせいで、舞のどんぶりには、表面が黒く見えるぐらい、こしょうがたっぷりと振りかけられていたのだった。

「舞、大丈夫?」
「う、うむ、すまぬ……」
「僕なら構わないよ。気にしないで」
 ともあれ、えらいことになった料理を復旧せねばならぬ。
 麺はなかったが、幸いスープが残っていたので、野菜や麺を全部スープで洗い直すようにしてからもう一度野菜を軽く炒め、それでも辛い分は速水の麺と半分入れ替え、再び盛り付けなおすとどうにか無事に夕食を終えたのだった。
「まったく、私は何をやっているのだ。どうもこの料理というやつは思うとおりにならん……」
 ――今日は結構、いいセンいってたと思うんだけどな。
「思うとおりにならないからこそ、努力のしがいもあるってものでしょ? 大丈夫。舞は確実に前進してるよ。もっと自信を持って」
「そ、そうか? 厚志……その……感謝を……くしゅん!」
「あれ、まだ残ってたかな? ほら、もっとお水飲んで」
 小さな喉をこくこくと鳴らして水を飲む舞。やはり少々辛かったようだ。
「目も少し潤んでるね……。大丈夫? 痛くない?」
 そんな事を言いながら、速水が目を覗き込む。
 突然現れたどアップの顔に、舞の心臓は一拍飛ばしで高鳴った。瞳に吸いつけられて動けなくなる。
 速水の瞳が優しく微笑んだ。顔が更に近づいてくる。
 心臓はパニックを起こしかけていたが、何をすべきか彼女は瞬時に理解した。舞は心臓を押さえつけ、そっと目を閉じ、そして軽く唇を突き出すように……。

「……くしゅん!」

 くしゃみが室内にこだまする。
ふたりの動きが一瞬止まった。間を通り抜けたのは、天使かはたまた羽付きの士魂号か。
 やがて速水がゆっくりと言った。
「……さて、片付けを済ませちゃおうか?」
「う、うむ……」
 逃げる事はよしとしない芝村とはいえ、今日ばかりは穴があったら入りたい舞であった。

 片付けも済んで一段落した頃、辺りはすでにとっぷりと闇に包まれていた。
「厚志、そなた、そろそろ帰ったほうがよいのではないか?」
「え? もうそんな時間? あーあ、せっかくだから今日も泊まりたいなあ」
 時計を確認しつつ、いかにも嫌々といった口調で速水が答える。
「たわけ、また猫たちをほったらかすつもりか?」
「あの子たちはもう充分大丈夫だと思うけどね……。ま、しょうがないや。学校の準備もあるし、今日は家に帰るよ」
「うむ、そうするが良い」
 そう言いながらも、その表情はほんの少しだけ晴れなかった。それを見た速水は、やたらと快活な声で、
「舞も早く寝るんだよ? 休暇まではずっと働き通しだったんだから」といったのだが、それはヤブヘビだったようで。
 舞は頬を赤く染めながら速水を睨むと、
「……そ、それを知っていながら、更に疲れさせたのは誰だ?」と言い放った。

 沈黙。

「……さて、もう帰ろうかな」
 慎重に目を逸らしつつ速水が呟いた。傍らでは舞が頭から湯気を上げている。
 ……一体何があったのやら。

「それじゃ、また明日、学校で」
「うむ……くしゅん!」
「あれ? まだこしょうが残ってたの?」
「う、うむ、そのようだ……。もう遅い。道中、刺客などには充分注意せよ」
 決り文句といえる舞の言葉に苦笑しながら、速水は軽く頷いた。
 それから、唇を軽く触れ合うだけのキス。
 いつもの儀式を済ませると、速水はいささか名残惜しげに、それでも早足で階段を下ると、夜の闇の中に消えていった。
 それを見送っていた舞がまたくしゃみをひとつ。鼻をくしくしとこする。
 舞は、速水を見送ったときとは違う怪訝そうな面持ちで室内へと戻っていった。

   ***

 明けて、五月三日(月)。
この日は同時に特別休暇明けでもある。
 清浄な空気の中に清々しい朝日が差し込む中、速水は学校への道を急いでいた。あまり眠っていないのか、少々目がしょぼついているようだが、元気一杯である。
 手元には白い紙袋が握られ、中にはぽわぽわときつね色に膨らんだシュークリームが丁寧に納められていた。なんとも食欲をそそる光景である。
「舞、喜んでくれるといいんだけどな」
 どうやら、あれから家に戻った後、食事の礼としてこれを作ろうと突如思い立ち、作成に取りかかったものらしい。下ごしらえ等でかなり時間もかかり、事実、すべてが出来上がったのは、そろそろ東の空がほんのりと白み始めようかという頃だった。
 だが、苦労しただけのことはあって、彼にとってもこれは近年まれに見る傑作といってもいい出来栄えであった。そこらの市販品と比べても、決して引けは取るまい。
 これを手渡したときの舞の表情を思い浮かべながら、少々速水が笑み崩れていたとき、薄く朝もやが立ち込める中、先を行くひとりの少女の姿が目に入った。ポニーテールらしきものもゆらゆらと揺れている。
「あれ? 舞ー?」
 少女はその声にぴくりと反応する素振りを見せたが、こちらを振り返ることもなく足早に立ち去ってしまった。
「……? 人違いかな?」
 かすかな違和感を感じつつ、速水は首をひねった。

 舞が教室に入ってきたのは、もうすぐ授業が始まるという頃だった。
「舞!」
 その声を聞いて、肩がぴくりと揺れる。速水は努めて疑念を表に出さず、快活に、ただし少し音量は抑えて話し掛けた。
「おはよう、舞。昨日はご飯ごちそうさま。お礼といったらなんだけど、シュークリーム作ってみたんだ。ほら、おいしそうでしょう?」
 舞は、速水が広げて見せた袋の中をしばし覗き込んでいたが、速水のほうを見て軽く頷くと、くるりと振り返った。
「え、あの、舞?」
 声をかける間もあらばこそ、もう授業が始まるというのに舞はすたすたと教室を出て行ってしまった。後には半ば呆然とした速水だけが残された。
「なんだっていうのさ、一体……」
「おっす! ……おい速水、何ボーっとしてんだ?」
 肩をどやされて振り向いてみれば、滝川が不思議そうな顔をして立っていた。
「あ、おはよ……」
 いつもどおりに挨拶しようとした速水だったが、皆まで言う前に滝川に頭を抱え込まれてしまう。
「な、なに!?」
「おい速水、ちょっと聞きたい事があるんだけどよ、親友なんだからショージキに答えてくれよ?」
「だから、一体何さ?」
「お前、芝村と喧嘩でもしたのか? アイツ、すっげー機嫌悪ィぞ?」
「舞が?」
 滝川が身振り手振り付きで解説するところによれば、つい先ほど彼が遅刻しそうになったので走ってきたところ、階段下で舞とぶつかったそうな。彼は慌てて謝ったとのことなのだが、舞は何を言うでもなく滝川を一瞥すると、悠然と立ち去っていったとのことなのだ。
「なんだよ、あれ! せっかくこっちが謝ったってのによ、おい、おまえ一体何をやらかしたんだよ?」
「何って……、こっちが知りたいよ」
 困惑の表情とともに返事を返すも、滝川が納得する様子はない。
「とぼけんなよ! アイツがあれだけ怒る事ってったら、お前以外に考えられねえだろうが!」
「そんな事言われたってなあ……」
 なおも続くかと思われた押し問答だったが、それは突然に中断された。
「コラ、てめーら! 俺がいないと思って何をくっちゃべってやがる! 席につけぇっ!!」
 素早いコッキング音の後、短く一連射。九ミリ拳銃弾の着弾に、慌ててみんな席につく。
「まったく、俺がいないからってあまり騒ぐなって言ってるだろーが……。オラ、授業はじめっぞ! ……ん? 速水、芝村は休みか?」
「い、いえ、さっきまではいたんですが……」
「なんだぁ? 俺の授業をさぼるたぁいい根性してやがんな……。オメーもパートナーなんだから、よく言っとけよ」
 あくまで「恋人」とは言わない本田が、教科書を広げ、授業が始まった。
 
 舞は、結局午前中は顔を出さなかった。


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