その1
雨降りお月さん雲の上……♪
いや、今は昼間ですけど、ぱっと見には夕方か薄闇か、というようなどんよりとした雲がお空を覆いつくしています。
そして、そこから降り注いでくるのは……雨。
しとしと、しとしと。
動物たちが楽しく暮らすここにゃんだ〜ランドでは、珍しいことにここしばらく雨模様のお天気が続いています。
なんといいましょうか、陽気の良いのがここのとりえのひとつではあるのですが、それでもお天道様もたまにはお休みしたいのか、曇りも雨も、寒くなれば雪が降ることだって良くあることなのは確かです。
それでももう一週間も降り続けているこの雨は、ちょっと珍しいものでした。
雨は強くなり、また弱くなり、それでも途切れることもなくありとあらゆるものを濡らしていくのです。
おかげで草木は喜んでいるかもしれませんが、動物さんたちはというとなかなか表に出ることができず、一部の子供たちを除いてはなかなか楽しむことも出来ずにしかたなさそうに空を見上げるのでありました。
晴れ間よ早く来い、と念じながら。
それは、猫はやみんたちにとっても一緒でした。
こちらは毎度おなじみ猫はやみんたちのおうち。
このあたりでも、雨は飽きることなく降り続けておりました。
でもよく見ると、窓が開いているみたいですね?
そっと近づくと、そこにはつまらなそうに空を見上げる一匹の猫さんがおりました。
「ふむ……」
窓辺で頬杖をつきながらため息にも似た声を上げているのは、我らが猫まいたんでありました。何度となく外に視線を向け、そっと空を見上げますが、見えるは雨粒ばかりなり。
何回かそんなことを繰り返しておりましたが、いかに諦めを知らぬ芝村たる猫まいたんでも天を変えることはできません。やがてその耳としっぽがへにょりと垂れ下がりました。
「やむを得ぬ、な……」
口にしてはみたものの、猫まいたんとしては別に納得したわけではありません。が、ともかくそれで気持ちに一区切りをつけると、再び外を眺めやるのでした。
しとしと、しとしと。
ときおりカーテンがほんの少しゆらりと揺れて、湿り気を帯びた風が猫まいたんの頬を軽くなぶります。
――もう、一週間か? それにしてもよく降る事だ。
猫まいたんとてこの雨で草木が生き生きとしてきている事とかは認めざるをえませんが、それでも外に出られないのはあまり面白くありません。
もっとも本当に面白くないのは、猫はやみんとのお出かけの予定がのびのびになってしまっていることかもしれませんが、そんなことを言うとぐーで殴られるかもしれませんので、黙っていましょうね。
しとしと、しとしと。
いつまでも終わることのない雨粒のダンスを眺めていると、猫まいたんはなんだか体が浮かんでいくような、ぽややんとした雰囲気に包まれてしまいます。
目がいささか眠たげにとろんとなって、目に入るもの全てが何となくぼやけて見えます。ひょっとしたら本当に眠くなってきているのかもしれません。
何となくココロが宙に舞い始めたような気分の猫まいたんは、誰に言うともなく言葉ともいえない独り言を小さな声で呟きます。まあ、おそらく猫まいたん自身は何も意識していないようですが。
「雨、雨、ザーザーあめ、雨、アメ……。あめー飴……」
しばしの間、雨の音以外何も聞こえません。
「……はぁ?」
あ、どうやら猫まいたんのココロがようやく地上に降りてきたようです。彼女はしばし自分の言葉を口の中で繰り返し――
ごちん。
窓枠に何かがぶつかる音が小さく響きました。
「な、何を言っているのだ私は……。まあ、誰も聞いていないことだし」
安心した猫まいたんが再び頬杖をつこうとしたとき、とーとつにぽややんな声が背後から響きました。
「マイー?」
びびくうっ!!
「ど、どうしたの? 何かあったの?」
しっぽの先までまるで毛玉のように膨らませながらおそるおそると振り向けば、猫はやみんがきょとんとした表情で、でもちょっと心配そうに自分を見つめているではありませんか。猫まいたんは体中の血液が全部顔に集まったのではないかと思うほどに顔を真っ赤にすると、あわてて手をぶんぶか振り回します。
「なっ、ア、アツシ! そそそにゃた、いやそなた、いつからここにいた!」
「え? お茶の準備が出来たから呼びに来ただけだけど……いったいどうしたのさ?」
その声に、猫まいたんの動きがぴたりと止まります。振り回されていた手がゆっくりと下におろされました。
「……お茶だと?」
「うん。なんか雨がうっとうしいし、お茶でも飲んでちょっと気分を変えようかな、ってさっき言ってたじゃない」
「あ、そ、そうか、そうだったな……」
そういえばさっき、後ろからそんなことを聞かれたような気もしました。
猫まいたん自身は生返事を返しただけでしたが。
――そんなに呆けていたのか。いかんな、こんなことでは。
猫まいたんは苦笑を浮かべると、ようやくいつもの芝村らしい表情を浮かべることに成功しました。もっとも、まだちょっと頬は赤いままでしたが。
「そうだったな。わざわざ呼びに来てくれたのか?」
「うん。さ、お茶が冷めちゃうから早く飲もう」
「そうだな」
猫まいたんはことさらゆっくりとテーブルに向かいますが、内心さっきの言葉が聞かれていなかったことにこっそり感謝していました。
だから、次の猫はやみんの言葉も何の抵抗もなく入ってきたのですが。
「ところでさ、マイ」
「なんだ?」
「あめーあめ、って何のこと? 雨がどうかしたの?」
ぴたり。
猫まいたんの足がまるで縫い付けられたように止まります。猫まいたんがおそるおそると振り向くと、猫はやみんはにこにこと――そう、必要以上ににこにこしながら、
「ねー、それってなんのことー?」
とか言うではありませんか。
――こ、こやつ絶対分かって聞いてるなっ!?
はい、もちろんです。
でも、そうだからといって追求の手を緩める猫はやみんではありません。
「ねー、なんのことー?」
「あ、う、そ、それは……その……」
「ねー?」
にこにこにこにこ。
猫はやみんの笑顔に、猫まいたんは背中をだりだりだりと嫌な汗が流れていくのをはっきりと感じるのでありました。
猫まいたんがどんな返事をしたのかは、猫まいたんの名誉のために言わないことにしておきましょうね。
「はい、ちょっと熱いかも」
「む」
居間のちゃぶ台の上には、たった今淹れ直したばかりのお茶がことり、と置かれました。猫まいたんは湯飲みをそっと持ち上げると、一口すすります。
熱いかもという言葉とは裏腹に、猫舌の猫まいたんでもほどよいくらいの緑茶がいささか遠慮がちにのどを滑り降りていくと、猫まいたんはほう、と小さく息を吐きました。
緑茶の馥郁たる香りは、こんなうっとうしい雰囲気にも負けずにそれなりの効果を発揮してくれたようです。
「うむ、相変わらずそなたは茶を淹れるのがうまいな」
「そう? ありがとう」
猫はやみんはにこにこと微笑んでいましたが、顔といわず体といわず、あちらこちらに引っかき傷やばんそうこうがついているのは……まあ、言わぬが花、というやつです。
「はい、お茶うけ。おまんじゅうしかなかったけど、よかったかな?」
猫はやみんがそっと差し出したお皿には、栗まんじゅうが二つのっていました。糖で照りをつけた表面はしっとりとつややかで、なんともおいしそうです。
「食べる」
さっきよりかなりはっきりした声に、猫はやみんはちょっと苦笑しながら栗まんじゅうを差し出すと、猫まいたんはあぐあぐとおいしそうに栗まんじゅうを頬張ります。だいぶほころんだその表情は、ひととき雨を全く忘れてしまったかのようです。
ほんのすこしの間ですが、穏やかなひと時が流れていきます。
しとしと、しとしと。
それでも雨はどうもおさまりそうにもありません。
しばらくすると、朗らかになったはずの雰囲気は再びどこかへ行ってしまい、二匹は何となく黙りこくったままお茶を口に運びます。
どうにも沈黙に耐えられなくなったのか、先に口を開いたのは猫はやみんでした。
「それにしても、よく降るよねえ……」
猫はやみんも一口茶を口にしながら、先ほどまで猫まいたんが寄りかかっていた窓を眺めやります。
しとしと、しとしと。
やっぱり止む気配はなさそうです。庭木として植えてあるあじさいの花とかは、この雨で目いっぱい大きな花をつけ、そのうえをのてのてとカタツムリが歩いたりしているのですが、それもすぐに見慣れたものとなってしまいます。
「ふむ……」
ことり、と猫まいたんの湯飲みが力なく置かれ、このままでは再び窓辺に行ってほおづえをついてしまいそうな感じです。
――まいったなぁ。どうしよう?
正直猫はやみんは、先ほどから猫まいたんが浮かない顔ばかり浮かべているので寂しくて仕方がありません。
なんとかしてあげたいのは確かなのですが、さて一体どうしたものか?
「でも、これならお米とか、作物はよく育ちそうだよね〜?」
「ふむ」
「表に出られないのってのも、ちょっとつまんないよね」
「ふむ」
「明日は晴れるかなあ?」
「ふむ」
「……王様の耳はロバの耳〜」
「ふむ」
――だめだこりゃ。
どうやら猫まいたん、猫はやみんの話なぞこれっぱかしも聞いてはいなかったようです。
ぽややんとした視線は相変わらず窓の外に向きっぱなし、目は半分とろんとしていてまたどこかにココロがふわふわと漂いだしそうな……。
「あ、そうだ。ひょっとして……?」
猫まいたんがかまってくれないのでぶっすりとした表情を浮かべていた猫はやみんでしたが、何を思いついたのか見る見る面を輝かすと、猫まいたんの後ろ――というより視線の反対側からこっそりと近づきます。
何しろ猫ですから、そのあたりはお手の物。苦労もなくたどり着きますと、猫まいたんのポニーテールにそっとさわってみます。
さわり。反応なし。
猫はやみんはもう少しだけしっかりとさわってみます。
さわさわ。やっぱり反応なし。
「……にゃ〜」
ここで、猫はやみんの猫としての何かに火がつきました。目の前でゆらゆらと揺れるポニーテールのしっぽがそうさせたのでしょうか、猫はやみんは右手、左手と次々にポニーテールを揺らしにかかります。
「にゃっ、にゃっ、にゃっ」
「……?」
頭の辺りがもさもさすることにようやく気がついたのか、猫まいたんは怪訝そうに後ろを振り返りました。
もふ。
「あ」
一瞬、時間が止まります。
猫まいたんが何の前触れもなく振り向いたものですから、猫はやみんもとっさに手を止めようがなかったのですが、おかげで猫はやみんの右手が猫まいたんの鼻をしっかり押さえつけてしまうことになってしまったわけでありまして。
「……アツシ?」
「に、にゃに?」
「これは一体どういうことか、説明してもらえるのであろうな?」
猫まいたんの声は静かではありましたが、どことなく裏に刃が潜んでいるような、そんな薄ら寒さを感じさせるものでした。
てか、目がマジです、本気です。獲物を狙う時の目になっちゃってます。
まあ、振り向いていきなり鼻を押し付けられれば、誰だってそうなってしまうかもしれませんが。
「にゃ、にゃはははは……え、えーと、それは、ねぇ……」
「それは?」
にじり。
猫はやみんは本能的に後ずさりしましたが、同じだけ猫まいたんは距離を詰めてきます。
「ね、ねえ、マイちょっと落ち着いて? ていうか、指先でしゃきしゃき何かが出入りしているように思えるのは僕の気のせいっ!?」
「よく見たな、その通りだ」
最終宣告にも似た声が聞こえた瞬間、猫はやみんは脱兎のごとく逃げにかかります。
猫だけど。
でも、そんなことでどうにかなるわけもなく。
「待てい!!」
大喝とともに猫まいたんがまるで灰色の風のように飛び掛ってくるのが、猫はやみんの視界に映った最後の風景でありました。
……いや、青い光にはなっちゃいませんがね。
***
「うう、ぼ、僕はただちょっとでも気がまぎれればと思っただけなのに……」
「そなたの気がまぎれても、私のはまぎれんわっ!」
さっきより一段とばんそうこうの数が増えながら、傍らでだばだばと涙を流す猫はやみんでしたが、すっかりぬるくなってしまった茶を口に含みながらそれを睨みつける猫まいたんにはあまり効いていないようです。
「でも、マイが僕の話を聞いてくれないから悪いんじゃないか〜」
「む……」
痛いところをつかれ、猫まいたんの表情がちょっとバツのわるいものに変わります。
「ん、まあ、それは、だな……。し、しかし、だからといってわた、私の髪を触っていいということにはならないではないか」
「んー。そうかもね。でもいいじゃない、ようやくマイがこっちを向いてくれたんだし」
理屈はムチャクチャですが、にこにこと微笑む猫はやみんの笑顔にはかな〜り弱い猫まいたんのこと、それ以上文句を続けるのは難しそうです。
何となくごまかされたような気はしなくもないのですが、猫まいたんもようやくのことで苦笑らしきものを浮かべました。
「まあよかろう。いつまでも過去のことにこだわるのは芝村らしくないからな。ところでそなた、先ほどから何か言いたげだがどうした?」
「うん、実はさっきちょっと思いついたんだけどね……。こう、ジメーッとしてるから気がめいるんだしさ、ここが南の島だと思えばいいんじゃないかな」
「なんだと?」
なんというか、唐突な意見に猫まいたんの目がまん丸になります。
「だからさ、いろいろ準備して、ちょっとでも気分が変わればいいんじゃないかなー、って思ったんだけど……ダメ?」
猫はやみんのすがりつく子犬の目……あ、いや、猫だから子猫のような目に一瞬たじろいだ猫まいたんではありますが、頭のほうでは今の提案をいろいろと考えていました。
ちーん。
あ、どうやら答えが出たようです。
猫まいたんは猫はやみんに向き直ると、大きく頷き返しました。
「そうだな、少しでも気分転換になるのならそれもいいだろう。で、どのようにするのだ?」
「えーとね、まずは窓を閉めてカーテンも引いて……」
ようやく浮かない顔以外の猫まいたんを見ることが出来たのが嬉しいのか、猫はやみんはとっても弾んだ声でうきうきと準備を始めるのでありました。
「あ、暑いな、これは……」
額にうっすらと汗が浮かぶのを感じながら、猫まいたんはちょっと早まったか、という思いが頭をよぎっておりました。
何しろ窓はおろかカーテンまで締め切った室内で、エアコンは暖房運転でがんがん温風を送ってきていますし、どこから引っ張り出したのかストーブにまで火が入っていれば、そりゃ暑いなんてもんじゃありません。
――だがまあ、確かに効果はあるようだな。
先ほどまでの薄寒ささえ覚えていたじっとりとした空気は、この熱気にあてられてしまってはひとたまりもありません。肌を焦がすような強い日差しこそありませんが、体にまとわりつく空気はまあ南の島の六割ぐらいは再現しているのではないでしょうか?
「まいっ、マイ、冷たいジュースだよ〜」
差し出されたオレンジジュースは氷もなみなみと浮かべており、グラスがびっしりと汗をかいているさまはいかにもよく冷えていそうでおいしそうです。猫まいたんはグラスを受け取ると、こくこくとのどを鳴らしてジュースを飲みました。
自分でも気がついていないうちにだいぶのどが渇いていたらしく、ジュースはまるでしみこむようなおいしさです。
「うむ、悪くはないな」
「よかった。おかわり、どう?」
「……頼む」
猫はやみんはグラスを受け取ると、台所に戻ります。
ざざーん……。
どこからか、波の音が聞こえてきました。見れば、どうやらCDをかけたようです。
――凝ったことをするものだな。
くだらないと言ってしまえばそれまででしょうが、猫まいたんは、ここまで大真面目に取り組んでいる猫はやみんに面白そうな視線を向けるのでした。
チャンチャカチャカチャン、チャカチャカチャンチャン♪
「にゃ! にゃんだ!?」
突然聞こえてきた軽快な音楽に、猫まいたんは寝椅子(そんな物まで持ち込んでいたんですか)から危うくずり落ちそうになりました。
慌てて後ろを振り向いた猫まいたんではありましたが、そこに立っていたモノに思わずかくんと顎が落ちます。
いや、立っていたのはまぎれもない猫はやみんなのですが、その格好が……。
アロハもどきの開襟シャツに下は海パン、サングラスをかけた上に頭にはカンカン帽、そして手には、どこからもってきたのかなんとウクレレを手にしているではありませんか!
「な、何だアツシその格好は!」
「あはっ、ビックリした? こんなこともあろうかと用意してたんだ〜。ちゃんと曲も弾けるんだよ〜」
ポロポロとウクレレを鳴らしながら猫はやみんはとっても嬉しそうですが、どーもその格好が一昔前の「南の島といえばこうだっ!」みたいなどことなく嘘くさいスタイルなのがなんともはやなのでありますが……。
それに、いったいなにが「こんな時のため」なんでしょうね?
あんぐりと口を開けたままの猫まいたんではありましたが、ようやく気を取り直したように口を閉じると、猫はやみんの格好を頭のてっぺんから足のつま先までしげしげと眺め回します。
――さっきの意見はちと訂正した方がいいか?
そんなことを思ったのはナイショです。
「……曲だと?」
「うん、あんまりたくさんは無理だけど」
カンカン帽の端をちょいと持ち上げながら、猫はやみんはウクレレを自慢げに持ち上げます。何かこうしてるとますます胡散臭さが漂ってくるのは気のせいでしょうか?
「……まあよい、やって見せよ」
「うん! じゃあいくね!」
盛大にため息をつきながら猫まいたんが言うと、猫はやみんは張り切り大絶頂状態でウクレレをかき鳴らし始めます。
あ〜あ〜あやんなっちゃった、あ〜あんあおどろいた♪
……猫はやみん? それは確かにウクレレ使いますけど、南の島とはちょ〜っと関係ないんじゃないですかねえ?
もっとも、猫まいたんはそんなことは知りませんから、意外と軽快なリズムとテンポにちょっとだけ感心したような表情を浮かべています。
もっとも、歌詞の方は面白さがあまりよく分かっていないようですが。
……ま、本人たちがそれなりに気に入っていればいい……んですかねえ?
ウクレレの演奏(?)が一通り終わると、猫まいたんは再び猫はやみんをしげしげと眺めやります。
「それにしても、そなたの格好は……まあ、南の島かもしれんのだが……」
どうやら水着姿の猫はやみんに、視線をどうしたらいいものかと考えあぐねていたようです。頬の端がちょっとばかり赤かったりして。
……普段の彼らがどんな格好かということについてはまあおいといて。
猫はやみんはちょっとの間不思議そうな表情を浮かべていましたが、やがて何かを理解した表情になるとぽふ、と手を叩きました。
その表情に猫まいたんはいや〜な感じが背筋を走ります。猫はやみんがあの表情を浮かべたあと、ろくなことがなかった事を過去の記憶が告げているのかもしれません。
ですが、猫はやみんのほうが一歩早かったようです。
「あはっ、ごめん、僕だけこんな格好しちゃって。マイもやってみたいんでしょ?」
「にゃ、にゃにゃっ!?」
ほら、大当たり。
どうも、猫まいたんの表情から勘違いしたようですが……。
「ごめんね、でもちゃ〜んとマイの分は用意してあるんだ〜」
「ま、まてアツシ! 私がいつそんなことを……」
でもすでに己の世界に入ってしまったらしく、猫はやみんは聞く耳なんぞもちゃしません。傍らの紙袋を取り上げると、猫まいたんに差し出します。
「はいっ! これ、マイの分!」
「……?」
怪訝な表情を浮かべたまま、猫まいたんは紙袋の中をごそごそとやっていましたが、次の瞬間その手がぴたりと止まると、猫まいたんの顔が「ぼんっ」と音がしそうなぐらいの勢いで真っ赤に染まりました。
「あああああアツシッ!! こっ、こっ、これは……」
「ね、いかにも南の島って感じでしょ?」
猫はやみんはもうすっげぇ嬉しそうににこにこしていますが、猫まいたんはその場に硬直するばかりです。
まあ、サングラスはいいとしましょう。帽子もまあ、幅広の麦藁帽で花なんかついちゃったりしていますからそれなりにいいかもしれませんが……。
――しっ、しかし、しかし、これはっ!?
猫まいたんの頭の中では、装着予想図がぐるぐるとすごい勢いで渦を巻いています。
まあ、いきなりビキニを渡されれば、誰だってこうなるかもしれませんが。
「マイ〜? そんなに気に入ってくれた? 今度の夏に渡そうかと思ってたけど……ちょっと早かったけど、まあいいよね」
――こっ、これを夏に着せるつもりだったのか!?
というか、いつから準備してるんですか猫はやみん。
このままではまずい、と悟った猫まいたんは、何とかこれを着ずにすまないものかと猫はやみんのほうを振り向き――危険度が一挙に倍加したことを理解しました。
いつの間にかウクレレを置いてサングラスを外した猫はやみんが、にじ、にじと猫まいたんのほうに近寄ってきているではありませんか!
「こ、こらアツシ、ちょっと……」
「ね〜、せっかくなんだからマイも着てみようよ〜」
どことなく夢見がちのような声で猫はやみんが呟きます。どうやら未来予想図を頭に描いているうちにどこかがショートしたようです。言動がすっかりアヤシクなっています。
「だ、だから待てと……!」
「大丈夫、他に誰も見てないし」
「そなたが見てるわっ!!」
「え〜? いいじゃないそのくらい……。あ、ひょっとして着方が分からないとか?」
猫はやみん、鼻息がちょっと荒いです。暴走状態です。決戦存在です。
思わず猫まいたんが引いたのが、猫はやみんに更に火をつけたようです。
臨界突破。
「じゃあ、僕がお手伝いを……!」
「ちょ、待て……アツシ〜ッ」
次の瞬間、猫まいたんの流星のような右猫アッパーが、正確に猫はやみんの顎を捉えていました。
「はぶわぁっ!?」
情けない声とともに、哀れ猫はやみんはお空の星に……なるにはちょっと天井は低かったようです。
「ふにゃんっ!?」
べしゃ、ぐしょ、ごき。
……あ、なんか痛そうな音が。
ぴくぴくと足を痙攣させている猫はやみんを、猫まいたんはパンチをくりだしたままの姿勢で荒い息をつきながら睨みつけます。
「調子に乗りすぎだっ!!」
いや、まったく。
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