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墓参


 かつての竜との戦いは、意外なところで影響を及ぼし始めていた。

 過去半世紀行なわれてきた幻獣との戦いは、容赦のない戦闘期と奇妙な自然休戦期の繰り返しで織りなされており、九州での戦いもその例に漏れず、五月一〇日をもって自然休戦期に突入した――はずだったが、実際には数日早く幻獣の攻撃が終息してしまい、人々を惑わせた。
 だが、皆が本当に混乱したのは九月、自然休戦期明けのことだった。いつもならせっかく回復した領土も施設もたちまちに失われるほどの激戦が展開されるはずだったのが、九月の第一週を過ぎ、第二週を過ぎ――ついに下旬に突入しても一向に再開されなかったのだ。
 もちろん、軍は休戦明け初日から異変に気がついてはいたが、あまりの異常さに俄かに結果を信じられないでいた。強行偵察の結果、幻獣は日本はおろか、大陸でもその姿を全く見せていなかったのだ。
 数日の間、政府高官や軍首脳の間では聞くも莫迦らしいほどのやり取りが行なわれ、ともかく休戦が継続中であることだけは確認した。
 だが、それが新たな状況の始まりであるとは、どうしても信じられなかったのである。

 ともあれ、戦時体制は継続していたものの、学兵たちが命を的に血みどろの戦いを行なわなければならない確率はひどく低いものとなり、彼らは軍隊特有の「急いで待て」を実戦すべく、訓練や整備はおさおさ怠りなく過ごしていたが、それでも学生本来の生活を急速に取り戻しつつあった。
 そして、それは一般市民も同様であり、彼らは新しい日常に対応していったのである。

 一九九九年十月三日(日) 一五〇〇時
   熊本市内 新市街

 熊本に、秋の気配が忍び寄ってきた。
空は高く、見事に晴れ渡った空にかすかに雲がはけを引いたように流れている。
 熊本市内にはまだあちこちに戦争の爪跡が残っているとはいえ、疎開していた人間も戻り、あちこちで復興の槌音が響き渡っている。
 その市内、新市街の当たりに速水と舞の二人の姿を見ることができる。
 速水は心持ち前を歩き、時折心配そうに後ろを振り返る。既に心配すべき舞はほとんど以前と変わらぬ様子でさっそうと歩いているのだが、ここしばらくで身についた習慣は容易に抜けそうにはない。
 舞もいまだに心配されるのは心外であったが、だからといって差し出された彼の手を拒むようなことはなく、いささか頬を赤く染めながらも、そっと握り返していた。
「この辺りもずいぶん復興したね」
 周囲を眺めながら、速水は感に堪えぬといったように声を漏らした。通りには急造ながら新しい建物が軒を連ね、そこここの店舗では威勢のいい声がかけられている。
「そうだな……。皆が懸命に働いた結果だ」
「それだけじゃない。君の成果でもあるんだよ」
「私は何もしておらぬ。やったとすればそなたであろう」
「でも……」
「そなたがいなければ、できなかったのだ」
舞は断定するような口調で言い切った。
「それでもやっぱり君のおかげだよ。君がいなければ、僕には何もできなかった」
 速水の実感のこもった言葉に、舞は再び周囲に視線を走らせた。
「そうか……」
「そういうこと」
 舞はそれ以上何も言わなかった。速水はそんな彼女を見て、口元にかすかな笑みを浮かべた。
「ところで、そなたが見つけたという花屋はどこだ?」
「ああ、こっち。……そうだね。そろそろ行かないと」
 速水は時間を確認すると、舞の手をそっと引きながら、やや速歩に新市街を歩いていった。

 同日 一五三〇時
   熊本市戦没者慰霊公園

 かつて軍人共同墓地として用意された広大な敷地は、今では県の戦没者慰霊公園として整備され直されていた。
 敷地の中にはいくつもの墓石が規則正しい間隔を置いて並べられている。その数は当初予想されたほどではなかったとはいえ、決して少ないものではなかった。
 ひょっとしたら、大多数の日本人には忘れ去られてしまうかもしれないが、少なくとも熊本の人々は、自分たちが今享受している平和は誰によって築かれたものなのかを忘れてはいなかった。
それが証拠に、ひところよりさすがに数が減ったとはいえ、今日も慰霊塔の前には手向けの煙が絶えることがなく、あちこちの墓には訪問者が引きも切らない。
 そんな中を速水たちはゆっくりとした足取りで、何かを探すように周囲を見回していた。
「あった。あそこ」
 速水が小さな声をあげた。
舞も後についてやや早足で近寄ると、そこには「五一二一小隊々員之墓」と篆刻された墓石が建っており、墓誌にはたった一人、舞の名前だけがくっきりと刻みこまれていた。
「これが、私の墓か……」
 舞がしみじみとした口調で言うのを聞き、速水はなんと言ったらいいものか考えあぐねて口を閉ざしていたが、その様子にかえって舞は苦笑した。
「何だ? 気にするな。ただ、自分の墓を見る機会などそうはないと思っただけだ」
「それは、そうなんだけどさ……」
 あの時の思いが蘇ってきて、速水は心の中に小さな嵐が起こるのを感じたが、それはすぐに苦笑の陰に消えてしまった。
 別に今の舞に聞かせるようなことではない。自分の胸にだけしまっておけばよかった。

 もともと、墓参りをしたいと言い出したのは舞だった。
速水としては先ほどのようなこともあってあまり賛成しかねる気分だったのだが、なおも強硬に主張する彼女にあえて逆らうことはしなかった。
 墓石をきれいに掃除すると、あらかじめ用意しておいた花が供えられた。線香に火がつけられ、独特の匂いとともに、煙が辺りに広がっていく。
 速水は半分を舞に渡すと、舞はそれを墓石の前に供えた。続けて速水が同じ動作を繰り返す。
 しばし二人は無言でここに眠る「舞」に手を合わせた。
 先に顔をあげた舞はふと隣を見て、軽く目を見開いた。速水の頬を一筋の涙が流れ落ちていくではないか。
「厚志、どうした?」
「え? 僕がどうしたって?」
 舞は黙ったまま。頬の涙を拭ってやった。速水は、それで初めて気がついたように、驚きの表情を浮かべる。
「僕、泣いていたのか。……なんだろうね。今隣に舞がいるのはわかってるんだけど、ここにも舞が眠ってるんだと思ったら、なんか不思議な気持ちになっちゃって……。なんか変だよね。どうしちゃったんだろうね、は、はは……」
「厚志……」
「なに?」
 舞は何も言わず、そっと速水を抱きしめた。彼が驚きの表情を浮かべるのにも構わず、背中にそっと手を回すと、二、三回優しく叩いた。
「そなたは、優しいのだな」
「舞……」
「そなたは未来を見つめていても、その心は過去を忘れることもない、ただの肉体と化してしまったかつての私にも涙するその心に感謝する」
「……どっちも、僕にとっては大事な舞だからね」
「莫迦者。そんなことを表で言うものではなかろう……」
 速水の肩に半ば顔を埋めつつ、舞は呟いた。
「だが、そなたの心に私は感謝する……」
「うん……」

 墓を後にした二人は、そのまま慰霊公園に隣接する民間人用の墓地に入っていった。
この戦争では、民間人の死者もかなりの多数に上り、以前からあった墓地だけはとても賄いきれず、慰霊公園が整備されるときに敷地の一部を民間に開放することになったのだ。
 軍人用のスペースよりはいささか小さい墓石の林の中を歩いていくと、二人はその一角にある。目立たない墓の前で立ち止まった。
墓には何も書かれていなかった。
 だが二人は、こちらも先ほどと同じように墓を洗い清めると、もう一つ用意しておいた花を丁寧に飾り、線香を手向け、手を合わせる。その後で舞は一歩前に進みでると、ゆっくりと語りかけるように話し始めた。
「今ここに眠る意志よ。そなたのおかげで、今の私がここにある。そのことは、一時たりとも忘れた事は無い。……感謝する」
 そういうと、舞は芝村にしては珍しい儀式――深々と頭を下げた。
「また来ようが、今はさらばだ。――我が分身よ」
 それだけ言うと、足早にその場を後にした。
 速水もその後を急いで追いかけたが、その場を立ち去る前に、今一度、後ろを振り返った。
墓石――今の舞のひな型となったアルラウネの墓を立てたのは、速水だった。
 ――ありがとう。君のおかげで舞は生き続けることができた。僕もそのことは忘れていないよ。いつかは分からないけど、僕たちも君のところにいくだろう。そのときには詫びも礼も存分に……。
でもその時まで、今はどうぞ安らかに……。
「厚志?」
「今いく!」
 速水は墓石に敬礼すると、足早に舞の後を追いかけた。
 供えられた花が、返事をするかのように小さく揺れた。

 同日 二三〇〇時
   熊本市内 速水宅

 戸棚の上に置いてある時計が、静かに時を刻んでいる。
いつもなら台所のあたりに陣取っている猫たちも、今日はどこかに外出しているのかその姿を見せはしなかった。
動くものとてない室内を、月明かりだけが青白く照らし出している。
寝室に目を転じれば、二人は既に床についていた。毛布が規則正しい上下動を繰り返している。
と、毛布のふくらみのうちの一つがもぞもぞと動いた。
舞だった。
寝付けないのか、隣に注意しつつではあったがしきりに寝返りを打っている。やがて、毛布が跳ね上げられ、そっとベッドから滑り降りた。
彼女は、身に何もまとっていなかった。白い裸身が月明かりの中にほのかに浮かび上がる。
舞はそのまま台所に向かうと、コップに水をなみなみと満たし、それを一息に飲み干した。火照っていた体がそれで少しは冷えたような気がして、舞は小さく息をつく。
 再びベッドに潜り込むと、舞は傍らに眠る速水の顔をそっと眺めた。
 ――罪のない寝顔というのはこういうのを言うのだろうな。先ほどとは大違いだ。
 そんなことを考えていると、舞は自身の一部に残る違和感のことを思い出し、再び体が火照ってくるのを感じていた。
 別に、これが初めてというわけでもないが、破瓜の痛みを過去のものとするほどに慣れたというわけでもない。
 舞は、再び速水に視線を向ける。先ほどはただ安らかとだけ見えた彼の目元に、かすかに光るものがあった。
 速水に抱きしめられた時、彼が泣いていたのに舞は気がついていた。
 昼間のことが思い出され、舞はそっと指先で目元をぬぐってやる。と、速水が急に目を開いた。
「起こしてしまったか?」
「平気だよ。……寒くない?」
「うむ、私は大丈夫だが……?」
「僕、少し寒くってさ。もう少しくっついてもいいかな?」
「なっ……、そ、それは」
 彼も、格好については舞と似たり寄ったりだった。いささか躊躇していると、速水が、
「駄目?」と追い討ちをかけてくる。
「うっ……、わ、分かった」
 そう答えた次の瞬間には、舞は速水の腕の中に抱き取られてしまっていた。舞は体中の血液が急速に循環しつつあるのを自覚していた。体のあちこちが何もさえぎるものもなく密着しているので、気恥ずかしいことこの上なく、それはまた同時に先ほどの好意を思い出させていた。
「こここ、こらっ! あ、あまり強く……」
「あったかい……」
 舞ははっとなって、改めて速水を見返した。彼の声には幼子が母親と出会ったときのような、紛れもない安堵の響きが混じっていた。
「こうしていると、落ち着くんだ。舞が確かにここにいるんだなあって……」
「厚志……」
「変だよね、もうあれから随分経つのに。君がここにいるのは間違いないのに……え?」
 速水に皆まで言わせず、舞は彼の背中にそっと手をまわすと、ほんの少しだけ力を込めた。
「そなたは、まるで子供だな」
舞はくすりと小さく笑った。
「ちょっとひどいなあ。……でも、そうかもね」
「だが、その気持ちは分からぬでもない。わ、私も……。こうしていると、そなたの存在がわかる、からな……」
「舞……」
速水の手に、かすかに力がこもった。
「厚志」
「なに?」
「そなたも……あたたかいな」
 速水は一瞬驚いたように目を見開くと、かすかな笑みを浮かべた。
「ありがとう……」
 ――やはり、ここにいるのは舞だ。僕が大好きな舞なんだ。
 彼女を抱きしめる手に更に力がこもる、彼の中で何かが今こそ混ぜ合わさり、つながっていった。
やがて、どちらからともなく二人はそっと唇を重ね合わせる。柔らかい感触と、脳髄をしびれさせるような彼女の匂いが、これ以上ないほどにこれが実在であることを速水に印象付けた。
舞もまた、彼を受け入れながら、己が確かに実存する存在であることを確かめたようであった。
二人は、温もりを確かめ合うかのように、互いを強く抱きしめあう。

やがて、二人の息遣いと切れ切れの声が、闇に包まれた部屋の中を流れていった。


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