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リハビリテーション


 一九九九年五月八日、〇七〇〇時。
 既に打ち捨てられたラボの一室で、一人の少女が目覚めた。
 名前を芝村舞という。
 人型戦車「士魂号」三番機ガンナーとして、芝村準竜師配下の第五一二一独立対戦車小隊に配属されている――いや、いたと過去形で語るべきか。
 彼女は四月七日に勃発した九州防衛戦史上最大の戦いである「熊本城攻防戦」において、破られかけた包囲網を維持すべく、カダヤたる速水厚志と単機出撃。圧倒的多数の敵を迎え撃って見事戦線を支えたが、自らは愛機の被弾により重傷を負い、病院で息を引き取った。
 全てはそこで終わったはずであったが、とある「存在」の介入により、彼女は再び運命をつむぐチャンスを与えられた。
 ――あれは一体なんだったのであろうか?
士翼号の頭脳として蘇ってからこちら、舞はいまだにその正体を知ってはいなかったが、もとよりそれは一個人に理解できるような代物ではなかったのかもしれない。
 ともあれ、精神体となった舞は新鋭人型戦車「士翼号」の頭脳として蘇り、再び速水と共に同じ道を歩み始めた。
 そして、速水は人類史上五人目の絢爛舞踏となる。
 人にして人あらざる、最も新しい伝説と呼ばれる存在に。
 ほどなく起こった戦いで竜は赦されたが、その頃舞は士翼号のあまりのキャパシティの大きさゆえに、神経情報を吸い取られつつあった。
 このままいけば存在そのものが同化させられてしまうという瀬戸際に、速水・岩田を中心とした復活作戦が決行され、彼女は再び肉体を得ることに成功した。
 芝村舞の時間が、再び動き始めたのだ。
 だが、精神を霊子固定させる方法は、やり方そのものは年齢固定型クローンの製法としてありふれた物であったが、「リアルタイムの記憶」を「全て」、「従来の系統に属さない速成クローン素体・アルラウネ」を使用して「復活」させる方法は、過去に全く例のない、「冒険」という言葉がふさわしい所業であった。
 だが、時間と――何より舞自身の状態がそれを要求した。
 彼らには悠長に研究を繰り返す時間など残されていなかったのだ。
 彼らは賭け――そして、勝った。
 舞をその手に取り戻すことに成功したのだ。
 だが、全てが元通りかは断言できない。

 一般に、精神というものは肉体に大きな影響を受けるという。例えば、内臓の移植手術を受けた人間が嗜好が全く変わってしまったなどというのがその典型例であろう。
 ましてや舞は、その全身が全く新しい存在に置き換えられてしまっており、さらに元をただせば士翼号の中で精神体の状態で存在していたのだ。その経験がどのような影響を及ぼしているかなど、岩田にも、ましてや速水に分かろうはずなどない。
「でも、それほど悲観することはないかもしれませんネェ」
 舞が復活した日の夜、岩田は手にしたファイルを眺めながらこう呟いた。ファイルにはつい先ほど実施した検査結果がひしめき合って並んでいる。
「芝村さんの素体となったアルラウネは『形態模写クローン』というだけあって、データ提供元の性質をフルコピーします。いわば、自分自身に移植されたようなものですからね。もちろん、全く別個の存在であると言うことを無視するつもりもありませんが。特に情報入力のない素体は概して素直なものが多いそうですが……」
 岩田は、速水の眉が微かにしかめられているのを見ると、そっと口をつぐんだ。
 速水は、今の舞のボディであるアルラウネ、それに宿っていた自我をどうしたのか、そのことを思い出したに違いない。
「ともあれ、こちらはしばらく様子を見るしかないでしょう。科学者としてはなんとも不満ですが、ね」
「どのくらいかな?」
 岩田が話題を変えたことに気がついた速水は、意図的に明るい声で岩田に調子を合わせた。岩田ならそれだけで察するはずである。
「早ければ、数日でも。遅ければ……まあ、一生分からないでしょうが、問題はないでしょう?」
「違いないね」
 二人は顔を見合わせると、どちらからともなく苦笑した。
 
 精神に対する影響もさることながら、むしろ彼らにとってはもうひとつの問題のほうが直接的かつ深刻であったといってよかった。
 目覚めた時、舞は、己の体のほとんどを自由に動かすことができなかったのだ。
 精神情報はあたう限りの全てを入力したし、肉体は理論的には舞そのものだとはいえ、順応するかどうかはまた別の話である。
 舞は、ゼロから肉体との絆を作り直す必要があったのだ。
「彼女の今をたとえるなら、首はすわっていても出産直後の赤ん坊――いや、体の扱い方が分からないという点ではそれより悪いですかね」
 速水は、岩田の言葉を神妙な表情で聞いていた。それを見た岩田は苦笑を浮かべる。
「何をそんな深刻な顔をしてるんですか、これは当初から予測されたことです。ま、あせることはない。のんびりリハビリを行いましょう。急いでも何にもならないですよ」
「……本当に、大丈夫なの?」
「なに、言ってみれば子育てみたいなものですよ。ちょうど予行演習にいいんじゃないですかネェ?」
「岩田君っ! よ、予行演習って何の!?」
 顔を赤くする速水を尻目に、岩田はひらひらと舞いながら部屋を出て行った。
「まったく……。本当に心配してるのかな?」
 口ではそう言いながらも、速水の顔からは先ほどの重さが消えていた。
彼のこれまでの実績を無視するほど彼も愚かではない。
「それにしても、子育てね?」
 速水は、それが訓練をいかに良く表現しているか、そのときは気づくべくもなかった。

 かくして、翌日から舞の訓練が始められることとなったが、それは彼女にとって動かない身体のもどかしさと、物理的苦痛という二重苦そのものを与えることに他ならなかった。
 だが、詳細を説明された舞は、わずかに動く唇で、
「わかった」
 とだけ答えたという。
 訓練は遅々とした歩みで、舞の体力に合わせてゆっくりと進められていった。
 まともに言葉が出るようになるまで二日かかった。
 手が反応し始めたのが三日目、動かせるようになったのは五日目。
 舞は、体を起こしてもらい、ボールに触れたり、握ったり、それを離したりということを倦むことなく繰り返した。
 自力で寝返りを打てるようになったのは、一五日目のことだった。同時にこのころ、足にも反応が見られるようになってきている。
 舞は、人間が生まれてから歩行に至るまでにたどる道筋を、ひとつ、またひとつとこなしていった。
 はいずるようにではあったが、動くことができるようになったのが一ヶ月目。
 四つんばいで動けるようになるまでには、さらにもう半月が必要だった。
 そして……。

 一九九九年七月五日(月)
   県内某所 研究所内病室

 病室は、朝から慌しい雰囲気に包まれていた。いくつかの器具が運び込まれ、据えつけられていく。
 時間をかけて、ゆっくりと体を起こした舞は、ベッド脇に腰かけた。
 速水は覗き込むように舞を見つめた。
「舞、どこも痛くなったりはしてない?」
 何気ない動作ではあったが、彼女にとってはまだ高いハードルであることを速水は知っていた。
「大丈夫だ、それよりすまぬが手を貸してくれ」
 速水と、反対側についた萌が差し出した手に、舞は己の手をそっと重ね、握り締めた。手に体重をかけるように、舞はやや前かがみになる。足がゆっくりと地についた。
「そのまま、ゆっくりと足に体重を移して下さい。だめだと思ったらすぐに言ってください」
 舞は岩田の指示通り、ゆっくり、ゆっくりと足に力を込めていく。誕生してからこのかた、己の体を支えたことのない足に力が込められ、細かく震えだした。速水たちの手にも体重がかかった。
「舞……」
 だが、舞はそれには答えず、額にかすかに汗を浮かべながら更に前に重心を移動した。
 足の震えが大きくなる。
 だが、ついに舞の腰はベッドから離れた。
「立った……。舞が立った!」
 喜色もあらわに速水が叫びを上げると、舞は、
「騒ぐな。指示通りにやったまでのことだ」と答えたが、それでも口元には笑みが浮かんでいた。
 舞はそのまま右足を前に踏み出した。歩行というよりはすり足という感じだったが、体は前に進んだ。左、右と助けを借りながら繰り返すが、ふいに足の震えが更にひどくなった。
「ふむ、ここまでですね。二人とも舞さんをベッドに座らせてください」
 岩田は舞の手足に軽く触れ、筋肉の状態を確認した。
「最初にしては上出来です。ベッドの脇に支えを用意しますから、それを使って練習を続けてください。一日に数回というところでしょうか。ただし、無茶は禁物ですよ?」
 舞は頷きはしたものの、その程度では満足していなかった。
その後は暇さえあれば手すりにつかまり、額に汗を浮かべつつ、飽くことなく歩行を繰り返した。
 その意志は見上げたものであると言えるが、何事にも限度というものがある。

 数日後。
「舞、入るよ……って、何やってるの!? だめじゃない、寝てなきゃ!」
 ドアを開けた速水は、一歩入ったとたんにその場に立ち尽くしてしまった。つい先ほどやりすぎだと言って忠告を受けたばかりのはずの舞が、また歩こうとしていたのだ。
「あ、厚志!?」
 まさか、すぐに誰かが入ってくるとは思わなかったらしい。
舞は慌てて姿勢を正そうとしたが、そのときまでに手も足も力などすっかり使い果たしており、体を支えることなど出来なくなっていた。
 舞の体が大きく崩れる。
「危ないっ!!」
 速水の叫びと同時に、柔らかいものが倒れる音が室内に響き渡った。舞はてっきり床に激突すると観念したのだが、体は予想外にゆっくりとした速度で軟着陸した。
「あ、厚志……?」
「い、痛たた……。舞、大丈夫?」
意外なほど近くから速水の情けない声が聞こえてきた。視線を下に転じれば、すぐ目の前に速水の困ったような顔があった。
急ぎ下に潜り込むことで、彼自身がクッションになることでどうにか怪我は免れたのだ。
だが、ちょっと待ってほしい。
下敷きということは、今速水は舞の下敷きになっているわけで、これは見ようによっては舞に押し倒されているように見えるわけで……。
「あああ厚志、その、あのっ……」
 速水にのしかかっていることに気がついた舞は、声を裏返させながら懸命に退こうとするが、体のどこにもそんな力は残っていなかった。
 ――もう少し、このままでもいいかも。
 速水は柔らかいふくらみを胸に感じつつ、そんな不埒なことを考えていたが、幸運(?)は長く続かなかった。
 再びドアが開く音、そして、ドアのところで誰かが再び立ちつくしているのが気配で分かった。
二人が恐る恐ると視線をめぐらすと、そこには岩田が半ば呆れたような表情とともに立っているではないか。ご丁寧に傍らには栄養剤をささげ持った萌まで立っていたりして。
「あ、あの……」
「……動けるようになった途端、お盛んなことですネェ?」
「なっ!? ち、違うっ!」
 岩田の言わんとするところを理解した舞の頬に、急に血が上ってきた。
 後ろを見れば、萌までが頬を染めてあさっての方向を向いてたりするから、何を考えているかは一目瞭然である。
「ま、ほどほどにしておいて下さい。まだ本調子ではないんですから」
「だからっ! 違うといっておろうが!」
 とはいえ、体がまともに動かないのでは反撃のしようもなかった。
「えーと、とりあえずどうしたらいいのかな?」
「厚志、そなた何をのんきな……ひゃんっ!? ば、莫迦者! そんなところで動くな!」
「え、だって……」
「いいからやめろっ!」
 萌の頬がいっそう赤くなっていく。岩田はしばらくその様子を無表情に眺めていたが、やがて、
「二人して、ちょっと実験に付き合ってもらった方がいいですかネェ……?」と、ポツリと呟いた。
 沈黙が、室内に落ちた。

 とりあえず、速水の事情説明で舞は再びベッドに寝かされたが、診察をする岩田の表情はいささか渋かった。
「まったく、訓練のし過ぎで筋肉が動かなくなるなんて……。あなたの身体は生まれて二ヶ月も経っていないんです。念のために言っておきますけど、後天的に取得した身体能力は全てリセットされたようなものなんですからね、気をつけてください」
「う、うむ。すまぬ……」
 毛布の陰に隠れるような声に、岩田もようやく苦笑らしきものを浮かべていた。
「まあいいでしょう。ただし、今日は一切の訓練は禁止ですよ。速水君、しっかり見張っておいてください」
「了解」
 岩田たちが出て行ってしまうと、室内がしん、と静まり返った。舞はそっと速水のほうを見やるが、彼は背中を向けているせいで、表情はよく分からなかった。
「その、だな。厚志……」
「舞、のど渇かない? はい、これ」
 唐突に差し出された吸い飲みを見て、舞は目をしばたたかせた。てっきり怒っているだろうと思われた彼の表情には笑顔が浮かんでいる。
「どうしたの? 砂糖が入ってるから甘いよ?」
「う、うむ……」
 本来なら自分で、と言いたいところだが、先ほどの反動で手も足もピクリとも動かすことができない。
 渋々といった感じで、舞は水のみを口に咥えた。
 ちょっとかわいい。
 砂糖の甘みが、まるで体にしみこんでいくようで、舞は小さく息をついた。
「ああ、そうそう。岩田君に許可をもらっておいたから……」
「? 厚志、何を……ひゃっ?」
 速水にいきなり手をとられ、裏返った声を上げた舞だったが、やがて彼がゆっくりと腕を揉みほぐし始めたのに気がつくと、落ち着いたように枕に頭をもたせかけた。
 速水の手は、舞の手と足を丹念に往復しながら筋肉を優しく揉みほぐしていく。つかれきった手足に感覚はなかったが、速水の手が触れたところだけは、何だか妙に温かい気がした。
 舞の表情は、いつしか優しいものへと変わっていた。
「そういえば……。そなたは前にもよくこうしてくれたな」
 まだ立つことはおろか体も動かせなかったころ、速水は時間さえあればこうやって舞の手足をマッサージしていた。
動かせないのは精神とのシンクロの問題も多分にあったので、効果があったかといえば疑問ではあったが、それでも速水は手を休めなかった。それを舞は言っているのである。
「そういえば、そうだったね」
「そなたも疲れていたであろうに、な。私はそれを忘れぬ」
「うん……。ならば、さ」
 不意に速水の表情が曇った。どことなく泣きそうにすら見えるその表情に、舞の心がざわめいた。
「あまり、無理しないで。舞の体はまだ生まれたばっかりだって岩田君が言ってたでしょ? まだまだ慣れてないのに無理して、それでどうにかなっちゃって……。また、君がどこか行っちゃうなんて……やだよ」
「……すまぬ」
「もう、どこにも行かないよね? 一緒にいても……いいんだよね?」
 まるで子供のような物言いに、舞は思わず苦笑した。
「たわけ。我らはいつも一緒だったではないか。生きるも死ぬも一緒だと……。わ、私はそれを忘れてはおらぬ」
「うん。ありがとう……」
 速水はにっこりと微笑むと、舞の肩をそっと掴んだ。
 一瞬うろたえた舞であったが、頬に血を上らせたまま、意を決したように目を閉じると、そっと顔を突き出した。
 窓から差し込む優しい光が、一つになった影をそっと映し出した。

で、それはそれとして。
「と、ところでだな、厚志」
「ん、なーに?」
 妙ににこにこした速水の笑顔に一抹の不安を抱きつつ、舞は視線を下に向ける。
速水の手には、いつの間にかお湯を張った洗面器と、タオルが用意されているではないか。
「つかぬ事を尋ねるのだがな、そ、そなたはこれから何をする気なのだ?」
 速水の笑みが大きくなるのを見て、舞は自分の予感が的中したことを知った。
「えーとね、舞、さっきの訓練で汗びっしょりみたいだし。これから寝るにしてもさっぱりしたほうがいいでしょ?」
「ま、待てっ! そういうことは萌が……。そなた、何故ドアに鍵をかける!?」
 あ、声が裏返ってる。
「さーて、じゃあ始めよっか?」
「にゃ、にゃぬっ!?」
 速水は笑顔でそう言い放ったが、よく見れば目は全っ然笑ってなかったりして。
 別に気にしてないわけではなかったようだ。
 舞は、無駄な抵抗と思いつつ、最後の抵抗を試みた。
「あ、厚志。待てっ!」
「聞・こ・え・ま・せん」
 抵抗失敗。
 しばらくの間、病室はえらい騒ぎだったそうな。

その後、舞の歩行訓練がいっそう身の入ったものになったことは言うまでもないであろう。


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