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復活


 同日 一〇一五時
   県内某所 研究所跡地

「それにしても……まさかこことはね」
「ここなら安全ですよ。何しろ誰も知らない『ことになっている』場所ですから」
 そこは、かつて速水がいたラボだった。一度は炎上し、そして再建はされたものの、結局放棄された彼自身の忌まわしき記憶の墓所。
「僕が散々弄ばれた場所で舞が蘇る……。何かの皮肉かな、これは?」
「幸運とかいう奴でしょう。全くありがたいことです」
 二人とも笑顔ではあったが、それは、笑いと言うにはいささか苦味がきつすぎたかもしれなかった。
 だが、研究室にたどり着くまでには、二人とも常態を取り戻していた。

 舞を復元する方法は、大変大ざっぱに言えば、肉体を提供し、それに士翼号の情報ユニットに保持されている舞の全データ――過去の記憶、思考回路、感情など、精神面で舞を存在させているもの全て――を再入力し、霊子結束により固着させるというものだ。
 方法としては夢想的にも聞こえるが、実は年齢固定型クローンの製造方法とさして変わらなかった。極端な話、この方法の違いは入力してやるデータの違いだけ、そういってもいいくらいだ。
これは岩田にしてみれば言うも莫迦莫迦しいほどにたやすいことだった。何しろ現在の日本――ということは世界人口のかなりの部分――におけるクローン製造には、直接間接の形で芝村が関与しているのだから。
 だが、だからといって舞を固定クローンと同じ要領で再生するわけにはいかなかった。
 第一に、通常の年齢固定クローンはその肉体を数ヶ月かけて作成するが、現状ではそんなに待ってなどいられない。それに舞と寸分たがわぬ肉体などどこにも存在しないから、遺伝子情報から雛型を設計しなければならず、そうなれば一体どれほどの時間がかかるのか見当もつかなかった。
 第二に、年齢固定クローンの肉体には、当然の要求として成長抑制がかけられている。その代償として、この肉体の「耐用年数」は約三〇年と言われているからこれは速水が承諾するはずもない。
 こうしたことから選ばれたのが、形態模写型速成クローン素体「アルラウネ」であった。
 これはもともと一種の促成クローンとして開発されたそうだが、ほぼありとあらゆる生命体の形態・容姿を模写し、通常のクローンと比べてきわめて短期間に(数日〜数週間)で完成するそうだから、今回の目的にぴったりだった。
 彼が当初目をつけたのは、舞の遺伝子を用いてアルラウネで舞を再生し、速水に接近させる方法を考えていたが、やがて舞の存在そのものに気がつくにつれ、それはあくまで「舞として」復活させるプランに変貌を遂げた。
 ここまで聞いて、ひょっとしたら疑問に思われた方がいるかもしれない。これなら、誰もが死を恐れる必要などないのではないか、と。
だが、現実はそんなに甘くない。データの「鮮度」という問題がある。
 遺伝子情報はともかく、現在は記憶の保存には膨大な時間がかかるので、そうほいほいとバックアップを取ることは大変難しい。下手をすれば以前とったのは数年前、などというのもありえるのだ。そして死ねば、保存時点以降の記憶は永久に失われる。となれば、肉体を現時点まで再生して、数年間の記憶を失った人間を再生させて何か意味があるのか? という問題が発生する。
簡単かつリアルタイムに記憶をバックアップする方法など、現時点では存在していない以上、大量生産か使い捨てならともかく、現時点では一個人に適用されるはずがなかった。
 そういう意味では、士翼号の頭脳となることで、舞はリアルタイムな記憶のバックアップが確保できるという幸運があった。これがなければ、おそらく速水とて復活に同意したかどうかは疑わしかった。一つ二つならまだしも、彼との記憶や思考を全て失った舞に、何の意味があるだろうか?
 彼は「人形」など欲してはいないのだから。

   ***

 薄暗い部屋の中で、速水は「舞」と対面した。

「これが……?」
「ええ、舞さんの雛型になる素体です」
「これが……? でも、これは……」
 戸惑ったような速水の声に、岩田も培養槽の中にたゆたうアルラウネの右腕に視線を向けた。
 そこは、のっぺりとした青白い棒になっていた。
 良く見れば、顔面の一部、左足の指先など、似たような青白いのっぺりとした物体――アルラウネの素体のままの場所がいくつもある。岩田が先ほど脊椎や内臓系だけに限って述べたのはそのせいだ。
「……データ不足です」
 速水に隠し事をしたところで始まらない。岩田は正直に結論だけを述べた。
「そんな……だって僕らは遺伝子検査を……」
「舞さんは、既に死んだ人間ですからね」
 岩田の返答は容赦なかったが、速水は事実を理解した。
 舞の死後、彼女に関するデータは、公式には完全に消去されていた。それは芝村一族が所有するデータも同様であり、生体サンプルや検査時の遺伝子データは根こそぎ廃棄されていた。死者にいつまでもこだわっていられるような余裕はないというわけだ。
 岩田は、混沌となってしまったデータからかろうじてメモリバンクの残滓として残っていたかけらを収集し、可能な限りの精度で再生した。
 だが、現実にはこれだ。
「なんとか、ならないの?」
 速水の手は、病気のように細かく震えている。岩田はそれを見ながら、初めて沈痛な表情を見せた。
「全手動で修正することは不可能ではありません。ただ、どれだけ時間がかかることか……」
 数兆とも言われるヒトゲノムの全てを検査し、不明部分を推測・修復するなど、いかなクローン工学の発達した現代においても難事というのも莫迦らしいほどであった。
 その間に、舞の魂はどうなるか――。
 しばらく、誰も何も言わなかった。

 どのくらい経っただろうか。
 岩田は、奇妙な物音にふ、と顔を上げた。
 音は目の前から――速水から聞こえてくる。
「速水……君?」
 萌が不信そうに声をかけるが、返事はない。
「ふ……ふふふ」
 肩が小さく震えていた。岩田は嫌な予感に一歩歩みだす。
 それは、紛れもない笑い声だった。
「速水君!」
「ふふふ、くくく……はははは……」
 速水の声は段々大きくなっていき、ついに堪えきれなくなったかのように勢い良く顔を上げた。
「ははは、はっはっは! あはははははっ!!」
 岩田の顔が蒼ざめていく。萌も、ただ立ち尽くすばかりだ。
 ――狂ったか。
 そんな考えがちらりと脳裏をかすめ、岩田は慌てて否定した。彼はそんなにやわではなかったはずだ。
 だが、現実には彼は身体をふたつに折り、涙さえ浮かべて哄笑していた。
 ――駄目だったのか? せっかくここまで来て、全てを失うのか?
 岩田は足元が崩れ去るような感覚を抱きつつ、速水の肩を乱暴に掴み、ゆすった。
「速水君、まだ全てが終わったわけじゃない! 速水君!」
「ははは、はは……。あ、ああ、岩田君、大丈夫、だから。狂ってなんて、いないよ」
「し、しかし……」
 あまりに笑いすぎて息も切れ切れの速水は、よく言っても酔っ払いが「酔っていない」と主張している程度の信憑性しかなかったが、当人はいたって本気らしい。
「た、たださ……」
「ただ、なんです?」
 速水はようやく笑いを納めると、岩田に向き直った。涙こそ流しているが、そこには狂気などかけらもなかった。
 訝しげな岩田の視線に、速水は再び笑みを浮かべた。
「いや、こんな簡単なことに気がつかなかった自分がまるで莫迦みたいで、それでついおかしくなって、さ……」
速水はポケットをまさぐると、小さな袋を取り出した。
「なんです、それは?」
「僕のお守りさ。開けてごらん」
 中からは、一房の髪の毛が転がり出てきた。一方の端が糸で留められている。
「これは……?」
「舞の、髪の毛だよ。あの日から僕とずっと一緒にあった。これならどう?」
 岩田の表情が変わった。次の瞬間、速水と萌はたいそう珍しいものを目にすることになる。
 たしかに、あっけにとられて目を丸くした岩田などというのはそうそう見られるものではない。
「フ、フフフ、フ……。そうか、そういうことですか。」
「裕……君?」
「完璧ですよ! パーフェクトだ! ブリリアント、エクセレント、スバラシィィッ!!」
 岩田は奇声を発したが、そこには紛れもない歓喜がこめられていた。
「まったくなんて人ですか、あなたは!」
「大丈夫だよね? 本当に、これで大丈夫なんだよね?」
 さっきの勢いはどこへやら、速水はおずおずと尋ねたが、いきなり抱きつかれて目を白黒させた。
「できるか、ですって? やって見せますとも! 少なくとも当面の問題はこれで解決だ。……おや、私をお疑いか? 何なら感謝の印に熱いベーゼでも捧げましょうか?」
「い、いや、それは結構だから……」
 その背後で、萌が頬を膨らませながら物言いたげな視線で見つめていることに、岩田はしばらくの間気がつかなかった。

 最終的な調整には、二日ほどかかった。

 ほぼ速成が完了したアルラウネを目の前に、速水が何かを思いついたように口を開いた。
「ひとつ、いいかい?」
「なんですか?」
 作業が微妙な段階に入ったせいか、岩田の口調はいつもよりはるかにぶっきらぼうだ。ひょっとしたら、科学者としての岩田の本来の姿はこんなものかもしれない。
「これもクローンだとしたら、この子の意志とか、自我とかが……」
「ありません。私が破壊しました」
 まるで、路傍の石について答えるような口調で、岩田は答えた。声には何の感情も込められてはいない。
「!」
「あなたはひとつのボディに複数の人格を宿らせるつもりですか?」
 速水に言葉はない。考えてみれば当然のことだった。
 アルラウネ自体は他の通常型クローン同様、完成すればそれはあくまで一個の「個人」となるのだ。それに意志や自我があるのは議論以前の話である。そして、一つのボディに二つの人格が存在することは難しい。
 そのこと自身、心の中にざわめくものがあるが、今はそれは完全に黙殺することにした。
 ――いつか、どこかで合う事があれば、そのときこそ存分に詫びるから。だから、今は……。
「固着……作業……を、開始……します」
 萌の声に、速水ははっと顔を上げた。いつの間にか傍らにはあの情報ユニットが置かれ、たくさんのケーブルが舞となるべきアルラウネのあちこちにつながれている。そのうちのいくつかは自我を破壊されたアルラウネのボディを生かすための生命維持装置だと速水は気がついた。
「情報ゲート、オープン」
 ケーブルを伝って、蒼い光が徐々に流れ込んでいき、アルラウネを包み始めた。速水には、まるでアルラウネと舞が手を取り合っているようにすら見えた。
「データ、全情報移設完了。精神維持フィールド出力正常。霊子結束……開始」
 アルラウネの体を白い光が取り囲んで、蒼い光が徐々に体内に固定されていく。
「結束完了。ケーブルカット。生命維持装置、停止」
 全ての装置がはずされても、鼓動は止まりはしなかった。舞の自我が、心臓を動かしているのだ。
 岩田はようやくここで息を大きく吐き出した。
「終わりました。だが、あとは目覚めるまではなんともいえません。……いつ、目覚めるかは彼女次第です」
 速水は、ゆっくりと今や舞となった人物を見つめた。涙が一筋つうっと伝い降りる。
「それでも舞はここにいる。確かに手に触る事ができる。生きた、生身の存在として感じる事ができるんだ。舞は、今ここにいる。僕の目の前に確かにいるんだ……ありがとう」
 岩田はただ、黙って礼を返すとその場を後にした。
 人の涙を無粋に覗くような悪趣味は、岩田にはなかった。

 一九九九年五月二三日(日) 〇七〇〇時
   研究所内病室

 あれから二週間が過ぎた。
 まだ、舞は眠り続けている。鼓動は正常になりつつあったし、呼吸もゆっくりではあるが確認できる。
 だが、眠り続けていた。
 速水は、あの日以来舞のそばをなかなか離れようとせず、飽かず舞の顔を眺め続けている。その表情は穏やかではあったが、どちらかといえば幽明の境を越えてしまったかのようでもあった。
 岩田も、萌も、彼には何も言わぬ。ただ二人は舞を見舞い、彼女に栄養剤を注射し、脈を取り、そして立ち去っていく。
 そんな生活が、ひょっとしたら永遠に続くのではないか、そんなふうに思われ始めた朝だった。

 朝の光が、この部屋にも差し込んできた。
 速水はベッドサイドの丸椅子で、さすがに疲れが出たのか、うたた寝をしていたが、何か物音がしてはっと目が覚めた。
 衣擦れの音だ。
 速水はベッドに掴みかからんばかりの勢いで駆け寄ると、舞を覗き込んだ。
 舞が、かすかに身じろぎをしたのだ。
「あ、う……」
 緊張のせいか、速水の喉はまるで働くことを忘れてしまったようだ。舞が再び身じろぎをした。
「ま、い……?」
 ささやくような声だった。大声を出したら、二度と目が開かれないのではないかと恐れるような、そんな声だった。
 やがて、まぶたがかすかに動いたかと思うと、その目がゆっくりと開いた。今だうつろな瞳が速水を捉える。
「あ、ああ……」
 しばらくの間、二人ともピクリとも身動きをしなかった。空気も凍るような緊張が張り詰める。
 徐々に、舞の目の焦点が合ってきた。今一度目だけをめぐらし、速水を見つめなおす。
「舞、僕だよ。僕が分かる……?」
 舞はなおも瞬きもせずに速水を見つめていたが、ふいに舞の瞳にふつふつと熱いものが盛り上がり、零れ落ちた。
「あ……」
 小さな声だった。喉も不自由なのかかすれるような響きだったが、それは確かに舞の声だった。
「舞……」
 思わず舞の手をそっと握り締めた。速水の頬は涙に濡れ、頬を伝って舞の手に落ちかかる。
 舞の唇がわななくようにふるえ、一語、また一語と確かめるように動かされる。
 それは、こう言っていた。
 あ、つ、し。
「舞っ……!!」

 芝村舞の時間が、今ここに再び動き始めたのだ。


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