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終戦(その2)


「閣下、予定の五分を過ぎました」
 佐倉の報告に、準竜師は時計を見た。
 ――そろそろよいか。
「よかろう。回収第一班前へ」
「まえへー!!」
 号令とともに、アサルトライフルを構えた歩兵がゆっくりと歩き出し、後方にいた装甲車のエンジン音が大きくなった。
 だが、数歩も行かないうちに、兵士たちは意外な姿を見ることになる。
「お、おい、あれを見ろ!」
 一人の兵士が指差した先には、巨大な人型がのっそりと校舎の影から姿を見せようとしていた。その後方からは数名の学兵らしい姿が、手に銃を持ちながら何かわめきつつ追いかけている。
 兵士たちが呆気に取られていると、士翼号は急にスピードを上げて駆け始めた。進路は明らかに第二特務大隊へと向かっている。慌てて応戦しようとした兵士もいたが、次の瞬間それは彼らを襲った銃火に阻止されてしまった。
いや、違う。
その射線のいくつかは明らかに士翼号を狙っていた。小銃弾が数発ボディにも着弾したが、士翼号はそんなものなど気にする風もない。むしろ、あまりにも下手糞な奴が撃っているのか、銃弾のかなりの部分は特務大隊の前縁部に着弾している。
 いかな完全武装とはいえ、状況が分からないままに反撃するわけにもいかず、部隊はその場で釘付けになってしまった。
「報告! 校内より銃撃アリ。五一二一小隊は士翼号と戦闘状態に入っている模様!」
「か、閣下。連中は一体何を……?」
「俺が知るか」
 だが、言葉とは裏腹に、準竜師の目にはどことなく面白がっている光が浮かんでいた。
 そうこうしている間に、ようやく全力機動の準備が整ったらしい士翼号は、あちこちが傷ついているにもかかわらずすばらしい跳躍を見せると、軽々と塀――どころか周囲の家屋も軽く飛び越してしまった。
 ようやく特務大隊からも数条の火線が伸びたが、そのままでは民家に当たる可能性があったために、早々に打ち切られてしまう始末であった。
「くそうっ! 逃げられたか!」
「全く、脱走とはいい度胸してやがるぜ」
「だっそうはめーなのよー」
 息を切らせつつ、五一二一小隊のメンバーが駆け込んできたのはちょうどその時だった。彼らは手に銃を持ちつつ、今初めて特務大隊に気がついたかのように驚いた顔をしてみせ、やがて一列に整列し始めた。
「善行、何の騒ぎだ、これは?」
 準竜師に対して一斉に敬礼すると、善行が代表するように一歩前に出て、朗々とした声で述べ立て始めた。
「はっ、申し訳ありません、準竜師閣下、速水千翼長が士翼号回収の命令に背き士翼号を強奪、逃走いたしました。我が隊は総力を上げてこれを阻止せんと抵抗いたしましたが、力及ばず逃走を許してしまいました。この責任、あげてこの善行にあります。部下にはどうか寛大なるご処置を……」
「もうよい」
「は?」
 言葉を中断させられた善行は、まじまじと準竜師を見つめなおした。なんと彼は笑っているではないか。
「善行、貴様は何か勘違いしているようだな。速水千翼長は俺の命により士翼号の廃棄処分に向かった……そうだな?」
「はぁっ? は、いや、その……」
 善行にしては珍しく、彼は完全に混乱していた。いや、それを言ったら小隊メンバーも同様だ。準竜師はニヤニヤとしながらその様子を眺めていたが、
「奴一人では荷が重いかと応援を連れて来たのだが、どうやら必要なかったようだな。佐倉、帰るぞ」
「承知いたしました」
 佐倉は敬礼すると、まるでそれが予め打ち合わせた通りであったかのように撤収命令を下した。
 大隊が次々にきびすを返す中、ひとり五一二一小隊だけがポツンと取り残されたような格好になっている。
「善行。奴が戻ってきたらご苦労、とだけ伝えておけ。それ以上の詮索は無用だ」
 皆は、理由は分からぬながらも彼ら全員が――速水も含めて――お咎めなしらしいということだけは理解できた。
 それぞれの顔にだんだんと喜色が浮かんでいく。
「貴様らは引き続き戦力の回復に務めるよう、以上だ」
 一同は解散した。安心はしたものの、何がどうなったのかはさっぱり分からない。
「結局、俺たちゃ何をやったんだ?」
「さあ……」
後には、善行が一人残っている。
「それでだな、善行」
「はっ」
準竜師は、善行の脇腹に軽いブローを叩き込んだ。善行が目を白黒させていると、
「この下手糞が、演技をするならもっとうまくやるがよい」
 とだけ言って、足早にその場を後にした。

「引き上げるぞ」
「随分とお優しくありませんか?」
「情だ、と言ったらどうする?」
「笑いますね」
 更紗のあまりのいいように、準竜師は一瞬口元を歪めたが、
「……まあ、さすがは芝村のイレギュラーと『最も新しき伝説』ということにしておこうか。運命すらも捻じ曲げ、とことんまで反逆することで俺を楽しませてくれた、ほんの礼だ。……次は、お偉方になんと言ってやるかだな」
 そういった準竜師の口ぶりは、ひどく楽しそうだった。

 そんなこととは知らない士翼号は進路を北にとり、次に西へと方向を変えながら、スピードを落とすこともなくひた走りに走りつづける。
 追手は今のところ、ない。
 全長一〇メートル近い人型戦車が駆け抜けていくのは視覚的には小山が動いているようなものだからものすごい迫力がある。足元のアスファルトはうっすらと足跡が刻まれていく。軍用に強化されていなければ完全にめり込んでいるところだ。
 何事かと人々は突然襲った旋風に目を白黒させているが、それでも、いまだ戦時体制が解除されたわけでもなく、士翼号の姿自体はつい最近の絢爛舞踏がらみの騒ぎで色々と紹介されていたので、不思議がりはしたものの、軍事作戦の一環と見て納得してしまう者もでる始末だった。
「現在時速七〇キロ、さらに上昇……このままいけそう?」
『……大丈夫だ』
 やや間を置いた返事に、速水の胸が微かに軋みを上げる。無茶であることは分かっていたが、少なくとも熊本市内を出なければ安心はできなかった。
 やがて、周囲は町並みから瓦礫と焼け跡の広がる廃墟に変わってきた。
市内でも激戦があったことを示す証左でもある。
 速水は移動を再び跳躍モードに切り替え、さらにスピードを上げようとしていた。跳躍なら多少の障害物など関係ない。
「跳躍、開始!」
 損傷しているとはいえ、士翼号は他に懸絶する機動力を遺憾なく発揮して、大跳躍を開始した。
 二度、三度――。
『!!』
 突然、機体がぐらりと傾いた。速水はとっさにリカバリーをかけたが間に合わず、着地と同時に派手な土煙とともにもんどりうってしまった。
「ぐうっ!!」
 六点ハーネスが速水の身体を容赦なく締め上げる。耐Gスーツも兼ねるウォードレスなしでは、いかに第六世代といえどもこたえた。額の傷がかすかに痛む。
『厚志……大丈夫か……。すまぬ、視界がぶれてしまった』
「舞……」
 舞がこの世から消え去ろうとしている。
 速水は今こそそれを痛いほどに実感していた。
『現在バランサー回復中、もう四〇秒よこせ』
 再び士翼号は立ち上がりはした。だがそれは今までと比べてはるかに安定性に欠けているのが一目で分かった。
『待たせたな……行くぞ』
「でも、まだちゃんと戻ってないじゃない!」
『私のせいで、そなたに何かあるなど許せん、先を……』
「待てっ!!」
 速水が吼えた。それはかつての叫びなど児戯であるかのような、心からの獅子咆だった。
『あ、厚志……?』
「舞、僕は君になんて言った? 僕は君を助ける、必ずだ、そう約束した! そのためなら多少の無茶も仕方ないとも思った……。でも、僕が残り、君がいないのでは意味がない!」
『……』
「君のために世界を失うことは我慢できても、世界のために、ましてや僕のために君を失うことなど我慢できない! 僕らは、最初から失われるために出会ったとでも言うつもりか? そんなのは、嫌だ! 僕は、そんな運命になど断固として反逆する! バランサーをマニュアルに変更、サブ制御システム始動。舞は走行の把握だけに注力」
『……』
「舞!」
『……分かった』
 データ配分が変更され、バランサーが速水に回された。
 再び駆け始める士翼号だが、さすがに先ほどまでの流麗さは失われていた。
 ――くそっ、動け、動けっ!
 速水は全身の神経を腕に集中した。汗が容赦なく目に流れ込み、視界がにじむ。
『厚志! ……?』
 その時舞は、速水の肩に再び何者かが乗っているのに気がついた。
 ――イトリ!
「またお会いしましたね。竜の件、お見事でした」
 ――イトリよ、今我らは忙しい。何かあるなら手短に願えぬか?
「はい、承知しております。ですがいささか難儀なされているご様子。火の国の宝剣よりことづかりし餞別、お受けくださいませ」
 ――餞別だと?
 イトリはにっこりと微笑むと、すい、と姿を消した。と、次の瞬間、突然、士翼号の機動がふい、と軽くなった。
「うわっ!? ま、舞。何が起きたの?」
『さあ、な……』
 だが、舞はイトリのもたらした「餞別」を目にし、半ば絶句していた。まるで巨大な蒼い羽根のような光が士翼号を支え、後押しをしていたのだ。
 突如、士翼号の肩口にイトリが現れた。
「お気に召しましたか?」
 ――イトリ……。ああ、存分にな。
 それを「聞いた」イトリはにっこりと微笑むと、舞に一礼しながら再び虚空に消えた。

 同日 〇九〇〇時
   県内某所

 その頃岩田は、最終段階にかかろうとしていた。
 緑色の液体が充填された水槽の中では、長い黒髪の少女らしき身体が横臥の姿勢で浮かんでいた。
「頚椎や脊椎はまあよし……。萌さん、内臓系のチェックを」
「了……解」
 萌の指がいくつかのキーを叩き、ディスプレイに次々と結果が表示されていく。
「各部……異常……を認めず。生成……率……九六%」
 ――こっちは順調か。
 岩田は再び水槽――培養層を眺めた。完成にはまだ数日かかろうが、通常数ヶ月は必要な成体クローンをわずか数週間でさせたのだ。いくら素体にアルラウネを使用したとはいえ、これは驚異といっていい。これは岩田の非凡な手段を証明するものではあるが、彼の表情は晴れなかった。
「……己の力量を過信するほど愚かなことはないというのに、僕も所詮は莫迦の一人ということですか」
「裕君……」
 自分がどんな顔をしているか気がついた彼は、瞼を微かに痙攣させると萌に振り返った。
「ああ萌さん、そんな顔をしないでください。まだ僕はあきらめたわけじゃありません。続いて監視を頼みます」
「ええ……」
 萌はなおも心配そうな目を岩田に向けていたが、やがてモニターに向き直ると監視を再開した。今の彼女にできることはそれくらいしかなかった。
 岩田は心の中でスイッチを切り替えると、作業を再開した。少なくとも速水たちと合流するまでにはまだ数日の余裕がある。その間に何らかの解決法があるかもしれなかった。
 それが空しい望みでしかないことは、誰よりも岩田自身が良く認識していた。
 だが、その余裕が岩田に与えられることはなかった。

 突然、萌の前のコンソールがけたたましい音を立てた。
『暗号コード……受信。……一致……しました』
「萌さん、メインパネルにつないでください!」
 萌は素早く対応する。ここに通信を求めてくるなど一人しかいなかった。
 たちまちモニターに士翼号の機内が映し出されるが、それがやけに薄暗いのに岩田は気がついた。
『こちら速水、岩田君聞こえる?』
 岩田はマイクを取り上げた。ここは本来の用途が用途だけに、秘匿性については問題ない。
「こちら岩田。一体何があったんです?」
『準竜師の手が回った。士翼号が回収されそうになったので脱出したんだ』
 岩田は舌打ちをかろうじてこらえた。
 ――なかなかどうして手が早い。
『現在位置はポイントBまで五キロの地点。今のところ追手は振り切ったけど、士翼号がもう動けない。舞が……』
「速水君!? 芝村さんがどうしました?」
 返事は涙声だった。
『舞が、また気を失ったんだ。段々間隔が早くなってきている。今も返事がないんだ!』
「速水君、あなたが動揺してどうするんです。すぐに行きますから機体を確保しておいて下さい!」
『……了解』
 唐突に通信は切れた。
「萌さん、ユニットキャリアーの準備を。すぐに出ます。あとは電源を一緒に」
『分かっ……たわ』
 萌は緊張した表情で頷いた。
「あなたはここで待機、受け入れ準備をすすめてください」
 それだけ言い残すと、岩田は駐車場へと急ぎ走っていった。

 現場は惨憺たるありさまだった。
 痛んだアスファルトがあちこちでめくれあがり、飛散した破片が周囲にばら撒かれている。士翼号は右肩を半ば路肩にめり込ませ、木にもたれかかるように停止していた。
 岩田は急いで士翼号に取り付くと、操縦席の非常解放ボタンを押した。間の抜けた音と共に爆破ボルトが作動し、胸部のハッチが吹き飛ぶ。
「岩田君!」
 コックピットからもがくように速水が這い出してくる。ウォードレスを装着していないからあちこち擦り傷だらけのようだが、とりあえず動くのに支障はなさそうだ。速水の安全を確認すると、岩田は小さく息をついた。
「それにしてもなんというか、派手なご到着だことで」
 岩田はわざとおどけたような口調で振舞った。その意図を察したのか、速水は思わず苦笑したが、その顔は痛ましさしか呼び起こさない。
「歓迎委員会がしつこくてね。……かなりまずいかも」
 速水の顔はわずか一日会っていないだけなのに、これが同じ人物かと思うほど頬がこけている。目だけが異様に輝いているその異相ともいっていい顔は、心中を察して余りあった。
 岩田は冷徹な科学者の顔を取り戻すと、急ぎ中枢ブロックに取り付き、ハッチをこじ開けた。一見したところ破損らしきものは見当たらないが、油断はできない。
「舞さんの反応は? 呼んでみてください!」
「舞? 舞、聞こえる? 聞こえるんなら返事して、舞っ!」
 しがみつくように速水がコミュニケータを怒鳴りつける。
 すぐに、反応はなかった。
 速水の心臓は何かに掴まれたかのように痛んだが、少ししてそれは安堵に変わった。コミュニケータをオープンに切り替えると、舞の声があたりに流れ出した。
『騒ぐな、聞こえておる。……着地寸前に意識がブラックアウトした。頻度もかなり上がっている。岩田よ、やはり予想以上に症状が進んでいるということか?』
「その……ようですね」
 苦しげな表情から事態を把握した速水の表情が暗くなる。
 ――急がせすぎたか……。
「やむを得ません。捕まるわけにはいかないんですから。あなたの判断は正しいですよ」
 断定的な口調に、速水は顔を上げた。
「本当に?」
 岩田は黙って頷いた。
「芝村さん、中枢ブロックのロックを解除してください」
 待つほどもなく反応があり、中枢ブロック――舞の精神情報が収められているユニットを覆っていたカバーが次々に開かれ、ユニット本体があらわとなる。
「さて、問題はここからです。今までは曲がりなりにも士翼号という『肉体』を通じて外界と接触がありましたが、これから先はその接触を全て切り、作業が始まるまで眠ってもらうことになります」
「どうして?」
「このまま士翼号に入れておくわけには行きませんし、外部の反応を得られない人間の精神は、ひどくもろいものです。それに、ただでさえ情報の欠落が起きている可能性のある精神を覚醒させておくことは、どんな悪影響があるか分からない。余計な負荷をかけないために必要な措置なのです」
 しばし、沈黙が落ちた。
 理屈はわかる。だが、それは舞を再び暗黒の中に突き落とすことになるのだ。
 数瞬のためらいはあったが、速水はコミュニケータを引き寄せると、
「約束する、きっと君を連れ戻すよ」と、ささやいた。
『気にするな。……その、そなたの心遣い、嬉しく思うぞ』
「うん……。それじゃ、おやすみ」
 それを最後に、舞からの反応はなくなった。アイカメラも光を失っていく。どうやら、自ら停止状態への移行を開始したらしい。
 ――まったく、大したものですよ、あなたは。
 岩田はかすかに賛嘆の声を漏らすと、後はもう振り返ることはなかった。
「キャリアーをここへ持ってきます。速水君、コックピットへ行ってください」
「分かった」
 コックピット内は静かだった。既に大半のシステムは停止状態となっていたが、速水は緊急システムの赤いボタンを押し込んだ。左端のモニターだけが小さく灯り、入力を待っている。
「士翼号メインシステム、データゲート閉鎖、ユニット切り離し用意」
 速水は素早くコードを打ち込むと、キーを押し込んだ。立ち上がって外を見ると、岩田が合図を送ってきた。
「全神経系接続解除、ユニット保護ロックオープン。強制……排除」
 実行と同時に情報ユニットがせり上がり、岩田の目の前に姿を見せた。彼は維持用の予備電源を素早くつなぐと、聖杯を掲げるような慎重さでユニットを引き出した。
 この瞬間、士翼号のほとんどの機能は失われた。
 ユニットが慎重に、だが素早く運び込まれるのを確認してから、速水は指をキーボードにかけた。
「君のおかげで、舞は存在できた。情報を失ったのも君のせいかもしれないけど、今は素直に感謝してる。ありがとう……そして、さようなら」
 モニターの隅でシンボルが小さく明滅するのが、まるで士翼号からの挨拶のようだった。
 速水は意を決すると、最後のコマンドを入力した。
「自爆装置、セット。タイマー作動」
 コマンド実行と共に急に音が静かになり、コックピットは再び真っ暗になった。
 速水は地面に飛び降りると、岩田の後を追って車に乗ろうとし――最後に一度振り向くと、士翼号に向かって深々と頭を垂れた。

 二人が立ち去ってからしばらくして、はるか彼方で巨大な火柱が立ち上った。
 士翼号は微笑を浮かべたまま、永遠の眠りについたのだ。


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