終戦(その1)
一九九九年五月七日(金) 二二〇〇時
生徒会連合 参謀長執務室
静かな夜だった。これほどに静かな夜は一体何ヶ月ぶりだろうか。
ただ襲撃がないというだけではない。
「気配」が違うのだ。
いつもなら、夜の帳が降りると人々は外の暗さにおびえ、戸を固く閉じ、幻獣警戒警報が鳴らないことを祈ってただひたすら夜を過ごすのだが、それも今日は感じられない。
全てのものが、まるで安息を訪れたことを知るかのように、町は静まりかえっていた。そこここに立つ外灯すら力強く輝いてるように見える。準竜師は、手にグラスを捧げ持ちながら、その風景に見ていた。
彼は先ほど、五一二一小隊から尚敬高校に現れた竜が倒された旨の報告を受けたばかりだった。
『報告は以上であります』
「よろしい、貴様らは現地点に待機、機能の復旧と可能なれば戦力の再編に着手せよ。出撃のことは考えなくて良い」
もし報告が本当なら、今後、幻獣相手の出動はないだろうが、もちろんそんなことは準竜師は口にはしない。
『了解しました。それで、狩谷十翼長の件ですが……』
善行の声が随分と慎重なものになる。幻獣共生派、あるいはその協力者に対する刑罰はほとんど決まっている。
「放っておけ」
『……は?』
「抜け殻になぞ興味はない」
そう表現するところで己の意図を表現した準竜師は、モニターを見つめなおした。
『……了解いたしました』
善行は無表情のまま、敬礼してみせた。
先ほどのやりとりを思い出し準竜師は薄い笑いを浮かべた。グラスの中身を一口飲む。
――善行め、奴でも困惑という言葉は知っていたか。
芳醇な香りが鼻をくすぐり、かっと焼け付くような酒精がゆっくりと喉をすべり降りていく。
余韻を楽しみながら、腕を組み、しばし考え込む。
「これで、世界は平和になりました、か……。ふん、ばかばかしい。だが奴は確かに運命を変えてみせたのだ。それは認めざるを得んな」
準竜師は、自分の言葉に薄い笑みを浮かべた。それはやがてはっきりと声を出した笑いに変わっていく。
実際、彼は大変に機嫌がよかったと言っていい。やがてそれは大きな哄笑に変わっていった。
「ははは、はは、はは……。あやつらがやりおったか。これだからイレギュラーは面白い……、いや全く笑わしてくれる」
なおもしばらくの間準竜師は笑い続けていたが、ようやくに笑いを収めるとどっかりと座席に腰掛けた。
「ずいぶんとご機嫌ですね」
いつの間にかドアを開けて入ってきたのは、副官の更紗だった。声にはいささか呆れが混じっている。
――この人がこんなに笑うなんてね?
更紗は黙ってグラスに追加を注いでやりながら、そんなことを考えていたが、原因など一つしか思い当たらなかった。
「彼らはずいぶんと頑張ったようですね」
「まあな。そいつを認めてやってもいいだろう。だが、いささかやりすぎたかも知れんな」
更紗は黙ってうなずいた。
「どうなさいますか?」
「出る杭は打たれるのは当然ではないか?」
更紗は何も言わなかったが、何となくその口元にからかいが張り付いているような気がした。準竜師はいささか憮然とした表情しながら通信をつなぐよう指示する。
やがてスクリーンには、中肉中背の男の姿が映し出された。
『第二特務大隊、佐倉中佐であります』
「俺だ、準備をしておけ。以上だ」
『はっ』
スクリーンが再び暗くなる。
「司令部は何をしている?」
「まだ事態を把握していませんね。それは自衛軍もご同様といったところですが」
「ふん、ま、そんなところだろうな。だからこそ我らが動く意味がある。……明日は忙しくなる。準備はいいか?」
「はい。……閣下」
「なんだ」
「明日はどちらに参られますか?」
意外な質問に、準竜師は少しだけ目を見開いた。更紗が彼の本意をつかんでいるのかどうか一瞬疑うような目をしたが、それは間もなく理解に変わった。
「……決まっている、尚敬高校だ。我らにもなすべきことがある。そうではないか?」
「そうですわね。……こちらが明日の作戦計画書です。よろしければサインを願います」
準竜師は紙束を受け取ると、ざっと目を通し、無造作にサインを入れた。
更紗が執務室を出ていった後、準竜師は、少しだけドアの方を睨みつけ、それから盛大に鼻を鳴らした。
「ふん、俺もあやつのことを笑えぬか……」
同日 二三三五時
五一二一小隊ハンガー跡
すっかり夜もふけ、あたりは真の闇に包まれていた。昼間の戦いで半壊した女子高校舎にはごく一部を除いては明かりもなく、しんと静まり返っている。
今のところ、熊本県下のどの地域でも幻獣警戒警報は発令されておらず、学兵たちも静かな夜を過ごしていた。尚敬高校の生徒たちも、ベースたる学校がこのありさまではどうしようもなく、自宅待機が命ぜられたらしい。
だが、それと対照的に五一二一小隊のプレハブ校舎や、ハンガー跡地のあたりは臨時の照明車が用意され、まるで昼のように煌々と照らされていた。
「おーい、そっちはどうだぁ?」
「ちょっと待て……。ん、こいつは使えそうだな」
いまや抽象芸術の塊となった感のあるハンガーでは、いまだいがらっぽい空気の残る焼け跡の中を幾人もの小隊員がうろつきまわり、使えそうなものを回収していた。
そして、焼け跡からやや離れたところには、竜との戦いをくぐりぬけた士翼号が立っている。
あちらこちら傷つき、破孔を穿たれてはいたが、その雄姿はいささかも損なわれるものではなかった。
とはいえ、戦闘終了時には立っているのすらやっとだった士翼号は、応急仮設の整備台にもたれかかるように係留され、焼け残った部品をかき集めて総がかりの修理が行われていた。
竜を倒したとはいえ、今のところ状況に変化はない。巨大な変化ほどすぐに気づかない、ということは往々にしてある。
結果、小隊としては命令どおりに戦力の回復にいそしむことになるのだ。
例えその姿がゴミ拾いと同義であったとしてもだ。
「部品、見つかりました。これなら使えそうですね」
「そうだな。……おぉい速水、この調子なら右脚、どうにか直りそうだぜ。ま、もちっと時間がかかりそうだけどよ」
「わかった。……ごめん、滝川だって怪我してるのに」
「なぁに、こんなの大したこたねぇよ……あ、痛たた……」
腕を大きく振り上げかけた滝川は、鋭い痛みに顔をしかめた。滝川は昼間の戦いで竜の気をそらした攻撃を敢行、反撃で壁に叩きつけられあばらにひびが入っていたのだ。
「ほら、だから無理しないでって言ったのに」
「なぁに、お前の痛みに比べりゃ、軽いもんさ……すまなかったな、親友」
その言葉に、ちょっと虚を衝かれた速水だったが、やがて彼の顔に明らかな笑顔が浮かんだ。
「ああ、ありがとう」
「へへっ。しかしよ、まさかこれに芝村がいるなんてな……」
滝川は少し真面目な顔になると、不思議そうに士翼号を見上げ、小さく息をついた。生身の人間だったものがこの中にいるなどと言われても、にわかに信じられるものではない。
「でよ……。こいつ、これからどうすんだ?」
頭に軽く包帯を巻いた速水の表情は一瞬硬くなったが、やがて困ったような苦笑を浮かべた。
「さあ、ね……。ともかく今は直すだけさ」
「あ、そ、そうだな……。すまねぇ」
周囲から睨みつけられて、ようやく自分の言った言葉の意味を理解したらしい滝川は、ばつの悪そうな表情を浮かべると再び作業に戻っていった。
――これからやろうとしていることを知ったら、滝川、なんて言うかな?
滝川の背中を見ながら、速水はそんなことを考えていた。
一九九九年五月八日(土) 〇一五〇時
士翼号仮設整備台
しばらくすると、なんだかんだとにぎやかなグラウンドにも再び静寂が訪れてきた。いつもならまだ遅いというほどの時間ではないが、今日は場合が場合だ。
士翼号の修復にもある程度の目処が立ったこともあり、善行は全員に帰宅命令を出していた。
「じゃあね、滝川。今日は静かに寝るんだよ?」
「ああ、悪りぃな。ふ、ふあぁあ……。じゃあな」
「お休み」
「速水君、その……まだ帰らないんですか?」
背後からの声に振り返れば、そこには森がやや上目遣いになりながら立っていた。速水は一瞬言葉に詰まったが、かろうじて朗らかといっていい表情を浮かべる。
「ああ、もう少しでめどが立ちそうだから、それだけ済ませちゃうつもり」
「……そう、ですか。とっても、大事なんですね」
「ああ。ええと、その……」
「何も言わないでください」
なんと言っていいものか困惑していると、森は意外に強い声で遮った。口元には微かに笑みが浮かんでいた。
「?」
「今はもう恥ずかしくって仕方ないです。自分ですごく勘違いしていたんだな、って……。でも、これからもよろしくお願いしますね」
森が手を差し出すのを見て、速水は森の顔と手に等分に視線を振り向けたが、やがて笑顔を浮かべると、そっと手を握り返した。
「あ、ああ……こちらこそよろしく」
「よかった。じゃあ私はこれで。早く寝ないとお肌にも良くないし、また明日からがんばらないといけませんし!」
「そうだね。それじゃ、お休み」
「おやすみなさい」
軽く手を振って駆け出した森は、一度だけ士翼号を見上げた。士翼号もカメラアイを向け返している。
――おしあわせに――
唇だけで言葉を形作ると、今度こそ森は勢い良く駆け出し、もう振り向こうとはしなかった。
既に周囲には誰もおらず真っ暗闇でもあったので、森が目元にそっと手をやったのは誰にも知られることはなかった。
森を見送りながら、速水は背後にかすかな気配が生まれたのを感じ、ゆっくりと振り返った。先ほどより笑顔は硬い。これはもう仕方がなかった。
待つほどもなく、岩田が闇からにじみ出るように現れる。それを見ながら速水はいつもの疑問を思い浮かべた。
――いつも思うんだけど、どうやって行き来してるんだろうね?
「いけませんネェ。恋人の目の前で愁嘆場というのは」
「? なんのことさ?」
「……分からなければいいんですよ」
きょとんとした表情を浮かべる速水を見て、岩田は芸がすべった芸人のような表情を浮かべていた。まあ、事実も似たようなものだろう。
とりあえずくるりと一回転してから白衣の襟元を正すと、速水をひたと見つめなおした。
「どうやら乗り越えましたが、これからが本番ですね」
「向こうの様子はどう?」
「基礎育成から促成――いや今回は速成ですか――にかかりました。まあ、今のところは順調と言っていいでしょうがあまり無茶もできないので、二、三日は最低欲しいところですね。……それでも、充分危険なんですが」
速水はかすかに眉をしかめた。やむを得ないこととはいえ、はいそうですかと簡単に容認することもできない。
「どうしようもないの? なるべくなら急ぎたいんだけど」
「急がば回れ、ですよ」
岩田は無表情のままそう言い放った。
――彼がそう言うのなら、それ以上は難しいんだろうな。
納得はしないが理解はできた速水は、小さく頷いた。
「それより士翼号の調子はどうですか? こちらがどうにかなっても、持ってこれない分にはねえ……」
「手ひどくやられているし部品も不足してるけど、みんなも手伝ってくれたし、一応は動くよ。完璧にはまだまだだけどね。こっちも本調子まで二、三日かな。」
岩田は小さく頷いた。
「覚悟はいいですか?」
「今更、答えるまでもないことだと思うけど?」
「……違いないですね」
岩田はけれんみのない笑みを浮かべると、再び闇の中へと消えていった。
叛乱
一九九九年五月八日(土) 〇九〇〇時
プレハブ校舎前
尚敬高校は静かな朝を迎えていた。
女子校はまだ再建のメドが立たず、生徒たちは自宅待機を続けていたし、小隊もこれまた戦力回復のメドが立たず、かといって授業するでもなく、実質自習の状態が続いていた。
「ふあ〜あ、眠てぇなぁ……」
滝川は窓辺に寄りかかりながら、大きなあくびをした。
「どうしたの滝川、寝なかったの?」
「いや、そういうわけじゃないんだがなんか寝足りなくてよ」
速水は、余りに正直過ぎる滝川の返答に思わず苦笑を漏らした。それに何か返事を返そうかと考え口を開きかけたとき、教室のドアが乱暴に開けられた。
顔を出したのは瀬戸口だった。いつもの彼に似合わぬ慌てた様子に、教室にいた面々は顔を見合わせた。
「おい、大変だ。外を見てみろ!!」
瀬戸口の指さす方角を見て、誰もが絶句した。
尚敬高校の車両搬入口に、数台の装甲車が列をなして並んでいた。その後方には戦車らしい砲身がこちらを睨みつけている。いずれも生徒会連合の都市迷彩に身を包んでいた。
『こちらは生徒会連合第二特務大隊である。生徒会連合九州総司令部の命により、これより士翼号の回収を行う!』
ラウドスピーカーの声に、誰もが困惑を浮かべる。
「な、なんだってんだ一体!?」
『抵抗する場合は実力をもって排除せよとの命令を受けている。小隊は直ちに当方の指示に従え。五分待って応答なき場合は、強制執行を開始する!』
「……本気のようですね。あれは学生が持つには過ぎた持ち物、誰かがそう考えたみたいですね」
善行の冷静な一言に、周囲の視線が集まった。
「私たちが一体何をやったというんですか!」
壬生屋の声に善行は黙って首を振った。
「連中は何をやったかより、何ができるかを重視したのでしょう。あるいは小隊そのものが邪魔かもしれませんね」
だが、善行にしても疑問は残る。昨日の戦いなど軍にとってはあまたある戦闘の一つでしかなく、ましてやその意味など知る者はまだほとんどいないはずだ。とすれば。
――準竜師、冗談にしてはちょっと度が過ぎませんか?
あるいは本気でそう考えたのかもしれないが、小隊にとって結論は大して違いはない。
このやりとりを、速水はまるで他人事のように聞いていたが、頭の中では音を立てそうなぐらいの勢いで、ありとあらゆる思考が渦巻いていた。
士翼号の回収など、予想された選択肢の一つでしかなかったが、ここまで素早く動くとは彼も予想していなかった。
むろん、このままでは士翼号は永久に速水の手を離れてしまう。連中は自分の力を削ぎにかかりたいはずだから、そのくらいは平気でやるだろう。
ただし、まさか彼も自分が過剰反応しようとしているとまではさすがに考えなかった。よって、彼の結論を止めるものは何もない。
――ならば、これしかない。
速水は立ち上がると、物も云わずに駆けだした。
「オ、オイ、速水!?」
周囲の制止の声も聞かず、速水は一目散に士翼号にとりつくと、急いで中に飛び込んだ。
コックピットは既に起動されていた。
「舞、士翼号緊急出動準備、できる?」
『……可能だが、現在の出力は最大時の七五%だ。各部の動作状況を表示する』
速水のリストにざっと目を通した。予想よりはまだましだ。
「わかった。……もう少し何とかしたかったけど、こうなったら仕方がないね。行くよ」
『うむ……くっ!』
「どうしたの!?」
『……発作の間隔が短くなってきている、あまり長いことはないかもしれぬ』
舞の声は冷静だったが、告げている内容は恐るべきものだった。舞の情報が刻一刻と士翼号に吸いとらえているのだ。
もしかしたら、魂そのものも――。
「舞、もう少しだ。もう少しだから……頑張って!」
『わかっておる。ここで消えなど……せぬ』
「士翼号緊急起動、チェックリストAからSをパス! セキュリティフルスルー! 直結する!」
相当に無茶な機動だった。寝起きの人間が全力で運動するようなもので、それが良い影響を与えようはずがない。
だが、舞は黙って全てのゲートを一斉に解放した。
周囲を圧する激しい機動音とともに、仮設で組み上げていた整備台がバラバラと崩れ落ちる。慌てて飛び出してくるクラスメートたちには目もくれず、士翼号は昨夜貼りつけたばかりの超硬度大太刀を乱暴に引き剥がした。
息を切らせて駆けつけた滝川が、士翼号を見上げた。
「お、オイ速水、お前、一体何をする気なんだよ!?」
『舞を、救う』
速水はそれだけ答えると、全力疾走を開始すべく、最後のチェックに入った。もう士翼号が起動したのは気づかれたかもしれないから、ぐずぐずしているわけにはいかない。
――また司令に迷惑かけちゃうな。
モニターの隅に、善行たちが駆け寄ってくるのを見て、速水は苦笑を浮かべつつ首を軽く振った。
「速水君!」
『司令、僕は武装解除するようにとの司令からの命に背き、小隊を離脱します。これなら少なくとも小隊を積極的に攻撃する理由はなくなるし、絢爛舞踏たる速水厚志は抗命罪を背負った単なる犯罪者でしかないわけです。軍のお偉方とやらもさぞ安心することでしょう。……まあ、その程度で僕たちを止められると思わせておけるなら簡単なんですがね』
「それでは君は、軍に絶好の処刑の条件を与えることになってしまいますよ?」
『あんな奴らに簡単にやられる僕だと思いますか?』
「恐らく無理でしょうね。たとえ一個連隊が束になってかかっても、あなたに叶うとは思えません。でも、連中が持っているのは、戦力だけではないのですよ?」
『僕も芝村の一人です』
速水の返答は簡潔をきわめていた。これには善行も苦笑せざるを得ない。
皆が善行を注視していたが、彼はいたってのんびりと顎を掻きながら士翼号を見上げ、
「なんというか、こう、やる事が派手ですね」
と、茶飲み話のように言うではないか。これにはみなも呆れたような表情を浮かべる。
「ちょっと、のんびり笑っていていいの?」
小声で原の指差した先には、先ほどの砲列がずらりとこちらを睨みつけていた。今だ行動に移っていないのは不思議だったが、時間がないのには変わりはない。
「そうですね……。総員、戦闘準備にかかれ!」
「せ、戦闘? 司令、一体何と……? まさか、あの部隊と戦おうってんですか!?」
きょとんとする滝川に、善行は凄みのある笑顔を向けた。
「もちろん、事態を鎮圧するんですよ、決まってるじゃないですか? 五一二一小隊戦闘準備! 目標……士翼号!」
「え、で、でも……」
周囲に大きなざわめきが走る。司令は自らの手で士翼号を沈めるといったのだ。驚くなというのは無理な話だし、何より現実を全く無視している。
「司令! 気でも違われましたか? 私たちに彼をどうにかできるわけがありません……ましてや、彼を倒したいなど思うとでも!?」
壬生屋は抗命罪覚悟で怒鳴ったが、善行は動じない。
「ここで先に、連中に攻撃させたほうがいいとでも思っているんですか? それこそ彼のチャンスはなくなりますよ。……今は、少しでも時間を稼がなければいけません。……何をぐずぐずしている! さっさと準備せんか!」
若宮でさえ首をすくめそうな大喝に、何がなにやらさっぱり分からないながらも、皆はリテルゴルロケットでも抱えたような勢いで走り去った。
その間にも士翼号は出撃の準備を整えていく。
数十秒もしないうちに、数人がアサルトライフルを抱えて戻ってきたが、こんなものでどうにかなるとはとても思えなかった。
善行は準備が整ったのを確かめると、マイクを取り上げた。
同時に原が録音のスイッチを入れる。
「速水君、速水君聞こえますか? 君のやっていることは軍に対する明白な違反です。直ちに機体から降り、投降しなさい。これは命令です。投降せねば攻撃します」
『どうぞ』
――なんだよ、結局戦うのか!
司令がどうやら速水を見捨てる気なのだと思った皆の間に、敵意と反感が充満していく。
だが次の瞬間、善行は意外なことを言い出した。
「分かりました。整備班長、録音やめ。……さて、これで連中に対する言い訳は出来ました。速水君、これから我々があなたを攻撃します。士翼号ならライフル弾ではどうという事もないでしょう。それで連中が混乱した隙に……逃げなさい」
皆はあっけにとられ――そして理解した。確かに善行は時間を稼ぐつもりなのだ。しかも小隊の安全を確保しつつ。
『司令……』
呆気にとられたような速水の声に、善行は、
「……成功を祈ります」とだけ答えた。
士翼号の手が上がり、やがてそれは敬礼の形をとった。
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