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絢爛舞踏


 一九九九年五月六日(木) 〇五二〇時
   尚敬高校

 いささか初夏めいた日差しも差すようになった熊本市内ではあったが、さすがにこの時間ともなればまだまだ肌寒さを残している。
ようやく明けきろうとする空の下、薄もや漂う路上を速水は足早に歩いていた。登校時刻にはかなり早いが、昨夜遅くに届いたメールがそれを要求していた。
 まだ誰もいない校門を抜けて、速水は一路小隊司令室に向かうが、驚いたことに部屋には明かりが煌々とともっていた。
「速水千翼長、入ります」
 かすかないらえにドアを開けると、中からむっと湿った生暖かい空気が流れ出す。その空気に顔をしかめていると、
「ご苦労様です」と声があった。
 司令席に腰かけていた善行は、速水を認めると小さく微笑んだ。目の下にかすかにくまが浮いている。
「司令、徹夜だったんですか?」
 窓を開けながら速水はつとめて軽い口調で質問していたが、何の用であったかは察しがついていた。
「ええ、まあね。……そろそろ時間ですね」
 その言葉に答えるかのように、無線機の着信サインがなり、モニターが点灯した。
『こちらは生徒会連合九州軍参謀本部です。速水千翼長?』
 モニターに出たのは更紗だった。
 受信した善行は、速水に目顔で促した。向こうも交代したようだ。たちまち陳情で見慣れた顔が姿を現す。
『俺だ』
「準竜師? ……おはようございます」
『芝村に挨拶はない。……まあいい』
 一呼吸置いた後、準竜師はいつもの口調で喋り始めた。
『朝早くから悪いが、いいニュースだ。昨日……いや今朝早く、大統領がお前に絢爛舞踏章を出す手続きに入った。今から三時間もすれば、テレビ発表が行なわれるだろう』
「はあ」
 我ながら間抜けな声だと、速水は思った。
『……なんだ、あまり面白くなさそうだな』
 準竜師の声に変化はない。
『それも当然だな。殺しの技量がうまいことで表彰されるなど変な話だ。そんなに固くなることはない。お偉方にしてみれば、国家の失策を隠すための宣伝材料ができたわけだ』
「国家反逆罪か、抗命罪に問われませんか?」
 善行の質問に、準竜師は莫迦にしたように鼻を鳴らす。
『ふん、盗聴では立件できん。……まあいい。お前は世界で五人目となる絢爛舞踏章授与者というわけだ。お前がやるべきことはたくさんある。……考えることもな』
 速水と善行はそろって目を見開いた。
 ――準竜師は、何を考えている?
「為すべきことを為せ、ですか」
 速水の一言に、準竜師は大声で笑い出した。
『なんだ、分かっているではないか。……その通りだ。まあ、とりあえず目の前にあるのは下らんイベントだがな』
 笑いをおさめた準竜師は、表情を改める。
『これはもう決定事項だ。礼服は持っているな? 演説の草稿はそっちに送る。目を通しておけ。それと、テレビや新聞に先駆けて、宣伝中隊がそちらに向かっている』
 宣伝中隊は軍の記録活動や広報を行なう部隊だ。当然その配下には取材対象の服装やメークの専門家も当然いる。昨今の苦戦を隠すような活動が多いため、『必要とあれば英雄でも作り上げる』と陰で言われることもある。
『化粧をしたことはあるか? ないのならちょうどいい経験だ。存分に味わってみることだな。……まあ、そんなことはどうでもいい。以上だ。式場で会おう』
 何と返答したものか困惑した表情を浮かべる速水を見て、準竜師はニヤリとしながら通信を切った。
 沈黙が部屋を支配する。善行が小さく咳払いをした。
「さて……これからあなたがやることはたくさんあります。女子高の空室を一つ借り切りましたから着替えはそこを使ってください。今日は授業に出る必要はありません。
 ……もっとも、小隊全員が式典に出るでしょうけどね」
 笑う善行に、速水はあいまいな笑みを浮かべた。
「それにしても絢爛舞踏ですか。……速水君、感想は?」
「別に、これといっては……」
「そうでしょうね。あなたは結局あなたでしかない。でも、周りはそう見ないでしょう。……覚悟はいいですか?」
 善行はいつの間にか目に真剣な光を浮かべ、正面から速水の顔を見据えていた。速水も表情を引き締める。
「もう、慣れてますよ」
「違いないですね……。でも気をつけなさい。今度はアルガナとはわけが違う。話も、影響の大きさもね。特に力でしか物事を見ることしかできない者たちは……。絢爛舞踏」
 称号で呼ばれたことに、速水はかすかに眉を寄せた。善行ははっきりとした笑い声を上げた。
「失礼。そう、それがあなたなんですよ。では改めて速水君、気をつけなさい。軍上層部はあなたを脅威に思っています」
 速水は小さく頷いた。
 たかが学兵が絢爛舞踏章を授与した、しかもそれが第六世代であるという事実は、為政者に疑心暗鬼を抱かせるには十分すぎる。速水の一言、一挙手一投足で下手をすれば国家を割った大乱すら引き起こすことすら不可能ではない。
 速水にとっては莫迦莫迦しい限りではあったが、それが絢爛舞踏の名の持つ重みでもある。
 彼にも考えがあるにはあったが、それはあまりに莫迦らしくも感じられたし、今ここで話すことでもない。
 代わりに彼は別のことを口にした。
「どうして、そのことを僕に?」
「さあ、どうしてでしょうね? ……そろそろ連中も着くころだ。教室で待機していなさい」
 敬礼とともに速水が去っていった後、善行は、
「もしかしたら、私もやはり君に期待しているのかもしれませんね……」と小さく呟いた。

 窓の外から、複数の車両が停車する音がかすかに聞こえた。

 同日 一一〇〇時
   熊本県庁大ホール

 どこかで聴いたような演説が、いささかつっかえ気味に聴衆の頭上を流れ去っていく。熊本県庁舎の大ホールでは、速水の絢爛舞踏授与式典が華々しく――戦地にしては――執り行われていた。暗く落とされた照明の中、演壇だけがスポットを浴びて照らし出されており、今はそこで熊本県知事が演説を行なっている。額に脂汗が浮いていた。
 ――これで何人目だっけ? いい加減飽きちゃった。
 普段は滅多に着用することのない生徒会連合第一種礼装に身を包んだ速水は、壇上の人物を無感動に眺めた。
胸には今まで受章してきた勲章やその略綬――無論、極楽トンボ章は注意深く除かれていたが――の中に、先ほど授与されたばかりの勲章がひときわ光を放っている。
 演説といっても、今回は県知事などの県内名士など末席にかろうじてついているだけであり、上座には大統領をはじめとする政府閣僚、軍部高官、そして亡命政権首脳や国連軍連絡武官の姿まで見える。
観客席には県内外の財界人や市民代表、そして生徒会連合首脳部ほか厳選された部隊が参加しており、その中に五一二一小隊の姿を見ることができた。
その様子はあちこちに据えつけられたテレビカメラが、人類領域内の可能な限りの範囲に逐一放送している。
 つまりは、参加可能な軍民の全勢力が集まった格好であり、ある意味残された人類世界に対するデモンストレーションと見ることもできた。
 ――戦争がどうなるか分からないのに、何やってるんだか。
速水は、式典全てがとんでもない茶番に思えて仕方がない。
いや、実際茶番なのだ。
 ――茶番といえば、この格好もねぇ……。
 速水は、今度ははっきりと苦笑した。ただそれは注意深く行なわれたので、傍から見れば自信に溢れた、と表現できるものだったかもしれない(事実、それを見た何人かは、頼もしさと、そしていくばくかの恐怖を胸に抱くことになる)。
 礼服といってもベースは今までの制服とさして変わらないのだが、あちこちに房飾りやら金モールがつけられてなんともごたごたした仕上がりになっていた。
戦争直前に急遽制定されたものなので仕方がないとはいえ、こけおどしにしてももう少しやり方があろう。
 速水があれこれ感想をもてあそんでいる間にも、式典は予定調和のごとくに粛々と進んでいく。
「それではここで、人類の新しい英雄、絢爛舞踏たる速水厚志君を紹介いたしましょう!」
 とたんに割れるような拍手がホールを埋め尽くす。
 速水は肩をすくめたいのをようやくこらえると、見かけは堂々とした足取りで演壇へと近寄っていった。
 壇上から周囲を軽く見渡してみると、群集のどの顔にも熱狂らしきものが張り付いているのが見て取れた。その理由は速水にも分からなくもない。今まで防戦一方の戦況が覆せるかもしれないとなれば、期待するなというのも酷な話だろう。
 だが、それに自衛軍や政府首脳が含まれてくると話が違ってくる。元をただせば現状は彼ら自身がもたらしたものに他ならないからだ。そこへもってきて軍上層部にいたっては、自分を脅威に感じているという。
 ――勝手なもんだよね。まあ、いいや。
 今は準竜師や善行の言葉を胸に飲み込んでおくだけでいい。
 速水は懐から原稿を取り出すと、なんとも無感動に読み上げ始めた。
 ――それにしても、ひどい原稿だなあ。
 最初読んだ時、速水は思わず噴出しそうになった。準竜師が自分をからかっているのではないかと思ったぐらいだ。
 当の本人は観客席の最前列あたりからニヤニヤとこちらを眺めているから、どうもそんな気がする。
 無味乾燥な定型文の後は、やたらと美辞麗句がならんでおり、この原稿によれば自分は世界平和のために粉骨砕身最大限の努力を払ってきたことになっている。リップサービスというやつだが、彼にとっては失笑ものでしかない。
 彼はただ舞のために、そして彼自身のために戦ってきたのであり、決して無責任な期待を受けるためではなかった。
が、口は淡々と用意された原稿を読んでいく。
「……絢爛舞踏章を授与したうえは、究極の目的、世界平和に向けて己の全てをかけて一路邁進することをここに宣言するものであります」
 ここで予定通りに片手を差し上げると、とたんに観客席から歓声が爆発した。
 速水は顔だけはにこやかにそのまま手を振りながら観客を観察していたが、観客の顔に張り付いているのは歓喜や熱狂ばかりでないことに気がついた。
 彼らは、期待すると同時に速水を恐れていた。そしてそれは民間人に限らなかった。
 速水は五一二一小隊の上にも視線を走らせ、すぐにそらす。それは大体彼の予想通りでもあったからだ。
 式典は、アルガナのとき同様速水に何の感慨も引き起こさせずに終了した。

 こうして、速水はついに人類でないものの領域に突入したのだが彼に不安はなかった。
 愛しい者と常に共にあるのだ、何の不安があるだろうか?
 だが、それでもやりきれなさは残った。つい先日までいささか恐れられながらも共に肩を並べてきた戦友の目、演壇から見たあの目はそうそう忘れられそうにない。
 とはいえ、己の歩むべき道を後悔する訳ではないので別に構わなかったが、どうしてこうも態度を変えることができるのか、それが不思議ではあった。
 ただ、彼も聖人君子ではない。
 ささやかな事件が起こったのは、それからすぐだった。

 同日 二二一五時
   五一二一小隊ハンガー前

 最初はほんの偶然行きあっただけの話だった。
 向こうから滝川が歩いてくるのを見つけた速水は、無駄と思いつつも笑顔で声をかけたが、彼は固い表情でやや脇に寄ると、おどおどと頭を下げた。
 速水はかすかに眉を寄せたが、そのまま通り過ぎようとしたが、滝川も何か言わなければとは思ったらしく、
「あ、あの……」と遠慮がちに声をかけた。
「何?」
「あ、その……。俺、頑張れば、あなたみたいになれるかな……なんて思ったんですけど、無理みたいですね。絢爛舞踏が相手じゃあ、かないっこない……な、何か?」
 速水が自分を無表情に眺めているのに気がついて、滝川は体を固くした。
 速水の胸の中で何かが生まれていた。それは純粋なる興味というか疑問であった。舞にはああ言ったものの、その答えを確かめてみたかった。幸い答えは目の前にある。
滝川に歩み寄ると、肩をがっしりと掴んだ。
滝川の体に震えが走り、目には明らかに怯えの色があった。
「何で、そんなこと言うのさ?」
「え、お、俺、あなたになんか失礼なことしましたか……?」
「だからさ、何でそんなかしこまってるの? 僕たちは親友じゃないか? 勲章一つもらって、それがどうしたの?」
「え、で、でも……そんな事言っても、なんか変わってしまったじゃないですか……。俺たちとは住む世界が」
「違わない!」
 自分でも驚くほどの大声だった。
 速水はいつの間にか手に力が入っていたことに気がつき、そっと離した。滝川は肩を押さえながら後ずさりし、速水を恐ろしそうに見ていた。
「僕は変わってない」
 言葉の虚しさを感じつつ、速水は勢いのままに言い放った。
「そりゃ、多少は鍛えたかもしれないが僕は僕だ。速水厚志だ。もし変わったとするならそれは僕じゃなく、君たちの僕を見る目でしかない。ねえ滝川、僕らは親友だったんじゃないの? 君はそう言ったはずだ。親友ってのはそんな簡単に変わるものなのか?」
「しかしよ……」
 滝川は言いさして絶句した。自分を見つめる速水の目じりがかすかににじんでいたような気がした。
「初めてここに来て何も分からなかった時に、君が親友だっていってくれたのは本当に嬉しかった。少なくとも、僕はそう思っていたんだけど……」
 そこまで言って、速水は初めて自分が何を言っているのか気がついた。何かに決別するように目もとを軽くこする。
「……ごめん、別にこんなこと言うつもりはなかったんだ」
 ――本当に、どうしてこんなことを? 答えなどもうとっくに判っていたはずなのに。
「ちょっと、力入れすぎちゃったね。肩、大丈夫?」
「あ、ああ……、あの、その……」
「よかった。じゃあ、僕もう行かなきゃ」
 速水はにっこりと微笑んだが、滝川にはそれがひどく痛々しく見えた。
さっきまでは恐怖しか感じなかったのにもかかわらず、だ。
「じゃあね」
「あ、ちょっと待って……」
 滝川が何か言おうとした時には、速水の姿はもうなかった。
「速水……」
 滝川は、しばらくその場を動くことができなかった。

 ――おかしな話だ。
早足で歩きながら、速水は何とか心を静めようとしていた。
昨日まではともに肩を並べて戦っていたはずの戦友は、ご丁寧にも撃墜数とともに速水が何かまったく別の存在に変化してしまったかのように振舞ってくれる。
 いや、そうではない。変化させられたのだ。自分が。
 何も変わっていないのに。
 速水の目じりは、再びかすかににじんでいた。

 少ししてから、ハンガーの影から田代がひょっこりと顔を出した。たまたま今の現場に出くわしてしまい、出るに出られなかったのだ。
「やべぇ、ヘンなトコにいきあっちまったな……でも、なんだよアイツ、ココロが見えてきたじゃねえか……」
 ハンガーのほうを見ながら、そっと呟いた。

 速水は今、士翼号の前にいた。
 誰もいないここなら、心を煩わされることもない。
『何か、あったのか?』
「大丈夫」
 今はもう哀しくはない。
 間もなく、竜との戦いにもなることだろう。
 今はその準備に専念すべきだ。速水はそう信じた。
 ――でも、何でこんな気持ちになったんだろう?
 速水にも、答えは見えない。
 ふと見れば、ブータが工具箱の上に寝そべっていたが、速水を見るとあくびを一つしてひらりと荷台から飛び降りた。
 猫にまで恐れられるのかと思ったが、そうではないらしい。ブータは、瞬きもせず速水を見つめている。
 不思議に思い、近寄ろうとすると、ブータはひらりと身を翻して闇の中に消えていった。
「え?」
 速水は思わず立ち止まり、耳を確かめた。
 ――夜明けを待て。そこで話そう。
 そう、ブータが呟いたような気がした。
「……ブータ?」

 だが、いつまでも気にしていられない。彼にもやることはたくさんあるのだ。
 ようやくいつものペースが戻ってきた速水は、手際よく士翼号の整備を進めていく。先日もまた外傷らしい外傷は受けなかったので、ペースは驚くほど速かった。
「よし、これで動力系はチェック完了。……ところでさ」
 唐突に言葉を区切った速水は、闇に呼びかけた。
「岩田君、そんなところにいないでこっちに来たら?」
「……気づいていたんですか」
 闇の中に急に気配が生まれ、次の瞬間にそれは人の形をとる。岩田は白衣の裾をわずかに直すと悠然とした足取りで士翼号に向かって歩いてきた。
「フフフ、精が出ますネェ?」
「まあ、今は他にやることもないし、整備は大事だしね」
「大事な彼女ですからネェ」
「……まあね」
 速水は口を尖らせ、士翼号は微かに身じろぎしたが、岩田の目に気がつき、表情を改めた。彼の表情はともかく、瞳にだけは彼を案じているような光が浮かんでいたのだ。
「だいぶ、いろいろと言われたようですね」
「まあ、仕方がないよね。こうなるのは分かっていたし」
「フフフ、俗人のやっかみや恐れなど気にする必要はありません。人は本能的に異能者を恐れるのです。……それがたとえ、あなたでもね」
「僕は異能者かい?」
「なに、人よりはちょっと強いでしょうが、今言ったでしょう? 気にすることはないと。ねえ、芝村さん?」
 再び士翼号は微かに身じろぎした。同時に速水のコミュニケータが作動する。
『……その通りだ。厚志、そなたはそなたの好き勝手にやっているのだろう? ここで弱気になってどうする』
「そういうつもりでもなかったんだけど……うん、もう大丈夫。心配かけてごめんね。……岩田君も」
 速水の言葉に、岩田は微笑した。
 ――そうこなくてはね。落込まれてはどうしようもない。
 岩田には岩田なりの事情もある。それはあるいは速水を利用していることになるのかもしれないが、二人の――いや、三人か――思惑が一致している以上問題はないはずだった。
「それで、『例の件』はどうなっているの?」
「……『あれ』はまあ、順調といっていいでしょう。ちゃんと結果が出るまでにはもう少しかかりそうですけどね。そちらは任せておいてもらいましょう」
 例の件――舞の再生に関する話は、特殊な条件が重なったゆえに可能になったとはいえ、それこそ誰にも知られるわけにはいかなかった。だから二人の会話の中では「あれ」とか「あの件」とかぼかした表現しか用いられない。それくらい、この件は慎重の上にも慎重に秘匿を重ねる必要があった。
 速水は表情を引き締めると、そっと士翼号を見上げる。いつのまにか士翼号のカメラアイが自分を見つめていることに、速水ははじめて気がついた。
「大丈夫、きっと何とかしてみせるよ。信じてくれる?」
『疑いなどは別に……うっ!』
 急に舞の声が途切れたかと思うと、モニター上にはまた例の波動が浮かび上がってきた。
「またっ!? ええい、一体なんなんだよ、これは!」
「どいてください!」
 突然、岩田が速水を押しのけるようにしてモニターに取り付いた。呆気に取られる速水をよそに、岩田の手は恐ろしい勢いでコンソール上を駆け巡る。
「これは……」
「ね、ねえ岩田君、一体どうしたの?」
「速水君。こういったことは良くあったんですか?」
「二日前に一度。そのときはすぐにおさまったんだけど……」
「そうですか……」
「ねえ、一体どうしたっていうのさ?」
 岩田は、舞の反応が復帰していないことを確かめると小さな声で話し始めた。
「……舞さんは、士翼号に同化しようとしています。いや、吸収されるといった方がいいのかもしれません」
「なんだって!?」
 あまりのことに、速水は声もない。舞を復活させるための大前提たる「存在」そのものが喪われようとしているというのだから、それも当然であろう。
「ここからは推測ですが、本来士翼号の中枢にはもっと強い存在――少なくとも人間一人では納まらないような存在を収納するために設計されていたフシがあります。逆にいうなら、士翼号自体がそれだけのキャパシティを要求したといってもいいでしょう。芝村さんの精神力は常人のそれをはるかに上回っているようですが、それをもってしても負担が非常に大きく、補正作用として情報が吸収されていってるのではないかと。以前あったという変調も、舞さんの神経情報そのものが士翼号に吸収されていったせいなのかもしれません」
「かもしれない、かもしれないって、何かはっきりしたことはないの!?」
 ――こんな問いに、まともに答えられる奴などいるものか。
 岩田は一瞬そう思いはしたが、口に出しはしなかった。それは科学者としての彼の敗北を意味する。断固として承服するわけにはいかなかった。
「士翼号自身がオーバーテクノロジーの塊である以上、我々に理解できることは限られています。ただひとつ言えるのは、神経情報を失うだけならまだしも、芝村さんを成り立たせている自我・意識・記憶までもが吸収されてしまう可能性も、ないとはいえない、ということです」
「そんな! そ、それじゃ……」
「何もいきなり今すぐ消えてしまうわけではありません。まだ時間はあります。無責任な言い方ですが、芝村さんの精神力なら今しばらくは大丈夫でしょう」
 速水を両手で制するようにしながら言いはしたものの、岩田の表情はあまり晴れてはいなかった。
「……ともかく、全力を尽くします」
「……頼む、頼むよ……」
 速水は膝をつくと、うめくように呟いた。
その声は、驚くほど弱々しかった。

 一九九九年五月七日(木) 〇二〇〇時
   五一二一小隊ハンガー前

速水の表情は暗かった。それほどに岩田から聞かされた内容はショックであり。動揺するなというほうが無理であった。
――もし、間に合わなかったら。
速水は不吉な想像を打ち払うように大きく頭を振ったが、ふと、足元の影に気がついた。見上げれば、天から青白い光が降り注いでいる。
 月だ。
 太古の昔からの姿をとどめるその青白い姿は、黒い月に犯されることもなく、まるでその光で地上の全てを清めようとでもするかのように、冴え冴えとした冷たいまでの光を惜しげもなく地上に降り注いでいたのだ。
 地上で動きがあった。視線の先に、ブータがいる。
「ブータ?」
 彼はチョコチョコと目の前までやってくると、おもむろに二本足で立ち、こちらを見てうやうやしく挨拶した。
 これには速水も驚いたが、なにせ根がぽややんたる彼のこと、そういうこともあるだろうさと納得してしまう。
信じられないようなことならばそれこそ今まで掃いて捨てるほど経験してきている。いまさら猫が立ったぐらいで驚いてなどいられなかった。
 だが、さすがにブータが話しかけてきた時には、速水は自分が夢を見ているのではないかと思いっきり頬をつねった。
 痛かった。
「……とうとう、ここまで来たな、友よ。いや、今や戦友となった者よ。ついに生きながらにして戦神になったな」
「え、その……僕のこと?」
 ブータは重々しく頷いた。
「ようこそ絢爛舞踏、人でありながら人を超えた人類の守護者よ。我と我らは戦友を歓迎する。我はブータニアス・ヌマ・ブフリコラ。長靴の国より来る客人神(まれひとがみ)。猫神族の英雄にして、最後の戦神だ。お見知りおき願おう」
「は、はあ……」
 ――世の理を知るって、こういうことだったのか。
 かつての恵の言葉を思いだし、妙に得心した気持ちになる。
 人と、直立する猫の奇妙な会話が続いた。
「既にそなたも気がついていようが、人類の敵が生まれようとしている。そなたが幻獣と呼ぶあしきゆめ、その中で最も強力なる者だ。絢爛舞踏よ。我らは戦わねばならぬ。あしきゆめを撃滅するは、いつの世もわれら人外の伝説が役目。探せ。絢爛舞踏よ。人の顔をしたあしきゆめを探せ」
「人の顔を……? じゃあ、竜は人に寄生していると?」
「寄生、というのはどうかの? そう、ひとはよきゆめもあしきゆめも共に見ることができる。そして、あしきゆめ……暗き想念があまりにも強すぎる時、ひとそのものが依り代となり、とりこまれ……幻獣、あしきゆめを召喚する。よきゆめとあしきゆめは対のようなもの。ここにそなたのような人外の伝説が生まれた以上は、竜もまた近くにいる。もしかすれば、そなたの知り人の中に、な」
「!!」
「お前は竜を見つけ、その正体をあばかねばならぬ。暗い想念を探すのだ。人外の伝説よ」
 ブータは速水を瞬かぬ瞳でじっと見つめていたが、そこには何か温かいものがあるように感じられた。
「新しい伝説よ。我らはひとのゆめ。よきひとの素朴なる願いだ。太陽に替わって星が出るように、あしきゆめの終りに我らが現われるが道理。祈りが我ら伝説を集めておる。竜を許せと。哀しみを終らせよと」
「竜を……赦せと」
「そなたの姫君もそれを望んでおろう? 新しい伝説よ。そなたもまた、誰かに呼ばれ、それに答える形で伝説となったのだ。我らはその存在ゆえに、守護者たる運命を火の国の宝剣より与えられし戦士。闇を払う銀の剣、火の国の宝剣としてひとのために振るわれるが誇り。やみにおびえる子を寝かすのは、やはりやみのなかで聞かされる英雄達よ」
「僕に、そのようなものが務まりましょうか?」
「何を言っておる。そうでなくていかにしてそなたのような力がつこうものかよ。己の力をもっと信じるがよい……。とはいってもすぐには難しかろうな」
「はあ……」
 務まるも何も、正直なところ何が何だかさっぱりといったところだ。ブータもそれが分かったのか、ひげを軽くなでつけながら頷いたが、ふと気がついたように顔を上げた。
「そうそう。どうやらこの御仁も用があるようじゃて」
「?」
 声に呼応するように、闇から背の高い人が現れた。白い帽子が夜でも白く浮かび上がっている。
「……来須さん!」
 慌てて何か言おうと口を開きかけた速水に近寄ると、来須はぽん、ぽんと安心させるように頭をなでた。
「……子ども扱いしないでくださいよ」
 口を尖らせる速水に、来須はかすかな笑みを浮かべ、静かな声で告げた。
「お前に、渡すものがある」
「渡すもの……?」
 頷くと、来須は右手を前に差し出した。やがてそこに蒼い光の粒が浮かび上がり、周囲を舞い始める。
「これは、かつて人や動物や、植物だった光だ。かつて大切にされたものの光だ。…精霊という」
「精霊?」
「そうだ。あまりにも強すぎるか、純過ぎる故に人の境界線を越えた者が、この光を武器にして、扱えるようになる。全ての死者の代理人として運命に介入するために、だ。速水」
「はい」
「人外の伝説、戦神……何と呼んでも構わんが、お前は強すぎたのだ。多くの死者の魂がお前を代理人として歴史を変えようとしている。……もう、この戦いを終らせたいと。そう言っている。あの竜を赦せと。そのための手段として、これを使え。教えよう。その光を、どうやって武器にするかを」
 来須は、速水の右手を掴むと、小さな声で何事かを呟いた。と、先ほどまで来須の周りを浮遊していた蒼い光が、速水の腕の周りを舞い、文様を描いていく。文様は蒼い光を放っていたが、すぐに消えていった。
「時至れば、文様が精霊手の使い方を教えてくれる」
「精霊手、というんですか?」
「そうだ」
 速水が右手をあちこち調べてみる。変わりはなかった。
「ともかく、ありがとうございます」
 来須は表情を緩めると、再び速水の頭を撫でた。

「それにしても……」
 二人が去った後、ブータはちょこんと腰かけ、速水が去った方角を見つめていた。
「わしは、そなたが人として生をまっとうすることを祈っておったがな……。一柱の、友としてな。まあよい。我ら神族すら、運命のくびきより逃れるはかなわぬ。これも、火の国の宝剣が呼ぶ運命であろうが、戦いの後どうするかは、そなた次第だぞ、速水……」


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