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それぞれの夜


――わしは、そなたが人として生をまっとうすることを祈っておったがな……。一柱の、友としてな。まあよい。我ら神族すら、運命のくびきより逃れるはかなわぬ。これも、火の国の宝剣が呼ぶ運命であろうが、戦いの後どうするかは、そなた次第だぞ、速水……





 一九九九年五月四日(火) 二〇二五時
  五一二一小隊ハンガー内

「三番機リフトダウン。整備台まで歩行どうぞ!」
「二番機、人工血液が漏れてる! 左肩部のバルブを閉鎖!」
 戦闘後のハンガーなどというものは、大抵似たような喧騒に包まれている。一〇トントラックから降ろされた士魂号は、機体を自らの足で普段の巣たる整備台へと固縛していく。
「班長、二番機の固縛完了しました!」
「ご苦労様、森さん、あなたの見立てではどう?」
「左肩ですけど、どうも人工筋肉そのものまでやられてる可能性が高いですね。腕がほとんど持ち上がりませんから」
「また交換? 人工筋肉のストック、そんなに残ってる?」
「はい、今確認しました。とりあえず、あと一回位は全機交換しても大丈夫なぐらいはどうにか……」
 森は手回しよくチェックを済ませていたらしい。原は改めて彼女に感心の思いを抱いていた。二ヶ月近い激戦の連続は、彼女を立派な整備士へと押し上げたものらしい。
 ――それとも、彼のせいかしらね?
 原はちらりとそんなことを考えた。
「? 先輩、どうかしましたか?」
「え? い、いえ別に?」
 怪訝そうな顔に気がついた原は、慌てて目の前を歩いていく三番機を眺めやった。
 突撃型の異名を奉られているだけあって、常に決定的な段階で敵の真っ只中に飛び込むこの機体は、やはりそれ相応の報復を受ける。今の三番機はあちこちがへこみ、一部は見事に貫通されたらしく弾痕が装甲板の数ヶ所に穿たれている。
「あー、これもかなり装甲板の交換が必要そうですね……。クレーンの手配しときますね」
「ああ、そうね。よろしく」
 原の視線を指示と受け取ったらしい森は、元気な返事を残して再び駆け去って行った。原はその後姿を眺めやりながら、小さくため息をついた。
 いまや事情の一端なりと知る立場となってはまさか事実を言うわけにもいかず、胸中は複雑なものにならざるを得ない。
 ――いい子なんだけど……。まあ、いつかは分かることか。
 分かった時どうなるかいささか心もとなかったが、今は彼女の整備士としての側面のみ見ることに決めた。余計なことに首を突っ込んでいる余裕など原にはない。
彼女は意識を再び士魂号たちに向けると、先ほどとは別種のため息をついた。
「それにしても、みんなよく壊してくれるわね……でも、機体は修理すればどうにでもなるし、それこそ仕方ないか……」
 四月の熊本城攻防戦以来一人の戦死者も出ていないことを思えば、たとえ全機が傷だらけであろうとも文句を言う筋合いなどどこにもあろうはずがない。
 ただ、文句ではないが何事にも例外がある。
『四番機リフトダウン完了! 整備台へ移動してください』
 誘導の声が響き渡ったとたん、周囲がざわめいた。
 そのざわめきの中を四番機――士翼号が悠然とした足取りで歩いていく。装甲板にいくつか小さな傷はあったが、そのほかの部分はまるで工場から出たてのように光っていた。
「またなんか、結構撃墜したらしいよ……」
「ふう、なんというか、大した化け物ですね。どうやったらそんなに殺せるのだか……」
 新井木と遠坂が士翼号に目を向けながら、どことなく遠慮がちにささやき交わしているのが目に入った。
「あなたたち、おしゃべりしてる暇はないわよ! 早く持ち場に戻りなさい!」
 原の一喝で二人は首をすくめて立ち去ったが、それでも二人の目は士翼号から離れようとしない。
「とはいうものの、ね……」
 いかな士翼号が他の機体に懸絶する能力を持つとはいえ、降下作戦のときといいそれ以前といい、あの機体の機動は尋常ではない。それどころか……。
「整備の面から言えばもう異常よね。あの動きは機体の性能だけでは説明できない。やはり人ということかしら……。でも速水君、あなたは『士翼号』と一緒に、どこに行く気なの?」
 原の呟きはあまりに小さなものだったので、その声は誰の耳に入ることなく宙に消えた。
その台詞の一部は奇しくもかつて滝川の放ったものと同じであったことなど、彼女は知る由もない。
「班長、全機固縛完了! クレーンの準備もできました」
 森の声に我に返った原は、作業開始の指示を出すと自らも受け持ち――士翼号に向かって歩みを進めていったが、到着の直前に、ふと首をかしげた。
「それにしても、岩田君はどこに行ったのよ?」

「右脚部積層ダンパー、セルフチェック開始」
 速水の声に反応するように、目の前のチェッカー上を緑の光が走っていく。今のところは順調のようだ。
「速水君、どう?」
「あ、原さん……おかしいですね。チェックリスト上では別に異常は見当たらないんですが……」
 意識を切り替えた原は、速水の背後からモニターを覗き込む。確かに一見したところ異常を示す兆候はなかった。
「そうね……でも万が一ってこともあるから、ちょっと中を見てみましょうか……。森さん、クレーンこっちに回して」
「ハイッ!」
 背後に立っていた森が、まるで待ち構えていたかのような威勢のいい返事とともに階段を駆け下りていく。速水はその様子にちょっと目を丸くしていたが、やがてクスリと小さな笑みを漏らした。
 原は、それに対する感想は飲み込んでおくことにした。いずれにせよ自分がとやかく言う話ではない。
「じゃあ、私も下で様子を見るから、こっちはよろしくね」
「あ、はい、お願いします」
 原の姿が見えなくなると、速水は早速コミュニケータを起動させる。打てば響くように舞の声が流れ込んできた。
『どうだ?』
「んー、今のところは変な所はないみたい。今原さんに見てもらってるけど……、なんだったんだろうね? 舞、何かそっちに記録は残ってない?」
 士翼号は先ほどの戦闘で、わずかな時間だが右足がうまく動かなくなるトラブルが発生していた。
装甲の傷はその時受けたものだ。
 以前士翼号は積層ダンパーの初期故障で行動不能になるトラブルがあったので、それの再来かと整備班は緊張したそうだが、今のところそれらしい原因は発見されていない。
「舞?」
 速水は眉を寄せると、再び声をかけた。
『ああ、すまぬ。特にそのような記録は残っていないな……』
「そう……。舞、大丈夫? どこか具合でも悪いの?」
 人間に話しかけるようなその物言いに、舞は「苦笑」した。
『何でもない。検索に時間がかかっただけだ、心配するな』
 士翼号のカメラアイがほんの少し向こうを向いた。
「そう? それならいいんだけど……」
「何ブツブツ言ってるんですか?」
 突然の声に、速水は危うく飛び上がりそうになった。慌てて振り向けば、森が不思議そうな顔をして立っている。
「どうしたんですか?」
「あ、い、いや。なかなか原因がつかめなくて、つい口に出しちゃってたのかな、は、はは……ごめん」
 額にうっすら汗を浮かべる速水に、森は小さく首を傾げた。
「ふうん……? 何でもいいですけど、ひとりごとって莫迦みたいだからやめた方がいいですよ?」
「あ、そ、そうだね、ごめん」
「それより、ちょっとこっちの回路を見てもらいたいんですけど、来てもらえませんか?」
「ああ、了解」
 二人は連れ立って階段を下りていく。
 士翼号のカメラアイは、二人の姿が見えなくなるまで離れようとはしなかった。

「おっかしいなあ、やっぱりどこにも異常はないみたいだし……。伝達系統の問題かな?」
ダンパー自体には全く異常が見られなかった。
「ねえ舞、どう思う?」
『そうだな。ではこちらで伝達系のセルフチェックをかけてみるとしよう』
「頼んだよ」
 舞がチェックコマンドを発信すると、モニターに再び緑の光が流れ出した。士魂号より機械的とはいえ、人間とほぼ同様の動きを制御する伝達系だから、必然的に時間もかかる。
 二人の間に、思いがけず静かな時が訪れた。
 速水はその間に他の作業を済ませようとしたが、
『厚志……』
「何?」
 普段の舞らしくもない、やや暗い「声」に、速水は工具を置きなおして士翼号を見上げた。
カメラアイが速水を見つめている。
『その、だな。私は少し考えていたのだ。私はここにいていいのだろうかと……』
「な、何を……!?」
 思わず声を荒げかけた速水だったが、周囲が怪訝そうな顔をして振り向いたのに気がつき、慌てて士翼号の影にしゃがみこみ、作業をするふりをした。
「舞、何をいきなり言い出すのさ、君がここにいないでどうするっていうの?」
『しかし、そなたは既に人類の限界を超えようとしている。それはそなたの努力ゆえの成果であることは間違いない。しかし……しかしそれははたして正しいことだったのか?』
 ――私に、そのようなことを強制する資格などありはしないというのに。
 舞は、今は存在しないはずの胸が痛むのを感じていた。
 いまや速水はエースなどというも生易しいほどの戦力と考えられている。そして、それゆえに周囲からは敬意と――恐怖をもって見守られていた。
 滝川から面と向かって宣言されたときなど、「機械であるフリ」をしていたがゆえに、かすかに腕が動いたぐらいで済んだが、「なんと勝手なことを言っているのか」という怒りが舞を満たしたが、同時にこの疑念が湧きあがってきたのだ。
『私は確かにそなたが絢爛舞踏――ヒーローであればよいと願っていた。だが、それはそなたにとって本当によき道であったのだろうか。私はいい、私は芝村だ。嫌われることなど慣れている。だがそなたは……?』
 それは、彼にとっての成長であったのかどうか――。
 思考の螺旋に落ち込みかけていた舞に、コミュニケータからおかしな音が流れ込んできた。何かと確かめれば、なんと速水が笑っているではないか。
『何だ厚志、なにがおかしい!』
「いや、別におかしいわけじゃ……あれ? やっぱりおかしいのかな?」
『厚志!』
 コミュニケータからあふれそうな音量で叫ぶのにも構わず、速水はくすくすと笑っている。周囲が少々引いているようだが、そんなものもお構いなしだ。
 やがて速水は目尻の涙を拭くと、意外なほど真面目な顔を士翼号に向けた。吸い込まれそうな蒼い瞳に見つめられた舞は、カメラアイの視点をわずかにそらせた。
「舞、前にも言ったよね? 僕は僕の勝手でやっているって」
『だ、だが、それとても私が言わなければ……!』
「違う、君が言わなければ僕が聞いたまでだ。たとえ芝村とならなかったとしても。君は何がしたいのか、君は何を望むのか――。そして、そのための方法とは何か」
『……』
「そして、その方法が絢爛舞踏になることだったのなら、僕はやはり目指しただろう。僕の勝手によって……。舞」
『な、何だ?』
「これは僕がなすべきことだったんだ。きっと必要なことだったんだよ。全く気にならないといえば嘘になるけど。それでも周りが何か言っても、そんなことなど知るもんか。まあ、皆に怖がられるのはひどい誤解だって気もするけれど、それが必要なら、後悔などしない」
『厚志……』
 舞はとっさに言うべき言葉が見つからなかった。語彙などデータバンクに無限と言ってもいいほど存在するが、そのどれもがこの場には相応しくないような気がしたのだ。
「アルガナの時だってそうだったんだ。大丈夫だよ、舞」
 そう言って、速水はにっこりと笑った。
『……これでは、立場が逆だな』
 舞は、思わず苦笑せざるを得なかった。レシーバーから、かすかな笑い声が漏れる。
「え? 何が?」
 速水は怪訝そうな顔をするが、舞は答えない。
 ――かつては、それこそ私が尻を蹴飛ばす勢いで後押ししていたのではなかったか? 厚志よ、そなたはやはり強いな。私もそれを知っているはずだったのだが……。
『そなたは、やはり芝村なのだな』
「え? まあ、そのつもりだけど……」
『すまぬ、私はもう何も言わぬ。そなたの信じた道に、どこまでも共に行くことにしよう』
「んー、何だかよく分からないけど……もう少しだから、よろしくね、舞」
『うむ、まかせるがよい』
 速水は、士翼号が本当に微笑んでいるような気がした。

 その時二人は、彼らの足元、整備台の一階に、車椅子を伴った影が潜んでいることに気がついていなかった。影はそっとめがねを直すと、にやりと笑みを浮かべた。耳元には何かのレシーバーを当てている。
 もし、降下作戦の時に二人がもう少し周囲に注意を払っていれば、ハンガーの隅に同じ影を見ることができたであろう。
「……なるほど。やはり、そういうわけか。ついに姿を現すか絢爛舞踏よ。……楽しみだね、いや、全く楽しみだ」
 影はレシーバーを素早くしまいこむと、何食わぬ顔で配置へと戻っていった。

 ひとしきり笑った後のチェックは、驚くほど順調だった。
 だが、伝達系にも異常は認められず、謎はいっそう深まっていくばかりである。
『とりあえず、現時点では全く異常がないことが確認できただけでもよいではないか』
「まあ、そうなんだけどね。……うん、今は仕方がないか。次のチェックに行こう」
『そうだ……な?』
「ん? どうしたの?」
舞はとっさに答えられなかった。もし目があるものならば何度でもこすってみたい、そんな感じである。
 カメラアイは、速水の肩口に何物か――何者か?――がいるのをはっきりと捉えていた。
『厚志、そなたの肩……』
「え? 何? ……何もいないけど?」
 そんなはずは、といいかけた時、肩に乗っている者が立ち上がった。ズームをかけてみると女性のように見える。年長の雰囲気をたたえた女性は民族衣装のようなものを身に着け、士翼号を見上げていたかと思うと、深々とおじぎをした。
「火の国の宝剣に仕える巫女神のイトリです。主より、強運を預かってきました。……ああ、お話にならないでも、お考えいただければ分かります。このお方には聞こえませんし」
 速水はきょとんとした顔で士翼号を見上げていた。
 ――巫女神だと?
「ええ……。それにしても、よく私が見えましたね。あなたが異世界の存在を依代とする方だからでしょうか?」
 そう言われても、舞に分かるわけがなかった。イトリも答えを期待していたわけではないらしい。
「……この方は心優しく、勇気を知る方。私は、この方を守護しようと思っています」
 ――そうか。こやつもいろいろな者に好かれるものだな。
 舞自身に驚きはさしてない。世界には己の理解の及ばぬことがあることを理解しているがゆえに、これもまた「そういうこともあるのだろう」と納得している。
「そうかもしれませんね。そして、これから更にたくさんの者たちが、この方と、あなたに力を貸すことでしょう」
「ねえ、ちょっと舞? どうしちゃったのさ?」
「火の国の宝剣は、この方と、そしてあなたが竜を倒すと運命を決定しました。それだけは、覚えておいてください。あなたは最終的に、剣が決めた通りに動くでしょう。それが、剣と言う名の運命なのです」
 ――運命など決定されなくとも、それはもとより私の望むところ。今更言われるまでもないことだ。
 かつて闇の中で言われた言葉を思い出し、舞はいささかぶっきらぼうな返事を返した。
「あなたならそういうだろうと思っていました」
 イトリはにっこりと微笑んだが、その笑顔がかすかに曇る。
「ただ……あなたにはこれから先、試練を受けることとなるでしょう。定めにより詳しく語ることはできませんが、自分自身を見失うことだけはなさりませぬよう……」
 ――試練だと?
 イトリは黙ったまま答えない。これ以上聞いても返事はなさそうだった。
 ――よかろう、これ以上は聞かぬ。だがそなたの言葉を留めておくことにしよう。
「ありがとうございます。私も、及ばずながらこの方と、あなたの力になれるよう祈っております。……幸運を。火の国の宝剣が、そうお伝えしろと」
 イトリは、再びにっこりと微笑むと同時に蒼い光に包まれ――次の瞬間には跡形もなく消えていた。
「ねえ、舞ってば! 何か、僕の肩にいるの?」
『む……、いやすまぬ。カメラアイのノイズだったようだな』
「そう? 熱心にこっちを見ていた気がするんだけど……」
『気にするな。それよりチェックの続きを……』
 舞が言いかけたとたん、速水の目の前にあったチェッカーが鋭いアラームを発し始めた。
「何!?」
「わっ! な、何これ!」
「速水君、どうしたの!?」
 アラームを聞きつけて原たちが階段を上がってきた。
「いや、僕にもさっぱり……あ、やんだ?」
 今まで狂ったようにわめきたてていたアラームは、いつのまにか嘘のように静まり返っていた。
「モニターにも特に問題なし、データ異常なし……速水君、何か変なスイッチでも触ったんじゃないの?」
「いや、そんなことは……おかしいなあ?」
「とりあえず、今は続きを。時間もありませんし」
 二人が降りて行った後、速水が、
「舞、そっちは大丈夫? ……舞?」
 ささやきかけてみると、わずかなタイムラグをおいて、
『……大丈夫だ』と返事があった。
「よかった……。何かあったのかと思っちゃったよ」
 だが、舞は言わなかったが、このとき彼女は底無しの闇を垣間見たような心のざわめきを感じていた。ほんの僅かの時間ではあるが、自分が細かい粒子か何かになって周囲に散逸してしまうような感覚に襲われたのだ。
 もう少しそれが長く続いていれば、恐らく感じた通りになっていただろう。そう思わせるほどの強さで「それ」は舞を――舞という存在を締め上げた。
「わっ、また?」
 今度はあらかじめアラームを切っていたので周囲には気づかれなかったが、モニターのデータは先ほどほどではないにせよ大きく波打ち、変調を如実に示していた。
「本当に大丈夫なの?」
『問題ないといったはずだ。続きをやるぞ』
 ――今のは、なんだ?
 舞はかすかに襲いつづける消失感を無理やり押さえつけた。

 同日 同時刻
   県内某所

薄暗い部屋の中で、男がモニターに向かっている。
モニターには常人には理解しがたいような数字と記号の羅列が踊り狂い、絡み合っていた。傍らにはガラス張りの浴槽のようなものが置かれ、薄暗い照明に照らされた緑色の液体が満たされている。
「順調のようですね……。萌さん、そちらは?」
「大……丈夫。現在の……ところ、拒絶反応……なし」
 萌は手元のパネルを見ながら慎重に答えた。
 ――それにしても、なんていう話なのかしら。
 視線はパネルから外さぬまま、萌は男――岩田から明かされた計画について思いを馳せていた。
 彼は真剣そのもので、まるで既定の事実であるかのように舞の復活について話し、萌に協力を依頼したのだ。
 もっとも、その口調はだいぶ岩田らしいものだったが。
「あなたがいてくれれば、僕は空だって飛んで見せますよ」
 ――舞さんを復活させる、なんて、あなたが言うのでなければ信じないところだったのよ?
 萌は小さな笑みを浮かべた。そういったときの彼女の表情は驚くほど明るいものとなる。
「何か言いましたか?」
「いいえ……何……も」
 不思議そうな岩田の声に、萌は真面目そのものの表情で答えた。もっとも、普段からの俯き加減の姿勢が真面目に見せるのに大きく貢献したのは疑いない。
 岩田は敢えてそれに答えようとせずに再びモニターに向き直り――それから静かに水槽に近づいていく。
 そこには、青白い人形のようなものが生まれた姿のままに目を閉じ、胎児のような格好で漂っていた。
「特徴が出てくるまで、もう少しですね……」
 胎児――アルラウネについてはまた触れる機会もあろう。
 そう、確かにそれは新たな命の礎なのだ。

 同日 二二三〇時
   生徒会連合 参謀長執務室

 今日も市内では戦闘が発生しなかったとはいえ、周囲の明かりはかつてに比べれば数も強さも大幅に減じていた。
 準竜師は窓際に立ったまま周囲の風景を眺めていたが、そのまま彼はデスクに戻ると、一枚の書類を取り上げた。
 それは、先ほど届けられたばかりの五一二一小隊の戦闘報告書だった。こんな短時間で報告が上がってくるのは異例ではあるが、この部屋の持ち主がそれを要求していたのだ。
 準竜師の視線がある一点で止まる。
「総撃墜数、二九六、か……。ふ、腑抜けに芯が入ったか」
 ――それも、我が従妹殿の尻に敷かれてとはな。
「ふ、ふっふっふ……」
 ひそやかな笑い声が室内に響く。
「何か、楽しいことでもございましたか?」
 いつの間にか傍らに立っていた更紗が声をかける。更紗の口調にはかすかに揶揄の響きがこもっていたようにも思えるが、別に上官を莫迦にしているわけではない。
 準竜師は手にしていた紙を放り出した。
「楽しい? ……ああ、確かに楽しいのかも知れんな。こうも予想外のことが起こればな。五一二一を呼べ」
 ――嘘ばっかり。
 更紗は心の中でため息をついた。
彼のいうことをいちいち真に受けていては身がもたない。数ある韜晦の中から必要な情報だけを選りだすのも、副官としての任務の一つだった。更紗がモニターに何か呟くと、彼の言葉から従うべき部分だけを抽出し、実行した。
『善行であります』
 戸惑い気味の返事だったが、陳情ならいざ知らず、あちらに設置してある無線機で呼び出されたことなどほとんどないのだから無理もない。

準竜師はにやりと笑みを浮かべた。
「俺だ。例の件だが、先ほど九州軍総司令部名で打診を済ませた。今夜中に何らかの返答があるだろう」
『……まだ、早いのではありませんか?』
「今さらここでくたばることもあるまい。明日以降は忙しくなるぞ、そのつもりで準備をしておけ、以上だ」
 善行は、無表情のまま敬礼した。すぐに画面が暗くなる。
「もう一ヶ所呼び出せ。……そうだ」
 再びモニターが明るくなるが、今度は全く違う兵が映っていた。中肉中背の特徴のない男だが、目に理知的な光がある。
『第二特務大隊、佐倉であります』
 それからしばらく、準竜師と佐倉との間で何事か話し合われていたが、準竜師はその結果に満足したのか、ソファに深く腰かけながら通信を切らせた。
「火遊びでも始められるおつもりですか?」
 更紗の声に、
「準備だ、単なる準備だよ、更紗」
 と答える準竜師だったが、そこにはかすかにいいわけめいたような響きが混じっていたように更紗には聞こえた。
 彼女が静かに微笑んだのを見て、準竜師はいささかばつの悪げな表情を浮かべ、再び窓際に立った。
「いよいよだな」

 翌日、速水の撃墜機数は三〇〇を超えた。


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