前のページ | 次のページ
[目次へ戻る]

交渉(その1)


 一九九九年四月二九日(木) 一三三五時
   生徒会連合 参謀長執務室

「反乱だと?」
「調査の結果、そう判断する根拠があります。正確には分裂と言ったほうがいいでしょう。例の件、成功率はかなり低下したものと思われます」
「ふむ……。厄介なものだな」
 準竜師はいささかぞんざいに手にした書類を放り出した。書類には先ほどまで話題になっていた事項に関する報告が記録されている。そのまま窓際まで行くと、手を後ろ手に組んだまま、窓外の景色に目をやった。
 周囲の市街地は未だ攻撃を受けていないこともあってか、今が戦争中であることをつい忘れそうなほどの穏やかさに満ちていた。もちろん、準竜師には幻想と現実を混同して喜ぶ習慣などない。その場で向き直ると、多少なりとも威厳を込めた声で言った。
「放っておくわけにもいかん。すぐに候補者のリストアップを開始しろ」
「既に完了しております、これを」
 そう言って更紗は新たな書類を差し出した。準竜師は一瞬妙な表情――珍しいと言う意味においてだ――を浮かべると、ソファにどっかりと腰掛け、それをぱらぱらとめくり始めた。
 その指がページのある一点でぴたりと止まる。
「……ほう、奴も有資格者か」
「お決まりになりましたか?」
「久しぶりに腑抜け面を拝んでやるのも一興だ。手配しろ」
「はっ」
 更紗が出て行った後、準竜師は先ほどの書類を取り上げると、そのままシュレッダーへと放り込んだ。

 一九九九年五月一日(土) 一四〇〇時
   生徒会連合 参謀長執務室

 生徒会連合の司令部庁舎――実態は南高の校舎とその他接収した建物の連合体ではあるが――の中を、速水は特に急ぐというほどもない足取りで歩いていた。
時折参謀や司令部付の士官などが通り過ぎるが、彼に気がつくと皆一様に脇により、先に敬礼をしてくる。中には速水より明らかに上位のものもいたが、状況は同じであった。
 そして、彼らの瞳には共通して、敬意と驚嘆と――かすかな恐怖の色があった。
 速水はどうでもよさそうに答礼しつつ、あらかじめ指示されたドアの前に立つと軽くノックした。
「入れ」
 くぐもった声に答えるように、速水は室内へと歩を進めた。
「……ほう」
 準竜師はほんの少しだけ目を見張った。
 目の前に居るのは確かに速水ではあったが、二週間ほど前の魂を抜かれたような様子は微塵もなかった。瞳には意志と落ち着きが生まれている。
 一瞬の対峙の後、準竜師がいつもの口調で切り出した。
「フン、生きていたか、少しは骨が入ったか?」
「さあ、どうでしょうか」
「まあいい……突然呼んだのは、他でもない。お前に無茶な頼みがある」
「無茶、ですか。どのようなことでしょうか?」
 準竜師は片手でソファを指し示すと、自らは反対側にどっかりと腰を下ろした。同時に壁面のパネルが点灯する。
 パネルには二枚の写真が表示されていた。一枚は少女、そしてもう一枚には猫が写っていた。
 速水はかすかに目を見開いた。無理もない、その猫は普段から嫌というほど見慣れているのだから。
 一方の少女は、どこか見覚えのあるような顔立ちだった。だが、速水は彼女に会ったことはないことは断言できるのに、これまた普段から見知っているような感じを受けた。
 準竜師はいつもの口調で説明を始めた。
「猫一匹と少女が一人、敵支配地域で孤立している。いや、そうなる予定だ。貴様の目的は、奴らを救出することにある。記録によれば、お前は降下技能を取得しているな?」
「はい……」
 速水は小さく頷いた。かつて訓練や整備の合間に聞いた話の中に、人型戦車の降下に関するものが含まれていた。
 そのときはまさか、自分が実際に使うことになろうとは夢にも思っていなかったが。
「作戦開始は今晩〇時、士翼号による単独降下だ。そこにいる敵を全滅させろ。現時点では敵の総数は不明だが、まあ、スキュラぐらいは覚悟しておけ。何か質問は?」
「彼女らは一体何者なのですか?」
「外交官だ。幻獣と、人間のな。本来は我らが直接交渉するべきだが、連中と話すには才能がいる……純粋な心でないといかんと、そう言ってたな。まあ、どちらでもいい事だ」
 返事が返ってくるとは期待していなかったので、準竜師があっさり喋りだした時には、逆に速水のほうが驚いた。
「現在、幻獣穏健派との間で、交渉の席が設けられている。それ次第では停戦が実現するかもしれん」
「では、なぜ?」
「お前が倒す敵の幻獣は、停戦に反対する幻獣の強行派だ。連中も意思が統一されているわけではないようだな。まあ、人間の方にも、和平に反対する奴はいる、そういうことだ」
 速水はこの作戦が秘密だと言われた理由を理解した。
同時にかすかな疑念も起きる。ただの一兵士が、このような作戦で、しかも裏事情まで聞かされた時というのは――。
「心配するな、貴様は消さん」
 速水の眉が、かすかにぴくりと動いた。準竜師はニヤニヤとしながら速水を見ている。
「たとえ腑抜けでも、アルガナ持ちの駒を俺は失うわけにいかんのでな。そして駒が全力を発揮するために、俺は必要なものは用意する、それだけだ。納得したか?」
 速水は頷いた。そういうことなら理解は出来る。
 真意などは知ったことではないが、それが自分にとって問題なら、それなりの行動をとるまでだった。
「お前にはそれだけの価値があるということだ。もう少し自覚するがよい」
 速水がどんな表情をしたものかと思っていると、準竜師はにやりと笑った。
「ふっ、人をほめるというのも久しぶりだな。口数が多くなったか? ……まあいい。言うまでもないが、作戦については一切口外せぬよう。善行には話を通してある、心配は要らん……。以上だ。分かったな?」
「最後にひとつ、よろしいですか?」
「何だ」
「僕は、どこへ行けばいいのでしょうか」
 準竜師は黙ってスイッチを操作した。壁面パネルの画像が切り替わり、3D化処理された地形が表示されている。
「今回貴様には、ここへと降下してもらう」
 ――どこだ? いや……。
 それは速水にも見覚えのある地形であった。
 阿蘇特別戦区。
 速水は小さくため息をついた。熊本最大の激戦区で行なわれる交渉とは一体どのようなものなのだろうか?
「……了解いたしました。ご命令、謹んで拝命いたします」
「よろしい。では帰って準備にかかれ」
 二人は腰を上げると、互いに敬礼を交わす。
「ああ、そうだ。速水」
「はい?」
 今まさにドアから出ようというところで声をかけられ、速水は怪訝そうに振り返った。
「何、大したことではない。……士翼号は息災か?」
 速水は目を大きく見開いた。声を出すことはなかったが、それだけで何事かを白状したも同然だった。
「どうだ?」
 面白げな光をたたえた目が速水を射抜く。
「……仰ることがよく分かりませんが、全て正常です」
「そうか。……よし、行け」
「失礼します」
 ドアが閉められ、靴音が段々と小さくなっていく。完全に聞こえなくなった頃、不意に準竜師の口元が緩められた。
「ふっ、ふ、ふ、ふふふふ……」
 声は段々と大きくなり、最後には本格的な哄笑となった。いかにも楽しくて仕方がないというような大笑いだ。
 ――まったく、尻に敷かれるのが好きな奴だ。
「……今しばらく楽しませてもらうぞ。そなたらの行動を」
 準竜師は笑いをおさめると、意外なほど真面目な表情でポツリと呟いた。

 同日 二〇三〇時
   五一二一小隊ハンガー

「先輩、総員作業終了。間もなく全員退出します」
「あら、そう。お疲れ様」
 つとめてさりげないふうを装いつつ、原は森の差し出した報告書にサインした。
「それにしても、出撃免除なんて珍しいですね。……せっかく時間が空いたのに、整備とかしなくていいんですか?」
「ここのところみんな忙しかったし、こういうときだからこそ休みがあったっていいんじゃないかしら? 日曜日とセットにするなんて心憎いわよね」
「それもそうですね。……あ、殺虫剤ですけど準備完了です。士魂号がないと、このハンガーも随分広いですね」
 その言葉を裏付けるように、ハンガーのそこかしこには燻蒸式の殺虫剤が仕掛けられていた。そして森の言葉どおり、ハンガーには機体は一機もない。
人工筋肉を使用している士魂号はガスなどに弱いからだ。
殺虫剤程度なら大した問題ではないが、余計な負担はかけないに越したことはない。
「ま、士魂号は後で戻してくれるっていうし……後はあたしがやっておくから、先に上がっていいわよ」
「そうですか? じゃ、お先に失礼しまーす」
 一礼すると、森は足取りも軽くその場を立ち去ろうとした。
「あっ、速水君……その、あ、明日とか空いてないですか?」
「ごめん、明日はちょっと用事があるんだ。せっかくの誘いで悪いけど……」
「そ、そう……」
「じゃあ、ちょっと司令に呼ばれてるんで、これで」
 にこやかな笑顔とともに足早に立ち去る速水を目で追いつつ、露骨に残念そうな表情をしながら肩をすくめたが、気を取り直すと森はハンガーを出て行った。
速水を誘えなかったのは残念であるには違いないが、なんだかんだと言っても、休養が取れることが嬉しくないわけがなかった。もっとも、そのせいかどうか、森はひとつ不自然な点があるのに気がついていない。
士翼号は生体部品を使用していないから、移動の必要がない、ということに。
「……出撃準備は?」
「完了しています。いつでもどうぞ」
 原はその言葉を聞くと、小さく頷いた。
 しばらくすると、学校からやや離れたところにある軍直属のハンガーからトレーラーがそっと滑り出し、ひそやかに空港へと向かった。
 空港の片隅では、生徒会連合・航空部所属の中型輸送機が四基あるエンジンの暖機運転を繰り返しつつ、士翼号の到着をいまや遅しと待っていた。
『……俺だ、先行して戦区に向かう。お前はのんびり連れてきてもらえ、ではな』
 準竜師の声に外部カメラを見てみると、輸送機のほかに将官移動用のヘリが寄り添うように駐機しているのが映っていた。どうやら準竜師はあれに乗り込むつもりらしい。
 ここでトレーラーから下ろされた士翼号には、重貨物降下用の落下傘とアシストロケットが装着され、仰向けになるような格好でカーゴベイの中に格納された。
『まもなく離陸します』
 パイロットからの通信と同時に、小さな振動があった。
「了解」
『速水君、頼みましたよ』
「行ってまいります」
『気をつけて行ってらっしゃい』
「……もう、無茶はしませんよ」
 原は、苦笑するしかなかった。
見送りは、小隊の運営上情報を知りえたこの二人だけだった。そして彼らもそれを口外することは決してない。
 まさに、知られざる作戦に相応しかった。
 最終チェックを行いつつ、速水は、先ほど準竜師が言った言葉が気にかかっていた。彼は明らかに舞のことに気がついている。そしてどうやらそれを僕に知らせたいらしかった。でも、なぜ?
『どうした厚志、何をぼんやりとしている?』
「え、うん……。準竜師だけどさ、君の事に気がついてるみたいだね」
『ああ、そうらしいな』
 あまりにもあっさりと言うものだから、速水としては開いた口がふさがらない。
「そうらしい、って……」
『士翼号が出荷される時に気がついたらしい。案外鋭いな。……いいではないか? 奴にも何か思惑があろうが、こちらが油断しなければ良いだけの話だ。何かあるのなら、こちらもそれなりの行動をするまで……む、何がおかしい?』
「いや……別になんでもないよ」
 それでは、さっき自分が考えたのと全く同じではないか。そう、そのときは――。
 ならば、もともと何も思い悩むことなどなかったのだ。
『ヘンな奴だな……。行くぞ、厚志』
「了解」
 段々と加速感が強くなったかと思うと、機体は一挙に走り出した。見る見る機速が上がっていく。やがて振動と、あの空気に乗るなんともいえない感触が伝わってきて、輸送機は己のいるべき場所へと飛び立ったことを知らしめた。

 同日 二三五五時
   阿蘇特別戦区上空八〇〇〇メートル

 飛行は順調だった。
 熊本空港から阿蘇山上空など直線距離にして一〇分もかからないが、欺瞞のため輸送機は一度針路を東に取り、四国方面へ向かうふりをした後反転し、阿蘇山上空へと侵入した。
『間もなく阿蘇内輪山です。降下準備願います』
「了解」
 速水は身体を固定しているハーネスと固定用パッドをもう一回確認した。今回は、いつもの機動とは桁が違う。
「最終セルフチェック開始」
『了解。全システム自己診断プログラム作動、最終チェックに入る』
『俺だ。作戦開始三分前、今位置についた。今回は俺が誘導する、指示に従え。技能については心配するな、そこそこにはある。いいか、必ず敵を全滅させろ』
「はっ」
『侵入方法はHALOを使用せよ』
 HALO(高高度降下、低高度開傘)は特殊部隊などがよく使用する降下方法で、高高度から侵入するため敵に降下を悟られにくい。そして低高度まで落下傘を開かないので降下速度も早いため、このような場合には最適であった。
『全システム診断終了、オールグリーン、降下に支障なし』
「了解……こちら速水、降下準備よろし」
『降下用意。カーゴベイ、オープン』
 後部貨物用ドアが大きく開かれ、速度が少し落ちた。外は地獄へと通じていそうな漆黒の闇だ。
『降下一〇秒前、九、八、……』
 カウントダウンが進んでいくにつれて、速水はわずかに身体を緊張させた。
『案ずるな、厚志』
「うん……頼んだよ」
『五、四、三、二、一、降下!』
 ローラーの上を士翼号が勢いよく滑り出し、次の瞬間には虚空に放り出された。重力が消失する。自由落下特有の胃が競りあがるような不快感に、速水は歯を食いしばって耐えた。
『現在自由落下中、高度七四〇〇。各部異常なし』
「よし……このまま行くよ、舞!」
 士翼号はまるで石ころのように落下しながら、敵と、そして彼女らの待つ阿蘇特別戦区に向けて降下していった。

 一九九九年五月二日(日) 〇〇〇一時
   阿蘇特別戦区某所

 阿蘇内輪山付近は、開戦からこのかた最激戦区としてその名をはせている。幸いにもというべきか、民間人は全くいないために戦闘に巻き込む可能性がないことだけが最大の利点――というのが一般的な評価だ。
 いま、その純粋なる戦場というべき斜面を、どう見ても軍人には見えない一人の少女が必死に歩いていた。明かりなど期待すべくもないここでは、走ればたちまち転んでしまう。
「はあ、はあ、はあ……」
 ワンピース姿の少女は、時々後ろを振り返りながら、痛む足に鞭打って、目標地点へと必死に歩を進める。少女は、自分の服が闇に浮き上がって見えるのではないかと恐れていた。
 ――お願い、もう少しだけ時間を……。
 と、先導するように歩いていた猫――赤いチュニックを着ていた――が振り返ると一声鳴き、上空を見上げた。
「……?」
 少女も釣られて空を見上げる。空は全くの闇であり、かすかな星明り以外には何も――。
 ――いや、違う。
 少女は大きく目を見開いた。星々の間を点滅しながら移動する光があった。どう見ても自然の動きではない。彼女は安堵で膝が砕けそうになるのを、ようやくのことで抑えていた。
「ニャニャナ!」
「……そうですね。助かったようです」
「ブニャン」
 猫が満足げに頷いた。彼の耳はかすかなエンジン音を捉えていたのだ。
 だが、同時に少女は何物かが背後に接近してくる感覚を感じ取った。距離はまだ遠いが、安心していいほどでもない。
「行きましょう、先生。もう少しです」
「ニャア」
 気を引き締め直しながら、一人と一匹は再び荒れた斜面を下っていったが、今やその心には確かに灯明がともっていた。

 士翼号は人間と同じような姿勢をとりながら、闇を切り裂きつつ降下を続けていた。当然ながら地上の様子などは分かりはしない。高度計だけが唯一の頼りだった。
 いや、まるで地獄へ落下していくようなこの速度では、なまじ地面など見えないほうがいいのかもしれない。
『現在高度一八〇〇。間もなく開傘する。衝撃に備えよ!』
「了解!」
 速水はやや俯き気味になり、固定用パッドを抱きかかえるような格好を取った。当然手は操縦系から離すことになるが、すぐに舞がコントロールを継続する。
『高度一二〇〇。五秒前……三、二、一、開傘!』
 いきなり襟首を掴まれて引っ張られたように、士翼号は大きく揺さぶられた。コックピット全体がほとんど九〇度回転し、上下が元に戻る。衝撃に、速水がかすかにうめいた。
『大丈夫か!?』
「大丈夫、情報を!」
『開傘成功、現在緩降下中。高度七〇〇、武装脱落を認めず、機体損傷を認めず』
 コントロールを取り戻しながら、速水は計器類をざっと再確認した。問題なし。
 速水は通信を切り替えると、準竜師を呼び出した。
「こちら速水、開傘成功。現在LZ(着陸地点)まで二キロ」
『俺だ。データ転送する』
 モニターにいくつもの赤い矢印が表示され、一定方向に移動している。その先には本来スカウトを示す青い矢印がふたつ、ゆっくりと合流予定点に向かって移動していた。情報にあった外交官に間違いあるまい。
『敵は二〇、後方に更に増援反応アリ。速水、敵の移動が予定より少々早い。引き付けて外交官との距離を稼げ』
「了解。降下速度上げます」
 声に反応して、舞は士翼号の降下速度を上げた。少々危険ではあるが、着陸時にどうにかするつもりだった。
 ようやく地面らしきものが識別できてくる。モニターの中の矢印が、次々と士翼号に射線を合わせ始めた。
『よし、敵がこちらに気づいた』
「高度二〇〇、落下傘切断」
 突然、士翼号と落下傘をつないでいたベルトが音と共にはじけとび、士翼号は再び石のように落下し始めたが、速水は慌てずに次の指示をくだした。
「ロケット点火」
 足に取り付けられていたロケットが轟然と炎の柱を伸ばす。本来は車両降下用のそれを無理やりに装着したものだ。軸線が微妙にずれているのを、舞は巧みに修正した。再び降下速度が低下する。
 ここまでくれば、本来がジャンプを得意とする士翼号のこと、高度が五〇をきった時点でロケットを切り離し、轟音とは裏腹に、優雅に着地して見せた。
 左足に生体接着剤で貼り付けられたジャイアントアサルトを引き剥がし、初弾を装填する。幻獣は士翼号を半包囲するようにじりじりとその輪を狭めてきていた。
 準竜師から、戦闘前最後の指示が届いた。
『頼んだぞ。誰も知らず、歴史にも残らんが、おそらく戦争はお前の働き次第だ。……よし、いけ!』
 ――激励とは珍しいことを。従兄殿よ、世俗に馴染んだか?
 舞は一瞬そんなことを考えたが、すぐに全能力を機体の制御に集中した。
「目標、外交官の救出……突撃!」
 左手に超硬度大太刀を持ち終えた速水は、士翼号を低く身構えさせ、地獄の中へ飛び込む時を測っていた。彼は、完全に包囲されるまで待っているつもりなど全くなかった。
「舞、戦力評価を」
『一時方向がゴブリンのみだ。充分食い破れる。距離三〇〇』
「じゃあ、行きますか」
 まるで散歩にでも行くような気楽な声と共に、士翼号は超硬度大太刀を構えると低くジャンプした。
 たまったものではないのは二体のゴブリンの方である。今の今まではるか彼方にいると思い込んでいた敵が、二歩も進まないうちに猛烈な勢いで目の前に現れたのだから。
「キョ、キョキョーッ!!」
 赤い瞳に、士翼号の笑顔が映りこむ。それがあるいは死神の微笑であったか。断末魔にも似たゴブリンの叫びが消え去る間もなく、士翼号は疾風と共にその傍らを通過した。足先で斜面をえぐりつつ急停止した頃には、三つの首が地面に転がっていた。
 半包囲体制を一瞬で突き崩した速水は、霧散を始めるゴブリンには目もくれずにジャイアントアサルトを構え、一番遠い――つまり、外交官に最も近い側のゴルゴーンを狙い撃った。二〇ミリ高速弾は狙い過たずにゴルゴーンの頭部に集中、赤い瞳を吹き飛ばす。
 即死には至らないだろうが、効果は絶大なはずだった。
『厚志!』
「ジャンプ!!」
 舞の合図と同時に速水は士翼号を再びジャンプさせた。たった今まで士翼号が立っていたところにレーザーとミサイルが次々に弾着し、無意味な閃光と火柱を上げている。
 その頃には士翼号は先ほどしとめそこなったゴルゴーンの背後に回り込み、超硬度大太刀を深々と沈み込ませていた。
 そのまま士翼号はまるで小走りのようなすり足を繰り返しつつ、付近にいたゴブリンリーダーやゴルゴーンを始末しつつ、遠距離からキメラなどの長距離攻撃が来ると見るや、直ちにジャンプを繰り返すことで敵を翻弄しつつあった。
「ふん、尻に敷かれているにしては結構やるではないか」
 モニターを眺めつつ、準竜師はボソリと呟いた。彼にしてはまあまあな賛辞と言っていいだろう。
 確かに、戦況は順調であったが、敵はそのままで終わらせるつもりはないらしい。
 ほとんど全ての敵を掃討した、そう思われたときに突如、ミノタウロスが士魂号の行く手をさえぎったかと思うと、丸太のような腕が襲いかかってきた。
 速水はこれを超硬度大太刀をかざすことで避けるが、生身のはずのミノタウロスの腕は、火花が散らんばかりの勢いで超硬度大太刀の腹を流れていく。
 異常な過負荷を腕に受けながら、舞はそれでも周囲への警戒を怠らない。その甲斐あってか、センサーの探知範囲内ギリギリのところに、かすかではあるが異常を検知していた。
「くそっ、ここで手間取るわけには……!」
『速水、下がれ!』
「えっ?」
 次の瞬間、速水は固定用パッドに押し付けられた。士翼号がバックジャンプを敢行したのだ。ミノタウロスとの距離がみるみる離れていく。
 その時、斜め後方から赤い光条が闇を裂いて走って来た。光条は地面をえぐりつつ士翼号が立っていたところと――ミノタウロスをもろともに切り裂いた。
「なっ!」
『スキュラを探知、機数二、七時方向距離一二〇〇……』
 準竜師が次々に報告を入れてくる。一息ついたところで、舞がそっと言った。
『警告する間がなかった。勝手なことをして、済まぬ』
「何言ってるの、おかげで助かったよ。後ろも気をつけなきゃ、まだ訓練が必要だね」
『厚志……』
 明らかに彼女のミスのはずなのに、彼はそれを面に現そうとはしなかった。その優しさが嬉しくもあり――また、哀しくもある。
「舞、敵の側面から接近する。コースを算出して」
『わ、分かった』
 ――そうだ、何をぼんやりとしているのだ。今は戦闘中だぞ! 悩みなど、ここから戻ってから存分にすればよい。
 そう、今は戦うべき時なのだ。
 舞は意識を再び戦場に向けようとして――意識の隅にほんのかすかな違和感を感じた。
 ――む? 何だ?
 舞にはそれが何となく嫌なものに感じられたが、それはすぐに消え去り、そして戦闘が再び激化するにいたって完全に意識の外に追いやられていった。

 外骨格属、浮遊科――スキュラ。
 この幻獣は、一〇を超える強力な生体レーザー/ミサイルと、主眼の重レーザーを主武器とし、その強大な火力で戦線を蹂躙していく。ただし、移動手段が浮遊しかないため、移動速度が遅いのが弱点でもある。
 速水はそこにつけ込む事にした。細かいジャンプで針路を欺瞞し、くぼ地や岩陰などで多少なりとも視線をさえぎりながら徐々にスキュラの側面へと移動していく。
 やや高い段差を見つけると、速水はそこへ士翼号を潜り込ませた。完全に隠れるわけではないが、とりあえずは充分であった。
『スキュラ接近。一時から三時の方向にかけて移動中、針路変更なし』
 つまり、気がついていないということだ。速水はかすかに額に汗を浮かべながらささやくような声で言った。
「舞、再接近のタイミングは?」
『約一二秒後に、距離二〇〇だ。……銃撃か?』
「あたり。残弾はどのくらい?」
『本体に二四発、予備弾倉が一個だ。きわどいな』
「とりあえず、胴体部に集中させれば……」
『敵、発砲!』
 だがそれは、士翼号に向けて放たれたものではなかった。

「きゃあっ!」
 闇を疾った光芒は、少女から約二〇メートル離れた地点に着弾し、そこから数十メートルにわたって地面に鮮烈な刻印を刻んでいた。
「ニャア!」
「だ、大丈夫です、先生」
 目にいささか怯えの色を浮かべつつも、気丈にもそう答えた少女は、はるか彼方を振り返った。
 闇の向こう、空中に浮かんだ悪意がはっきり感じられた。
 ――なぜ、あなたたちは争いをやめようとはしないの?
 少女は目にかすかな涙を浮かべつつ、闇を睨みつけた。

『いかん、射線が外交官を捉えた。速水、阻止せよ!』
 準竜師の声も、さすがにやや緊張をはらんでいる。
 スキュラの主眼レーザーは意外なほどの長射程を持っている。いくら鈍足でも射程圏におさめることに成功したようだ。
「まずい! 舞、行くよ! 危険度の高いほうは?」
『奥側だ』
「急斉射する。照準は任せるよ!」
『分かった!』
 速水は出力を全開にすると、岩陰から弾かれたように飛び出した。手前のスキュラが気がついたのか、一斉にレーザーを放ってくる。周囲に着弾。
急速に熱せられた岩が弾け飛び、士翼号の外板を叩くが、速水はスピードを緩めない。止まればたちまち射抜かれてしまうだろう。スピードが武器なのだ。
『照準よし、ロックオン! 弾倉交換プログラム用意よし。厚志、射程内に入った!』
「発射!」
 片手で保持したまま、速水はジャイアントアサルトのトリガーを引いた。甲高い射撃音と共に、緑の尾を引いた二〇ミリ高速弾がスキュラに向かって放たれる。ほんの数秒で弾丸がきれたあと、舞は一動作で弾倉交換を実施、速水はそのまま銃身も焼けよと射撃を続行する。
 最初の一撃は前方に集中され、スキュラの頭部とレーザー発振器を叩き潰した。針路がわずかにふらつき始める。
「とどめっ!」
 狙い過たず襲いかかった弾丸は、キメラの弱点のひとつである気嚢を次々に噛み破っていく。ガスが抜け出し、高度が徐々に下がりだした。背部に寄生していた幻獣も、宿主の崩壊にあわせ、次々と沈黙していく。
「やった! ……うわっ!」
 スキュラの攻撃が集中したのは、ちょうどその時であった。
「舞っ!」
『大丈夫だ』
 速水は反射的に機体をひねったが、最初の一撃がマニピュレータとジャイアントアサルトの銃身を破壊していた。
 速水はただの重石と化したアサルトを投げ捨てると、超硬度大太刀を地に低く這わせるように構える。スキュラのレーザ発振子はすでに赤く輝いており発射寸前だ。
「くらえっ!」
 速水は大きく引いた左手を力一杯に振り上げた。途中で意図を察した舞が微調整を行なう。風を切る音と共に重量一トンに達する超硬度大太刀が唸りをあげて飛び、頭部に深々と突き刺さった。スキュラがぐらりと傾き、徐々に高度が下がり始める。そこを狙って、速水は大きくジャンプした!
「ていっ!」
 高度一五メートルほどを漂っていたスキュラはハイキックに気嚢を破られ、大きく振動した。士翼号はそのまま離脱、深々とした姿勢でショックを殺しながら着地した。

 それから間もなく、やや離れたところから何かが墜落した音と爆発音が響き渡った。


名前:

コメント:

編集・削除用パス:

管理人だけに表示する


表示された数字:



前のページ | 次のページ
[目次へ戻る]



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -