積層記憶(その1)
一九九九年四月一六日(金)。
今日もまた、人類と幻獣とは半世紀以上昔から繰り返されている出来事を延々と繰り返していた。そういう意味ではこれも「日常」と呼んでもよいものであろうか?
人類側の代表のひとつは、熊本市内の某所にひとつの拠点を構えていた。
生徒会連合九州軍総司令部。
正面に配置された三枚の巨大な液晶モニターを見やすいように室内の照明は暗めに設定され、反対側にオペレータ席が階段状に配備されているその様は、まるで映画館かホールのようだった。実際、そのくらいの広さもある。
ひとつ違うところがあるとすれば、そこで上映されているのが芝居でも映画でもなく、まぎれもない現実であるということであろうか。
ここでは、各戦区に配備された学兵たちからの報告が次々と寄せられてきていた。もちろん自衛軍や各国義勇軍からの報告も平行して届いており、それらを整理・分析した結果が次々とモニターに表示される。
「八代戦区より入電、全幻獣は後退したものと認む」
「山鹿戦区、第一陣帰還開始」
「航空自衛軍より入電、偵察の結果、県南部に敵影認めず!」
すべての報告が歓迎すべきものであることを確認し、当直仕官である万翼長はゆっくりと安堵の息を吐く。
「よーし、ようやくお帰り願えたか……。全戦区に通信、幻獣警戒警報を解除。通常体制に移行せよ」
「了解!」
床に半ば埋め込まれたコンソールでメインオペレータが通信を始めたのを確認すると、万翼長はネクタイを緩めてシートにどっかりと腰を下ろし、軽く頭を掻いた。こげ茶の髪は少々蓬髪気味になってはいたが、不思議と見苦しくはない。
シートの座り心地をほんの少しだけ楽しんだ彼は、モニターに目を向けた。最近視力の低下を感じつつある彼ではあったが、当直士官席は一番前に作りつけられているから、状況を掴むのに大した問題はない。
モニターの中にはワイヤーフレームで描かれた熊本県が映し出されていた。いま、その中には敵を示すシンボルは一つもない。どうやら今回も無事に撃退できたようだ。
ふと彼はここしばらく聞いたことのない音を聞いた。後方のオペレータたちのかすかな、しかしはっきりした私語だ。
室内の空気は明らかに緊張の度合いを弱めていた。
本来なら彼はこれを注意すべき立場にあったのだが、今だけは何も言う気になれなかった。
――まあ、無理ないわなぁ、ここんとこ連続だったしな。
そう思いながら万翼長はすっかり冷めたコーヒーに口をつけると、僅かに顔をしかめた。さすがに代用コーヒーは冷め切るととても飲めたものではない。
「これが味わえるのも命あってのものだね、か。文句は言えんわな」
――戦線では数万もの自衛軍や学兵が文字どおり命を的に激戦を戦い抜いたのだ。比較的安全な後方で椅子に座ったまま戦況を眺めていた者に許される言葉ではないな。
いつの間にか、言葉にしていたのだろうか。
「それでも、あなたの指示のお陰で何人もが命を拾っているはずですよ、万翼長?」
突然傍らから熱いコーヒーを差し出された。
万翼長が驚いて振り返って見れば、同じ当直についていたオペレーターである千翼長が栗色のショートカットをかすかに揺らしながらほほ笑んでいた。配属内でもそこそこ評価は高い――いろんな意味で。
「あ、ああ、ありがとう」
同じ代用品でも何でこうも違うのかと言いたくなるほどに、そのコーヒーは香り高く、うまかった。
万翼長はもう一口含むと、小さく息をつく。
「……その代わり、何人かは死地に送り込んださ」
「戦況がそれを求めたのよ。あなたのせいじゃないわ。……それに、それはちょっと驕りじゃないかしら?」
意外に固い声に万翼長が振り返ると、千翼長は真剣なまなざしで彼の方を見つめていた。
正論である。
今でこそたまたま比較的安全なところにいるとは言え、戦況が悪化すればどう転ぶか分からない。条件は一緒の明日は我が身かもしれないのだ。
「……そうだな」
――どちらにしても学兵であるに変わりはなし、か。
彼が頷くのを見て千翼長はにっこりとほほ笑んだ。
「よろしい。では万翼長、よろしければ今夜、食事になどご同道いただければ幸いなのでありますが、いかがですか?」
「えっ?」
思いがけなくもとてつもない幸運の言葉を聞いたような気がして、万翼長が思わず聞き返すと、千翼長の頬がうっすらと赤く染まった。
「馬鹿、聞き返さないでよ……」
周囲のオペレーターが数人、こっそりと吹き出すのが聞こえた。万翼長はいささか慌てつつも、なるべく落ち着いた声になるように努力しながら了解した、と答えた。
――おーおー、お熱いねえ。
つぶやかれたその声に、二人の顔がさっと朱に染まった。万翼長は周囲を睨みつけるがオペレーターたちは知らん顔。
「ったくもう……。と、とりあえずその件は後で」
最後の部隊が帰還を開始する旨の通信が入ってきた。
「五一二一小隊、帰還します」
その声に二人は正面のスクリーンに向き直った。阿蘇戦区のところに「五一二一ATP」の文字が青く点灯していた。
「凄いわね……」
千翼長が息をつく。彼女は損害欄を見つめていた。そこには〇が燦然と輝いていた。ちなみに戦果の方には九と記録されている。
下手をすればこの数字が逆になりかねない部隊もいるだけに、実に一三戦連続損害ゼロというのはまさに驚嘆に値した。
「ああ、でも……」
「でも?」
思考している者特有の重い声に千翼長が振り返ると、万翼長は顎に手を当てながら何やら考え込んでいた。
――随分、奮わなかったじゃないか?
そんなことを考えている間に、戦区外へと出たのか五一二一小隊の表示が点滅し、やがて消えた。
***
一八一五時。
熊本市内に発令されていた幻獣警報も二時間ほど前に解除され、初めてこれを見たものならば異様さほどを感じるほどに、人々は実に速やかに日常生活へ復帰しつつあった。直接戦火にさらされた地域は別として、既に警報そのものが日常生活の一部としてすっかり定着している証拠であった。
人間はどんな異常事態であっても、三日も続けばさらに異常事態が発生しない限りは大体なじんでしまう。そして、可能な限り「日常」を継続しようともする。
それはある種、人間が自らを保持するための緊急的な手段であるかもしれないが、そう考えると人類というのも結構しぶといのかもしれない。
なにはともあれ、警報が解除されて安堵の息をついているのは市民ばかりではない。彼らを守るべき軍や学兵たちも同様である。彼らは、ようやく訪れたこのわずかな時間の間に次の戦いへと備えなければいけない。
戦闘はヒトにもモノにも多大な負担をかける。兵器は壊れ、あるいは故障し、人は負傷、あるいは神経を消耗させ、またあるいは白木の箱へ収められ、永遠の安息を得る。
最後の者はともかく、その他はわずかな時間といえど休養を取り、それらの回復、あるいは状況が許すのならば増強に努めなければならない。戦闘が終わったからといって、けして静かになるとは言えないものなのだ。
熊本県内のあちこちで同様の騒ぎが起こっている中、学兵として最も注目を浴びつつあるこの部隊でもその状況は変わらなかった。
熊本市内、尚敬高校。
その敷地の一角に間借りする第六二高等戦車学校――五一二一小隊の、まるでサーカス興行のテントかと思いたくなるような整備ハンガーがその舞台であった。
機械の稼動音、装甲が外される擦過音、部品が転がり火花が散り、飛び交う指示や時には罵声がそれに仕上げを施す。
どんなに精鋭が揃っていようと、忙しくなればどこも大して変わりない。せいぜいその動きに無駄があるかないかの違い程度だ(とはいっても、それが非常に重要ではあるのだが)。
ここにおいてもそれは変わらない。というよりここにいる誰一人として、自分が「ベテラン」であるとなどは夢にも思っていなかった。
彼らは戦果においてこそ他に並ぶものなき最精鋭ではあるが、その実体は衛戍地(駐屯地)で産声を上げてからせいぜい一月半程度しか経っていない新米部隊であり、しかも所属するのはほぼ全員が学兵である。最近どうにかコツも掴み、ベテランへの道を歩みだしているが、まだその足取りはおぼつかない。
そこへもってきて出撃後ともなれば、ハンガーは猫の手をダース単位で借りても追いつかないような修羅場と化す。具体的にどのような風になるかといえば――
「そこ! 肩部二番装甲外すわよ、クレーン回して!」
「あーん、ボクがとっといた人工血液のストック、持っていったの誰ー!?」
「き、筋肉疲労度測定完了、ナンバー四・五・八の交換が必要です……きゃあっ!」
「フフフ、軟骨再生率毎分〇・七%、なお継続中……スバラシイィッ!!」
「おら、そこジャマだ、どけいっ!」
――とまあ、こういう具合になるわけである。
この喧騒はコックピット回りになると多少静かになるが、それは別に彼らがおしとやかなわけではなく、単により集中力を要求される作業が増えるため、口数と大きな動きが少なくなるだけに過ぎない。
パイロットたちはそれぞれの機体に取り付いて、人間のそれにも匹敵するほどの繊細な回路をひとつ、またひとつとチェックを繰り返していく。
三番機パイロットである速水と舞の二人も、彼らの愛機である士魂号複座型、その搭乗口近くにあるメンテナンスハッチを覗き込むようにしてチェックを行なっていた。
「B2ブロック、シナプスパターン正常。パターンロック」
「ロック……チェック完了」
「もう少し急げ……よし、次に行くぞ」
舞がチェックをかけていったパターンを速水が次々にロックしていく。その結果は彼の手元にある報告書に次々に書き込まれていった。
思ったよりも神経接続の成績が良いことに、舞は満足していた。とはいえあからさまに喜びを現すようなことはせず、わずかに口の端を緩めただけであったが。
と同時に疑問も浮かぶ。
――これほど調子が良いのなら、なぜ今日の動きが今ひとつだったのだろうな?
彼女は今日の戦闘で覚えたかすかな違和感のことを思い出していた。といってもたいした事があったわけではない。
出撃命令の後戦区へと展開、いつものように戦場へ突入。
一番機が露払いをし、二番機が援護射撃、その中を三番機が突入し、ミサイルで一掃、残っていれば追撃を行い、可能な限り殲滅する――。
最近パターン化が懸念されるぐらいにまとまった戦法である。今回もこれがきれいに決まり、やすやすと幻獣を撤退に追い込む事ができたのだ。
違和感は自機の動きにあった。動作のテンポがほんの少しだけ遅れていたような気がしたのだ。もっとも速水は特に感じなかったようだし、今見たように反応系統に今のところ異常もない。
「悪しき完全主義に陥ったつもりはないのだがな……。思い過ごしのようだな」
疑問も今の気分を妨げるには至らなかったが、こういう雰囲気はえてして長続きしないものらしい。
脳内スイッチを切り替えて、舞は次のブロックのチェックを開始した。心なしか手の動きも速い。
「B3ブロック、ラインBに劣化確認……交換完了。パターンロック」
そのまますぐに得られるはずの返事を待ったが、それはいつまでたっても来なかった。
「?」
不審に思った舞が傍らを振り返ると、肝心の速水はあらぬ方を向いて何か考え込むように突っ立っていた。ペンが手先から零れ落ちかけている。
それを見た舞の眉がきりりとつりあがるが、先ほどまでの気分が影響していたものか、十分抑制の聞いた声で、
「厚志、チェック完了だ。ロックしろ」と言った。
だが、速水はそれにも気がつかない。舞の眉がさらに急角度になる。
やがて臨界点突破。
「厚志、どこを向いておる! さっさとロックをせんか!」
鞭打つような声に慌てて我にかえった速水は、今どこにいるのかようやく思い出したように周囲を見回し――舞と目が合った。
舞は先ほどまでの気分はどこへやら、明らかに雲量が増した瞳で速水を睨みつけている。速水の背筋に寒気が走った。
「え、えーと、ごめん……。その、どのブロックだっけ?」
もう、決定的。
「たわけ、B3ブロックだ! さっさとしろ!」
雷鳴にも似た怒声に、士翼号でもかなうまいと思われるスピードで速水はハッチに取り付くが、慌てているせいか手先が震えてなかなか作業が完了しない。
ようやく終わって振り向くと、舞の雰囲気は雷雨の一歩手前といったところだった。思いのほか整備が好調であったという事実がなければ、確実に雷の一発ぐらいは落ちていただろう。
いや、人生の終止符か。
「パ、パターンロック完了。……その、ごめん。ついボーっとしちゃった」
「たわけ! ……そなたは元からぽややんだが、今日は度を越しているぞ? せっかく戦いが無事大勝で終わったというのに、こんなところで気を抜いてどうする! 次の戦いは待ってはくれぬのだぞ……もういい、さっさと続けるぞ!」
「う、うん」
明らかに舞の気分を害したことを後悔しつつ、速水は再びメンテナンスハッチに取り付いたが、どことなく気分は晴れなかった。いくら集中しようとしてもどことなく世界の全てにもやがかかったような気分になってしまうのだ。
「変だなあ……え?」
何気なく手先を見た速水は驚きの声を上げたが、それはあまりにも小さい声――実際には単なる唇の動きだけ――だったので、舞には聞こえなかったらしい。
彼の指先は、本人も意識していないうちに細かく震えていたのだ。
――まさか、さっき怒られたせいじゃないよね? あのくらいなんていつものことだし。
……なんだか、さり気にひどいことを言っている気もするが、それはさておき。
意識を集中すると、程なく震えは止まったものの、どことなく気分が晴れないのには変わりはなかった。
先ほどの戦闘のせいかとは思いつつ、首をかしげながらも速水はゆっくりとした手つきで残りの作業を進めていくのであった。
***
「全ロック完了確認。神経接続テストを実施する」
「了解、テスト開始する」
チェッカーのアクセスランプが点滅したかと思うと、次々に緑に点灯していく。とはいうものの、全ての完了までには多少の時間が必要だった。
「厚志、今のうちにそなたは報告書を原のところへと持って行け。こっちは見ておいてやる」
まだ幾分不機嫌さの残る声でそう言うと、自分はチェッカーが表示するログのチェックを開始していた。
「じゃあ、ちょっと行ってくるね」
いい加減に返事を返すと、舞は再び画面に集中する……はずだったが、先ほどから情報はあまり頭に入ってきていない。
――一体、どうしたというのだ? いかな奴がぽややんだとてあのように仕事を放り出すような奴ではない。少なくとも今まではそうではなかった、そのはずだ。
「腑に落ちんな……」
舞は画面を眺める振りをしながら、先ほどの状況を反芻していた。舞の脳内では今までの情報が高速で検索・整理され、さまざまな可能性を検討していく。
――怖気づく……? いや、先ほどまでは全く問題はなかった。ではどこか負傷でもしたか? いや、三番機は傷らしい傷すら負っておらん。ならば体調が? まさかな。私に対してあれだけうるさい奴がそんなことはなかろう。それに、そんな気配は露ほどもなかった……。
「ふむ……」
全ての可能性を検索してみるも、結局答えは出なかった。
神ならぬ身の上か、はたまたさすがに普段の彼の姿に舞も幻惑されたか、気がつかなかったこともあるようだ。
だが、後知恵で批判するのは公正ではあるまい。
つっけんどんだろうが素っ気なかろうが、自らのパートナーでありカダヤでもある速水のことである。気にならないはずがなかった。ただし、その感情を素直に表に出すことは、先ほどの例からも分かる通り滅多にはなかったが。
舞は先ほどとは別の理由で眉を吊り上げながらあれこれと考えをめぐらせていたものだから、その表情はずいぶんと剣呑なものになっていたらしい。
だが、さしもの眉もいささか垂れ下がろうとして――。
「あの……芝村さん?」
「なっ、何だ?」
いきなり背後から声をかけられ、慌てて表情を取り繕って振り向けば、そこには一番機のパイロットである壬生屋が、心配といささかの恐れをミックスブレンドした表情で立ちつくしていた。そりゃ、眉を吊り上げてなにやら訳の分からぬことをブツブツ呟いていれば怖いのも致し方ない。
「な、何だ壬生屋、何をそんなところに突っ立っている?」
遅ればせながらそのことに気がついた舞の声も表情も、だから必要以上にいかめしくなっていた。
「あの……」
「何だ、さっさと言うがいい」
気分そのままに、いささかぶっきらぼうに答えるが、そのような物言いは珍しくないので、壬生屋はやや心配げに、
「その、テスト、終わってますけど……?」と言った。
「は?」
間抜けな声をあげながら慌てて下を見ると、そこではチェッカーが全テスト正常終了を示すサインを表示しながら、いつまでも気がつかない舞に対して抗議のブザーをがなりたてていた。
「あ、そ、そうだな。ちと考え事をしていた、すまぬ」
「大丈夫ですか? どこかお悪いのでは……」
――わ、悪いのは厚志だ! 私に余計なことを考えさせおって……。
それは責任転嫁というものではないだろうか?
「いや、何でもない、何でもないのだ。仕事の手を止めさせてすまぬな。ささ、早く作業に戻るが良い」
何を考えていたかなどまさか本当に言うわけにもいかないので、半ば強引に押し切るようにして壬生屋をぐいぐいと押しやった。
「そ、そうですか? では……」
怪訝そうな顔をしながらも一番機に戻っていく壬生屋を見送ると、舞はため息をつきながらチェッカーのスイッチを切った。
ログの保存を忘れていたのに気がついたのは、その直後であった。
再びチェックが完了し、ログデータの保存を確認すると、舞は大きく息をついた。
「まったく、あやつのせいで私の調子まで狂いっぱなしだ。本当に全く、あのたわけが……」
ぶつぶつ言いながらもログファイルを一通り確認し、異常がないことを確かめるとプリントアウトしてそれにサインをした。最終的にはこれも原のところで承認を受ける手はずになっている。
プリントアウトを整理してふと作業用デスクを見ると、そこには見覚えのあるバインダーが置かれていた。
手にとって見て、すぐにその正体に気がつき愕然とする。
それは、先ほど速水が持っていったはずのチェックリストだった。
「……あの馬鹿が! これを持っていかずにどうすると……?」
素早くバインダーを取り上げながら怒鳴りかけた舞だったが、すぐにその書類がどことなく変なのに気がつく。そこに書かれていた速水の字に、妙に力がなかったのだ。
いや、力がないというよりは……。
「……酔っ払ってでもいるのか?」
もともと彼の筆跡は力強いというものではなかったが、この、まるで微小地震のさなかに書いたように細かく震えているのはちょっと異様であった。
舞はほんの少し考え込んだ後、ともかく身柄の確保が先とものすごい勢いで階段を駆け下りていった。
(つづく)
* | 次のページ
[目次へ戻る]