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幻想食品(その2)


「紅茶だ、飲め」
 速水はゆっくりと上体を起こすと、舞が差し出したパックを受け取り、一口吸い込んだ。
 合成とはいえ、清冽な香りとほのかな甘みが口中に広がり、思わず息をつく。
「ここは……?」
「倉庫のソファーだ。状況が状況だけに、人目につかない方がいいと思ってな」
 確かに周囲を見渡せば、先ほどまで自分がいた部屋だ。その時の記憶が蘇ってきて、一瞬身体に震えが走った。
「どうだ、落ち着いたか?」
「……うん、どうにかね。ありがとう」
 意外に明るい声に、舞も小さく安堵の息をついた。
 ――これ以上、舞を心配させることはないからね。
「ところで僕、さっき何か変な事しなかった?」
 話の続きとばかりに、つとめて平常に出された声であったが、舞の顔は一気に朱に染まった。
「舞?」
「なっ、ななななんでもない! そにゃ、いや、そなたは何もしておらん、そうだ、何もなかったのだ! 信じるのだ、反論は許さん。いいな!」
「……? うん、いいけど」
 さっぱり合点がいかないものの、本能的に深入りはまずいと感じた速水はこれ以上の追求を避け、話題を転じようとして――何気なく床を見た。
「!!」
 声にならない叫びと共に、速水がソファーの上でびくりと身体を震わせた。
「どうした?」
「そ、それって……?」
 速水が微かに震える指で指した先には、赤い液体が水溜りを作っており、その中心には先ほどまで嫌というほど見ていた白衣姿が転がっていた。
頭のあたりから何か灰色がかったペースト状の物体がはみ出ているように見えるのは気のせいであろうか?
「ああ、こやつから全て聞いたからな。詳しい話は不要だ」
「話、を……?」
 速水の目は床の一点に吸い付けられたままだった。そこにはあちこち凹み、赤黒く染まった金属バットが転がっていた。
「うむ、丁重に聞いたところ、快く話してくれたぞ。まったくこやつはろくな事をせんな。おまけに音波干渉機で外部に音が漏れないようにするとは……」
 舞はまだ何事か呟いていたようだが、速水の頭には全く入っていなかった。どう「丁重」に「話を聞いた」のか、理解したくなかったせいかもしれない。
 今になって速水の鼻腔は、空気中に混じる金属臭を感じ取っていた。
「さて、では始めるか」
「……始めるって、何を?」
 心配げな声に、舞は心底不思議そうな表情を向けた。
「決まっているであろう? この機械の解体だ。全く人騒がせな。厚志に何かあったらどうするつもりなのだ……」
 後半は口の中に飲み込みながら、舞は再び金属バットを取り上げた。
 ……それは「解体」ではなく「破壊」と言うのではなかろうか?

「ちょ、ちょっと待って舞!」
 それまで半ば呆然と成り行きを見守るだけだった速水が素っ頓狂な声をあげた。
「いくらなんでも、いきなり壊すってのはもったいないよ。これってなんだか使えそうな気がするんだ。もう少し調整すれば……」
「そなたもぽややんにもほどがあるぞ、先ほどの事をもう忘れたのか?」
 舞は片手にバットをぶら下げたまま、呆れたような声をあげた。速水はそれに臆することなくちょいちょいと手招きをする。
「何だ?」
「僕にちょっと考えがあるんだ。つまり……」
 それから小声で二言三言会話が交わされた。舞は最初驚きに目を見開いたが、やがて納得の表情で頷いた。
「なるほど、そういう考え方もあるか……。よかろう、そなたの意見を採用しよう」
「まあ、今より悪くなることはないと思うよ」
 ほんの少しの苦味をこめて速水が言ったその時、死体同然と思われた岩田がおもむろに立ち上がると、クルクルと回り始めた。
「フフフ、スバラシィッ!! アナタ、私のすばらしさが良く分かっていますねぇ!」
「貴様は寝てろ!」
「グハァッ!!」
 舞の一撃を受け、まるでスローモーションのようにゆっくりと岩田は血だまりに沈んだ。
「さて、時間も遅いし食事にでも行くか……どうした?」
「う、うん、なんだかあまりお腹がすいていないんだ」
「なんだ、食べねば身体がもたぬぞ? まあいい、ともかくついてこい」
 舞に促されるようにして、速水は味のれんへと向かったが、その右手はずっと腹の辺りに添えられていた。
 ――血の匂いのせいかな。
 速水は、とりあえず深く考えるのは止めにすると、舞の後を追った。

   ***

 翌日、この機械が公開されると、あっという間に人だかりができた。
「うわっ、すっげえ!!」
 感極まった滝川の叫びが漏れる。彼の口中は今まで体験したことのないような味に満たされていた。
 今彼が試しているのは、関西に本拠を置くホテルのディナーコースであった。
 ヘルメットをかぶりスイッチを入れると、真っ暗なはずの視界に忽然と料理が浮かび上がる。彼の目の前にはスープ用ボウルに注がれたポタージュスープが置かれていた。ふんわりと良い香りが鼻腔を刺激し、それだけでもう大いに食欲をそそっている。
 滝川は「腕」にあたるポインタをスープの中に差し入れた。うるさいテーブルマナーなど分からなくてもいいのだから、滝川としては願ったりかなったりである。
「……あちちっ! あつ、あつ、あつっ!」
 まだ十分な熱さをもったスープを「口に含んで」しまったのだから当然である。滝川はいったんポインタを外し、今度は恐る恐る差し入れ直す。
とたんにじっくり煮込まれたポタージュのとろりとした舌触りとさまざまなうまみ、ほんのひとたらし加えられた生クリームが舌を撫でつつ喉の奥へと流れ込んでいった。これが実物でないとは到底信じられない。
「うめえっ! 俺、こんな旨いスープ飲んだことないよ!」
 滝川が食べている料理はモニターで見ることができるので、彼の「実況中継」にも誘われて、みんな真剣な表情でモニターを覗き込んでいた。
「うわ、しまった……! 」
 いきなり滝川が残念そうな叫びを上げた。目に映る「料理」は全く減らないので加減を忘れてしまったらしい。
 それでいてなんだか腹が膨れたような気がして、残りの料理に手をつける気がなくなってしまったようだ。
「何やっとっとねこいつは。この後にメインコースがあるっていうのに……」
「お、おい、俺にも試させてくれ!」
 まるで本物の料理に飛び掛るようにがっついているのは……今更説明の必要があるであろうか?
 さくりと切れば、切り口から肉汁があふれ出しそうなハンバーグ、絶妙の酢加減に厳選されたネタで握られたお寿司、いまだ鉄板の上で油がはねている分厚いステーキ……。
 全くこの装置には、一体どこからこれだけ集めて来たんだかと言いたいほどのメニューが取り揃えられていた。
 これがただで、しかもいくらでも味わえるというのだから、興奮しない方がどうかしていた。
 まあ、中にはこの装置をうさん臭げに眺めている者もいたが、興味は大なり小なり皆あるものらしい。
「フン、くだらない。結局は幻だろうが……。そんなもので騒ぐとは、なんともあさましいね」
 輪から少し離れたところで、茜がさも馬鹿にしたようにはき捨てた。
 その様子を見ていた森が、ニヤニヤしながら背後からそっと声をかける。
「ちょっと大介、アンタ随分落ち着かないみたいだけど?」
「!!」
 茜はさっきから足を組んだりほどいたり、と忙しいことこの上なかった。
「うっ、うるさいな! 姉さんこそなんだよこれは?」
 そういいながら茜は口元をぬぐってみせる。はっと口元に手をやり――森は担がれたことに気がついた。
「あ、あんただましたわね!」
「フン、そんな単純な手に引っかかるほうが悪いのさ」
「なによ、このバカダイ!」
 ……なにやらいきなり勃発した姉弟大戦を放っておきつつ、やがて記録もできるということで、何人かがそれに挑戦し始めた。


 Case-1 〜ののみ〜

 速水が体験した時に出ていたスパークは、舞の監視の下で懸命に調整された結果全く発しなくなっていた。
 よって、ののみが今かけている姿は、さながらマッサージチェアで揺られているようにも見えた。
 程なくして、ののみがとことこと降りてくる。その姿を瀬戸口は心配そうに眺め、さらにその姿を壬生屋が赤い顔をしながら、それでも黙って見つめているというおなじみの姿が展開されていた。
「の、ののみ大丈夫か? どこも怪我はしていないか?」
「うん、だいじょうぶだよ。もー、たかちゃんはしんぱいしょうだねぇ」
 それでも何となく嬉しそうだ。瀬戸口は黙ってののみの頭をくしゃくしゃと撫でてやる。
「それで、ののみは一体何を入れたんだい?」
「えへへ、あのね、いままでたべたことあるおかしをいれてみたのよ」
「どれ、じゃあちょっと試してみるか……? !!」
 瀬戸口は最初ニコニコ顔でヘルメットをかぶったのだが、やがて怪訝な表情になり、さらには押し黙ってしまった。
 やがて彼は席から降りたが、その表情を見た周囲のものはぎょっとした。
 瀬戸口が、目にうっすらと涙をためていたのだ。
「ののみ、ちょっと聞きたいんだがな」
「ふぇ? たかちゃんどーしたの?」
 妙に沈痛な声に小首をかしげながらののみが答えると、瀬戸口は一語一語区切るような発音で言った。
「お前の食べたことあるお菓子って、ここに来てからのものばかりじゃないか?」
 ――ちょっとだけ、周囲の気温が下がった気がした。
「うん、ののみね、まえはこんなにおかしたべたことなかったのよ。だから、ここでたくさんたべれてしあわせなのよ」
 たくさんといったって、せいぜい速水や中村が作るクッキーとか、ごくまれに配給されるアイスぐらいのものである。
 ののみの無邪気な笑顔を見ながら、居合わせた全員は溢れる涙を堪えられなかったという。
「ふえぇ? みんな、どーしたのー? かなしいこころはめーなのよ?」
 知らぬは本人ばかりなり。


 Case-2 〜速水〜

「ま、どーせ速水が何を記録するかなんて分かってっけどよ」
 どことなくやさぐれたような、拗ねたような声で滝川が言い捨てた。彼女のいないもののひがみというやつか。
「はい、記録OK。誰か試してみる?」
「あ、じゃあ、私が……」
 手を上げたのは田辺だった。速水が頷くと、彼女はおずおずと席についた。
「わあ……」
 スイッチが入るなり、田辺は歓声のようなものを一声上げると、そのまま動かなくなってしまった。
「お、おい?」「何が起こったんだ?」
 怪訝な表情をした皆の視線がモニターに釘付けになる。
 やがて田辺は席から降りると、深々とお辞儀をした。
「ありがとうございます速水さん。相変わらずお料理がお上手なんですね」
 ――速水の、手料理っ!?
 あ、みんな目が血走ってる。
 次の瞬間、血で血を洗う争奪戦が勃発した。
 その騒ぎの張本人はと言えば、騒動を尻目に悠々と立ち去っていく。
「ふふっ、僕が舞の手料理を記録するなんて、そんなもったいないことをするわけないじゃない。これは僕のヒ・ミ・ツ」
「……一生登録するな」
 いつの間にか背後にやってきた舞は、疲れたような表情でため息をついた後、そっと後ろを振り向き、ほんの少しだけうらやましそうに人差し指を口元にやっている。
「ほら、舞には僕が作ってあげるから」
「……たわけ」


 Case-3 〜中村〜

「では、おいはこの芳しき……」
『やめろぉっ!!』
 周囲からの集中砲火を食らい、中村、轟沈。
 手には薄汚れた細長い袋状の布が握られていた。


 Case-4 〜ブータ〜

「……だれだよ、ブータにやらせようなんて言ったのは?」
「にゃー」
 ギリギリまで下げられたヘルメットをかぶせられたブータは、装置が止まるや慌てて逃げ出した。まあ、当然ではある。
「で、誰かやんのか?」
「はいはーい、ボク試してみる! 何だか面白そう!」
 元気に手を上げたのは新井木だった。彼女はそのまま勢い良く席につく。
「さぁーて、いくよ! スイッチ、オン! ……!!」
 いきなり硬直した新井木に、全員の視線が集まった。
 いや、モニターから目を逸らしたのか?
「いやああああああぁぁぁっ!!」
 新井木は喉も裂けよとの勢いでいきなり絶叫した。あまりの衝撃に身動きもならないらしい。
「いやーっ!! こ、これ、だ、誰かァッ!!」
 慌ててスイッチが切られ、ヘルメットが外されると、ようやく我にかえった新井木は、ゴムマリのような勢いで飛び出していった。
「くっ、口ゆすいでくるっ!」
 口元を押さえ、蒼い顔をしながらドアをぶち破らんばかりに走り去った新井木を、皆は呆然と見送るばかりであった。 と、顔を洗っているブータを見ながらののみが不思議そうに言った。
「あれぇ? ねこさん、そういえばさっきつかまえてたごき……」
 ――げ。

 データは速攻消去され、しばらくの間ブータに触るものはいなかったという。

 とか何とか言いながら皆がわいわいと与えられたおもちゃで遊んでいるのを眺めながら、騒ぎの輪の隅にたたずんでいた人影がぽつんと呟いた。
「デモ、これハ何か不自然ナ気がしマス」
 憂いを帯びたヨーコの呟きは、誰の耳にも入らなかった。
 そして、輪から外れていた人物がもう三人。
 善行は部屋の壁にもたれながら、眼鏡をゆっくりと直していた。それに感情のない一瞥を加えた岩田は、
「萌さん?」
 と、こっそりと後ろに合図を送った。
 萌は手元を見て小さく頷く。手元では彼女には理解できない数字の羅列がディスプレイに吐き出され、記録されていく。やがてそれに別種のデータが加わり始めたように萌には思えた。
 ――一体、何の記録かしら? 裕君は知ってるの?
 ふと疑問に思った彼女は答えを求めようと傍らを振り返り――絶句した。
 データを取りまとめる萌を見る岩田の目は、これがあの彼かと思いたくなるほどに痛ましげな光に満ちていたのだ。

   ***

 それから数日はこの装置のことで話題はもちきりであったが、その「恩恵」にあずかれなかった人物がここにいた。
 敏腕事務官こと加藤祭である。
 小隊司令室の中では、加藤が一人書類と格闘していた。彼女とてそういうものには大変に興味があるのだが、いかんせん書類の方で彼女を手放してくれず、なかなかに使う機会がやってこないのだ。
「くっそー! うちだって使いたいんや!」
 腹立ちまぎれに机を叩いてみても、事態は解決しない。
 そこで一計を案じた彼女は、ある夜こっそり使ってみようと、装置の保管場所に潜り込むことにしたのだ。
 いつぞや、この装置が発明されたのと同じようにしんと静まり返った廊下をこっそり歩いていると、倉庫から明かりが漏れていた。
 ――ん?
 そっと覗き込むと、暗くて最初は分からなかったが、岩田が善行となにやら話をしているのが見えた。
 ――何やあの二人、コソコソと?
 装置への興味から、物陰から聞くともなしに二人の話を聞いていた加藤の顔がどんどんと青ざめていく。
 ――こ、これは……。大変や、えらい話聞いてしもた……。
 加藤は慌ててきびすを返して逃げようとしたが、緊張のあまりか思わずつまづいてしまった。足元に積んであった資料がバサバサと崩れ落ちる。
「誰です!?」
 普段と全く違う善行の声に、加藤は走って逃げ出そうとするが、次の瞬間には肩を押さえられ、振り向こうとした首筋に何か冷たいものが押し当てられていた。
「いけませんねえ、立ち聞きはマナー違反ですよぉ?」
 口調こそひょうけたものだが、そこには一片の感情も含まれてはいなかった。加藤は首筋に当たるメスよりも、むしろその声の冷たさに恐怖した。
「加藤さん? あなたがなんでこんなところに……」
「か、堪忍してください。うち、うちただその装置を使ってみたくて……、ほんの出来心なんですわ!」
 いやいやと首を振りながら、涙目で訴える加藤に冷たい一瞥をくれながら、善行は苦虫を噛み潰したような表情で言った。
「だからといって、このまま帰すわけには行きませんね」
「ひっ……!」
 善行がくいとあごを振ると、首筋にメスを当てたまま、岩田は軽々と加藤の体を部屋の中に引き込んだ。
 その間、加藤は何とか声を出そうとしたが果たせず、また、抵抗しようにも二組の鋭い目がそれを許そうとはしなかった。
 ――う、うち、いったいどうなってしまうんや……?
 加藤は、自分が失禁しないですんでいられるのがむしろ不思議なほどだった。
(つづく)


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