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電信(その1)


 一九九九年四月一〇日(土)。
 もう、一体何回目になるのか分からない幻獣警戒警報――人類にとっての絶滅戦争という名の機械が織り成す、戦場という名の舞台における開幕ベルが高らかに告げられた。
 空は半ば以上厚い雲に覆われて、本来受け得るべき恵みの光はその半ばも地上に届かない。もっとも、恵みを受けるべき当の地上もかなりの部分が灰燼に帰し、かつて建築物や人間であったものが無残な骸をさらしている。
 その骸――八代戦区の半ば崩れかけたビルの陰に、第六二高等戦車学校――五一二一小隊の指揮車は寄り添うようにして停車していた。
 車内では二名のオペレータ、瀬戸口とののみが前線各部隊から入ってくる情報を収集・整理・取捨選択して、戦場の全体像をはじき出そうとしている。
「瀬戸口君、戦線右翼の状況を」
 車内中央の指揮官席に腰掛けた善行が、ゆったりした口調で尋ねた。瀬戸口はモニターから目を離さずに報告する。
 刻一刻と移り変わる戦場の変化を見逃さないための当然の措置であった。
「はい、左翼は滝川の二番機が現時点までに狙撃ポイントを確保。九二ミリライフルによる阻止攻撃を継続中です。敵はミノタウロス一を主力とする中型五、小型一二。現在、スカウトが支援のため急行中です」
「中央及び右翼は?」
「右翼では壬生屋の一番機が残敵を掃討中。残りはゴブリンが六。もうまもなく移動が可能になる見込みという報告が入っています。中央・速水と芝村の三番機は膠着状態といったところです。敵はナーガ、キメラ等の砲撃部隊七を中心とする一六体。突入のタイミングを計っていますが、意外に敵の連携が良いそうです」
「ふむ……」
 顎に手を当てて、善行はしばし戦場イメージを脳内に構築し直す。今のままでも押して押せない事はないが、それでは少し時間がかかる。それに損害はなるべく抑えたいところだ。
 やがて善行は眼鏡に手をやって位置を直すと、「マザーバードに通信を……」と言いかけた。
 次の瞬間、指揮車内部にアラートが響き渡り、車内が赤く染め上げられる。瀬戸口が後ろを向きながらいささか固い声で、
「緊急! 前線偵察班より入電、『貴戦域右翼後方に多数の幻獣実体化反応アリ、敵の増援、ないしは第二波と思われる。警戒されたし』とのことです!」
と告げた。
「マザーバードに緊急連絡!」
 その報告を聞くやいなや、善行は身を乗り出すようにして叫んでいた。事は一刻を争う。壬生屋だけでは戦線を支えきれまい。
「了解!」
 瀬戸口も事の重大さは理解出来ている。一動作でコンソールに向き直ると、普段からは想像もつかない素早さで周波数を切り替える。
 その間にも右翼では幻獣が次々と実体化。その数はあっという間に四〇を超えた。
 善行はマイクを手に取ると、ことさらゆっくりとした口調で話し始めた。
「マザーバード、マザーバード。こちらシャノアール。支援攻撃を要請する。座標データはデジタル系にて転送。口頭にてデータを確認したい」
 僅かなタイムラグの後、やや雑音の混じる声がスピーカーから流れ出す。
「こちらマザーバード04。貴隊の要請を確認した。口頭でデータ確認せよ」
 マザーバード04――生徒会連合の移動司令部とも言うべき、川崎E―5統合目標戦術指揮管制機のオペレーターの一人だ。
 この機体は、フェイズドアレイレーダーや多重リンクされた通信網、同乗する二〇数名のオペレーターたちによって、九州全域の生徒会連合に関する戦闘管制を行う事が出来る。その情報処理量は驚くほどのもので、こうしている間にもあらゆる戦域の情報が入力・分析・指示と処理され続けていた。
 口頭での確認は、いわば最終承認のようなものだった。
「了解、グリッド三五六四―二二八一。方位角は秘匿符牒三五五六。当方は弾着観測可能、修正可能」
「マザーバード04了解。すまん、今ウェイターが出払っている。君達に回すことの出来る奴を物色している。少し待ってくれ」
「急いでください、お客は既に玄関口を叩いているんですから」
「OK、急ぎ見繕う。チャンネルはこのまま保持」
「了解」
 気分転換のための軽口とはいえ、このような状況ではいっそ憎らしくも聞こえる。瀬戸口はほんの一瞬だけ振り向くと善行を睨みつけた。彼はその視線を無視すると、相手の応答を待つ。
 永遠とも思われる時間――実際には一分ちょっとしか経っていないのだが――の後、連絡があった。
「シャノアール。君達の要望にこたえられそうな奴が見つかった。チャンネル二二で呼び出せ。コールサインはモンスターだ」
「モンスター?」
 善行はかすかに首をひねった。支援部隊でそんなコールサインは聞いたことがない。
「ゴッツイやつだ。効果は保証する」
「シャノアール了解。モンスターにチャンネルリンクする」
 ――体育部系の部隊ですかね?
 そんなことを考えながら、善行は再びマイクを取り上げた。

   ***

 話は少し時系列をさかのぼる。
「マザーバード」乗り組みのオペレーターであるマザーバード04――松井政人(まつい まさひと)百翼長は、できることなら頭を抱え込みたいような心境だった。
『……急いでください、お客は既に玄関口を叩いているんですから』
「OK、急ぎ見繕う。チャンネルはこのまま保持」
 松井は努めて平静な声で答えた。
 ――分かっちゃいるんだけどなぁ。ままならんもんだ。
 本音としてはそう愚痴りたいところだが、そんな暇は無い。
 了解の返事を聞くと、松井は直ちに手すきの部隊の検索に入った。
 しかし、本当に世の中はままならぬもので、この日に限っては、どこの支援部隊も手が離せない状態となっていた。
「ちっ、幻獣どもめ、何が楽しくてそんなにうじゃうじゃ出やがるんだ。こっちの都合ってものも考えやがれ!」
 松井はいささか自棄気味にデータベースを調べ続けた。
 と、その手がふっと止まる。ディスプレイには「JMSDF 1EF MONSTER」の文字が青く点滅していた。青と言うことは「支援攻撃可能」であるということを意味している。
「しかし、こいつは……ええいっ、そんなことを言ってる場合か!」
 今は一刻を争うのだ。松井はダメモトでチャンネルを合わせて呼びかけてみた。
「モンスター、モンスター。こちらマザーバード04。火力支援を要請する。命令系統を無視しているのは百も承知だが、聞いてもらえないだろうか?」
 一瞬の間を置いて、太い、男性的な声が聞こえてきた。
『こちらモンスター。マザーバード04、分かってるじゃないか。支援要請なら上級部隊の承認を得てから言ってくれ』
 松井は歯軋りしたい気分だった。そんなことは分かっている。だが、たった今救いの手が必要な連中がいるのだ。それが理解できないのか!
 あやうく感情のままに叫ぼうとしたその瞬間に、笑いを含んだ声がスピーカーから流れ出した。
『……とはいえ、そこで断るというのも野暮な話だ。マザーバード04、目標は自由射撃ゾーンに指定されているか?』
「え? あ、ああ。当該地域は三日前から自由射撃ゾーンに指定されている」
 つまり、動くものなら(味方以外の)何に対してもぶっ放していいということだ。
『ならば問題はない。モンスターはこれより、独自の判断により当該地区に対して砲撃を実施する。よって、現地部隊にはその弾着観測を要請したい』
 松井は呆気にとられてしまった。連中は勝手に射撃するつもりなのだ。そして五一二一小隊にはそれを手伝えと言っている。指揮権上ではたとえ畑違いでも向こうが上級だから、この「命令」は妥当性がある。
 後で、誰も困らないのだ。
 ――けっ、このタヌキ親父、ふざけやがって。畜生、やるじゃないか。
 苦笑を浮かべつつ、松井は言った。
「マザーバード04了解。『前線偵察班』よりの情報を転送する。詳細については向こうから連絡させる。コールサインはシャノアール、チャンネル二二」
『モンスター了解。連絡を待つ』
「マザーバード04了解……協力に、感謝する」
『何に感謝されたのかは分からんが、ありがたく受け取っておこう。マザーバード04、オワリ』
 通信が切れたスピーカーに向かって深々と一礼すると、松井は五一二一小隊への回線を開いた。

   ***

 マザーバード04の指示通りにチャンネル二二に合わせると、すぐに応答があった。
「こちらシャノアール。モンスター、火力支援を……」
『こちらモンスター。シャノアール、詳細はマザーバード04から聞いている。これより砲撃を開始する。諸君らは現地点より後退せよ』
「……はあ?」
 思わず善行は間抜けな声を上げてしまった。この地域を維持しなければならないから支援砲撃を要請したのに、ここから撤退したのでは何にもならないではないか。
「モンスター、我々は撤退を命ぜられていない」
『撤退ではない、後退だ。支援砲撃の効果範囲データを送付する。諸君らはこの範囲外へと退避してもらいたい』
 待つほどのこともなく、モンスターからのデータが到着したが、それを見た瀬戸口の表情が一変した。
「なんだ、こりゃあ!?」
「どうしました?」
「……これは、直接ご覧になった方がはやいですよ。そちらのモニターに転送します」
 その様子を見て、何を大げさなとは思ったものの、次の瞬間には、善行も似たような声を上げそうになっていた。
 手元に届いた効果範囲データは、戦線右翼の実に七割に達していたのだ。一番機はもちろん、どうかすると三番機も引っ掛かりかねない。
 ――一体、連中は何者なんだ?
 善行には漠然たる予測はあったが、今はそれどころではなかった。第一、これが本当ならえらいことになる。
「シャノアール了解。これより効果範囲外へと後退する。連絡を待たれたし」
「司令!?」
 瀬戸口の叫びは意図的に無視した。相手の素性など今はかまっている暇はないし、一刻を争う事態であることには変わりない。
『モンスター了解。当方は砲撃準備完了、貴方からの指示を待つ』
 それっきりスピーカーは沈黙した。
 瀬戸口などは、いまだかつがれているのではないかという顔つきだったが、善行は矢継ぎ早に命令を下し始める。
「一番機、三番機に後退命令を。現地点より五〇〇メートル後退、遮蔽物確保の上退避。このデータも送付しなさい」
「はい、ですが、司令……」
「復唱は?」
 取り付くしまの全くない声に、瀬戸口は慌てて復唱した。
「一番機、三番機に後退命令。現地点より五〇〇メートル後退の上遮蔽物を確保、退避。了解」
 軽く頷いた善行はモニターを注視し続けた。
 ――この攻撃力は、ひょっとして……。
 彼の予測は、確信へと変わりつつあった。

   ***

『……繰り返す、一番機及び三番機は現地点より後退、指定ポイントにて遮蔽物を確保、退避せよ』
「なんだと? 善行は何を考えているのだ!」
 複座型のコックピット内で、舞はかみつくように言った。撤退戦ならともかく、今のところわざわざ戦場を放棄する理由はなかった。
 壬生屋も同意見なのか、指揮車に直接意見具申しているが、返ってきた返事は同じだった。
「舞、どうする?」
 必要とあればすぐ突撃できる態勢を維持しつつ、速水はのんびりした口調で言った。突入ならいつでもできると言っているのだ。
 その声に舞の口調が少しだけ柔らかくなる。
「命令に逆らう訳にも行くまい。後退しろ」
 皆まで待たずに三番機はジャンプを開始していた。もちろん戦線後方にである。
 一般に戦術論としては、戦闘は攻撃よりも撤退が難しいと言われるが、特に追跡を受けることもなく悠々と敵射程から離脱した。
 ――厚志め、予測していたな。
 さすがパートナーにして恋人というべき動きに、舞としては苦笑するしかなかった。モニターによれば、壬生屋も渋々ながら後退を開始したようだ。あちらは後退というものが苦手だから、少々損害を被るかもしれない。まあ、要は下がれれば良いのだ。
 それにしても疑問はあった。
 砲撃は万能ではないし一部の例外を除いては目もついていない。敵味方が混交している状況では味方に当てかねないから、誤射を避ける意味で後退するのは分からないでもない。
 だが、この効果範囲では、砲兵師団が支援したって達成できるかどうか怪しいもので、もちろん生徒会連合にそんな戦力はなかった。陸上自衛軍だって、在九州の戦力では難しいだろう。
 ――一体、何が「支援」をするというのだ?
 その直後、舞はその答えを驚愕と共に知ることになる。

   ***

「モンスター、モンスター、こちらシャノアール。当方後退完了。着弾観測準備ヨシ」
『モンスター了解。試射を開始する。……発射した』
 指揮車の面々は、どこからか何か音が聞こえてこないかと耳をすませていた。通常の支援砲撃なら、発射報告から少しして巨人の拍手のような音が聞こえ、続いてあえて言うなら急行列車が通過するような音がしてから着弾、というのが一般的なパターンであるのだが、今回はそんな音は少しも聞こえてこない。
「一体、いつになったら――」
「シッ!!」
 善行が改めて耳を済ませると、はるか上空から理性でなく本能を揺さぶり、背筋を寒くさせる金切り声のような音が聞こえてきた。
『弾着まで後五秒』
 唐突にカウントダウンが始まったのへ、全員が耳をそばだてた。
『四、三、だんちゃーく、今』
 次の瞬間、戦線右翼の中央部辺りにとてつもなく巨大な火柱が立ち上った。高さ一〇〇メートルにも及ぼうかというそれは巨大な爆焔を生み出し、周囲にあるものを幻獣だろうが建物だろうがお構いなしに巻き込み、破壊していった。
『な、な、な、なんだよ、何が起こったんだよ、あれは!?』
 狼狽した声は滝川のものらしい。従来の曲射砲など、これに比べれば児戯に等しい。
「……こちらシャノアール。弾着よし。オン・ターゲットだ。効力射を要請する」
 車内の誰もが放心する中、善行の声がやけに冷静に響くのが、むしろ滑稽ですらあった。
 本格的な着弾が始まったのは、その通信から八六秒後のことであった。

   ***

 八代海の沖合い約一〇キロに、全長二五〇メートルを超える巨大な艨艟(もうどう)がその優美な姿を浮かべていた。
 大きさだけならもっと巨大なタンカーなど珍しくもないが、六〇〇〇〇トンを超える船体から発散する、すさまじいまでの迫力と威厳は、他の船舶には望むべくもないものであった。
 五一二一小隊から効力射要請を受けた彼女は、次々に準備を整えていく。
 彼らのほかにも、各地に展開している弾着観測班や、航空自衛軍の観測機から次々に流れ込んでくるデータを元に、彼女は己の拳――艦上に据えられた巨大な砲塔を、水圧装置の力を借りることで毎秒一〇度の割合で旋回させていく。既に準備を整えていた第一砲塔は、三本の長大な砲身をまるで獲物を突き上げる槍のように一斉にもたげた。
「観測データ入力継続」
「第二・第三砲塔、方位格調整よし。仰角……よし」
「潮流、現在〇・五ノット。変化なし」
 砲弾を命中させるためにさまざまなデータを引き続き入力する。なにせ、三〇キロ以上と言う距離から、正確に撃ち込まねばならないのだ。データなどあってありすぎるということはなかった。
 気温・湿度・風向きは言うに及ばず、現在も観測が続けられている目標までの直線距離、自らの僅かな移動誤差、地球の自転速度、砲弾や砲身、装薬の経年劣化状況……。そのほか数十にも及ぶ項目がチェックされ、各砲塔を管理する指揮官――砲術長はようやく満足のいく解析データを導き出した。
「射撃指揮所より艦橋、主砲発射準備完了」
「艦橋より射撃指揮所、主砲斉発。子供たちが危機に陥っているらしい。遠慮はいらん、全てぶち込め。……撃ち方始め!」
「了解、第二射用意、テーッ!!」
 命令と同時に、時報にも似たサイレンが艦内に流れる。短音三回、長音一回。
 艦内に緊張が走る一瞬だ。
 そして、長音が鳴り終わると同時に、艦上では何もかもを吹き飛ばすような衝撃波と、赤黒い火炎、百雷がいっぺんに落ちたかのような轟音とともに、黒い物体が超音速で砲身から飛び出していった。
 彼女――海上自衛軍統合艦隊第一護衛艦隊旗艦、装甲護衛艦「やまと」が長砲身四六センチ砲をもって、その凶悪な、純粋なる凶器としての姿をあらわにした一瞬だった。

   ***

 それは既に砲撃という生易しいレベルのものではなかった。一度着弾すれば、猛烈な振動と共に地面が引き裂かれ、巨人の手で放り上げられたかのように飛び上がっていく。
 幻獣もその例外ではなく、この純粋なる暴力の中でなすすべもなく引き裂かれ、潰され、砕かれていった。
「司令……、これは一体何なんですか?」
 瀬戸口はモニターに向かいながら惚けた声で呟いた。自分の見ている情景がどうしても信じかねるらしい。
「これは『やまと』ですよ。まだ商船学校の生徒だったころに、一度姿を見たことがあります。私達は自動的に海上自衛軍予備士官コースに組み込まれてましたからね」
「じゃあこれは海自ご自慢の戦艦――いや、装甲護衛艦ってわけですか」
 瀬戸口は驚きを隠せない。空母――航空護衛艦ほどではないにせよ、あれほどの金食い虫がたかが学兵の支援を行なっているというのがにわかには信じかねるのだ。
「軍の中にも、いろいろと思惑があるようですね。まあ、我々にとってはありがたいことですが」
「それにしても、圧倒的じゃないですか、我が軍は? 幻獣がまるでゴミみたいだ……」
 モニターカメラの中では、芥子粒のような幻獣が、まるで風に吹き散らかされたかのように吹き飛ばされていく。
 二人とも寂として声もなかった。
 それから二〇分もたったころだろうか。ひときわ大規模な爆発を最後に幻獣の活動は熄んだ。最後の一体まで戮滅されたのだ。

   ***

「すっげぇよなぁ! 俺たちにもあんな凄いヤツがいるんじゃねえか、なあ?」
 全てが終了して学校に戻ってくるなり、滝川は抑えかねるかのように叫んだ。
 結局、戦闘のほうは「やまと」の戦闘加入により増援としてきたはずの幻獣がほとんど壊滅してしまったために、実にあっさりと終了してしまっていた。
「いや、俺も噂に聞いてはいたが、ありゃ凄いものだ。あのフネ一隻の主砲斉射は、砲兵一個師団に匹敵するって話だからな」
「すっげぇ! 本当かよ!」
 なおもわいわいと噂話に花が咲く中、舞はその輪の中心から離れたところに一人佇んでいた。だが、興味がないわけではない。それが証拠に頭の中では活発に思考が交わされていることを示すように、眉がきつくしかめられていた。
「どうしたの? 何か面白くないことでもあったの?」
 何かを確認するように、あえてとぼけたような声で速水は尋ねた。
「いや、大したことではない。あのフネのことを考えていた」
「まさか海上自衛軍が僕たちを支援してくれるとは思わなかったけどね」
「おそらく、戦場でのバランスを心配した誰かの差し金であろうな。まあ、戦力が増えるのは良いことだ。たとえそれが限定的なものでもな」
「限定的? なんでかな、結構大したものだと思うけど?」
 速水は小首を傾げて見せた。
 ここまではいわば、舞の思考を発展させる手助けをしていたわけだが、これは本当に分からなかったのだ。
「そうか? 考えてみよ」
 舞はにやりと笑うと、答えを待たずに喋り始めた。
「あのフネの主兵装は砲だ。ミサイルなど、他にもいろいろ積んでいはいるが、メインは変わらない」
「え……? あ、ひょっとして、射程?」
 舞は、出来のよい生徒を見るような目で大きく頷いた。
「そのとおりだ。『やまと』主砲の射程は約四〇キロ前後。まさか海岸から撃つわけにもいかないから、実際の距離はもっと少なくなる。なかなか内陸部にその影響力を及ぼすことの出来ない、沿岸兵器なわけだ。まあ、あの大口径砲の使いどころとしては悪くはないはずだから、我らとしてはせいぜい使い倒させてもらえばいいということだな」
 そうまとめると、舞は鞄の中身を整え始める。先ほどまで離れたところで噂に花を咲かせていた連中までがいつの間にか二人の話に聞き入っていた。
 さすが芝村的演説、そう評すべきだろう。
「皆、何をぼけっとしている? 話は終わりだ」
 その声で始めて我に返ったように、教室にざわめきが復活した。話の流れが変わったことを察知した速水は、舞にそっと近づいた。
「それでさ、舞、明日の日曜なんだけど……。久しぶりにどこか出かけない? で、よかったらこれからいっしょに打ち合わせなんてどうかな、って思ったんだけど」
「あ、あー、そのそれが、だな。すまぬ。明日は別用が入ってしまったのだ」
 突然、舞の口調がしどろもどろになった。とても先ほどまで流れるような演説をぶっていた人間と同一人物とは思えないほどの変わりようである。
「あ、ああ、そうなの? ……どこか行くの?」
 意外な返事に面食らいつつも、つとめて冷静に速水が言うと、舞は頬を染めて、
「う、うむ、まあ、そんなところだ」
と、なんとも歯切れの悪い返事を返した。これまた芝村らしからぬところではある。
「ふうん、そうなんだ。で、一体……」
 速水がちょっと声を落としながら、誰と、と続けようとしたときに、二人の後ろから甲高い声が聞こえてきた。
「まいちゃーん!」
 振り返れば、舞の背後からののみが駆けてくる。
「まいちゃん、みーっけ! あのねあのね、あしたなんだけど……」
「ああ、なんだ。ののみちゃんと出かけるの?」
 速水の声には明らかに安堵の響きが混じっていたが、それに気がついたかどうか。
 舞はがくがくと首を縦に振りながら、
「そそ、そうなのだ。つき合ってくれと是非にと頼まれてな」
と言った。
 怪しさ大爆発である。
「へぇ、ののみちゃんいいなあ。……ねえ、僕もついていっちゃだめ?」
 瞬間、舞の顔がひきつった――ように見えた。
「めーなの! あしたは『おんなのこのだいじなこと』するんだから、あっちゃんはめーなの!」
「の、ののみ……」いつの間にか舞は全身汗みずくになっていた。
「そ、そうなの? じゃあ、残念だけどまた今度ね」
「うん、あっちゃんはまいちゃんのおへや……むぎゅ」
「ととというわけでなっ! 厚志、すまぬが先に帰るぞっ!」
「え、ええっ?」
 速水が驚く暇もあらばこそ、ののみの口を塞いだ上にしっかりと抱きかかえて、舞はまるで疾風のように去っていった。
 見ようによっては幼女誘拐である。瀬戸口あたりが見たらなんと言うであろうか?
 速水は状況を把握しきれずに一人とり残される。
「そんなに大事なことって、なんだろう……?」
 ――僕に、聞かせられないようなこと?
 まあ、考えたところで分かるわけがない。
「それに、ののみちゃんがいるんだから……」
 どうも空想がヘンな方向に向かいがちなのを、その事実だけを頼りに修正することに成功した速水は、それでも寂寥感を背中に漂わせながら一人帰り支度をするのだった。
「今週は寂しくなりそうだなあ……。なんか、ののみちゃんに舞を取られちゃうこと、結構あるような気がするんだけど……」
 ……速水よ、できれば九歳児相手に恋の鞘当てをするのはやめたほうがいいと思うのだが?
(つづく)


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