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プラクティス・エフェクト(その1)


 軍事と政治は、古来不可分の関係にある。
「戦争は、政治の最終的解決手段である」といわれるのがその代表であろう。これは、軍があくまで政治(政権)の道具であることを示している。
 道具は自らが優秀であることを示さねば、政治という奇怪な海の中で泳ぎきっていくことは出来ない。この思考がある方向に極端になると、自らが優秀であると信じるがゆえに飼い主に噛み付き、主人に取って代わることとなる。つまりクーデターである。
 幸いというか、自衛軍や生徒会連合にはその気はない(能力がない、というべきか)のでこれは当てはまらないが、ならば彼らは自らの存在意義を示さねばならぬ。
 世論については問題ない。現在は幻獣との絶滅戦争の真っ只中であり、軍がなければ国民の生活は一瞬たりとも成立し得ないという意識が浸透している。
 だが、軍内部の優先順位となれば話は別だ。
 現在の戦線は九州中部に限定されており、大会戦も発生している。つまり、一切の戦果はそこでしか発生していない。他の方面軍は蚊帳の外のように感じられるのだ。
 このような最悪のセクショナリズムは、実際に戦っている九州軍やそこで生活する市民にしてみれば何を馬鹿なと言いたいところだが、軍も人間によって作られる組織である以上、完璧などとは程遠い存在である。
 今、そのセクショナリズムの軋轢が、一粒の種をまこうとしていた。

   ***

 一九九九年四月一六日(金)。
 九州中部戦線は、久しぶりに安定した状態を取り戻していた。いや、むしろ優勢といっても良かったかもしれない。
 その好影響は九州軍全軍の隅々にまで及んでおり、だからこそ、熊本市内の尚敬高校、その隅っこに間借りしている五一二一小隊の小隊司令室で、司令たる善行がのどかに午後の日の光を浴びながら書類を決裁する、という贅沢も味わえるというものであった。
 これまでの激戦を証明するかのように、決裁すべき書類は多岐に渡って山積みになっており善行を大いに嘆かせはしたが、これをどうにかしなければ小隊運営に多大な影響が出るのもまた事実である。
 それに、少なくとも書類は襲いかかっては来ない。
「これも、私たちの努力の成果という奴ですか……」
 ため息を一つつき、眼鏡を軽く押し上げると、善行は未決箱から山を崩さないように慎重に書類を引き抜いた。
 ――実際、よくここまで持ち直したものですよ。みんな、よく持ちこたえてくれた。
 今があるのは彼ら一人一人の力にほかならない。
 善行は本気でそう思っていた。
 四月一〇日に発生した幻獣の大量発生により、熊本の戦力比は大幅に人類不利へと悪化し、一時期は戦線崩壊かと真剣に熊本撤退案までが検討されていた。
 その最悪のシナリオが発動せずに済んだ理由はいくつかあるが、一つは自衛軍・生徒会連合(学兵)の区別ない必死の防戦が行なわれたこと(この戦いで、九州の人類側兵力は約三割を失う損害を受けた)。
 もう一つは、最も激戦のさなかにひそかに発案、計画が推進された、「熊本城攻防戦」の存在である。
 この、「後手からの一撃(バックハンド・ブロウ)」として放たれた作戦は見事図にあたり、その当時熊本市内ならびにその周辺部に存在した幻獣をほぼ一掃。時を移さずに開始された前面攻勢により、現在の安定を手に入れることに成功したのである。
 部隊内の人間関係やちょっとした整備、訓練の遅れなど細かい問題はなくもないが、それはいずれも瑣末な問題であり、大したことではない。少なくとも自分と副司令(整備班長)、それに若宮辺りが目を光らせておくことで早期に解決をはかることで対処は可能だ。
 とりあえずの方針を定めてしまうと、善行は再び書類の決裁を再開した。今のところはこれを全て片付け、軍の事務処理効率の悪さに悪態をついていればいい。
 むしろ、本当の問題はここの外にあるかもしれなかったが、それこそそれは今や一介の小隊長に過ぎない自分が考える問題ではない。
 その、はずだった。

   ***

 突然、窓際の通信機が着信コールを奏でだした。
 善行は急いで立ち上がると通信機のスイッチを入れ、席につくと背筋を伸ばした。この通信機を使うとなれば、相手は一人しかいない。
「はい、こちら五一二一小隊司令、善行万翼長であります」
『俺だ。堅苦しい挨拶は抜きにしろと言っただろうが』
 極力装飾を廃した、ありていに言えばぶっきらぼうな口調で相手――芝村準竜師は言った。善行は恐れ入る風もなく、
「はっ、申し訳ありません。性分ですもので」と言った。
 画面の中で准竜師が皮肉な笑みを浮かべた。
『まあいい、連絡したのは他でもない、お前に一つ頼みがあってな』
「は、頼み……ですか?」
 善行は失礼にならない程度に視線を外に向けた。
 別に天気は悪くない。
『なに、下らんことだ。近々関東より増援が到着する。増援規模は一個大隊。そのうち一個中隊は士魂号M型装備だ』
「増援」
 伝説の珍獣でも発見したような表情で善行は繰り返した。
 話としては善行も一応聞いている。彼のパイプは芝村に対するそれだけではない。そんなことはおくびにも出さずに善行は言った。
「今ごろ増援ですか? 本当ならありがたいことなんですがね」
口調にかすかに皮肉が混じる。むろん、皮肉の相手は準竜師に対してではない。
『少なくとも向こうはそう言っている。生徒会連合第一師団に所属する部隊だそうだ。いつの間にそんな部隊が出来たのかは知らんが、なりふり構わぬやりようはご苦労なことだ』
 罵倒するような調子で準竜師が評価してみせた。
 第一師団自体は、学兵制度発足時から存在する生徒会連合関東軍屈指の精鋭部隊とされている師団だ。ルーツをたどれば陸上自衛軍の幼年学校兵を中核に据えて編成されたといわれているから、現在九州で戦っている学兵たちとは桁の違う、筋金入りの兵士たちということになる。
 本来なら諸手を上げて歓迎すべきなのかもしれないが、部隊員全員がエリート部隊としての意識が強く、所詮は急造師団の哀しさで、何かと他部隊とのトラブルが発生しがちという話もある。戦力として期待すべきか難しい所があった。
 装備の問題もある。
もともと第一師団には士魂号装備部隊は存在しない。
 現在士魂号の生産は既に打ち切られており、複座型はおろか、少しは余裕のあるはずの単座型でさえ所要数を確保するのが徐々に難しくなってきている。ひょっとしたらその原因のうちの一つはこのあたりにあるのかもしれない。九州での予想外の活躍ぶりに慌てて装備・編成したというのが本音だろう。
 なお、一部では士魂号の再生産されるのではないかという噂もある。ありがたい話ではあるが、それが全て関東に流れないという保証はない。
 その分、実際の戦線がどれほど苦労するかについては一切お構いなしで、だ。
『連中は中隊単位で各戦区に配属されることになっている。派遣期間は一ヶ月だそうだ』
 ――期限付きの部隊派遣か。連中、物見遊山と勘違いしているのか?
 善行の内心に気づいているのかいないのか、準竜師は淡々とした口調で続ける。
『連中、こちらには不案内だろうから協力部隊をつけてやることになった』
「はあ」
 なんとも気の抜けた返事に、准竜師がにやりとする。
『一応命令として言ってやる。五一二一小隊は第一大隊第一中隊と合同作戦を展開、最大限の便宜を図ってやれ。細かい資料はあとで届けさせる』
「……了解いたしました」
『貴様のことだ、分かっているとは思うが適当に対処しろ』
 適当、というところを微妙に協調しながら準竜師は椅子にもたれかかった。通信終了の合図だが、善行は一言言ってみることにした。
「連中、何を考えてるんでしょうかね?」
『そんな事が俺に分かるか、以上だ』
 ――嘘だな。
 そう確信した彼の前で、唐突に通信が切れた。
 善行はしばし暗くなったモニターを見つめながら考え込んでいた。
 増援部隊との共同作戦云々について是非はない。彼らは軍人であり、命令は既に下された。あとはそれを実行に移すだけである。部隊そのものにも気になるところはあるが、問題は送り込んだ連中の意図だ。
「何を考えている?」
 一個大隊といえば約一〇〇〇名。人数的にはともかく、学兵最精鋭という額面を信じるのなら、それは一個連隊の増援に等しい(技量に加えて、装備も他の地方より優遇されているという現実がある)。
 大盤ぶるまいといえるが、どうせ送るなら二週間遅かった。単に準備が間に合わなかったのなら恐るべき怠慢であるが、もしそうでないとしたならば……。
「手柄を独り占めされるのが怖くなったか……」
 理由としてはそれが一番考えやすい。つまり九州中部戦線における関東軍の発言権確保である。
 とかく軍隊では戦果を上げた者が必然的に声もでかくなるという傾向にある。そして、今のところ「戦果」は九州にしか転がっていなかった。保守本流の要とも言える関東としては、必要以上に九州の発言権が大きくなっては困るということだろう。
 ――あれからちっとも考え方は進歩していないわけか。
 善行は苦々しい思いとともにその考えを噛みしめる。
 もう一つは、恐らく実戦テストといった意味合いもあるに違いなかった。関東軍自体がどのくらいの戦力として使えるのか、実際に戦場で確かめてみようというわけである。
 熊本城攻防戦によって幻獣勢力が大きく減殺された直後なので、特に問題はないものと判断したのではなかろうか(九州以外の部隊は実戦を経験していないから、なおさらである)
 これでは、結局のところ九州軍が敷いた赤絨毯の上をしずしずと歩いてくるようなものだ(もちろん、絨毯の原材料は兵士の命だ)。
 曲がりなりにも首都を預かる関東軍にしてこの調子では、果たしてまともに戦争をする気があるのかどうかさえ疑わしくなってくる。
 ――馬鹿馬鹿しい。首都のことなどどうでもいい。問題は今僕たちがこれからこうむりそうな迷惑についてのことだ。
 善行は机に肘をつき、組んだ手に顎を乗せながら沈思黙考する姿勢をとった。
 生徒会連合第一師団。かつての彼とも全く縁がないわけではない。その部隊についてはさまざまな情報を聞いている。
良いものも、悪いものも。
 ちょうどその時、机の上の電話がけたたましいベルの音とともに鳴り出した。
「はい、こちら五一二一小隊司令室」
『幕僚長……あ、いや、今は小隊司令でいらっしゃいましたか、お久しぶりであります』
「やあ、松永君。ちょうど連絡しようと思っていたところだ」
 善行は古なじみの声に、かすかに表情を和らげた。
「で、君が電話してくるなんて珍しい、何かあったのか?」
『それなんですが……』
 秘話装置を作動させるように促され、それからいくらかの言葉のやり取りがあった。そのうちに善行の口調は明るさと苦味の混交したものとなっていった。
 過去は、悪いことばかりではないのである。
 もちろん、いいことばかりでもないが。
 
   ***

 この件は、翌日のHRで明らかにされた。
「増援? この時期にか」
 舞は片方の眉を吊り上げた。
「ええ、到着は三日後になります」
 ――部隊規模の割には遅いな。
 そう思いはしたが、口には出さない。
 一組教室内の雰囲気も、大同小異ではあるが「今ごろ」という雰囲気があるのは否めない。
「我が小隊は第一中隊と共同行動をとることになります。実質的には指揮下、ということになるでしょう」
「補給や整備はどうするのだ? あと宿営地は」
 舞の質問に、善行は眼鏡を直しながら答えた。
「通常編成に加えて自前の整備小隊と施設小隊をつけるそうです。輸送等も同様です。あと宿営地ですが、ここの近くの疎開地を利用するそうです」
 少なくとも、その方面で自分たちの負担が増すわけではないというわけだった。
 もちろん、そんなわけはなかったのだが。
「司令、その部隊ってどんな部隊なんですか?」
 滝川の質問に対する答えは、ある意味彼の希望にそったものかもしれなかった。
「私たちと同じ士魂号M型を装備した部隊です。一個中隊で三個小隊編成なので、九機ですね」
 本来なら四個小隊編成だろうが、さすがにそこまでは手が回らなかったらしい。
 いや、この小隊が四個目なのか。
「ええっ、ホントですかあ!? うわ、すっけぇじゃねえかよ、士魂号揃い踏みってかぁ?」
 滝川が思わず歓声を上げる。ロボット好きにとっては燃えるシチュエーションらしい。
 ――君の期待に添えるかどうかは分かりませんがね。
 はしゃぐ滝川を見つつ、善行はそんなことを考えていた。
「では、説明は以上です。何か質問は?」
 解散が言い渡された後、舞がそっと呟いた。
「我らは当て駒か、従兄殿め、食えぬ奴だ。エリート部隊か。さて、誇りを論ずるに値する奴がいるかどうか……?」

   ***

 仰々しいまでに巨大なタンク・トランスポーター(戦車輸送車)が尚敬高校に向けて次々と進入して来た。本来なら自衛軍の主力戦車にでも使われそうな代物だ。同じ輸送車でも徴発した木材用一〇トントラックとは大違いだ。
 輸送能力が大幅に余るために一個小隊分の収容能力があるそれらから各三機ずつ、計九機の士魂号が降車、整列している様はなんとも言いようのない威圧感をかもし出していた。
「うっわー、すっげー!! ……でもなんか、こいつら妙に陰気だよなあ?」
 滝川がしきりに首をひねっているが、彼らの都市迷彩が規定よりも暗めの色で塗装されているせいだろう。
 やがて、兵員輸送車から降りてきた中隊員たちがその前に整列する。そのまま式典にでも並べておきたいような整列具合だが、どの顔にもどこか挑むような、同時に五一二一小隊をあざけるような、そんな色が浮かんでいた。
 みんなの間に何とはなしに嫌な予感が走る。茜などは、
「フン、下品な奴らだ」
 と、さすがにこれは小声で呟いた。
「総員、整列!」
 若宮の号令で、みんなてんでばらばらに整列する。ここではその手の訓練などしたことも無かった。
 傍目から見ても無様としか言いようのない整列に、中隊員の侮蔑の表情がいっそう強くなる。
 戦うことで精一杯だった彼らがそれを恥じる理由はないとはいえ、その顔は一同を一層不快にさせた。
「なんだぁ貴様ら、その無様な整列は!」
 突然、雷が落ちたかのような怒声に思わずびくりと身をすくめるものが続出した。ののみなどは半泣きになりかけている。
 そこには関東軍の制服に身を固め、数々の略綬を身にまとった男が立っていた。余裕の無さがそのまま顔面に現れているような、そんな顔立ちをしていた。
 男は五一二一小隊の隊列をじろりと一瞥すると言った。
「噂にたがわぬ弱兵ぶりだな。私が第一中隊指揮官、須藤上級万翼長である! 貴様らは本日より我が隊の指揮下となる。こちらではそれなりの戦果を上げたようだが、我々にはそんなものは通用せん!、今の姿がいい証拠だ。いいか、貴様らに軍のなんたるかを一から叩き込んでやるから、そのつもりでいるように、以上だ!」
 これが本当に同じ学兵の言葉であろうかと思うような一語一語が、まるで叩きつけるように浴びせられた。
 その言葉に全員の表情がさっと変わった。
「なん……」
 滝川が怒りの形相も露わに一歩踏み出そうとした時、それより先に激発する者がいた。
「なんだと! 手前ら今更のこのことやってきた挙句に何だその言い草は! ふざけんじゃねぇ……」
「戦士!」
 田代が全て言い終える前に中隊長が一声叫ぶと、これが本当に学生かと思えるほどがっしりとした小隊付き戦士が前に出て、その岩を削りだしたような体躯とは正反対の動きで田代に駆け寄ると、腹に渾身の一撃を叩きつけた。
 お互い生身とはいえ基本的な体力が全く違う。田代はたまらずその場に崩れ折れた。慌てて数名が駆け寄って助け起こす。戦士を睨みつけるものもいた。
 一触即発かと思われた時、「待てっ!」と声が飛んだ。
「田代戦士、勝手な行動を許可した覚えはありません。下げさせなさい」
 善行は何の感情も含まぬ声でそう命令した後、須藤に向き直った。
「中隊長殿、失礼いたしました」
「フン、貴様がここの小隊司令か?」
「はっ、善行忠孝万翼長であります」
「そうか」
 同時に鈍い音がした。善行の眼鏡がグラウンドに転がる。
「部下の躾がなっていないようだな、えぇ? 万翼長?」
 ねめつくような視線と粘った声が善行の耳朶を打った。
 それについての感想は棚上げにすることにして、急ぎ直立不動の体制に戻る。
 口の中に血の味がした。
「……申し訳ありません、中隊長殿」
「フン、まあいい。これから俺が鍛え上げてやる。善行、貴様も例外ではないぞ」
「はっ」
「良かろう、解散!」
 プレハブ校舎まで戻る間、中隊のあざけりの視線が全身に刺さるような気がした。

   ***

「なんなんだよ、あれは! あれが俺らと一緒に戦うってか? とてもそんな雰囲気にゃ見えねぇぞ!」
 教室に戻ったところで滝川の不満が爆発した。
 普段は雰囲気を読めないことに関しては右に出る者がいない彼にしても、さっきの視線の意味ははっきりと分かった。中隊の連中にあるのは、明らかに関東軍の九州軍に対する優越感であった。
 他の者も程度の大小の差こそあれ、似たような思いを抱いていた。その中で舞は黙ったまま腕を組んでいた。
 口々に不満を述べていると、突然ドアががらりと開いた。
 何事かと振り返れば、そこには先ほどの戦士と、後ろに並んでいた小隊長の一人――千翼長だった――が立っていた。戦士が岩なら、さしずめ狐と並んだら、どっちがどっち神分がつかないような風貌をしている。
「無駄口を叩く元気だけはあるようだな? えぇ? ……このクズども、整列しろ!」
 どうやら、中隊の士官クラスは似たり寄ったりと言ったところらしい。まるで金太郎飴だ。
 一瞬、対応が遅れたメンバーに容赦なく罵声が飛ぶ。バラバラと統一のないスタイルでようやく整列が終わった。

それをじろじろと睨みつける小隊長。
「なんともはや、これが九州一の精鋭だと? こんなガキまでいて、か?」
 ののみの方を見ながら、心底侮蔑したような声音で叫ぶ。叫んでいればえらく見えると思っているタイプらしい。
「九州軍も底が見えたというものだな……。いいか、ここでちょっと手柄を立てたかどうか知らんが、貴様らは兵士としては半端者だ。それを俺たちがじっくりと分からせてやる。いいか!」
 沈黙。
「返事はどうした!」
『はいっ、よろしくお願いします、千翼長殿!』
 半ばやけくそじみた声で全員が唱和する。
「よーし、その言葉忘れるなよ」
 実に嬉しそうな声で小隊長が言った。

   ***

 翌日から始まった訓練メニューは、まさに常識外れと言ったものだった。

「オラァ! そこ、遅いっ! グラウンド五〇周追加だ!」
「じょ、冗談じゃねえよ、もう何時間走ってると思ってんだ……」
 全身汗みずくになりながら、ふらふらとした足取りで滝川が呟いた。ラインオフィサーは先ほどからぶっ通しで走らされていた。それには老若男女の区別はない。
 倒れたものは容赦なく蹴り飛ばされ、完全にだめだと判断されるまでは走り続けさせられた。
 それは、たとえ加藤や萌といった指揮車メンバーであろうとも例外ではなかった。既に彼女らは整備員詰め所に放り込まれている。
 ののみはその例外だったが、別に体力が考慮されたわけではない。「こんな奴に訓練をさせても無駄だ」として、八才の子にさせるには過酷に過ぎる荷物運びをやらされていた。
「貴様、何怠けてやがる! しゃんとせんか!」
 突然訓練士官に横合いから蹴りを入れられ、滝川は思わずその場に転げ込んだ。呼吸は暴風のように荒れ、心臓は早鐘どころか機関銃並に騒いでいる。
「何やってやがる、立て!」
 その声には明らかに加虐の快感が含まれていた。
 ――チックショウ、見ていやがれ!
 わざとのろのろと立ち上がろうとすると、訓練士官が待っていましたとばかりに蹴りを入れようとした。
 タイミングを計って、滝川は一挙にダッシュで走る。タイミングを外されて訓練士官はその場にすっ転んだ。
 ――へっ、ざまあみろ!
 かすかな快感と共に、滝川はどうやら集団の中に戻っていった。
 たとえ訓練をサボっていたとしても、実戦はそれなりに彼を成長させていた、そういうことらしい。
 もっとも、彼は訓練終了後に滅茶苦茶に殴られたが。

「違う! 何度言ったら分かる! このグズが!」
「きゃあっ!」
 ハンガー内に柔らかいものを殴る音が響き、田辺はその場に倒れこんだ。
「貴様、何故言われたとおりにやらん!? マニュアルも読めんのか!」
「ご、ごめんなさい、ごめんなさい。……で、でもこうした方が」
 また一発。
「貴様の意見なぞ聞いておらん!」
「す、すみません。でも……」
「まだ言うかぁッ!!」
 殴打音がまた響いた。誰も助けるものはいない。
 いや、他のメンバーも似たような状況で、とても他人を構うような余裕などないのだ。
「もういい! 五分したら作業を再開する!」
 足音荒く整備士が立ち去った後、田辺はよろよろと立ち上がった。隙を見て、原がそっと話し掛ける。
「田辺さん、大丈夫?」
「あ、はい、このくらいなら……。でも、どうしてあの人たちは温血マッサージをしないんでしょう? その方が動きがいいのに……」
「起動直前まで冷却しておいた方が人工筋肉の持ちがいいからよ。……だいぶ前に否定されたはずなんだけどね」
 自らも士魂号の開発には少なからず関わっていた原は、そう言って唇を歪めた。
 彼らには実戦で判明した戦訓が反映されていないのだ。
 ――これじゃ、実際に出撃したらひどいことになりそうね。訓練みたいにのんびりとはしていられないのにね。
「そこ、何をやっとる! さっさと作業をせんか!」
「はい、申し訳ありません!」
 そう言ってから、原は心の中で舌を出した。
 ――ふん、馬鹿ね。あんたが指摘したような所なんて、とっくに終わってるわよ。うちの子達を舐めないで。

 以上は、五一二一小隊に課せられた訓練のほんの一部に過ぎない。そのほかにも少しでも意に沿わないことがあれば容赦なく「修正」と称して張り飛ばされた。
 つまり、彼らは学生でありながら軍隊の醜悪な側面ばかりを嫌と言うほど味あわされていたのだ。
 いや、それだけではない。
 彼らは明らかに五一二一小隊をいたぶることに快感を見出していた。関東軍が上位であるという「幻想」を信じ、九州軍最強といわれる部隊をいいようにもてあそぶことで、己の優越感を満足させているのだ。中隊長にしてからがそのように指示を下しているのだから、一層始末に終えなかった。
 ようやく訓練から開放される頃には、みんな身も心もボロボロといった方がいいような状態だった。
「参った……。色男、金と力はなかりけり、って言葉を知らんのかね、まったく……」
 机に突っ伏しながら瀬戸口が呟いた。彼の目の周りには、ののみが張り飛ばされた時に反抗して殴られた跡がくっきりと残っていた。
 憤るメンバーに、舞は一言呟いた。
「今にわかることだ、好きにさせておくが良い」
 みんなは何を言っているのかという表情で舞を見たが、舞は何も答えようとしなかった。
(つづく)


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