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アルラウネ(終話)


 速水たちはそんなことがあったとは露ほども知らず、詰所で今後の相談をしていた。
「ともかく今日はもう夜も遅い。家に帰るとしよう」
「そうだね。じゃあ、着替えを用意しなくちゃ……」
 いけしゃあしゃあと速水が言うのに、舞は慌てた。まさか彼がついてくるとは予想していなかったのだ。
「な、何故そなたがついてくる!?」
「君だけでこの子の世話、できるの?」
「うっ……」既に言葉もない。最近家事能力は多少上昇したとはいえ、子供の世話に手が回るとは思えず、やむを得ず妥協する事にした。
 その時、更紗の言葉が頭をよぎった。
 ――後悔するかもしれない、だと? どういうことだ?
 舞はその場で少し考え、電子妖精をいくつか取り出すと多目的結晶にセットした。ただしこれはいつもと違い、芝村の極秘データベースに潜入させるつもりだった。

 幸い、舞の部屋は数日前に掃除したばかりなので比較的ましなほうだったが、未明が一歩入った途端、
「わあ、きたなーい!」と叫んだのは他の誰のせいでもない。辛辣な批評に、舞は耳まで真っ赤になった。
 子供って、全く容赦なし。
 舞は傍らで笑いこけている速水をすみやかに沈黙させると、
「う、うむ、全くだな。では未明、少し手伝ってくれるか?」と言った。
「はいっ!」
 こうして時ならぬ大掃除となったが、夜も遅いのでとりあえず三人がいるスペースだけを用意した。未明は本の山をよちよちと運んだりして実に楽しそうだ。
 その間に速水は痛む頭をさすりながら、台所で簡単な夜食の準備を整え、ついでに風呂も沸かす。
 さすが将来の夢がお嫁さんだっただけのことはある。
 夜食の後で、舞は未明と一緒に風呂に入る事にしたのだが(ついてこようとした速水は一撃で撃沈された)、未明はこんな事が初めてだったのかすっかりはしゃいでしまい、風呂場は時ならぬ大騒ぎになってしまった。
「こら未明、そんなにお湯をかけるな……。あっ、こらっ! 未明、そのまま出るでない! 厚志、捕まえてくれ!」
 何事かと慌てて振りかえれば、未明が身体も拭かずに飛び出してくるところだった。速水は手近にあったタオルを掴むと慌てて未明を捕まえた。
「舞、捕まえたよ……舞っ!?」
素っ頓狂な声をあげた速水の視線の先には舞も慌てて飛び出してきていた。もちろん何も身に着けていない。
一瞬、世界が凍る。
「み、見るな、馬鹿者っ!!」
ドライヤーを速水にクリーンヒットさせると、舞は全身を真っ赤にしながら風呂場に飛び込んだ。少しして大きな水音が上がる。
「い、痛た……。これって僕のせいなの?」
「父様、くすぐったいよー」
痛む鼻を押さえながら、それでも未明を拭いてやる速水だが、間近で見れば見るほど舞そっくりなので、彼女の射抜くようにまっすぐな視線とはどうも目をあわせられない。
 ――ぼ、僕はそういう趣味は……。
 そう言いながらも妙に慌てる速水だった。

 布団が準備され、それぞれ潜り込む。
「舞……」
「なんだ厚志、ば、馬鹿者。今日は駄目だ」
「なんで? いいじゃない……ぐえっ!?」
 舞は、隣にいたはずの未明が速水の上にのっかるのを見た。
未明は一言、
「母様も父様も、なかよしさんですね!」と大声で言う。
 さすがにこれでは手が出せず、結局その日は未明を挟んで川の字に寝る事になった速水だった。

 翌日、日曜日。
 二人は未明を連れて熊本城にきていた。
 未明は実に嬉しそうにはしゃぎまわり、ときどきとっとこ駆け出して行く。押したらころころ転がりそうな危なっかしい走りだが、実に楽しそうだ。
「何でスペアなんて考えたんだろうね?」
 芝生に座りながら、速水が呟いた。
「?」
「HEROってのは、別に能力があればなれるものじゃない。僕がそうかどうかは分からないけど、僕は舞に出会って、そして小隊の皆に出会って、生き方を変えてみよう、って思った。いろんな出会い、いろんな経験、いろんな想い……。なにより、舞、君がいたから」
「厚志……、馬鹿者、あまりそういうことを堂々と言うな……」
 隣に座りながら、舞がかすかに頬を赤くする。
「守ろうと思うものがない、器だけの存在がそうなれるとは思えない……。そう考えると、あの子は無理にそんなものにならなくて幸せだったのかもしれないね」
「……そうだな」
 舞もゆっくりと頷く。
「父様、母様! こっちにお魚がいるの!」
 未明がはしゃいだ声で二人を呼ぶ。
「じゃあ、行くとしましょうか、『お母さん』? ……わっ、舞、ちょっと、グーはなしにして!」
「やかましい! そんなことを言うのはどの口だ!」
 そう言いながらもどこか嬉しそうに駆けて行く。
 それを見て未明もやってくるが、何もないところで突然転んでしまった。慌てて舞が駆け寄る。
「未明、大丈夫か?」
「あ、ごめんなさい母様、ちょっとよろけちゃった」
 ぺろっと舌を出す未明に思わず苦笑する二人。
 まるで本当の親子のような一日だった。

   ***

 それから数日が過ぎた。
未明のいる生活にもすっかり慣れてきた。それは二人だけではなく小隊の他のメンバーも同様だった。
「お、未明。また肩車でもしてやろうか?」
「わあっ、若宮兄ちゃんありがとう!」
「おう未明、誰かにいじめられたりしてねーか? んなことあったらすぐに言えよ」
「うん、大丈夫だよ、香織お姉ちゃん!」
 やはり、みんな彼女を嫌いになるのは難しいようだ。なんだかんだと理由をつけては未明の世話を焼きたがる。彼女自身の素直な性格が幸いしているのかもしれない。
 その中でもののみは自分とほぼ同い年の遊び相手ができてご満悦の様子である。今も二人は教室の隅で一緒にぬいぐるみで遊んでいる。森が二人にくれた猫のぬいぐるみだ。
「ののみちゃん、お外に行こうか?」
「えへへ、いいよ。じゃあ、いこっ!」
「あ、待ってぇ!」
「おーい、あまり慌てて転ぶなよー」
 瀬戸口の声も聞こえたのかどうか、きゃっきゃと言いながら表に駆け出していく二人。
「やれやれ、すっかりここも託児所って感じだな。ま、これはこれで結構な事さ。なあお二人さん?」
「……うん、そうだね」
 どことなく元気のない返事に瀬戸口が怪訝な表情をした。
「おい、お前さん、どこか悪いのか? 姫さん……? お前さんもどうしたんだよ?」
「い、いや、なんでもない。気にするな」
「気にするなって言ってもな……」
 どことなく陰を背負った二人に、瀬戸口もやや困惑気味だ。彼は知る由もなかったが、二人の多目的結晶には、数日前に放った電子妖精が持ち帰った情報があった。
「お前さんたちは子持ちみたいなもんだから、体には……」
 外から悲鳴が聞こえてきたのはその時だった。

「ののみちゃん、ここまでおいで!」
「あーん、ほのかちゃん、まってよぉ!」
 鬼ごっこでもしているのか、二人は校庭せましとちょこまか走りまわっていた。未明の方がやや足が速いのか、ののみが鬼のほうが多かった。だからののみもついむきになる。
 そんなののみを見てきゃっきゃと言いながら逃げていた未明だが、突然周囲の風景がぼやけ始めた。何かと思う間もなく視界が少しずつ暗くなっていく。
「え……?」
「えーい、ほのかちゃん、つーかまえたっ!」
 ののみが後ろから抱きついたのはその時だった。未明がバランスを崩しかけていたせいで、二人まとめて転んでしまう。
「いたた……。ほのかちゃん、ごめんね。……ほのかちゃん?」
 未明はその場に倒れたまま、ピクリとも動こうとはしなかった。ののみの心に不安がよぎる。
「ほのかちゃん? どうしたの、ほのかちゃん!?」
 ののみは必死に揺り起こそうとするが、返事はなかった。そして彼女の心からも、また。
 そう感じたときには、ののみは声を限りに叫んでいた。
「たいへんなの! ほのかちゃんがたおれてうごかないの! だれかきてー!!」

   ***

 ののみの悲鳴を聞きつけて慌ててやってきた数人が、急ぎ未明を詰所に運んだ。とりあえず寝台に横たわらせる。呼吸はしていたが、それはかなり弱々しかった。
 まさか病院に連れていくわけにもいかずどうしようかと思案していると、
「僕が診察します。萌さん、準備を」と宣言した。その隣では萌が器具の準備をする。
「蘇生剤と強心剤、あとは酸素呼吸器準備。注射は、ああ、ここですね」
 点滴がセットされ、いくつかの薬品を手早く投与すると、ようやく少し血の気が戻って来た。だが容態は思わしくない。
 未明の傍らには舞たちがつきそっていた。ののみは先ほどから泣きじゃくっている。自分が転ばせたせいだと感じているらしい。
「まいちゃん、ごめんね、ごめんね。ほのかちゃんが……」
「ののみ、そなたのせいではない、案ずるな。……瀬戸口、ののみを頼む」
 瀬戸口が黙ってののみを受け取る。他のメンバーも時折不安げに覗いていく。
「岩田。そなたの見立てではどうだ?」
「……内臓全体が弱っています。どこが、というよりも生命力そのものが奪われているような感じです」
「そうか、……やはりな」
「やはり? 知っていたんですか?」
 岩田が驚きの声で言った。代わりに速水が苦い顔で、
「舞が調べたんだ。ほとんどのデータは破棄されてたけど、その事は書いてあったよ」と言った。
 アルラウネが量産化されなかった理由。それは環境の激変に弱いということだった。これまで製造された実験体は管理室を出たとたんに多臓器不全で次々に死亡していたのだ。
「そなたも、知っていたのだな? あの時にもしや、とは思ったのだが……」
 岩田はややばつが悪そうに答えた。
「ええ。別に隠すつもりはなかったんですが。でも正直、あまりにも今までの例と違うので、期待したのは事実です。すみません」
 舞はかすかに苦笑した。
「その事はもうよい。だが、疑問は残る」
「なんですか?」
「そなたの事だ。なぜここまで未明に関わる? そなたにはこの子のことは別に関係のない話であろう?」
今度は岩田が苦笑する番だった。
「フフフ、何を言ってるんですか。初っ端で思いっきり巻き込んでくれたのはどこの誰です? ……まあ、その他に、彼らの考え方が気に入らなかった、それだけですよ」
 だが、岩田には語らない理由がもうひとつあった。彼にとり、未明はかつてループで共に過ごした仲間達と同じなのだ。
 永遠に閉塞した世界の中で、ループを繰り返すごとに更新されてしまう仲間たち。限られた時間の中でしか生きる事を許されなかった存在。かつて彼はそのことごとくを見捨ててきた。今再びそれを繰り返すわけにはいかないのだ。
それに、彼らは未明が長く生きられないと分かっているからこそ放置した。まるで時間のない者は未来を掴む権利はないと言わんばかりに。
 それは、彼の容認するところではなかったのである。
 だが……。
「結局彼女が今までもったのは、芝村さん、あなたに会いたい、あなたのそばにいたいと思うゆえだったようですね」
 沈黙が降りた。

「母様……?」
未明がうっすらと目を開いた。だが、焦点は合っていない。
「未明、私はここだ。分かるか?」
「うん。母様、そばにいて下さい……」
 未明の瞳が寂しげに揺れる。舞は未明の手を握りながら、
「わかっておる。どこにも行かぬ」と言った。
「今、夢を見ていたの……」
「夢?」
「うん、母様や、父様と一緒にお出かけする夢。この間のお散歩とっても楽しかった。また、連れてってくれますか?」
「……もちろんだ」
「母様、私、母様に会えてよかったです……」
 徐々に呼吸が荒くなってくる。血圧も下降中だ。
「そうか。私はな、そなたの事が……好きだぞ」
こぼれそうになる涙を必死に抑える。今泣いてはだめだ。
「うん。私も、母様、大好きです……。ごめんなさい、なんだか眠くなってきちゃった……」
 舞は後ろを振りかえった。岩田が黙って首を振る。その拳は爪が突き立って血がにじむほどに握り締められていた。それと気づいた萌が後ろからそっと抱きしめる。
「そうか、安心して休むがよい。……おやすみ、未明」
 どうにか、声は震えなかった。
「はい、おやすみなさい……」
 そう言うと、未明はゆっくりとまぶたを閉じ――
 そのまま、息を引き取った。

 舞は、静かに未明を見つめていた。涙は流れない。
 いや、流してはいけなかった。
「泣きはせぬ。許しは請わぬ。後悔もせぬ」
喉の奥から絞り出すような声で舞が言った。
「だが、せめて希望をとは言わぬ、絶望はさせなかった。どうだ、未明……?」
それも、今は自信がない。
かすかに震え始めた肩を、速水がそっと抱いた。

   ***

 翌日、市の公共葬儀場で、ぽつんとおかれた棺の傍らに、舞たち四人は立っていた。誰も、一言もない。
と、背後にどやどやと人が駆け込んでくる気配がした。何事かと振り向くと、五一二一小隊のメンバーがそこにいた。
 全員、規則にかなった喪章をつけた制服を着用している。
「お前たち……」
「おい、お前ら水臭いぞ! 俺たちをほっておくことはないだろう!? 参加させてもらうぜ!」
 滝川の叫びに賛同の声が和する。
「そうなの! いってくれなきゃめーなの!」
 ののみも目に涙を一杯にためて抗議する。
「だが、そなたたちにはこの子のことは……」
「関係ねぇだと!? そんなわけねぇだろうが!!」
 田代が怒鳴るように言った。目が赤い。
「芝村さん。彼女はわずかの間とはいえ私たちと行動を共にしてきました。いわば戦友です」
 善行は静かに、だがはっきりと言った。彼は、右肩に戦死したものの上官であることを示す肩章を着用している。
「その戦友を見送る事はごく自然な事だと思いますが、何か違いましたか?」
「しかし……」
 その背後からさらに声がかかる。
「あんまりゴチャゴチャと面倒くさい事いってんじゃねーよ。みんなあの子のことが好きだったんだ。素直に、見送らせて……やんな」最後のほうは涙声だ。
「本田……!」
教官たちまでもが、自衛軍の制服や喪服で立っていた。

 全員が見守る中、舞が棺の前に進み出る。
「我が子、未明をいまここに送る。麦穂落ちて新たな麦となるように、いつか、ここでないどこかで未明は新たな生となるだろう。だが、願わくば、また我らと共に歩まん事を。……ゴッドスピード、未明」
『ゴッドスピード、未明』全員が唱和する。
 そのとき、ののみがとことこと前に進み出た。手に何かを持っている。
「これ、ほのかちゃんにあげる」
 そう言って棺の上に置いたのは、猫のぬいぐるみだった。
「総員整列! 気ヲツケェ!」
 若宮が裂帛の号令を発する。
 ザッと音を立てて、全員が直立の姿勢をとった。
「芝村未明に対し、総員……敬礼ッ!!」
 たった一つの動作に無限の敬意と哀悼が込められ、小さな戦友に捧げられた。

   ***

 葬儀の帰りに更紗が待ち受けていた。その辺りを歩きながら、少し話したいと言う。。
「今日は、大丈夫そうだから」
 速水はそう言うと少し距離を取った。
「手元に残した事、後悔なさいましたか?」
「後悔はせぬ。それに……、更紗、あの時お前に引き渡したらあの子は、未明は生き延びられたのか?」
更紗は答えない。答えを聞く必要もなかった。
恐らくは極秘に近い扱いを受けた研究の、それも失敗作がどのような扱いを受けるか、などという答えは。
「ならば、あれでよかったのだ。あの子は……私の子だ」
かすかに手が震えている。目元が赤らんできているのを更紗は気が付かない振りをした。
「では、私はこれで」
「ああ……、更紗」
「はい?」
「感謝する」
更紗は黙って一礼すると、後も振り返らずに立ち去った。
「舞?」
 速水がそっと後ろから抱きしめる。舞の中で何かが切れた。
 舞はくるりと振り向くと速水の肩に顔を埋め――そこで初めて自らに涙を許した。

   ***

 熊本市内、戦死者の共同墓地内に作られた、未明の小さなお墓。そこには今も手向けの煙が絶える事がないという。
 そしてこれはだいぶ後の話になるが、舞が新しく戸籍簿を作る事になったとき、そこには「長女 芝村未明」の名がはっきりと記されていた。
 そのときの相手は、それをむしろ歓迎したそうな。



 風よ、未明の想いを運べ。
 花よ、未明の上に咲け。
 鳥よ、未明の子守唄。

 おやすみ、未明……。
(おわり)


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