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アルラウネ(その1)


 暗闇の中にくっきりと浮かび上がる赤。
 幻獣の眼のそれとも違い、時と場所さえふさわしければ安らぎさえ与えるそれは、いまや巨大な奔流となって、触れるもの全てをその舌で打ち倒さんばかりの勢いで荒れ狂っていた。良く見ればそれはもともと五階程度の建物だったようだ。
 遠くからサイレンが聞こえる。消防車がようやく到着した。
 数ヶ所から放たれた水流は、それが立ち向かうものに対してあまりにも非力で、さほどの効果をあげていない。数人がなんとか内部への突入を試みようとしているが、火勢に阻まれ未だに成功していなかった。
「突入第一班、火勢が強く内部へ侵入できません! 第二班は建物東面より突入開始!」
 そのとき、上のほうから身の毛のよだつような絶叫が上がった。建物の外壁に取り付いていた男が手を滑らせて落下したのだ。まるで石ころのように落下した男はぐしゃりと地面に叩きつけられた。血と、柔らかい何かがあたりに飛び散る。
 消防隊の隊長は、軽く舌打ちをすると更に部下に指示を下そうとした。
 その時、背後から誰かが近づく気配を感じた。振り返ると、そこには夜目にも鮮やかな純白の制服で、生徒会連合の参謀肩章を身につけた男が立っていた。
「あっ! こ、これは、芝村準竜師閣下!」
 隊長は思わず自衛軍時代の敬礼をしていた。準竜師もぞんざいな答礼を返す。
「挨拶など無用だ。状況は?」
「はっ、現在鋭意消火中でありますが、なにぶん火勢が強く、手持ちの消防車だけでは……」
「たわけ、頭は何のためについている?」
「現在、増援ならびに航空消防隊による化学消化剤散布の要請をしております。現場到着まで一五分とのことです」
 例の物言いに慣れている隊長は平然と答える。準竜師はかすかに口の端を持ち上げ、
「まあ、及第点だな。急げ」
 それだけ言うと後ろを振り返り、車のほうへと歩み去っていった。走り出さないところを見ると、どうやらしばらく待機するつもりらしい。
 隊長は、内心準竜師がなぜこんな所にいるのか疑問を抱いていた。この建物からあれこれと推測は出来るが、口に出すことはしない。
 彼も、まだ命は惜しかった。

 後部座席にもたれかかった準竜師は、傍らの副官――更紗に呟いた。
「どう見る?」
「この火勢ではひとたまりもないでしょうし、それに、出たところで…」
「フン、まあよい。計画はまた何かのおりに再開する機会もあろう。生死だけは確認する」
「はい」
「博士は脱出したのか?」
「はい、配下の数名とともに保護されております」
 手もとの資料をちらりと確認しながら更紗が答える。
「相変わらず逃げ足だけは速いな、あの爺は。……それと、念のためだ。尚敬高校にも行っておけ」
「発見した場合は、いかがいたしますか? 舞様が同行している可能性がありますが……」
「好きにさせるさ」
 準竜師は皮肉っぽい笑みを浮かべると、そう言い放った。
「は……。直ちに参りましょうか?」
「いや、しばらく放っておけ。大したことではない」

 消火活動が完了したのは、それから二時間後のことだった。まだあちこちから水や消化剤がしたたり落ちている焼け跡は徹底的に調査され、何者も存在、あるいは生存していないことが確認された。
 それで全てが終わった。そのはずだった。

   ***

 一九九九年四月二四日(土)。
 その日は朝から雲ひとつない青空で、気温も平均気温をかなり上回るという予報だった。こんな日は特にどうということがなくても心も体も浮き立つものだ。
 残念ながら学兵たちはさしてその恩恵にあずかることもないが、それでも土砂降りの雨の中で幻獣と対峙する事を考えるなら天国とさえ言ってもいい。
 午後の仕事時間。
 舞は校舎裏の鉄棒で運動力の訓練を行っていた。熊本市内の幻獣駆逐はほぼ完了し、県内全域に目を向けてもほとんどの地域で人類の優勢が確定した今、差し迫った危機があるわけでもないのだが、どんなときにも基礎をおろそかにせず、全てに真摯な態度で臨むのが彼女である。
 この時も己のルールに従い、規則正しいリズムの下に一回、また一回と着実に懸垂を行っていた。額にはかすかに汗が浮かび、それが陽光を反射してきらめく。
 と、視界の隅に何か動くものが映った。どうやら小さな女の子らしい。七〜八歳というところか? ののみとさして変わらない感じだ。
(……なぜ、幼子がこんな所に?)
 懸垂の手を休めずにそんなことを考えていると、どうやらその子もこちらに気がついたらしく、一目散にこちらに駆けてくるところだった。小さい子特有の危なっかしい走り方で、体の動きに合わせてポニーテールがゆらゆらと揺れていた。
 かすかに既視感を感じつつ、何事かと鉄棒から飛び降りようとしたとき、彼女を認識したらしい女の子が大声で叫んだ。

「母様!」

 ずしゃあっ!!

 舞は空中でバランスを崩すと、頭から砂場に突っ込んだ。
 ……キュロットでよかったと思ったかどうかは定かでない。
「母様! 母様だぁ!」
女の子はそう叫びながら、嬉しそうにキュロットを引っ張っている。当の本人はといえば、第一声のインパクトがあまりに強すぎて、まだ混乱状態から脱しきれていない。
 ――い、今この子はななななななななんと言ったのだ!? か、母様といったように聞こえたぞ母様とは母親のことなのかそうなのかそうだったのか? 一体これは何の冗談だ? わ、私には全く身に覚えが、……いやその。で、でも確か我らは子は……、縁故登録の申請間違いか? もしや一週間ほど前のアンケートが「コウノトリ」とやらの申し込みだったのか? いやそうだ、そうに違いない。よしここは一つはっきりと言わねば!
 どうにか思考の迷路から脱したところで、舞はがばっと起き上がると女の子を睨み付けた。まあ、砂だらけで威厳もへったくれもあったものではないが。
「母様、ようやく会えたの!」
 女の子は満面の笑みを浮かべながら、砂がつくのも構わずに舞に抱きつき、彼女を見上げた。よく見ると、着ているものはあちこち焼け焦げたりすりきれたりしているが、全体的に簡素な服装でどことなく画一的だった。
 もっと言ってしまうなら、手術の時に使用する化繊の服を想像してもらうといいだろうか?
 機先を制された舞は一瞬言葉に詰まったものの、それでもまなじりを吊り上げると女の子を押し離した。彼女はきょとんと舞を見上げている。
 自分を見る瞳に先ほどよりも強烈な既視感を抱きつつ、舞は砂を払うと咳払いを一つした。それから静かな口調に聞こえるように努力しながら話し出す。
「よいか、そなたがどこの誰だかは知らんが、私には自分を、その、か、母様と呼ぶような存在はおらん! 何か勘違いをしているのではないか?」
 女の子は小首をかしげて何か考えているようだったが、やがてぷるぷると首を振ると言った。
「やっぱり、母様です!」
「だからっ! どこをどうやったら私が母親にならなければならんのだ!?」
 ……さっき何か心当たりがあったらしいくせに。
「私に姿をくれたからです!」
「姿を? 私がか?」
「はいっ!」目を輝かせて返事をする。言われてみれば、彼女自身も数少ない写真でしか知らない自分の幼い頃に似ていなくもない。
 し、しかし、姿を与えたということは、やはりっ……!!
 どうやら全然別の方に想像が働いたらしく、舞は一人でゆでたこになりながらあらぬ方角を見やっている。もしかしたら煙も噴いていたかもしれない。
 女の子はキュロットを掴みつつ、そんな彼女を不思議そうに見つめていた。
「と、ともかくっ! 私にはこ、こ、子供などおらん! 冗談も休み休み……」
 舞はそこまで言ってからぎょっとした。女の子はその瞳に涙を一杯にためながら、彼女をじっと見上げていたのだ。
「母様、私は母様に会ってはいけなかったのですか? 私は、私はこんなに会いたかったのに……」
 ぽろりと大粒の涙がこぼれ、頬を伝って地面に落ちた。
「あ、いや、その、なんだ……。こら、な、泣くでない……」
 女の子がすすり泣き始めたのに心底困った様子で舞が言った。敵に対してなら一片の容赦もない彼女も、泣き出してしまった小さな子に対してはさすがに勝手が違う。全く珍しい事ではあるが、舞は半ばおろおろとしながら、ともかく涙を拭こうとハンカチを取り出した。
「ああ、だ、だから泣くでないというに……。さ、こっちを向くがよい」
 まだぐすぐすと言っている女の子の顔を不器用な手つきで拭いてやると、その下から意外なくらいの笑顔が現れた。
「母様……よかった。私は母様の迷惑じゃないんですね?」
「あー、それは、その……。まあ、その話は後だ」
 迷惑もなにも、全く原因が分からないのだからどうしたらいいのか判然としないのだが、もう一回泣かれるのもたまったものではない。よって、この件は一時棚上げにすることにしたらしい。
「はいっ」
 女の子の方は、とりあえず一緒にいてもいいと解釈したのか嬉しそうだった。笑うと小さな花が咲きこぼれるような、見ている者までつられてしまいそうな笑顔だった。
 実際、それを見た舞までが微笑んでいるではないか。はっと気がつくと、かすかに顔を赤らめながら早口で言った。
「と、ともかく。せめて『母様』と呼ぶのだけは止めてくれんか? 言うにしてもせめて小声にせよ。その、ここで聞かれるといろいろとな……」
「どうしてですか? 母様は母様なのに……」
「だ、だからっ!」
 大声になりそうなのをこらえ、意識して深い深呼吸を繰り返す。それから、なんとも言いにくそうに付け加えた。
「いいから、か、母様の言う事は聞かなければいかんぞ?」
「はぁい」
 元気のいいお返事だったが、舞にしてみれば何かが激しく違う気がした。心の中でなんとも情けなさそうに呟く。
――じゅ、順応するでないぞ! 芝村舞!
「そういえば、そなた名をなんという?」
「私ですか? 私は二四号です」
「は? な、なんだそれは!」
 彼女は舞が何故驚いているのか不思議なようだ。ふざけている気は毛頭ないのは分かったが、いくらなんでもそんな風に呼べるわけがない。どうしたものか考えあぐねていると、背後から声が聞こえた。
「舞、こんなところにいたの? 捜しちゃったよ。……あれ、その子、誰?」
――よ、よりにもよって一番見られたくない奴に……。
 なにもこんな時に速水を引き合わせなくてもいいではないかと、舞はここにいない何者かを恨みたい心境だった。
 ――なんだか舞に良く似てるなあ……。舞のちっちゃい頃ってこんなだったのかな?
 そんな事を考えている速水だった。
「あれ……?」
 と、女の子(二四号とはいくらなんでも不憫なので、今後もこう表記する)は不思議そうに速水を見上げた。今度は舞の方に視線を向ける。その顔に理解の表情が浮かび始めた。
「?」
 何事かと二人が覗きこむと、彼女は速水の方を振り向き、
「もしかして、私の父様になられる方ですか?」と言った。
 ものすごい論理の飛躍である。
 二人の表情が凍りつく。
「なっ、何っ!? ……さてはっ!」
「え? え? えぇ?」
 突然そんな事を言われたって、もちろん速水は何がなんだか分からないが、舞の頭の中ではある論理が高速で組みあがっていったようだ。だんだんと表情が険悪になってきている。
 女の子はちょこんと頭を下げた。
「初めまして、二四号です。よろしくお願いします!」
「ちょ、ちょっと待ってよ。君、誰さ?」
「……厚志」
 訳が分からないままに女の子に納得されてしまい、慌てて問いただそうとした所で舞の冷たい声が背筋を撫でた。心の警報が最大級のアラームを鳴らしている。
「な、なにか……な……」
 それでも精一杯の笑顔で振り向いた速水が凍りついた。
 見なきゃ良かった。それが正直な感想である。
 舞の目は既に据わりきっており、気のせいか背後には炎が揺らめいているような気がする。
「そなた、勝手に何か申し込んだな! 何を考えたか知らんが、早手回しにもほどがあるぞ!」
 速水は驚きのあまり目を見開いた。もっとも、驚いた理由は舞が予測したのと違っていたが。
「ええっ!? ……って、それって、将来一緒に住むのには異存はないって事?」
「なっ!!」
 じゅ〜〜〜〜〜〜っ。
 音が聞こえそうなぐらいに素早く顔が赤くなる。
「ば、馬鹿者ーっ!!」
「わっ、ちょ、ちょっと待って……うわあっ!!」
「やかましい! よくも私を愚弄してくれたな、成敗してくれる!!」
 既に舞は聞く耳持たない状態だ。速水はこの時ほど命の危険を感じた事はない、と後に述懐している。
 阿鼻叫喚といっていい騒ぎの中、女の子はちょこんと傍らに座り込んで、その様子を見守っていた。

   ***

「……ふむ、つまり、そなたには全く身に覚えのない事だと言うのだな?」
 脱脂綿を持ちながら舞が確認するように言った。
「だから、さっきからそう言ってるじゃない。もう……いててっ! も、もうちょっと静かに貼ってくれる?」
「あー、ごめんなさぁい」
「す、すまん……」
 自分のせいではないのだが、舞までが縮こまっていた。
 いや、やはり原因か。
 ここは整備士詰所。
結局、あの後約三〇分に及ぶ壮絶な戦いの後で、どうにか舞を説得した速水だったが、時既に遅く、その頃には完全にボロボロになっていた。
 とりあえずの治療が終わった後で、ともかく女の子に話を聞いてみようということになったのだが、これがまた何がなんだかはっきりとしない。
「住んでた所が火事になって、火にまかれかけた所を逃げてきた。どこかは覚えてない。はあ、これだけじゃなあ……」
「他に何か覚えておらんのか?」
「ええと、他にも友達が何人か一緒にいたんだけど……。どこに行ったか分からないんです」
 女の子は少し寂しそうに答えた。火事の時の事を思い出しているのかもしれなかった。
「ふむ、これだけではどうしようもないな。やむをえん、少し調査してみるか。それまではこの件は秘匿しておくことにしよう」
「それはいいけど、その前にこの子の服とか何とかしてあげないと……。あ、そうだ。お腹は空いてないかい?」
 聞いてみると二、三日前から何も食べていないという。二人はとりあえず食堂で何か作る事にしたのだが……。
 秘密が漏れる時なんてのはこんなものかもしれない。
 詰所を出たとたん、新井木とばったり出くわしてしまったのだ。お互いに動きが止まってしまったが、新井木の目は二人の間の女の子に釘付けになっていた。
「あーっ! 速水君と舞っちが子連れで歩いてるーっ!!」
 声を限りの大音声はあちらこちらに充分響き渡った。
「なっ!」「!!」
「久々のネタだわ。邪魔してごめーん! じゃーねーっ!」
「こ、こら、ちょっと待て! 新井木っ!!」
 そう言ったって聞くもんじゃない。新井木はたちまち走り去ってしまった。
「あーあ、見られちゃったねえ」
「落ちついている場合かっ!! と、ともかく……」
 最後まで言い終える事はできなかった。
「何だってぇ?」「おい、ホントかよ!」
 教室からも小隊司令室からも、はてはハンガーに至るまでわらわらと人がこぼれ出てくる。あっというまに速水たちは小隊全員に取り囲まれてしまった。
「うわーっ! おい、この子芝村そっくりだぜ!」
「バンビちゃん。お前さんちっと気が早くないか?」
「舞さん! ふ、不潔です、不潔ですぅっ!!」
「あんたたち、今は戦争の真っ只中だってのにこんな事してどうするのよ!?」
「ふえぇ、そのおふくはなあに?」
 わやわやわやわやわやわやわやわや。
 女の子はこんなにたくさんの人に取り囲まれた事などなかったのか、舞の陰に隠れてしまった。
「か、母様。この人たちは誰ですか?」
 舞が慌てて口をふさぐが、時すでに遅し、であった。
「か、母様!?」
「あ、お、驚かせちゃいましたか? ご、ごめんなさい……」
「あ、あのだな、これは……」
「いや、これは我々も調査が足りませんでしたねえ」
「いや、だから……」
「今なら子供服、エエのがあるで。特別に三割引でどや?」
「人の話を聞けーッ!!」
 あ、キレた。

   ***

 ようやく騒ぎが一段落した所を見計らって、舞は今までの経緯を説明した。といっても彼女自身ほとんど何も分かっていなかったので、大した説明はできなかったのだが。
「ふむ、芝村さんの事を母親呼ばわりするというのは確かに縁故登録の間違いという感じですが……」
 善行はあごひげを撫でながら考え込んでいる。自分自身の発言に納得していない様子だ。
「だが、何だ?」
「普通、そういった場合には新生児が割り当てられるはずなんです。しかし、あの子はどう見ても……」
 全員の視線が一斉に動いた。彼女は今、中村が作ってくれた食事を嬉しそうに食べていた。
「どうや、おいしかかい?」
「はいっ」
「そうか。お代わりもあるからぐっさり食べな」
「ありがとう!」
 そういって女の子は笑顔を見せた。中村だけでなく周りにいた全員がそれを見てなんとなく口元がほころんでしまう。相当のへそ曲がりでも彼女を嫌うのは難しかったに違いない。
 善行もわずかに口元を緩めながらその様子を見ていたが、慌てて引き締め直す。
「それで、これからどうするんですか?」
「それは……」
 舞はそこまで言って口篭もった。先ほどの彼女の言葉を思い出したのだ。
 ――よかった。私は母様の迷惑じゃないんですね?
 正直な所を言えば迷惑以外の何者でもないのだが、同時に先ほどのあの子の涙も思い出す。
 少しの間考え込んだあと、再び口を開く。
「何をするにも情報が足りん。少し調べてみたいこともあるし、当座は私が預かる。それまではここに置いてもらいたい」
 その回答に善行はかすかに頷いた。ここが戦闘部隊であるという事を考えれば得策ではないのだが、まさかいきなり放り出すわけにもいくまい。
「わかりました。教官には私から話しておきます。ただ……」
 暗に、そう長い期間は留めておけないという事をにじませながら善行が口をつぐむ。
 今度は舞がかすかに頷いた。彼女の視線の向こうではあの女の子が中村を相手に嬉しそうに話をしていた。
 そんな中、みんながわいわいと騒いでいる時、岩田だけはその輪から少し外れるようにして、じっと女の子に視線を注いでいた。
 舞も、それには気づいていたが、そのときには少し眉をひそめただけで何も言おうとはしなかった。
「あの子は……、いや、そんなはずはないんですがねぇ……」
「岩田……君、どう……したの?」
 そのことに気がついた萌が、そっと声をかける。
「いや、大したことじゃありませんよ。気にしないで下さい」
 口調は静かに答えた岩田だったが、そこにはある種命令にも近い響きが込められていた。萌に対する言葉としては大変に珍しいといえる。萌は驚きに目を見開いたが、叱責する様子ではなかったのでそのまま口をつぐんで立っていた。
 彼の瞳には疑念混じりの観察するような光が浮かんでいたが、隣を見てわずかに表情を変えた。自分が誰に向かって話していたのか初めて気づいたような顔だった。
 少しして再び口を開く。
「萌さん」
「何……?」
「もしかしたら、後で手を借りるかもしれません。その時はお願いします」
 その口調には、明らかに先ほどの詫びが込められていた。
 萌は黙って頷いた。
(つづく)


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