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戦場という名の舞台(終話)


JST一三四〇 生徒会連合 独立第八砲兵大隊
八代戦区北部

独立砲兵第八大隊射撃統制部、深沢恵(ふかざわ めぐみ)千翼長の下に通信が入ったのは、先ほどから三時間ほど経った頃だった。
『ハンマー03、こちらスカイキッド21、新しいお客さんだ。五一二一小隊が支援を要請している。ちょっとパーティーの手伝いをしてやってくれ』
「こちらハンマー03。スカイキッド21、さっきといい今といい、商売繁盛で結構な事ね」
『俺はお得意さんは大事にする主義なんでね、向こうのほうで俺を忘れないでいてくれるって訳さ。じゃ、チャンネル25で頼んだ』
 深沢の軽口に相手も付き合ってくれた。少し気が楽になる。
「了解。レッツゴー、チャンネル25」
やがて、低い落ちついた声がスピーカーから流れ出した。
『こちら五一二一、幻獣が実体化を開始した。突入前火力支援を要請する。目標データは既に転送済み。当方弾着観測準備良し、修正可能、オーヴァ』
「こちらハンマー03、目標を口頭で確認します、よろしいですか?」
『了解した。グリッド三二五六―三八三三……』
その間にも彼女の所属する砲兵大隊は着々と射撃準備を進めていた。小隊の一両――第八一一砲兵小隊の一号車が、転送されたデータをもとにして砲身を旋回させている。
車体は横に張り出したアームで固定されているので少々の事では転倒したりしない。逆にいうなら士魂号L型の車体に可能な限り軽量化した砲塔と一五五ミリ榴弾砲を搭載するという無茶をした、通称「士魂号G型自走榴弾砲」は、そのくらいの事をしないと簡単に転倒する危険性があった。
「試射用意、初弾装填!」
一五五ミリ砲弾が自動装填装置によって装填される。次の動作で装薬が装填された。
「誤差修正左二度、上下角プラス〇.五度」
「射撃ようーい!」
それと同時に、周囲にいた人間が一斉に砲身から目をそむけ、口を大きく開けて耳をしっかりとふさいだ。
想像するとかなり間抜けな格好だが、こうしておかないと射撃時の衝撃波で肺や鼓膜をやられてしまう。
「目標、敵幻獣集団! ……撃てーッ!!」
瞬間、砲口の先が炎に包まれた。耳が痛いというよりも腹に来るような衝撃波を伴なった轟音。そして爆煙。
「発射終了! 第二射準備!」
砲の後ろ、尾栓が開かれ、砲身内に異常がないか素早くチェックされる。第二射は五一二一小隊の観測結果を待って行われる予定だ。
発射と同時にストップウォッチを押した深沢は、弾着までのカウントダウンを続けた。
「三……二……だんちゃーく……今」
程なく通信が入る。
『こちら五一二一、弾着、近。方位角良し。増せ一五〇、オーヴァ』
「距離修正増せ一五〇!」
修正されたデータをもとに、今度は二号車の砲身がわずかに上がる。そして発射。
『こちら五一二一、目標を捕らえた。効力射頼む』
「了解、効力射開始。規定時間一杯まで継続します」
『了解、オーヴァ』
「大隊全車、効力射準備と為せ!」
深沢の指示で大隊の全車が修正されたデータをもとに砲身を空に向けた。まるで鋼鉄の林のようだ。
あるいは敵に滅びをもたらす死の杖か。
大隊長が手をゆっくりと上げ、振り下ろした。
「撃てーッ!!」
先ほどまでとはにならない、百雷がいっぺんにに落ちたかのような轟音が砲兵陣地を揺るがした。大隊全力、三二門の一斉射撃である。
砲兵の持病が耳鳴りで、不眠症の者が多いというのもある意味当然かもしれない。
一発放たれるごとに、砲身直下の地面は衝撃波に叩かれて土煙が舞い起こる。後方では給弾車が待機していた。
連続射撃は五分間と決められているので、その間はよほど大きな変更がない限りは射撃が継続される。
脳のパルスまでおかしくなると思われた轟音が突如止んで、静寂が訪れた。
「こちらハンマー03。五一二一、火力支援を継続しますか?」
『こちら五一二一、とりあえずは充分だ。これより戦闘に入る。協力に感謝します』
深沢は軽く頷いた。彼らはこれから交戦距離まで接近するからしばらくの間は支援できない。
どこかのゲームではあるまいし、敵味方が混交している中に榴弾砲を撃ち込むなど御免こうむる。例外はあるが、砲弾には目がついていないのだ。
――私たちの仕事は敵をいっしょくたに吹き飛ばす土建屋であって、埋葬屋じゃないんだからね。
「了解。このチャンネルは貴隊専用に指定されました。大隊は即時支援可能。ご用命の際にはいつでもどうぞ!」
自分の想いは意識の片隅に押し込め、最後はいささか軍隊らしからぬ口調で深沢がしめた。周囲に思わず苦笑が漏れる。
『五一二一了解、頼りにしてますよ。通信終了』
スピーカーの向こうからも苦笑の気配が伝わってきたが、文句をつける気はないようだ。
深沢は軽く微笑むと、再び通信待機態勢に入った。
戦女神のご加護が必要なのは、彼らだけではないのだから。

同時刻 五一二一小隊
八代戦区戦闘加入ライン

「制圧射撃終了、敵の機動に混乱が見られます!」
「士魂号は横隊で前進。スカウトは両翼に展開。人類に勝利を!」
 そこまで言った後、善行は口の中で呟いた。
「なんとも、元気のいいお嬢さんでしたね……」

「厚志、前進命令だ。二時方向が特に混乱している。そこから突き崩すぞ」
「了解。壬生屋さん、滝川、聞いての通りだからよろしく。……気をつけて」
『こちら壬生屋、露払いはお任せ下さい!』
 勢いのいい通信と共に、壬生屋の一番機が漆黒の装甲を鈍く輝かせながら抜刀した。二番機が後に続く。
『こちら滝川、狙撃ポイントに移動する……。へへっ、いつもお前らだけに撃墜数を稼がれるわけにはいかねえからな!』
「期待しようか……。全軍、突撃ッ!!」
 舞の号令一下、三機の士魂号は一丸となって突撃していった。スカウトたちが左翼に展開して援護する。
 彼らの戦いは、今初めて始まったのだ。

   ***

JST一五三五 生徒会連合 野戦病院
八代戦区北部

戦闘において小部隊の戦闘はともかく、最後の一兵まで全滅するのと同程度に全く無傷などと言う事はありえない。
経験則によれば、部隊の損耗率は平均して一日に五%(負傷者含む)、そして戦死者と負傷者の比率は一対一〜三で、負傷者の半数は重傷者とみなさなければならないとされている。
となれば、八代市の少し南に設営されたこの臨時野戦病院に負傷者が続々と運び込まれてくるのは、全く不思議でもなんでもなかった。

映画の中でならば、野戦病院というのは一種魅力に溢れた場所だ。次々と運び込まれる負傷者。万全の医療体制と頼りになる医師。テントの中には治療の済んだ負傷者でいっぱいだが、そこには場違いなほどの清潔感と明るさがある。その間を見まわり懸命に手当てを行う看護婦や衛生兵たち。
そして、無事に治療の済んだ兵士たちには戦友が見舞いに来て談笑などしていたりする。
そこには、戦場という狂気に抵抗する最後の一線、医療の理想郷の一つが実現されている。
もちろん、ユートピアがトマス・モアの空想の産物であるのと同様、現実にこんな世界は存在しない。
そこにあるのはただ、生と死の境目、そのぎりぎりに漂う男女の戦いの場である。

近隣の戦区で負傷した兵士たちが次から次へと運び込まれてくる。テントの中だけでは収容できず、その周辺までにも重傷・軽傷の区別なく丸太のように並べられていく。
腕や足を吹き飛ばされた者、全身に破片を浴びてうめいている者、腹が破れ、内臓が露出しかけている者など、まるで負傷の大博覧会と言った様相である。その間を屈強な体格をした衛生兵が歩き回り、助かりそうな者とそうでない者をヒヨコよりも簡単に選別していく。
「こいつは……駄目、こいつも、こいつも駄目。あ、こいつは中に運び込んで。こいつも……駄目だな」
テントの中に運び込まれるのは、急げば助かる可能性の高い軽傷者が(あくまで比較的、である。本当の軽傷者は病院になど運ばれずに戦い続ける事を強要される)主である。
一般的な病院の常識からすれば信じられないかもしれないが、野戦病院の目的は命を救うと同時に戦力を回復させるための施設でもある。となれば、より早期に戦線復帰できる可能性のある者を優先するのはある意味当然であった。
ふるい落とされた者も、運が良ければ先に運び込まれた者たちの治療が完了した後に面倒を見てもらえることもあるが、大抵の場合はそこまで持たない。だから、そんな場合は上官は部下に対して唾棄すべき高貴にして神聖な義務を果たす事になる。
今もまた、駄目と判断された一人の戦士が列から運び出されている。隣には彼の上官だろうか、百翼長が付き添っていた。戦士は何事かを口にしていた。百翼長が頷く。
やがて、テントから見えないあたりに下ろされた戦士の傍らに百翼長が膝まづいた。荒い息の下でかすかに微笑む戦士。百翼長の顔がかすかに引き歪んだが、その手は予めプログラミングされていたかのように遅滞なく動いていた。
右手で拳銃を引き抜き、装弾済みである事を確認する。安全装置を外す。
眼球が飛び出さないよう、左手で戦士の目を覆い隠した。拳銃が側頭部に当てられる。
ゆっくりと引き金を引いた。

銃声。

ただの物体と化した戦士の前で、百翼長は静かに肩を震わせていたが、やがて戦士の認識票を外すと待機していた衛生兵に合図した。
衛生兵は黒い厚手のゴミ袋のような死体収納袋を広げると戦士の死体を収め、丸太を運ぶような丁重さでその場を後にした。その後を百翼長が従容とつき従っていく。同じような銃声は、あちこちで途切れることなく、まるで弔鐘のように響きわたる。
この行為が神聖なものであるなどというたわごとを打ち砕くには充分な情景であった。

しからば、テントの中はどうであろうか? いささかでも理想に近い存在であろうか?
残念ながらそうはいかなかった。
テントの中は重苦しい雰囲気と、むせかえるような血臭と薬品臭が溢れかえっていた。そこら中で痛み止めの注射だけで放り出されている奴がゴロゴロしている。
突然テントの一角、手術台が置かれているあたりで騒ぎが起こった。
「早く押さえて! ショック症状が出ているわ! 鎮静剤を投与します!」
「血圧が急降下しています、危険です!」
「分かってます!」
今や人間とは思えない叫び声を上げながら暴れる兵士を衛生兵が押さえ込もうとしている中、日向晟(ひなた あきら)軍医中佐(緊急衛生官資格所持)は素早くアンプルを用意すると、ほんの一動作で注射針を兵士の静脈に突き立てた。ぐったりとなった体を衛生兵が慌てて支える。
「ふう、ちょっと乱暴だったけどこれでとりあえずは大丈夫……。血圧は?」
「やや低いですが、安定しました」
「了解。この右腕はもう駄目ですね……。切断して下さい」
日向は一瞬の躊躇もなく判断を下す。通常の病院なら切らなくて済んだかもしれないが、戦場ではそんな悠長な事は言っていられない。判断が少しでも遅れれば、それだけ他の兵士が助かる確率が下がっていくのだ。
戦場においては、勝利のためにならどのような狂気でも許容される。ほんのわずかの時間で彼の右腕は身体から切り落とされ、そのまま廃棄袋へと放り込まれる。
「うまく病院までもてば、またくっつけられるんだから我慢して下さいね」
日向は意識のない兵士に向かってそっと呟いた。
クローン工学の著しい発達により、相当ひどい肉体の欠損にたいしても修復が可能にはなっているが、それが戦場における処置を一層荒っぽいものにしたという側面は否定できない。いくらスペアがあるといっても、目が覚めた時に自らの腕や足がなくなっているのを発見して錯乱状態に陥る兵士の数は決して少なくはないのだ。
そうして、往々にして彼らは世代を問わず、自らが戦うための部品でしかない事を再発見するのだ。
比較的軽傷の兵士の処置が一段落した所で、周囲の兵に断って日向は少しだけ表に出た。
テントの周りにいる負傷者は大分その数を減らしていた。戦闘が徐々に終焉に向かっていること、処置が進んだことも確かだが、周囲での「処置」がかなりの数に上ったということをテントの陰の遺体袋が教えてくれた。
と、そのとき進入路の方で何か騒ぎが起こっていた。
「犀川さん、どうしたの?」
日向は手近にいた犀川瑠璃(さいがわ るり)衛生中尉(緊急衛生官補資格所持)に話しかけた。
「あ、先生。それが、学兵の偵察小隊らしいんですけど、怪我がかなりひどいらしいんです」
「そう……。いいわ。処置を続けます。犀川さんついて来て」
「はいっ!」
そこでは負傷者を取り囲んで数名の兵士が口々に呼びかけていた。口調からするとどうやら彼の部下らしい。
「ちょっと、そこをどいてください!」
その声に数名が殺気さえ含んだ視線を向けるが、相手が軍医とわかると慌てて場所を空けた。日向は負傷した兵士の傍らにしゃがみ込む。
顔面の裂傷や左腕が吹き飛ばされているのはさほどの事ではない。だが、腹部に破片らしいのが刺さり、剥き出しにされた下腹部に大きな傷を作っていた。
「これは、ひどいわね……」
その時、下半身の方で何か音がし、異臭が漂った。
脱糞したのだ。
兵士(千翼長だった)の表情に変化はない。もともと意識がはっきりしていないし、気付いていないようだ。
それを見た瞬間、日向と犀川は痛ましげな表情を浮かべるのをかろうじて堪えた。彼が助からない事が分かったから。
戦場経験則の一つに、意志や恐怖によるものでない脱糞はその兵士の死を意味する、というものがある。内臓自体が自らを保持する力をすでに持っていないという証明だからだ。
「軍医殿、いかがでありますか……?」
これもまた負傷しているらしい小隊付き戦士がおそるおそる問いかけるのへ、日向は黙って首を振った。周囲から悲鳴にも似た息を飲む音が聞こえる。
「負傷した状況を、教えてください」
一言で言えば同士討ちだった。
偵察任務の最中に敵に発見され、後退を開始したまでは良かったのだが、その時戦闘部隊が支援を要求した曲射砲(榴弾砲)の一部が逸れたそうだ。
砲撃を行った部隊はこの戦区でも最精鋭といって良かったからそれだけでも信じられない事なのに、なんの偶然か彼らのすぐそばに着弾、この千翼長を含む十数名を吹き飛ばした。
それを聞いても日向は疑問を覚えなかった。戦場における同士討ちは意外に頻繁に発生する。軍全体における損害の一〜二割は同士討ちによるものであるとすら言われているのだ。
だからといって何の救いになるわけでもないが。
「犀川さん、後はよろしく」
そう言うと日向は立ち上がり、千翼長に敬礼すると次の患者に歩いていった。死にゆく者に対して彼女は無力である。
薄々と察していた事実をつきつけられて兵士たちの間に重苦しい沈黙が下りる。それを破ったのは犀川だった。
「笠置千翼長」
認識票を読んだらしい犀川が名前で呼びかける。
「私は犀川衛生中尉です。原隊に報告するため、部隊の移動申告を要求します」
皆、何を言っているのだという顔つきになる。笠置だけが例外だった。うっすらと目を開けると犀川を見た。そして傍らにいる戦士に視線を向ける。
「戦士、どうした? 中尉殿の前で俺に恥をかかせる気か?」
とたんに戦士は棒を飲んだような勢いで直立不動となり、裂帛の号令を響かせた。
「貴様ら、小隊長殿のご命令だ! 全員整列、気ヲツケェ!」
素早く全員が笠置の後ろに横並びになる。
「中尉殿。生徒会連合独立第三一二偵察小隊長笠置千翼長、申告いたします。……このままの格好で失礼いたします」
「許可します」
「小隊は八代戦区での偵察命令を受けこれを実施。所期の目標を達成いたしました。後退の際に損害を受けましたが、自分以下数名が負傷、自分がもっとも重傷であります。そうだな、戦士?」
「……はっ、そ、その通りであります!」
嘘である。降下した小隊三〇数名のうち、砲撃で一一名戦死、七名が重傷を負っていた。戦死者は認識票すら集める事ができなかった。
だが、それを敢えて訂正する気にはなれなかった。犀川も何も言わない。
「確かに確認しました。ご苦労様です」
犀川は敬礼した。そして笠置の傍らにしゃがみ込む。
「千翼長、あとは何か言っておく事はあるかしら?」
兵士たちの表情が一瞬歪む。
「……それでは、ひとつだけ。独立第八砲兵大隊の、深沢千翼長に……」
「あんたのコレ? 他所の女にことづて頼むなんて、いいのかなァ?」
急に砕けた口調で小指を立てて見せる。笠置はかすかに笑った。運命を悟った者に特有の一点の曇りもない、素直な笑顔だった。
「ええ、まあ……、グフッ!!」
咳と共に大量の血が飛び散った。喉がゴボゴボと鳴っている。自らの血で溺れているのだ。肺も傷ついていたらしい。
「千翼長! なんて言えばいいの!?」
自らが血で汚れるのも構わず、犀川は口元に耳を近づけた。
「戻れなくて……ごめん……と……。頼み……ま……す」
ようやくそれだけを口にすると、首ががくりと垂れた。喉の鳴る音も止まっている。
犀川はそのままゆっくりと笠置を横たえなおすと、静かに立ち上がって敬礼した。兵士たちが一斉に倣う。
「戦士……ああ」
「独立第三一二偵察小隊付戦士、吾川(あがわ)であります!」
「吾川戦士、あなたが臨時に部隊を率いて原隊に復帰しなさい。笠置千翼長は……、準備はしてあげるから連れ帰るといいでしょう」
「はっ! ご厚情、感謝……いたします……」
兵士たちは驚いたに違いない。時には悪鬼ですら道をあけそうな戦士の頬を、滂沱の涙が流れ落ちているのだから。だが、誰も何も言わなかった。
やがて、ある程度洗い清められた笠置の遺体は遺体袋に収められ、兵士たちに担がれて病院を後にした。
それを見送った犀川はくるりと背を向けると、テントへと戻る。こんな事は日常茶飯事である。それに彼女にはまだまだ助けねばならない者たちが大勢いた。
今は、感傷に浸っている暇はないのである。
同時に、彼の最後の言葉は何としてでも伝えるつもりだったが、負傷した原因を言う気はなかった。
話を聞くところでは、彼が受けた破片は、独立第八砲兵大隊の放った砲弾のものだったからである。

JST一六二五 五一二一小隊
八代戦区北部

『俺だ、敵は撤退を開始した。追撃戦に移行せよ』
「了解しました」
 こちらに背を向けて撤退する幻獣に次々と銃火が浴びせられ、やがて完全に沈黙した。
「あはっ! 僕たちの勝利だよ!」
 本当に、そうだろうか?

   ***

JST一七四五 臨編埋葬小隊(自衛軍・学兵混成)
八代戦区北部

長かった戦場の一日もようやく終わろうとしていた。不気味なほど赤い夕日が完全に破壊された廃墟の陰に今落ちていこうとしている。
その中で、数一〇名の人間が這いずり回るように蠢いていた。彼らは手もとのメモを確認しながら廃墟の陰やそのあたりに放棄された車両の中などを確認し、手で、あるいは火ばさみのようなもので何かを手もとの袋に入れている。
彼らは近隣の部隊から人数を抽出して編成された臨時の埋葬小隊である。と言っても実際に埋葬するわけではなく、戦場を捜索して遺棄された遺体や遺品を捜索・回収するのが任務である。通称「掃除屋」とも呼ばれている。
大抵の場合、負傷者や戦死者は所属部隊の人間が回収するものだが、あまりに激戦であったり、撤退戦に追い込まれてしまった場合にはその暇すらない事もある。そんな時には、戦闘後に彼らが代わりに回収に当たるのである。
ただ先ほどのように、撤退しても非実体化しなかった幻獣が残っている事もあるので、彼らにはある程度の護衛兵力がつけられている。今も二両の士魂号L型が一二〇ミリ砲を輝かせながら周辺警戒に当たっていた。
「おーい、そっちはどうだ?」
いかにも予備自衛官あがりといった感じの自衛軍の中年中尉が手近にいた学兵に声をかけた。階級章を見ると百翼長だ。
「連絡のあった分はほぼ回収を終わりました。残ってるのは……あと一件ですね」
「そうかぁ、ご苦労さん。残ってるのはどこだね?」
「えーっと、女子高からの依頼で。このあたりで士魂号L型が一両やられたらしいです。なんでもミノタウロスに取り囲まれたとか」
「あちゃあ、そいつは……。あれは装甲が弱いから、あ、いや、すまん、その」
ばつの悪そうな表情を浮かべる中尉を見て、百翼長は、
「いいですよ、本当の事ですから……」苦笑しながら言った。
「いや、すまんすまん」
中尉はそういって両手を合わせてみせた。
一般的に予備自衛官や兵からのたたき上げといった下士官の方が概して学兵の扱いが穏やかである。相身互い、というのもあるのかもしれない。
と、中尉が何かに視線を向ける。百翼長もつられてそっちを見た。
「百翼長、ひょっとしてアレじゃないか?」
「ええ、そうみたいですね……。行ってみましょう!」
「総員、集合!」
呼びかけに答えて付近にいた兵が集まってくる。
彼らの向かう先には、中途半端な姿勢でうつむくように止まっている士魂号L型があった。

「こいつは、ひどいな……」
中尉は一目見て、こいつは遺体じゃなくて肉片の回収だな、と思った。
遠目からではあまり分からなかったが、砲塔はぐしゃぐしゃに破壊されており、一二〇ミリ砲の砲身がまるで溶けたアメのようにねじくれながらへばりついていた。うつむいているように見えたのは前部のタイヤがシャフトごと捻じ曲がっているせいだ。ミノタウロスにのしかかられた際に――恐らくはドライバーごと――へし曲げられたのだろう。
「こいつで、間違いないようですね。車体ナンバーが一致しました」
先ほどの百翼長が報告する。少し顔が蒼ざめていた。
自衛軍から派遣された兵士たちはそれを極めて無感動に眺めていた。彼らはかつての八代攻防戦で戦友の死には慣れている。いや、慣らされてしまった。だが、実戦経験の少ない学兵の中には耐えきれずに嘔吐する者もいた。彼らの乗っているのもこれと同じL型なのだから、明日はわが身と思うのも無理はなかった。
「あ、馬鹿。そんな所で吐く奴があるか。もっと向こうに行ってからやれ……。軍曹、悪いけどこいつらについてやっていてくれ」
言いつけられた軍曹はやれやれと言う表情を浮かべたが、黙って敬礼すると命令に従った。
全く、子どものお守りなんて。
そこまで考えて表情が硬くなる。そう、いくら第六世代とはいえ、彼らは子どもに過ぎないのだ。
「じゃあ百翼長、確認といこうか。……覚悟はいいか?」
「はい……」
中尉は、辛うじて残っているドライバーズハッチを苦労しながら開けた。

中尉の予想は半分だけ当たった。
ドライバーは踏み潰されていなかった。その大部分は全く無傷だったのだ。無事でなかったのは首から上だけだった。
装甲がひしゃげた時になにかの拍子で頭を挟まれたらしい。
ヘルメットの中からは赤い筋が幾つも流れていた。顔は親でも見分けがつくまい。
「認識票確認……。認識ナンバー三八二二三六。尚敬高校第三戦車小隊所属の相澤敦美(あいざわ あつみ)十翼長です。これが初陣だったようですね。確認願います」
中尉は認識票と端末が表示するデータをザッと見比べた。
「確認した。回収せよ」
相澤十翼長の遺体は可能な限りの丁寧さをもって搬出され、認識票と遺品になりそうな物を回収された上で遺体袋に収められた。全員が一斉に敬礼する。中尉は大穴の開いた砲塔を見上げた。
「さて、もう一人は、と……。上部ハッチは開きそうか?」
「はい、なんとかハンドルは回ります……、開いた!」
変な音がした。ハッチを開けた女学兵が息を飲んだのだ。そのまま絶句して固まってしまう。顔が蒼ざめていた。
「おい、どうした? ……お前たち、とりあえずあいつを下ろせ! 俺が見る」
数人がかりで引き摺り下ろされた学兵の脇をすり抜けるようにして、中尉はハッチに飛びつき、中を見た。
次の瞬間、世の中の大抵の事には驚かないはずの彼ですら呻き声をもらさずにはいられなかった。
「こいつぁ……。なるほどな、こりゃちっときついわ」
むっとした血臭が流れ出す。
前輪を破壊したミノタウロスは、そのまま装甲を連打したらしい。もともとL型の装甲は対ミサイル・レーザーを主眼に開発されているから、このような直接攻撃にはもろかった。ミノタウロスの拳は装甲を突き破り、ガンナーズシートを直撃したのだ。
そこにあったのは、これがかつて人間であったとは思えないほどにシートごとぐしゃぐしゃに潰された遺体であった。
頭部ばかりか胴体が常識外れの力でひき潰され、まるで赤と白と灰色のジャムにも似たような物体を周囲に貼りつかせている。半ばで引き千切られたシートの間には、なにか赤黒い紐が引っかかっていた。
潰れそこなった大腸だ。
その中で、ちぎれた手先や足先だけがレバーやフットペダルに無傷のまま引っかかっていたのは、まるで悪趣味な戯画を見るような気分だった。
「仕事熱心な奴だ」
中尉は内部に沸き起こった感情を無理矢理その一言でまとめてしまった。
――こいつを回収しろなんて言ったら、学兵どもの何人かは泣き出すかもしれんな。
中尉は自衛軍から数名を呼び寄せると、かつて遺体だった物の回収を命じた。

回収には三〇分以上かかった。

「認識票、確認できました。認識ナンバー三八二二三五、尚敬高校第三戦車小隊所属の悠木映(ゆうき あきら)十翼長に間違いありません……」
そう言いながらも百翼長の声はどこか自信がなかった。結局、認識票以外に確認できる物がなかったのだから当然かもしれない。
彼女の「遺体」はシートから丁寧に引き剥がされた肉片に至るまで可能な限り回収された。ただしその袋の形は人間が入っているというよりは、良く言って生ごみが入っているようにしか見えなかったが。
「ご苦労さん。……総員整列! 勇敢なる女性兵士に対して敬意を捧げる。願わくば我らを守り、導かれん事を……」
 一拍置く。
「敬礼!」
すっかり日も落ちて薄暗くなった戦場で、その場にいた全員が心からの敬礼を捧げた。
ある意味、これほどの茶番はなかった。彼女らは無理矢理戦場に引っ張り出され、そして初陣で単なる肉塊と化したのだ。特に学兵にはその思いが強かったかもしれない。
だが、彼ら、彼女らはこれからも戦い続けなければならない。そして、人は何かに頼らなければ己を保てない。
だから、今はこの茶番に付き合ったのだ。自らにもなにかなすべき事がある。決して無駄死にではないのだと、自分のために思い込もうとした。
だが、帰還する彼らの足取りは決して軽くはなかった。
それを見ながら中尉はそっとため息をついた。遺体発見の報告は最上級者である彼の役目である。
――一体どうやって報告すりゃいいんだ?
彼はもう一度ため息をついた。
あたりに夜の帳が迫り、星が瞬き始めていた。
明日はいい天気かもしれない。

   ***

戦闘が終わったとき、速水はなんと言ったか?
「僕たちの勝利だ」と。
違う。
これは、彼らだけの勝利ではないのだ。
彼らは戦場という舞台のスター。
綺羅星は闇の全てを覆い隠す。
彼らの影に隠れる様々な人間たちにいささかでも想いを馳せてもらえることを願いつつ、ペンを置くこととしよう。
(おわり)


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