前のページ | 次のページ
[目次へ戻る]

Tell me 〜You are not alone〜(終話)


 混沌とした渦が頭の中でぐるぐる回っている。己の認識力がすべてその中に溶け込んでしまうのではなかろうかというかすかな不安。
 急に襲ってくる浮揚感。視界がかすかに明るくなってきた。
 段々と意識が覚醒してくる。
「う……」
 舞は、うっすらと目を開けた。
「……ここは?」
 自らの声で更に意識がはっきりしてきたのか、首をかすかにめぐらせる。そして舞は自分が今自宅のベッドに横になっていることを確認した。
「どうして……ここに?」
 確か、私は……。
――ああ、そうか。あのまま倒れたのだったな……。
 意識を失う寸前、速水が自分を呼んでいたことをぼんやりと覚えている。
 体はだるく、熱のせいで身体がフワフワするのは相変わらずだが、それでも先ほどよりはややましになったようだ。額に当てられたタオルが心地よかった。
「タオル……?」
 そこで初めて舞は額のタオルに気がついた。今は身じろぎしたせいでずり落ちてしまっている。
 一体誰が?
 いや、誰かは見当がつく。問題はその人物が、舞としては風邪を一番知られたくない人物だったという事だ。
「最悪の結果だな……」
 舞が自らの見通しの甘さに自嘲の想いを抱いた。
 と、風邪のそれとは違う違和感を感じた。最初はそれが何だかわからなくてあれこれ考えてみる。
 唐突に原因に思い当たった。胸のあたりがやけにスカスカするのだ。恐る恐るそこに手をやってみると、あるべきはずの物が存在していなかった。
(こ、ここここれはどういう事だ!? いいい一体誰が? まさか、いやまさかまさかあ、あああああやつが、あやつが……。いやっ! これは自分でやったのだ。全く記憶はないがそうに決まっている!!)
 何度も胸に手を当てながら布団の中で全く根拠のない断定をしていると、当の「あやつ」が顔を出した。舞は思わず硬直する。
「あ、舞……、き、気がついたんだ」
 速水が何故か声を裏返しながら言った。手に持った盆には吸飲みが乗っている。
「うううううううむ、た、たった今な」
「よかった。あまり起きないものだから、どうしようかと思ったよ」
 速水は黙って時計を指し示す。時計の針は既に夜一〇時を回っていた。
「そんなに、経っていたのか……、む……」
 そう言いながら起きあがろうとする舞。だが、少し動いただけでまだ視界がぐらぐらと揺れる。
「ほら、まだ動いちゃ駄目だよ」
 速水は盆を傍らにおくと、舞を優しく押し戻した。が、触れた肩の熱さに少し眉をひそめる。舞も己の熱を自覚しているのか、おとなしく従った。
「喉が乾いているかと思ったんで、白湯を持って来たよ。いや、砂糖湯かな? はい」
 そういって速水は軽く頬に水差しを当てて温度を確かめると、舞に差し出した。舞は少しためらった後、吸い口を口に含む。熱で消耗した身体に湯の温かさと砂糖の甘味が心地よかった。
 ちょっとかわいい。
「あ、そうしたら悪いけどこれを脇にはさんでくれる?」
 吸飲みを元に戻しながら、そういって速水はいったん台所に戻ると、タオルにくるまれた何かを持ってきた。
「何だ、それは?」
「保冷剤。頭より脇の下の方が冷却効果が高いんだって。多分そんなに冷たくないとは思うけど……、はい」
「う、うむ、分かった」
 舞は言われるままに保冷剤を脇にはさんだ。確かに冷たいがタオルのおかげで冷たすぎるほどのことはない。
「気分は、どう?」速水が訊ねる。
「うむ、まだだるいが、さっきほどではない……。その、ずっといたのか?」
「う、うん……。心配だったから」
「……すまぬ。気を遣わせてしまったようだな」
 舞が答えたが、その声はどことなく悄然としていた。
「うん、すごく心配だった。それに……、僕ってそんなに頼れないのかなあ、とか思っちゃって……。舞は何でも一人で出来るからそう思わないかもしれないけど、こんな時にも頼ってくれないのは、そんなに信用ないのかなあって……」
「それは……違う! 違うのだ……」思わず舞が強い声で遮る。速水は思わず顔を上げた。
「頼りないとか、そういうわけではない。第一そんな情けない男を我がカダヤに選ぶわけではないか……。そうではなくて、その……、心配させたくなかったのだ」最後は蚊の鳴くような声だったが、舞が確かにそういった。
「まだ幼かった頃、父はよく家を空けていたが、そんなときも私には一言も、何も告げなかった。そのときには寂しい思いもしたが、父の事だから、とあまり心配しなかったのも事実だった。私をからかって喜んでいた父だったが、あれは、あの男なりの考えだったのではないか、と最近思うようになったのだ。だから……」
 一瞬の沈黙。
「……告げなければ、何も知らなければ心配させることもない、か……。でも舞、それは違うよ。お父さんはどう考えたか分からないけど、僕は舞のことは全部知りたい。例え悪い事であっても知らないよりはずっといい。知らなければ抵抗のしようもないしね。それに、それをみんな一人でしょいこむ必要なんてないんだよ? 少なくとも僕はここにいる。君と一緒にね」
「厚志……」
「だから、無理はやめて。何かあったら僕にでも小隊の誰でもいいから相談して。頼ったからといって誰も君を馬鹿になんかしたりはしない。君がどれだけの努力を積み重ねているか、みんな知ってるんだから」
 でも、やっぱり僕に一番に相談してくれると嬉しいな、と速水は小声で付け加えた。
「……」
「ね?」
 なおもしばらくの間、舞はそっぽを向いていたが、やがてかすかに、本当にかすかに頷いた。
 速水はそれを見て、大きな笑みを浮かべた。

「とととところでこれは、そ、そなたがやったのか?」
 それまでとは一転した雰囲気の中、舞はそう言いながらパジャマの袖を見せた。何のことだか察したらしい速水の顔が見る見る赤くなっていく。それだけでもう答えたようなものだったが、敢えて訊ねる。
「どうなのだ?」
「……うん、僕が着替えさせた。あんまり汗がひどかったから、そのままじゃ気持ち悪いだろうし、また冷えて悪化しても困るし……」
 舞は黙ってそれを聞いていたが、やにわに布団を持ち上げると、中に潜りこんでしまった。
「え、えっと、舞?」
 と思ったら、ひょこんと顔を出し、熱で潤んだ瞳を思いっきり上目遣いにして速水を睨みつける。布団はかかったままだから、顔の半ばだけが出ている格好だ。
「た、たわけっ! わ、私は着せ替え人形ではないぞっ! ……見たのか?」
「え?」
「私を……見たのか?」
 しばらくの沈黙の後、速水がこっくりと頷いた。
「……そなただけか?」
 また頷く。
「そうか……」
「舞?」
「馬鹿者っ! 私とてその、一応女なのだぞ!? そのような事をされて恥かしくないわけがないであろうが! ……だが、まあ、その、そそそそそなただけだというのなら、あの、その……。わ、私は、構わぬ……」
「……ありがとう、舞」
 そういって速水はゆっくりと舞の髪をなでた。舞はその心地よさにそっと身を委ねた。

   ***

「おまたせ、舞。できたよ」
 速水がそう言いながら、土鍋の中で湯気を立てている粥を小鉢にすくうと、そこから更に一さじとってもう少しさます。
 それから、おもむろに舞の前に差し出した。もちろん「あ〜ん」とか言いながらである。
「あ、厚志、その、大丈夫だ。もう一人で食える……」
 舞がしどろもどろに抵抗するが、そんなもので挫けるはずもなく。
「だ〜め。はい、あ〜ん」
 抗議をさらりと聞き流して、なおもさじを差し出す。
そのうちに舞も根負けして、しぶしぶ口を開いた。

 などという夕食も終わり、食器を片付け終わった後、立ち去ろうとした速水を舞が呼び止めた。
「ちょっと待て、そなた、どこへ行くのだ?」
「え? とりあえずソファででも寝ようかと思って……」
「たわけ、何を考えておるか。……ここに来い」
「え?」
 舞は顔を再び真っ赤にしながら、
「まあ、なんだ。このような時に一人でいるというのは少しだけ――ほんの少しだけだぞ?――寂しいからな……。そなたがどうしてもというなら、そこを埋める役をやらしてやらん事も、ない……」と言った。
 速水は一瞬ぽかんとしていたが、やがて満面の笑みを浮かべると、上着とネクタイを外して舞の隣へと潜りこんだ。先ほど感じた舞の感触が蘇るが、それは理性でねじ伏せる――ねじ伏せた時にまた二、三本切れたような気もするが。
 舞は、驚くほど優しい笑顔を速水に向けると、おずおずとではあるが、速水の胸に寄り添った。速水はそれを腕枕をするようにしてそっと抱きしめる。舞は、心が満たされていくのを感じながら目を閉じた。

   ***

 夜の帳が押しのけられ、空が徐々に蒼さを取り戻す。どこからかスズメの声が聞こえてくきた。
 やがて太陽が顔を見せ、その恵みを惜しげもなく与え始めた頃、舞はうっすらと目を開いた。昨日ほどの熱は感じない。体の痛みはともかく、気力が回復してきているのがはっきりと分かった。
 少しの間ぼうっとした後、ふと隣を見ると、そこには速水の寝顔がアップで存在していた。
 昨夜自分が寝る前にいった言葉を思い出し、全身がかあっと熱くなるのを感じた。
 ――ね、熱があったとはいえ、私は何を言ったのだ? あれではまるでよ、夜伽ではないか!
 ……どちらかと言うと小さい子が一人寝を寂しがるようなものだと思うのだが。
 一人脳内でしばらくわたわたとしていた舞だったが、速水の寝顔を見ていると、なんだかどうでもよくなってしまった。
 舞は軽く息をつくと、意を決したようにそろそろと顔を近づけていく。そしてお互いの唇が触れ――
 ――たとたんに、その熱さにぎょっとなった。
「何だと? 厚志、おい厚志?」
 やや不安げな響きを帯びた声で速水を揺さぶると、ゆっくりと目を開けた。
 熱に潤んだ瞳を。

   ***

「なんだ、今日は二人とも休みか? 誰か理由を聞いてねーか?」
 出席簿に大きく×をつけながら本田があたりを見回す。
「昨日芝村が倒れたから、看病でもしてんじゃないすか?」
 滝川の返事に大きな舌打ちをする。
「まったくあの野郎は……、恋愛は俺が結婚してからだって言ってるだろーに……」
 あちらこちらで妙な表情をした連中が、顔を真っ赤にしながら何かを必死で耐えていた。皆、笑いたいのは山々だったが、マシンガンの掃射は真っ平だったので、賢明にも口をつぐんでいた。
 そして、いつものように授業が始まった――。

   ***

 一方、舞の家では――

「あは、見事に風邪引いちゃったみたい……」
 新しい保冷剤を当てられ、布団に横たわった速水が呟いた。
「う……。その、すまん」
 舞が隣ですまなさそうに縮こまっていた。速水の隣に潜り込んだまま上目遣いで彼を見つめている。
「いいよいいよ、舞からもらった風邪だと思えば何ともないさ」
「たわけが……、む、そうするとまずいな……」舞が眉をしかめ、何事かを考え出す。
「どうしたの?」
「そなたも汗だくであろう? だが、着替えなど……」
「え? ちょ、ちょっと待って! まさか僕の……」
「と、当然だろう? 私の着替えをそなたがやったのだ、そなたの着替えを私がやったとて何の不思議もあるまい? そうだな、今からそなたの家に行って……」
「い、いいよ! 僕は大丈夫だから!」
「何が大丈夫だ! こんなに汗をかいているではないか!」
 舞がそう言って速水の胸元に手を当てる。また一本何かが切れたような気がした。
「大丈夫だったら!」
 そんな事を言い合いながらしばらく押し問答を繰り返していたが、突然舞が、
「ふぁっ! あ、あつしっ……」と、妙に艶っぽい声をあげた。どうやら押し問答をしているうちに、舞の胸に触ってしまったらしい。
 と、速水の表情が微妙に変化した。何かをこらえるような、苦痛に満ちた表情に。
「あ、厚志、どうした? 大丈夫か?」
 今の出来事も忘れたかのように心配そうに寄り添う舞。舞の香りが速水の鼻腔を直撃した。

 ぷつつん。

 最後の何かが切れる音。

「も、もうだめみたい……」苦しげな声。
「何を言うか、しっかりせよ!」
「い、いや身体の方じゃなくて……」なぜかそこで速水が苦笑した。
「?」
「……理性の方が」
 そういうと速水はしっかりと舞の身体を抱きしめていた。驚いた舞が暴れるが、その手はなかなか解けない。
「な、何をする、厚志っ!」
「ごめん、でも、昨日の舞の……身体、思い出しちゃったみたい」
「……! にゃ、にゃにを!? お、おい、ちょっと待て、落ち着け! あつし〜〜〜〜〜っ!!」
「……駄目」
 舞の絶叫がアパートにこだました。

 壮絶なる攻防戦の結果、この戦闘で心身ともに疲労困憊した二人はその次の日も学校を休むハメになったという。
 舞がこの戦いでどうなったのかは永遠の機密事項であるが、このときから二人の仲が一層深まったことについてだけは記しておくことにしよう。
(おわり)


名前:

コメント:

編集・削除用パス:

管理人だけに表示する


表示された数字:



前のページ | 次のページ
[目次へ戻る]



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -