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Tell me 〜You are not alone〜(その2)


 とっぷりと日は暮れて、仕事時間中。二人は愛機である士魂号複座型の整備を行っていた。
 速水は照準装置をチェックしていた。前回の戦闘時に〇.二度ほどのずれが確認されたので、それを慎重に修正する。
たった、と思うかもしれないが、数百メートル先では無視できないほどのずれになるものだ。
 やがて全ての修正が完了した事を示すグリーンランプが点灯する。速水は素早くロックすると舞に呼びかけた。
「舞、照準装置の調整終わったから、ちょっとそっちから見てくれる?」
 返事がない。
 不審に思った速水が顔を出してみると、舞は手に工具をぶら下げたままパネルを見つめていた。だが、その焦点はどこかあっていない。
「舞? ねえ、舞ってば、舞!」
 速水が何度か呼びかけると、舞はどこかぼんやりした表情で振り返った。
「あ、ああ。どうした?」
「どうした、じゃないよ。さっきから全然進んでないじゃない! ……本当に大丈夫? なんだかおかしいよ?」
「……くどい。大丈夫だといっているだろう」
 だが、その瞳はなんだか潤んでおり、一つ一つの動作がいかにも大儀だといわんばかりに緩慢になってきている。
 あと少し、もう少しだけ持ちこたえれば……。
 既に悪寒が全身を包む中、舞は必死にその震えが外に出ぬようにこらえなければならなかった。店主の言った通り、あの薬は確かに楽にはなった。だが、それは単に発症を先送りしているだけに過ぎず、その間に更に悪化した諸症状が、今や舞の全身を握り締めていた。
「……でも」
 速水が眉をひそめた。何もないわけがないのは明らかだったが、既に一回熱を測ったりしているので、これ以上追求すればヤブヘビになりかねない。
 やむをえず口を閉ざすと速水は再び仕事に戻ったが、その視線は常に舞をとらえて離さなかった。
 そんな気配にも気付く余裕のなくなっていた舞は、あと少し、もう少しとまるで呪文のように心の中で繰り返しながら時間の過ぎるのを待っていた。
――むう、気付かれないという当初の予定がやや怪しくなっているが、まあ持ちこたえたというべきだろう。何とかこのまますぐに帰れば……。
 そういう行動が怪しさ全開だということには、まったく気が回っていないらしい。
 と、その時多目的結晶のアラームが脳内に優しく響き、仕事時間の終了を告げた。それも舞にとっては頭の中で鐘をつかれたに等しい衝撃だったのだが。
 ――よ、よし。終了だ。あとは工具を片付け、厚志に終了を宣告し、家に帰る。全く簡単なことではないか。そうと決まればさっそく工具を……。む? 何だこの音は?
 それが自らの手が工具を取り落とした音だと理解するのに数瞬を要した。
 ――い、いかん。何をしているのだ……。おかしい、いつからこんなに暗くなったのだ? いくら戦時下とはいえ、ハンガーの電力を節約することもあるまいに……。それになんだか全体に傾いているような。建付けが悪いのではないか?
「舞!!」
 ――何だ厚志、何をそんなに騒いでおる。……そなた、いつからそんなに背が高くなったのだ? そんなに大きくなっていいなどと許可した覚えはないぞ……。
 その間にも、見る間に速水の顔が上へと流れていく。自分が倒れているのだ、と平衡感覚は告げていたが、意識はそれに明確な解答を返すことができなかった。衝撃とともに視界が止まる。頬に何か冷たいものが当たる。
何やら体を揺すぶられていることだけはかろうじて知覚できたが、そこまでだった。
 ――え? 私、は……。あつし……?
 急速に視界が暗転する。薄れる意識の中最後に聞こえたのは、速水が自分を呼ぶ絶叫にも似た声だった。

 床に金属質の物が落ちる音が響き渡った。何事かと振りかえった速水は、工具を取り落とし、ゆっくりと倒れていく舞の姿を目の当たりにした。
「舞!!」
 速水の叫びに答える事もなく、舞は、まるで羽が落ちたかのごとく音もなく倒れこんだ。
「舞っ! 舞ぃっ!!」
 慌てて駆け寄り必死に体を揺さぶるが、まったく反応がない。口元に耳を寄せる。かすかな呼吸音。息はある。でも弱い……。思わず額に手を当てた。
 熱い! かなりの熱だ。
「舞! しっかりして、舞!」
 何事かとみんなが集まってくる。
「速水さん、どうしたんですか!?」
 裏で整備を行っていた壬生屋が真っ先に駆け寄ってくる。
「舞が、舞がすごい熱なんだ! 整備員詰め所へ運ぶからちょっとそこどいて!」
 え、と一瞬立ちすくんだ壬生屋に、速水は「早くっ!!」と叫ぶ。
「は、はいっ!」
 いつもと全く違う鋭い口調に戸惑いながらも、壬生屋は慌てて脇に避けた。そちらには目もくれず速水は舞を抱きかかえると、石津を呼んでくるようにほとんど命令口調で言った。
 その間、舞からの反応は何もなかった。

   ***

 アンプルのピンを折り、中の薬液を注射器に素早く吸い取らせる。針をつけ、中の空気を追い出してから傍らに置き、脱脂綿で腕を拭いた後、そっと注射する。
「あ……」舞がかすかに眉をしかめ、顎をそらせた。傍で見ていた速水も思わず険しい顔になる。
「これで……いい……わ」
 注射器を廃棄缶へと放りこみながら萌が言った。
「解熱剤を……注射……、しばらく……すれば……熱……」
「下がるんだね?」
 後を遮るように速水は言った。萌はこっくりと頷く。
 彼は少しだけ安心したように傍らのベッドを見やる。そこには上着を脱がされ、ブラウスの袖を捲り上げられた舞が眠っていた。呼吸はやや荒く、決して楽そうではないが、少なくともこれ以上悪くなる事もないはずだ。
「あとは、安静……にして……いないと……。ここで……?」
 寝かせておく? と言ったニュアンスを込めて萌が訊ねると、速水はゆっくりと首を振った。
「いや、家に連れて帰るよ。自宅の方が落ち着くだろうし。僕も色々と看病しやすいしね」
 そう言うと、処置をしてくれた礼を小さな声で萌に告げた。萌は黙って首を振る。
「というわけですので、委員長。速水・芝村両名、本日はこれで失礼したいのですが?」
 速水は後ろを振り返ると、そこに静かに立っていた善行に向かって言った。
「仕事時間は終わっていますから、まあいいでしょう。多目的結晶は常にオープンにしておくように」
「はい。あと、舞については僕が全面的に面倒を見ますので、どうかご心配なく」
 明らかに別の意味を込めて速水は言った。善行とて(ある意味)数々の修羅場をくぐり抜けた歴戦の戦士である。言わんとすることはすぐに察せられた。
「そうですか、ではあなたに任せる事にしましょう。頼みましたよ」
「はっ」
 速水がいささかわざとらしく敬礼するのに答礼を返すと、善行は詰め所を出ていった。
 詰め所のドアを閉めたとき、暗がりの中から声がした。
「ほっといていいの? なかなかの獲物だと思うけど?」
「……やめなさい。今日ばかりは下手に手を出したら本気で命を落としますよ」
 それだけ言うと、善行は小隊司令室へと去っていった。暗がりから出てきた原は、その後姿を見送ると、やれやれといったぐあいに肩をすくめた。

「あまり……揺ら……さない……方が……いいわ」
「うん、分かってるけど……」
 速水が言葉すくなに答える。背負われた舞はぐったりと速水に持たれかかっている。
耳元に吐き出される息は相変わらず熱く、それを感じるたびに速水の心には針が突き立てられる。ほとんど力の入っていない体がずっしりと重く両肩にのしかかっていた。
「それじゃ、これで」
「気を……つけて」
 そういって速水が歩き出すと、舞の胸元から何かが転がり出た。例の薬瓶だ。
 それを何気に拾った萌が、思わず驚きの声を上げる。
「? どうしたの?」それを聞きつけた速水が振り向くと、
「何でも……な……いわ」と萌は大きく首を振った。
 速水が完全に去った後、萌はじっと手元の薬瓶を見つめていたが、おもむろにポケットから何か取り出した。それは舞の薬瓶と寸分違わぬもので、中には丸薬が一〇粒以上入っている。
 萌はしばらくじっとそれを見つめていたが、そっと首を振るとそれをポケットにしまい直した。
「改良……の……余地がある……わね……」

   ***

「予想通り、か……」
 部屋に一歩入った速水は相変わらずの惨状にちょっと足を止めたが、それでもベッドはどうにか使えるのを確認すると舞を背負ったまま腰掛けた。そっと舞を下ろしてとりあえず寝かせ、髪止めのゴムとリボンを外す。
速水はそのまま上着のボタンも外し、身体を半ば抱きかかえるようにして脱がせてしまった。ブラウスの第一ボタンも外し、キュロットも緩めておく。とりあえずは楽な姿勢が取れるだろうと判断した速水は、そっと布団をかけた。
「ん……、はぁ……」
 その間も舞は額に汗を浮かべながら眠りつづけていた。苦しいのか時々眉がしかめられ軽く首が振られるが、気がつく気配はない。
「とりあえず、頭を冷やさないと……」
 速水は上着をそこらに引っ掛けると、いったん洗面所に消えた。再び戻ってきた時には濡れタオルを手にしており、それを舞の額にそっと当てた。
「あとは氷枕、ってそんなものは用意してないし……。あ、そうだ、これなら……」
 冷蔵庫に適当に放り込まれていた保冷剤をタオルでくるんで代わりとする。頭のほかにもう一ヶ所当てたいところがあるのだが、それは舞が気がついてからやることにした。
 それで少し落ちつくのを待ちながら、速水は手近なゴミや洗濯物を片付け始める。とにかく片付けなければ己の居場所を確保する事が出来なかったのだ。

 三〇分ほどもして掃除に目処がついた頃、速水はパジャマと替えの下着をもって再び舞の元へと戻った。手には湯を張った洗面器と手ぬぐい、それにバスタオルも何枚か握られている。舞は先ほどと変わりなく眠りつづけていた。
 タオルをどけ、布団をそっとめくる。たちまちこもっていた熱気が沸き起こった。
 いいかげん汗もひどい頃だろうから着替えはしなければいけないのだが、やはり衣服に手をかける、というのはためらいがあった。でも、だからといって舞の体を他の者に見せるのは(例えそれが医者でも)とても許容できるものではなかった。舞自身もこのような姿を見せる事をよしとはすまい。
 とはいうものの、着替えぐらいなら女子の誰かに頼めば良さそうなものだったが、舞が倒れた瞬間からまるで脳にロックがかかったかのようにそんな事は考えられなくなっていた。
 ……多少、それ以外のことを考えていたかもしれないが。
「これは……看病なんだから……」
 速水は頬を赤く染め、視線をあらぬ方にさまよわせながらしばし逡巡する様子だったが、やがて何か決意したように舞のブラウスへと手を伸ばした。

 ボタンを一つ、また一つと外していくたびに、その隙間から薄いブルーのスポーツブラが見え隠れして、そのたびに速水は自分の鼓動が高まっていく事を自覚していた。
 袖のボタンも全て外したあと、舞を横向きにさせる。
「あ……」
 肌がこすれて悪寒が走ったのか、舞があえぎ声を漏らす。速水はなるべく肌がこすれないように細心の注意を払いながら左袖からそっと腕を抜いた。
 下着には手をつけたものかどうかとも悩んだが、汗をかいている事に変わりはないし、体を締め付けるものは少ないほどいい。
速水は背中に手を回し、何回か失敗した後にブラのホックも外す事に成功した。あいた背中側にバスタオルをひき、そのまま今度は反対向きに横たえさせるとブラウスとブラを抜き取ってしまった。露わになった白い肌と形の良いふくらみが速水の目を吸い付ける。彼はしばらくそこから眼を離せなかったが、やるべき事を思い出して軽く頭を振った。
 そのとき、まだブラを握り締めたままだったのに初めて気がつき、慌ててそれを放り捨てる。舞の温もりが残っているそれを長く持っていたりすると、何をやりだすかちょっと自信がなかったのだ。
 速水は固く絞った手ぬぐいを手早くたたむと、舞の汗で濡れた身体をそっと拭き始めた。あごの下、首筋、肩と順に拭いていく。そこでちょっと手が止まったが、いったん手ぬぐいを絞りなおすと、そっと胸に当てた。
「ふ、ん……」
 かすかに舞が身じろぎした。速水は心臓が飛び出すかと思うほど驚いたが、それ以上の動きはなかったので、再び拭き始める。手ぬぐいごしとはいえ、一拭きするたびに胸の柔らかな感触が伝わってくる。
「う、うわ……」速水はその感触に驚きと愛おしさと、それ以上に情欲が湧き上がってくるのを感じ、思わず目をつぶる。
 ――駄目だ、早く終わらせないと……。
 そう思いながらもそこを拭いている時間は、他に比べて妙に長かった。
ようやく全てを拭き終わり、パジャマに袖を通させることに成功した速水は下半身に目を移す。とりあえずはこれでいいのではないか、という気がしなくもなかったが、思い直して今度はキュロットに手をかけた。

 下はそれほど難儀でもなく、仰向けに寝かせた上で靴下、キュロット、ストッキングの順にさっさと脱がせることに成功していた。とはいうものの、上がパジャマで下がこれまた薄いブルーのショーツだけというのは妙に扇情的な雰囲気を醸し出していた。
 ショーツに手をかけたところでさすがに手が止まる。既に鼓動はタップダンスでも踊っているんじゃないかと思われるほどに速くなっている。速水の手はさんざん行ったりきたりを繰り返していたが、やがてショーツの脇にそっと指を入れると、ゆっくりと引っ張った。
 すると、後ろが引っかかるので、少し腰を持ち上げさせる。いきなり抵抗がなくなって、するりと外れた。
 この間速水は全くあさっての方を向いていたのだが、舞が「ん……」という声と共に身じろぎしたので、起きたのかと慌てて振りかえり――再び全速で目をそらした。
 考えてみるといい。上半身はパジャマ、しかもノーブラ。下はショーツを外すために足を軽く折り曲げられた格好になっている少女。そして下半身にはなにもまとわず――とくれば、これで獣欲を抱くなというほうが無理な相談だろう。
 速水はまたもや自らの感情を制御しかねていた。彼も男であり、昏い情感を刺激されなかったといえば嘘になる。そこには恐らくはまだ何も知らない、純真な少女が無防備で横たわっていたのだから。
 ――何やってんだよ、僕は?
 思わず速水は自分を罵った。かつてあの忌まわしき場所で過ごしていた時には、行為は行為以上の物ではありえなかった。それは生き延びるための道具にしか過ぎなかったのだ。それに対して何らかの感情を持ったことなど全くない。
 だが、今この胸に沸き起こってくる感情は明らかに違った。
 ――だめだ……、このままでは抑えきれない……。
 速水はまるで自らが熱に浮かされたかのように震えていた。後一歩踏み出せば……。
 だがそのとき、熱を得、病魔にうなされる舞の顔が目に入った。今だ熱は下がらず、やや荒い呼吸をしながら、時々顔を歪めて苦しげにうめく彼女の顔が。
 それを見たとたん、速水の顔が引き歪む。何かを叩くような音が響いた。
「ったくっ! 何を考えてるんだ、僕は……。」
 ――何をすべきかなんて、分かってるじゃないか。
 彼は舞の足を伸ばさせ、腰にバスタオルをかけると、何事もなかったかのように身体を拭き始めた。
 ただし、理性が崩れかけた瞬間もあった。ショーツをはかせる時にちょっとタオルをめくってしまったのだ。
 だが、彼は次の瞬間にはむしろ後悔の表情に溢れていた。
「しまった……。見るんじゃなかった」
 あまりに無防備な舞の裸身に、速水は自分の理性の弦がちりちりとちぎれていく音を聞こえたような気がした。
 苦労して全ての着替えを終わらせた頃には、今度は速水の方が緊張のあまりからか全身汗だくになっていた。
 ――それとは違う意味で緊張している部分もあったが。
 彼はあまりにも正直過ぎる己の生理反応を呪いながら台所へと姿を消した。
(つづく)


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