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戦友、還らず(終話)


 かくして、速水たちは現状に一石を投ずるべく、さまざまに活動を開始していた。同時に善行や原もあれこれと動いているはずだが、さすがにまだ日も浅いこともあり、これといった情報は入ってきていない。
 日々の業務を過ごしながら、速水は連絡を待っている。
 あのふたりのことだから心配はないと思いつつ、どう転ぶかはまだ分からない。かといって、こちらからの接触はどのような反応を呼び起こすか見当もつかない以上、今の彼にできることはさして多くない。
 便りがないのは達者の知らせ、という。そのひそみに倣い、速水は開き直ることにした。どうせその時がくれば、あれこれと否応なく動かねばならないのだから。

 先の戦闘から四日ほど過ぎ、その間に二回出撃があった。まったく無傷というわけにはいかなかったが、士魂号一機の損害で敵の中規模集団をほぼ壊滅、おまけにパイロットも無事救出できた。その他のメンバーにも軽傷者以上の負傷者がいなかったとなれば、とりあえず許容範囲の損害で十分な戦果をあげることができた、そう言っていいだろう。
 ちなみに大破・放棄された士魂号は、回収が難しかったので、戦訓に従い自爆装置で跡形もなく吹き飛ばされた。

 ある日のこと。
 その日も速水は小隊司令室で執務に勤しんでいた。前々から計画していた人員のローテーション――基幹部隊用の人員育成と配備――もようやく動き出し、それに伴い部隊の再建が進みつつある。
「……というわけで、先に送付した資料の通り、士魂号並びに付帯装備の手配をお願いしたいのですが」
『相変わらず無茶を言う。……分かった。装備についてはすぐ手配しよう。士魂号については二、三日待て』
「やはり、士魂号は今すぐというわけには行きませんか」
 画面の中で、準竜師がわずかに口元を歪めた。
『貴様、現状を理解してものを言え。ありったけのストックを持っていっておいて、贅沢を言うな。今、生産ラインを急ぎ組み換えさせている。もう少しすれば、限定的ではあるが量産体制も整うから、それまで待て。足りないのなら、そちらの予備機でなんとかしろ、いいな?』
「了解しました。では、よろしくお願いします」
 通信を終了すると、速水は手元の資料を今一度確認した。現時点までに調達できた士魂号は計七機。一機は損害の穴埋めに使用し、二機は予備機としてストック、そして残り四機は、他の小隊へと再編用に配布されていた。
 まだまだ各部隊ともまともに動ける有様ではないが、機体と同時に五一二一小隊で訓練を受けた整備士も回している。各小隊でパイロットの育成は進められているから、頭数さえ揃えば再起がかけられる。
「まあ、使い物になるのはさらに先だろうけど、ね……と、ん? どうしたの?」
 次の書類に取りかかろうとした速水であったが、ふと顔を上げると、加藤がなんとも言いようのない微妙な表情で物言いたげにしているではないか。
「どうしたの、加藤さん?」
「あんなあ、速水君。その……」
「?」
 常ならぬ歯切れの悪さに、速水は思わず首をかしげた。加藤はしばしためらう様子を見せたが、やがてぼそぼそと言葉を継いだ。
「宿舎の管理人から連絡があってな、その……滝川君の部屋、どうすんのかって質問があったんや」
 その言葉を聞いた瞬間、速水の表情がわずかに硬いものになる。加藤は思わず背筋を震わせ、鋼のような沈黙があたりに立ち込めた。
「そ、そんでな。いつまでもあのまんまにしておくわけにもいかんし、もし、その、片付けって事になれば、人手が必要なら小隊から出さないかんし。どうしたもんかなって思って、その……」
 速水がゆっくりと立ち上がり、加藤の話を中断させた。彼女は息を飲んで、速水の次の行動を待ち受ける。
 が、彼の行動は、おそらく加藤の想像したものとはまったく違っていた。
「そうだね。それについてはそろそろなんとかしなきゃとは思っていたんだ。分かった、管理人にはこっちから話をつけておく。悪いけどもう少しそのままにしておいてもらおう」
 言葉は柔らかかったが、その中に含まれる成分に、加藤の背筋に氷柱が走った。
 ――怖い。
 おそらくそれは、純粋な怒り、そして憎悪。
 だが、彼女自身に向けられたものではない。それは雰囲気からなんとなく察せられた。だというのに加藤は手が細かく震えだすのを止めることができなかった。
 できることならこのまま回れ右して帰りたいところだが、まだ言うべき事がある。それを言わねば責務を果たしたことにはならない。
 責務を果たさない人間に対し、速水がどう接するか――考えたくもないことであった。
 様々な感情が天秤の上で振れまくった結果、事務官としての責任感がすべてに勝った。加藤はただそれだけを拠り所として、冷や汗を浮かべながらどうにか言葉を押し出した。
「で、あの、遺品は……」
 速水の表情はまるで能面のようになっていたが、やや間をおいてから、ようやくのことで笑みらしきものを浮かべた。
「そうだな……。今日にでも僕が行って、確認してくるよ」
 加藤の冷や汗が、倍になった。失禁しなかったのが不思議なほどであった。
 速水が部屋を出ていくと、加藤は思わず自席にへたりこみ、盛大に突っ伏した。
「はーっ、しんどぉ……。でも、あれでよかったんよね? あれしか言いようはなかったもんなあ……」
「加藤?」
「ひゃあっ!?」
 慌てて背後を振り返ると、そこには舞が怪訝な表情を浮かべて立っていた。
「あ、な、なんや舞ちゃんか。はぁ、びっくりしたぁ……」
「そんなに驚くようなことをした覚えはないのだがな。ところで厚志はどこへ行った?」
「ああ、速水君なら……」
 加藤が事情をかいつまんで説明すると、舞は黙って二、三度うなずいた。
「あ、あの、舞ちゃん?」
「事情は了解した。加藤、すまぬがここは任せた」
「え、うん、分かった……」
「心配するな、そなたのやりように間違いはない。だが、理由はわかるな?」
 加藤は人形のように、ガクガクと首を縦に振った。それを見ていたのかどうか、気がついたときには舞の姿はどこにもなかった。
 加藤は、今度こそ机に突っ伏すと、しばらく動けなかった。

 舞が追いついたとき、速水はちょうど校門を出るところであった。
「厚志!」
 速水は一瞬足を止めると、ゆっくりと後ろを振り返る。目が合った瞬間、舞は一瞬息を詰まらせた。
 速水の蒼い瞳はどこか色褪せ、ほんの僅かの間に数歳も年を取ったように見える。口元の笑みはどこか薄っぺらく、張り付いているみたいだ。
「やあ、舞。なにか用?」
「い、いや、特に急ぎというわけではないのだが……」
 彼の顔を見た瞬間、舞はなんと言っていいものか言葉を失ってしまった。速水の周囲にはどこか拒絶するような雰囲気が漂っており、それはもしかしたら自分すら例外ではない、と舞に思わせるほどのものだったのだ。
「ああ、そういえば舞には言ってなかっけ。宿舎の管理人から相談があったんで、ちょっと滝川の部屋を見てくるよ」
「う、うむ。それは加藤から聞いた。それでだな……」
「部屋には、僕ひとりで行ってくるよ。大勢で押しかけても意味はないしね。済まないけど、今日は戻れないかも知れないから、後はよろしくね」
「厚志……」
 舞はその場に立ち尽くしたまま、それだけを言うのがやっとであった。そんな舞の表情を見て、速水が小さく笑い声を上げた。
「心配しないで。君との約束を忘れたわけじゃない。これは僕が、僕自身でいつかはケリをつけなきゃいけないことなんだ。分かってくれるよね?」
 舞は小さくうなずいた。
「別にそなたを止めはせん。……行ってこい、厚志」
「うん」
「……気をつけてな」
 意外な言葉に速水が振り返ると、舞はもう踵を返して校舎の向こうに消えた後だった。
「ごめんね、舞。心配かけちゃって」
 速水は聞く者もないつぶやきを残すと、その場を後にした。

   ***

 管理人から鍵を受け取り、宿舎の一室の前に立つ。
 現在のところまで、五一二一小隊唯一の戦死者である滝川の部屋は、部屋の主が最後に出た時のままに残されている。
 机の上に山積みになったプラモデル、本棚から溢れ出しそうな漫画やアニメの設定本、そして壁一面を埋め尽くすポスターの数々。部屋の中は足の踏み場も無いほど、趣味の品々に埋め尽くされていた。
「……滝川らしいや」
 速水は小さく息をつくと、足元に注意しながら部屋の中へと分け入っていく。男子のひとり暮らしでは仕方のないことかもしれないが、この部屋を整理するのはなかなかに手間がかかりそうだった。
 滝川には確か家族があったはずだったが、戦況のせいか今のところなんの連絡もなかった。万一引渡しができない、あるいは受け取りを拒否されれば、すべては廃棄する他に手はないだろう。
 だが、果たして自分にそれができるのだろうか?
「……違うな。僕がそれをやらなきゃいけないんだ。僕にはその責任がある。だけど……おや?」
 決断を下しかけたその時、速水は視界の隅に、なにか見覚えがある物があることに気がついた。ゆっくりと近づいてみると、それはスポーツバッグだった。滝川がよく着替えを入れるのに使っていたやつだ。
「あれ、これがなんでこんなところに?」
 速水の顔に純粋な疑問が浮かぶ。その気分のままにファスナーを開けてみると、どこかすえたような異臭が鼻をついた。
「うぷっ!? な、なんだこりゃ!?」
 それまでもまあ、まったく変な匂いがしなかったかといえば、そこはそれ周囲の状況を見ればおおよそ察せられようが、その中でもこれはとびきりの異臭であった。
おそるおそる開いてみると、なにやら服らしきものが見える。意を決して速水が手を突っ込むと、それは制服のシャツだった。速水はそれにどこか見覚えがあった。
「あれ、これって……もしかして、僕のシャツ!?」
 慌ててバッグをひっくり返すと、中からまあ出てくるわ出てくるわ、どれも汗染みの浮かんだ無残な姿のシャツが次々に姿を表した。
「あ、これも、これもっ! うわ、これもじゃないかっ!」
 そういえば以前、滝川がシャツが足りないとか言って持っていったことを思い出し、速水は思いっきり顔をしかめた。
「まったく、どうりで数が合わないと思ったら……滝川の奴」
 ふっと、言葉が途切れた。文句を言おうにもその相手はもう存在しないことに唐突に思い当たる。
 なにしろ滝川は、速水が自ら手にかけたのだから。

 士魂号ゾンビ。廃棄された機体に寄生型幻獣が取り憑いて生まれた敵。速水たちは、自らの機体を奪い取った敵を倒すべく奮闘したのだ。
 その甲斐あって、最初七機いた敵は徐々に数を減らしていき、わずか一機まで追い込んだ。それさえ倒せばすべては解決する。誰もがそう思い込んだ。
 それが、油断を招いた。
 いや、それは油断というには当たらないかも知れない。士魂号ゾンビ殲滅戦の中で、敵に機体を乗っ取られる事態も発生しており、その手のリスクは十分承知していたはずだった。
 だが、戦場における情報の錯綜、そして混乱が悲劇を招いた。突出した滝川の二番機が敵の攻撃を受け、大破したのだ。周囲にはその他の幻獣がひしめいており、その他の機体は――速水も含めて――距離がありすぎ、支援は不可能だった。
 善行は、全機に後退を命じた。それは、滝川を見捨てることに他ならなかった。
『死にたくねえっ!』
 滝川の叫びが、今も速水の脳裏にこびりついて離れない。後に分かったことだが、この時すでに滝川は幻獣の侵食を受け、生きながらの死人、あるいは生ける死者へと姿を変えていたのだ。
 やがて、今度は二番機が、新たな士魂号ゾンビとして速水たちの前に立ちふさがる。
 速水にできることはただひとつ、彼を倒し、止めを刺すことだけであった。

 主のいない部屋の中で、速水は座り込んでじっと手の中のシャツを見つめていた。
「……別に、許してもらおうとは思わない。あの時はそれ以外に手の打ちようがなかった。そのはずだ」
 ――本当に、そうだったのだろうか?
 疑問は、いまだ胸の内から離れない。彼を殺すのではなく、救う手立てはなにかあったのではないだろうか?
 だが、その手段はついに見つけることはできなかった。
 それでもなお逡巡する速水に引導を渡したのは、ほかならぬ舞であった。
 彼女は言ったのだ。滝川を殺せ、と。彼を救うには、それしか方法はないのだ、と。
 その言葉を聞いた瞬間、速水は体中の血が沸騰するような感覚を覚えた。舞であってもそれは違う、と大声で叫びたかった。
 だが、何も言えなかった。彼もまた、それ以上の解決策を思いつくことができなかったのだ。
「結局、舞に言われるまで、僕は決断することができなかった。だが舞のことを非情と言えるだろうか? そんなことはない。彼女は僕の代わりに決断してくれたようなものだ」
 ――そして、そのことにどこか安堵している自分がいた。
 それに気がついた瞬間、速水は猛烈な吐き気と限りない嫌悪感を感じていた。だからといってそれ以上の何ができたであろうか?
「分からない、分からないよ……」
 速水の声は、かすかに震えていた。

 結果として、士魂号ゾンビとなった滝川は、速水たちと半ば相打ちの形で討ち取られた。両者の間に違いがあるとしたら、それは生か死か、それだけの違いであった。
 腹から下をすべて失いながら、それでもまだ滝川は生きていた。もっとも、幻獣に体組織の大半を置換され、徐々に霧散しているのを生きていると呼べるのなら、だが。
 滝川の表情はずっと穏やかだった。そして彼は速水に対し、ひとつの願い事をした。
 自分を、殺してくれと。
 速水は彼の願いを聞き入れ、彼の頭を拳銃で撃ち抜いた。

「滝川、初めてあった時のことを覚えてるかい? 僕は忘れない、あの日のことを……」
 速水の声は、懐かしささえ帯びていた。すでにこの世にいない者に対する語りかけが続いていく。
 最初はなんとお調子者の、変な奴だろうとも思った。だが同時にそこには何の裏表もない、ある種の無邪気さがあった。
 ずっと暗闇ばかりを見つめ、虐げられてきた速水にとって、滝川は初めて得た対等の友人であった。
 大切な存在。それはひとりではない。現に彼女は今も自分と同じ道を歩んでくれている。
 だが、もうひとりは、滝川はもう取り返しようもない。
 再び後悔と悔恨が脳裏を支配しかける。
 もっと自分には、何かすべきことがあったのではないか。
 あの時見失わなければ、違う手立ても取れたのではないか。
「……うぬぼれるな、速水厚志。いや、そう名乗る者よ。お前の手はそこまで長くなく、お前の目はそこまで見通せはしなかった。つまりは、その程度の存在でしかなかったのだ」
 速水は頭を乱暴に振ると、地の底から這い出すような声を上げた。
 自分は滝川に手を差し伸べることもできず、見捨てたのだ。
 他の誰が否定しようとも、それがたとえ舞であったとしても、速水にとっての事実は、ただひとつだけだった。
 ここに来る前なら、そんな感情を持つことはなかっただろう。自分の周りにいるのは、自分と同じような運命しか持たぬ実験体か、敵しかいなかったのだから。
 だが、今は――。
「……だから僕は強くなる。もっと力を手に入れて、もう誰も失いはしない。優しい彼女がそう望むから。そして――僕もそうありたいと望んでいるから。許しは請わない。悔いもしない。もう泣きもしない。僕にはやることがある」
 そして、滝川が遺した最後の情報。
 幻獣にも感情がある。そして、意志もある。
 それは速水にとって、重大なヒントであった。つまりは、やりようによっては幻獣との交渉が可能であるということを意味していたからだ。
 準竜師もまた、それを示唆するような情報を速水に与えている。だから速水は彼と手を組んだ。
「だが、それはまだ早い。今は幻獣の力が強すぎる。話し合うためには、どちらも疲弊していなければならないんだ。今は人類が、……次は、幻獣が」
 もしかしたら、昔なら。
 速水が、速水となる前であったなら。
 このような出来事には、眉ひとつ動かすことはなかったかも知れぬ。
 だが彼は知ってしまった。人を愛することを、人のぬくもりを。そして、それらを失うことの意味を。
 だから速水は歩き続ける。
 おそらく自分の考えていることは、ろくでもないことであろう。自分でもその自覚はある。両者が戦い疲れ、やる気をなくさせることでこの戦争を終わらせようというのだから。それまでには両方に数千数万、いや、もしかしたら数百万の犠牲が必要かも知れぬ。
 だが、構わない。それで平和があがなえるなら。
 愛する者の、そして失われし友との約束が果たせるのなら。
「滝川……っ!」
 速水の肩が震え、足元に小さなしみを作った。

 再び滝川の部屋を出たとき、速水は昂然と顔を上げて前を見据えていた。その視線はここではない、どこか遥か彼方を見つめている。
 今、速水の前には進むべき道が開かれていた。
 苦悩と逡巡の時は過ぎ、いまや行動と戦いの時が来たのだ。
 共に歩くべき者がいる限り、彼が歩みを止めることはない。

 愛しき生者と、そして懐かしき死者と共に、彼は再び戦場へと赴くのだ。
(おわり)


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