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冬支度(その2)


「……でな、あやつは先に言っておけといいながら、こうやって私を待たせているわけだ」
「にゃあ」
「そうか、待たされているのはそなたも同じであったな。それにしても、遅いな」
「にゃ」
 舞が優しくマイの背中をなでながら、つぶやくように語りかける。マイもまた舞の言葉にいちいち反応し、律儀な返事を返していた。
 ひとりと一匹の奇妙な会話は、結構成立しているようであった。
 ひざから伝わるぬくもりが、全身に広がっていくような気がする。冷え切った世界の中で、そこだけは確かな存在感があった。
「そなたは、その、寒くないか?」
「にゃ」
 返事ついでに軽く指をなめられ、舞はおおいに慌てたが、その顔にはたいそう無邪気な笑顔が浮かんでいた。
「そうか、それならよい。……それにしても、遅いな」
 怒りが通り過ぎると、不安がそれに取って代わっていく。舞の言葉には、どことなく案じるような響きが含まれていた。
 ――もしや、何か事件にでも巻き込まれたか?
 舞はあわてて不吉な想像を追い払った。縁起などそうそう信じる舞ではないが、好き好んで己を不安に陥れる趣味もない。それに現実問題として、速水に本当に何かあれば、多目的結晶が全方位通信を発するはずであるし、舞がこっそりと速水に取りつけている発信機も緊急警報を出すはずであった。
 ……なんてものをつけているのか、とか、その発信機をたどればいいではないか、とか、いろいろほかにもやりようはありそうに思えるのだが、思考が狭まっている時は、案外こんなものである。
「まあ、あやつのことだ。大したことはあるまい」
「にゃ」
「そうか、そなたもそう思うか。……あやつを信頼しているのだな。それは、わ、私も同じことだぞ? なにしろ私がカダヤと認めるような奴だ。そのくらいでなくてはいかんからな。うん、そうだ」
 どこか変なスイッチが入ったものか、それから舞は芝村的演説の真髄を発揮するような大独演会に突入した。それにまたマイが絶妙な相槌を打つものだから、変なテンポに乗ったのか、舞の言葉はとどまることを知らぬ。
 だから、彼女が気づいたときにはすべて手遅れだったのだ。
「まあ、あやつもぽややんで危なっかしいところは多分にある。それでもな、わ、私は、その……厚志が……」
「僕が、なんだって?」
「!!」
 確実に一五センチはソファーから飛び上がると、舞ははじかれたように背後を振り返り――意外なほどの近さに速水の顔があることを発見した。彼女にしてみればとんでもない近距離で顔を見つめてしまったものだから、急速に頬が熱くなっていくのを自覚しつつ、ばね仕掛けのごとく前に向き直った。ショックで放り出されたマイは抗議の声を上げるが、そんなものはもう舞の耳には届いていない。
「ごめんごめん、びっくりさせちゃったかな? でも、そこまで驚かせたつもりはないんだけど」
 確かに。大半は舞が勝手に驚いた結果である。
もしかしたら彼女にはまた別の意見があったかもしれないが、今は崩壊寸前の戦線を立て直すのでいっぱいいっぱいである。
それでも行動を起こさねば、反撃の糸口すらつかめない。舞は固着しかけた口をようやくのことで押し開いた。
「う、あ、え……。そ、そそそにゃた、いやそなた、一体いつからそこにいたっ!?」
「僕の好みの食べ物を披露していたあたりから」
「な、ななななな……」
 となると、ほとんど最初から聞かれていたことになる。
 舞の血圧、急速上昇。臨界点ぎりぎりである。
「ま、いろいろ面白い話が聞けたから、その辺についてはまた後でじっくりと、ね」
 速水の言葉に、今度は舞の顔がさっと蒼くなる。信号よりも忙しい変化であるが、半ば無意識にしゃべっただけあって、一体どのような言質を取られたものか、まったく想像もつかなかった。
 完全にフリーズ状態に陥った舞に苦笑しつつ、速水は背後においてあった包みを引っ張り込むと封を切り始めた。追求されないばかりか、嬉々として速水がなにやら作業に取り掛かるのを見て、そのなりゆきに舞もいささか体の硬直が解けたようだ。
「? い、一体何だ、それは?」
 目に興味の色が浮かんでいるのを確かめると、速水はにっこりと微笑んで、
「まあ、出来上がってからのお楽しみってことで、舞もちょっと手伝って」
と、何かのフレームのようなものを指し示した。
「う、うむ、分かった」
 一体これがどのように組みあがるのかさっぱり分からなかったが、それも速水の指導よろしきを得て、いささかあやふやな手つきながらも無事完成にこぎつけた。
 外がとっぷりと闇に包まれた頃、ふたりの目の前には冬の守護神たるコタツがでん、と鎮座ましましていた。

   ***

「……なんだ、これは?」
舞はいぶかしげな表情を崩そうとしない。予想外の反応に、速水はなんと答えていいものか迷うそぶりを見せた。
「あ、えっと。コタツって言うんだけど……」
「コタツ? これは家具の一種なのか?」
「う、うん。……舞、もしかしていままで見たことなかったのかな?」
「うむ。どこかで聞いたことがあるような気はするのだが、それがいったいどこであったか……。もしかしてこれが、そなたの言っていた面白いもの、というやつなのか?」
「そ、そうなんだけど……」
 速水の表情は、渾身のギャグがスベった芸人のようであった。舞はなおも警戒心もあらわにコタツの周囲をうろつきながら仔細に検分を繰り返している。
 だが、なんとも居心地の悪い空気を破ったのは、彼女自身であった。
「で、だ。これはどのように使うものなのだ?」
「あ、ああ。これは要するに暖房器具なんだけど、この中に足を入れるとあったかいんだよ」
 ともあれ、少しでも雰囲気が変わればしめたものと思ったか、速水はまるで電気屋の店員のごとく、早口で説明し始めた。はっぴでも着せたらかなり似合いそうだ。
「暖房? どれ。……嘘をつくでない。暖かくもなんともないではないか」
「いや、まだ電源が入ってないんだけど……」
「なっ!? そ、それならそうと早く言え!」
 舞は一瞬体を硬くすると、顔がコタツに負けぬほどの勢いで赤く染まっていった。睨みつけられて、なぜか速水の頬が軽く緩む。
「いや、先にコタツに足突っ込んだのは舞なんだけどな……まあいいや。今電源を入れるね」
 彼が電源を入れると、一瞬電灯の明かりが揺らぎ、コタツの中に設けられた赤外線灯が、赤々とした光を放ち始めた。
「おおっ? なんだ、机の下に明かりがついたぞ? これは中に入るものなのか?」
「いやその、誘導灯じゃないからっ」
 強いて言うなら誘舞灯?
 ……まあ、深くは問うまい。
「厚志、まだ暖かくないぞ、本当にこれが暖房器具なのか? まったく役目を果たしておらんではないか」
 舞の視線は、胡乱なものを見るそれに変わっている。初めて尽くしの状況と、一向に速水の説明どおりにならない現状が、舞の意識を負の方向へと押しやり始めていた。
「あー、すぐに暖かくなるわけじゃないからっ。……ん、もうそろそろいいかな?」
 布団の中に手を突っ込んで温度を確かめると、速水はちょいちょいと手招きをした。舞は、まだ幾分の警戒と疑いを残した表情のままそっと足を入れたが、入れた瞬間にわずかに目を見開いた。
「お……」
 布団はまだ冷たさを残していたが、じんわりとした温もりが、いつの間にか冷え切っていた舞の足を包み込んでいく。自身が理解していたよりも、予想以上に手足は冷え切っていたようだ。
「どう?」
「う、うむ。これならそなたの言っていた通りだ。なかなかに暖かいものだな」
「そうでしょ? あ、そうだ。ストーブもつけちゃうからちょっと待ってね」
 ストーブに火が入り、発熱部が赤く輝きだすと、舞はようやく緊張の糸が緩んでいくのを感じていた。ぬくぽかな空気の中にいて、なおも緊張を持続させられる人間などそうはいない。舞もまた、その例外ではなかったようだ。
「ふむ……。暖かいな、これは」
「そうでしょ? さっき言ったとおりでしょ?」
「うむ。だがこれには、十分に冷え切ったわが手足も貢献しているようだな」
「あ、そ、それはごめん。もう少し早く帰るつもりだったんだけど……」
「冗談だ。それに、気がつかなかったのは私のほうだったからな。……ふふっ、そんな顔をするな」
「う、うん。ごめん」
「だからもういいというに。そなたのヘンなところは相変わらずだな」
 その「ヘン」な行動を起こすにいたったきっかけが、自らの素直な笑顔であったとは、舞には想像もつかなかった。

   ***

 いつの間にか外はとっぷりと闇に包まれ、いくらか風も強くなってきたようであるが、室内はコタツとストーブの二重奏によって得られた暖により、柔らかな暖かさに包まれていた。先ほどの蛍光灯の明かりも、ストーブの赤々と燃える炎のおかげかずいぶんとあたたかに見える。
 舞は、先ほどまでの警戒心がだいぶ薄らいでいるのを感じていた。
「ふむ、なるほど……。赤外線の放射によって、体を温めるのを原理としているのだな」
 彼女は先ほどから、コタツについていた説明書を読みふけっている。やはりというかなんというか、こういうものにはかなり興味がわくようだ。
「まあ、強いて難点を挙げるなら、直接放射を受けるために部分的に熱を持つようになる、つまり熱にむらがあることだな。これをまんべんなく受けられるようにするには、どのような形状にすれば、むう……」
「あー、あのさ舞? 考察もいいけれど、その前にちょっと一休みしない? さっきからずっと説明書とにらめっこで、かなり疲れたでしょ」
 舞は、この手の話題になると、いったん興味を抱いて没入してしまったら、サルベージ船でも引き上げは難しい。それでなくても先ほどからほったらかしに等しい速水としては、なんとか話題の転換を図りたいようであった。
「む、それほど疲れてはおらぬぞ。それよりもこの画期的な暖房器具の改良をだな……」
「画期的っていってもねえ……。まあ、その辺のプランは後でゆっくり聞かせてもらうから、とりあえずみかんでも食べようよ」
 その言葉を聴いた瞬間、舞の眉がピクリと動いた。
「ふむ、みかんか。ま、まあそういうことであれば、少しは休憩を取るのもやぶさかではないな」
「でしょ? ちょっと待ってて。すぐ持ってくるから」
 いそいそと席を立った速水の表情は、心からの安堵に満ち満ちているように見えた。

「おまたせー」
 速水が抱えてきたのは一抱え程度の、やや小ぶりの木箱だった。中身はおおよそ五キロは入っているであろうか。速水はバールでふたをこじ開けると、中からひょいひょいとオレンジ色の物体を取り出した。
 それを見た瞬間、舞の表情がわずかに変わる。
「これは……本物のみかんではないか。よく手に入ったな」
 別に彼女は冗談を言っているわけではない。
戦争続きで、なおかつ諸外国との交易がまったく期待できない昨今においては、食物は合成品やクローン生成品であるというのが昨今の主流なのだ。
「うん、この近くの八百屋さんにたまたま入ってきてさ。せっかくだから買っちゃった」
 速水はなんでもないような口ぶりであるが、先にも述べたとおり合成食品が全盛のこの時代、これだけの、しかも純正のみかんを揃えることはなかなかの手間であった。これが滝川あたりであれば一個でも買えたかどうか。
小隊のエースにして万翼長の肩書きを持つ、彼の財力だからこそ成し遂げられたと言ってもいいであろう。
「はい、じゃあこれは舞の分ね」
「うむ、すまぬな」
 速水も自分用に二つ三つと手にとると、自席に戻る。
「そういえばこの箱ってさ、昔はもっと大きなのもあったみたいなんだけど、そういうのってよく机の代わりに使っていたんだってね」
 いや、どっちかというとこのような箱のほうが珍しいのだが、さすがに速水もそこまでは知らなかったようだ。
 だが、もっと知らなかったのは舞のようで……。
「ほう、そのような用途まで想定しているとは、なかなか用意のいいことではないか。万一に備えるその姿勢、見習いたいものだな」
「あー、それほど大したものなんじゃないけどなあ……」
 そもそもは机も買えず、やむを得ず代替品として使用したという貧乏の象徴のようなアイテムなのだが、なにやら大真面目な表情で得心して、しきりにうなずいている舞を見ていると、とてもそんなことは言えそうになかった。
 ――ま、いいか。
 わざわざ説明することに対する手間と効果を秤にかけると、速水はあっさりと結論を下した。
 ……説明の責任は、きっちり果たしましょう。
「さて、と。それじゃいたただきます」
「うむ。いただくぞ」
 舞は目の前のみかんをひとつ、そっと包み込むように手に取った。皮の下の弾力ある感触が、実がみっちりとつまっていることを教えている。
 舞の頬が、知らずほころんだ。
 みかんの尻から指を差し入れ、皮をむき始めると、鮮烈で豊かな甘い香りがあたりに漂った。合成やクローンではなかなか再現することのできない、本物の香りである。
「ふむ」
 舞はそのまま丁寧に皮をむき、ついでに実についている白い筋もひとつひとつ丁寧に外していくと、そこで初めて実をふたつ割りにし、ひと房取り上げる。
 房を口に含んで思い切って噛むと、期待を裏切らぬ甘みが口中に広がっていった。
「ふむ、これはうまいな。厚志、そなたはなかなか運がよいようだな」
「まあね、自分でも結構運がいいほうだと思ってるよ」
 ――舞のそんな表情を、独り占めできるんだしね。
 今度はまるで幼児のようにあどけない舞の笑顔に、速水はふたつ割りにしたみかんの皮を外しながらほくそ笑んだ。そのまま四分の一ほど実を取り上げると、一気に口に中に放り込む。なるほど確かにうまいみかんであった。
「そなたはなかなか大胆な食べ方をするのだな。もう少しこう、味わったほうがよいのではないか?」
「んー、こうすると果汁がいっぱい味わえておいしいんだ。舞もやってみたら?」
「こ、こうか?」
 舞は同じように実を四分の一にしかけ、ややためらった後に三切れほどをひとまとめにして割ると、口の中に放り込んだ。少し悪戦苦闘していたようであるが、やがてみかんは無事に嚥下していったようだ。
「ふむ、確かに味わい豊かであるが……。私はやはり、ひとつひとつ食するほうがよいようだ」
「そ、そうだね」
 まるで頬袋を張ったリスのような舞の表情を思い返し、速水は笑いをこらえながら、ようやくそれだけ言った。
 人にはそれぞれ、向いた食べ方があるのだ。

 しばらくの間、ふたりは本物の果実が持つうまみを堪能していたが、ふと気がつけば剥いた皮が小山になって、こたつの上に積みあがっているではないか。
「ありゃ。調子に乗って食べ過ぎちゃったかな?」
 箱の中のみかんは、先ほどよりもかなり数を減じていた。少なくとも半分くらいはなくなっていたろう。
「じゃあ、このくらいにしておいて、残りは片付けようか」
「なんだと? 待て厚志、みかんをどうする気だ?」
「え? いや、どうするって、いっぺんに食べちゃうのもなんだから、とっておこうかな、って」
 実際、いかに速水の財力をもってしても、このみかんにはそれなりの散財をさせられている。別に一冬とは言わないが、せめて数日は持たせたいところであった。
 だが、箱を持ち上げかけたその時、
「持っていってしまうのか……?」
 どことなく揺れる舞の瞳が、速水の胸を貫いた。
 ――ああもう、なんて声を出すんだい。
 一瞬、完全に動きを止められた速水は、箱を床に置くとしばし何事かを考え、箱の中からみかんをいくつか拾い上げ、コタツの上に置いた。舞がそれを手にとろうとすると、速水はちょっと待ってと言うようにさえぎり、そのまま奥の部屋へと姿を消す。
「?」
 舞がみかんを前に、忠犬のごとく待つことしばし、速水が再び姿を現したが、その手には裁縫に使う縫い針と糸が握られていた。
「厚志?」
「まあ、そんなに残念がってくれるのなら、取り上げちゃうもなんだしね。でも、このまま食べたんじゃきりがないから、このみかんを賭けて、ちょっとゲームをやらないかい?」
「ゲームだと? 何をやるのだ?」
「やり方は簡単だよ。まずこの針に糸を通すでしょ。で、抜けないようにしたらこの針を……えいっ」
 速水が指につまんだ針を投げつけると、それは見事に机の上のみかんに刺さった。速水は伸びている糸を手に取ると、慎重に引っ張り始める。
「で、これをこう引っ張っていって……」
 速水がそっと手を動かすと、それにあわせてみかんがゆっくりとコタツの上を移動していく。
 針は刺さったとはいっても、表皮にわずかに食い込んでいるに過ぎない。針が抜けたりしないよう、時々方向を変えたりしながら、彼はみかんをコタツの隅へと誘導した。
「ここまできたら、あとは……えいっ」
 やや強めに糸を引くと針が抜け、同時にみかんはコタツ布団の上へと転がり落ちた。
「こんなふうに無事に天板から落ちたらひとつゲット。みかんは落とした人のもの、ってわけ」
「ふむ、なるほど」
「……というわけで、このみかんは僕のもの、ってことでよろしく〜」
「なぬっ!?」
 舞はいきり立って立ち上がると、断罪するかのごとく指を速水に突きつけた。
「あ、厚志、それは卑怯ではないか! 今そなたは、ただ単に例を示しただけのはずであろうが!」
「まあまあ、今のはコーチ代ってところかな、ほら、まだみかんは一杯あるんだし、舞もやってみたら?」
 いきり立つ舞をどうにかなだめながら、速水は針を舞に手渡した。
「む」
 まだ承服はしかねる面持ちであったが、彼女はじっと手元の針を見つめ、一瞬速水に視線を走らせたが、やがてみかんの方に向き直った。
 ――舞、今なんか不穏なことを考えなかった?
 舞と目が合った瞬間、速水は言い知れぬうそ寒さが背中を駆け登って行くのを感じていた。それは蛇ににらまれた蛙と言おうか、猛禽類に付け狙われる小動物の気持ちにどことなく似ていたかも知れぬ。
 速水が暖房の効いた部屋の中で冷や汗をかいている間、舞は投擲の最適点を探すべくコタツの回りをうろついていた。上から見下ろし、視線を天板の高さにあわせ、それはもう真剣なものであったが、時折無意識にであろうか、手が腰へと伸びていた。
「あ、舞」
「なんだ?」
「分かっていると思うけど、投げにくいからって、代わりに隠しナイフを投げちゃだめだからね」
「……むう」
 ――本当に投げる気だったのか。
 渋々と腰から手を離す舞に、速水の背中には新たな冷や汗が伝っていった。

 和気あいあいとは正反対、むしろ実戦の雰囲気すら醸し出している室内で、舞はなおも場所を定めかねていた。ただならぬ気配を察したものか、マイと子猫たちはとっくの昔に避難を完了している。
 と、舞の足がぴたりと止まった。
 ――やはり、ここが一番良さそうだ。
 幾度となく距離を計測し直し、天板の端からみかんまでの最短距離を確認した舞は、そこから多少ずれた位置に占位した。何だかんだと文句はつけたが、彼女は速水のデモを素早く研究し、彼女なりの考察を済ませていたのだ。
 一見、最短距離からそのまま針を刺せばいいように思うが、相当の力を込めなければ針はみかんに食い込まない。みかんを引っ張る時に頼りになるのは針の先端と表皮との摩擦力だけであるから、みかん・針・糸が一直線になるような引き方は、すぐに外れてしまう恐れがあった。むしろみかんを多少回転させるつもりで、軸線からずれた方向に糸を引いてやるのがいいように思えたのだ。
 ――そのあたりでどのように力を案配するかが腕の見せ所、か。ふむ、厚志め、しれっとした顔でこのような考察を求める遊戯を繰り出してくるとは、相変わらず不思議な奴よ。
 ……これで単なる考え過ぎ、などと言ったら、彼女はどんな顔をするのだろうか?
 事の成り行きを、速水は焦れた表情を浮かべて見守っていたが、敢えて声をかけようとはしなかった。よく見れば彼の視線は針の先から離れず、腰掛けているように見えてわずかに腰が浮いていた。先ほどのこともあるし、万が一ではあるが、声をかけて針の投擲先が変更されることを恐れているようにも見える。
 そんな速水の行動に気がつくこともなく、舞は腕をゆっくりと振り上げた。十分に照準を定め……。
「とうっ!」
 気合い一閃、手から離れた針は、見事にみかんのど真ん中に命中した。
「よしっ!」
 舞は勢い込んで引っ張るが、なぜかみかんはびくともしない。二、三度繰り返してみたが、結果は同じであった。
「な、なぜだっ!? 厚志、さては貴様、みかんに鉛でも仕込んだかっ!?」
「そんなことするわけないでしょっ。それよりさぁ、コタツの上を良く見てごらんよ」
「ん? ……あっ」
「それじゃ、どうやっても動かないと思うんだけどなぁ」
 速水のどこか達観したような声に、舞の顔が見る見る赤くなっていった。
 針はみかんを突き抜けて、天板に深々と突き刺さっていた。


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