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星夜見(ほしよみ)(その1)


 天に悠久の星あり、地には刹那の人の営みあり。
 これは変わらぬ理(ことわり)なれど、今、人の営みは徐々に失われようとしていた。
 それでも人は運命に抗いつつ、星を眺め、願いを託す。
 だから、満点の星空の下では、人は素直になれるのかもしれない。

   ***

 ま、それもすべては夜の話。
 柔らかな日差しあふれる昼間においては、まさに夢幻のようなものである。
 空の青さが目に染み渡る。所々に浮かぶ綿雲はあくまで控えめに、ゆったりとたゆたっていた。
「ふ、ふわあぁ……。いい天気だなあ」
 いかにものんきらしい声があたりに響き、空へと吸い込まれていく。
 ここはおなじみ五一二一小隊基地であるプレハブ校舎、その屋上である。
 以前の利用者――同じ学兵だったという――によって建てられたというこの校舎、見栄えという点ではまったく冴えないが、強度のほうは……これもやっぱり、どこか頼りないところがあった。
 小隊総出の数度にわたる補修工事にもかかわらず、今も屋上など歩けばところどころ怪しげな軋み音が響くほどであるが、それでも比較的見晴らしがいいことから、食事時のちょっとしたスポットになっている。
 もっとも今は、ここにいるのは速水と舞のふたりだけだ。
「それにお弁当もおいしかったし。ごちそうさま、舞」
「そそ、そうかっ? ……そうか、ならばよいのだが」
 思いっきり声を裏返らせつつ、舞は逆さにしたビールケースに深く腰掛けたまま、まるで面接でも受けているかのように身じろぎもしない。額には汗が浮かび、頬はすっかり紅潮し、戦闘の時よりよほど真剣な眼で速水を――正確には彼の手元を見つめている。
 そこには、舞の朝方、いや夜明け前からの奮闘の成果である弁当箱があった。中身は米粒ひとつまで見事に空になっており、舐めたのかと疑いたくなるほどにきれいになっていた。
「うん、上出来だよ。これだけできるなんて、やっぱり舞はすごいよね」
「い、いやその、そんなことはないが……」
 言葉とは裏腹に、彼女の口元はわずかにほころんでいた。ただ、不自然なまでに顔をあさっての方に向け、きゅうっと小さくなってしまっていたから、詳しい変化は速水からはよく分からなかったが。
「また、そんなに照れることもないのになあ。ねえ、こっち向いてよ〜」
「う、うるさいっ。……わ、私は今、そなたに顔を見せるにはいかんのだっ」
「え〜、どうしてさ?」
「ど、どうしてもだっ!」
 ……なるほど、こんな調子では、ほかの面々は入ってくる気にもなるまい。いらん気配に当てられるのはご勘弁、てなもんである。
 で、張本人である速水はどうかというと、舞を見やりながら笑みを――ほんの少しだけ苦笑を混ぜて――浮かべていた。
 正直なところ、舞の弁当を評価するならば、大変婉曲に言っても改善を要すべき点が多々見受けられた。それは速水の目から見ても明らかであるし、ついでに舌も一言言いたい――どころか、さっきから抗議の悲鳴を上げていた。
 だが、そんなことはどうでも良かった。
 舞が、愛しい彼女が悪戦苦闘しながらもなんとか速水のために食べてもらおうと、そのおぼつかない手で奮闘したのだ。その想いと行為に比べれば、味覚に対する多少の問題など、なにほどのことがあろう。
 ――でもまあ、もう少し薄味でもいいと思うんだけどな。ま、今の僕たちにはこのくらいがいいのかもしれないけど。
 舞の味付けは、全体的に濃い目であった。
これは、彼らの厳しい整備や訓練で失われる塩分やミネラルを考えればある意味当然かもしれないが、それを考慮しても、今日はほんの少し濃すぎたようにも思う。
 まあ、その辺りの案配にしても、時がやがて解決するであろう。経験こそ、往々にして最良の教師なのだ。
 ……ただし、あまりに足踏みするようであれば、手取り足取り微にいり細をうがち、至れり尽くせりの指導をする気も満々でもあったが、まずは自助努力である。
 自ら何事かをなそうという、その心がなによりも尊いのだ。

 ともかく、腹が膨れれば多少は心にも余裕が生まれてくる。舞も弁当を食べ終わるころには、いささか落ち着いた様子を見せていた。
 ――むう、今日は少し味付けが強すぎたか……。しかし、何も文句を言わぬということは、このくらいがこやつにはいいのであろうか?
 今日の経験が、またひとつ記憶として保存されていく。
 ……訂正、必要なことはさっさと指摘したほうがよさそうである。
 ともあれふたりは速水の用意した紅茶パックをすすりながら、他愛のない会話を交わしていく。
 もっとも、交わされる「会話」がほとんど戦術論か歴史ばかりというのは、その辺りは舞の舞たる所以というところであろうか。
 恋人同士の間で交わされる睦言にしてはえらく殺伐としたものであるが、それについては速水も心得たもので、あえて異論を挟もうとはせぬ。
確かに華やかさには欠けるところがあるが、その多くは実際的で有意義なのは間違いなかったからだ。
 大抵の場合、洪水のごとく押し寄せてくる舞の話を、多くはうなずき、時には首を傾げたり質問したりしながら、おおむねおとなしく聞いているのが常の速水であった。
 だが、今日は違った。
 静かに話を聴いているのには間違いないのだが、今日は何かを待ち受けているような、そんな雰囲気をかすかに漂わせていた。
 しばらくして、その瞬間が訪れた。
 速水の様子にてんで気がついていなかった舞が、さすがに話し疲れたか一息ついた、その一瞬を狙って速水がおもむろに口を開いたのだ。
「なるほどね、そういうことなんだ。……そういえばさ」
「ん、なんだ?」
「舞は、今度の日曜日、何か用事あるかな?」
「いや、別に何もないぞ。……どうした?」
 舞が怪訝そうな表情を浮かべた。小首を傾げるその姿に愛らしさを感じつつ、速水は努めてさりげなく言葉を継いだ。
「うん、良かったら日曜日さ、どこかに遊びに行かない?」
 不意打ち、かつ爆弾発言というのは、もしかしたらこのことを言うのかもしれない。放たれた言葉が舞の脳裏に達するまで、たっぷり数秒はかかったが、いったん理解した後の反応は劇的であった。
「な、なぬっ!? そ、そそそれはもしや、その……いわゆるデェト……か?」
 満面を朱に染めながら、まるで難解な計算式を解きほぐすような口調で舞が確かめると、速水は満面の笑みで大きくうなずいた。
 舞の顔が、更に赤くなった。

   ***

 ふたりが付き合うに至った経緯は、いささか特殊なところがあった。
 生徒会連合九州軍の決戦兵器にして兵器体系の鬼子である人型戦車・士魂号。その中でも一際異相を放つ複座型のパイロットとガンナーに指名されたのがその始まりにして最たるものであったろう。この時からふたりは、共にあることを運命づけられていた。
 ……とは言っても、それはあくまで純軍事的な観点からの話であり、遺伝子検査までしたうえで相性を判定されたのは、なにもバカップルを作り上げるためでは絶対になかった。
その、はずだ。
 事実、ふたりの間柄はしばらくの間は戦いにおけるパートナー以上のものではなく、それは周囲はおろか、なによりも当人たちがそういった認識しか持っていなかった。
 もしあの時に「このふたりは将来結ばれる」などと言おうものなら、速水はともかく、周囲は爆笑に包まれるであろうし、舞に至っては芝村の地獄を特等席で見学させることを力強く請け負ったであろう。
 ならば、なぜそれほどのふたりの間柄が徐々に接近するに至ったかといえば――これはもう、常に顔を合わせている者同士の間にしばしば生まれる、あのなんとも摩訶不思議な心理状態である、としか言いようがなかった。
 なんとも陳腐な結論もあったものだが、これには同時にそれなりの理由と必然性も存在していた。
 すなわち、常に顔を合わせているということは、相手のあらゆる行動・意識・感情をつぶさに見る機会があるということであり、相手をよく知るためのもっとも効果的な方法であるからにほかならぬ。
 その中で、速水は舞の傲慢なまでの意志の強さと努力を怠らぬ強さ、そしてその陰に隠されてだれも気がついていなかった純粋さと優しさを発見したのであり、舞もまた、一見つかみどころのないこの少年の中に、無知もあるとはいえ相手を恐れぬ勇気と公平さ、そして外見からは想像もつかぬほどの強さを見いだすに至ったのだ。
 もっとも、それが互いの認めるところとならなければなんの進展もなかったのだから、ふたりの間に愛情が芽吹くきっかけとなったのは――やっぱり、相性という限りなく陳腐な言葉で片付けるのがもっとも良いのかも知れぬ。
 まあ、別にふたりにとってはきっかけなどどうでもよく、ただ、互いに相手の存在が大きくなっていることを感じるだけで十分であった。日に日に大きくなっていくその感覚を、一方は楽しみ、そしてもう一方はうろたえ、慌てながらも徐々にある決意を固めるに至った。
 舞が告白に至ったのは、ふたりがパートナーとなってから二週間後のことであった。

 それから、一週間ほど過ぎ、今に至る。
 一週間という期間を考えた場合、一般的な恋愛としては決して長い方ではないが、学兵という立場と戦争中であるという状況とが、ふたりの思いを限りなく凝縮していた。ロミオとジュリエットではないが、恋に時間の長短など、実はさして関係がないのかもしれない。
 ことに舞にしてみれば、速水を自らのカダヤとしてからの一秒一秒が、かつて体験したことがないほどの驚きと新鮮さと、そして――これは周囲に知られたりすれば、誰もが衝撃のあまり朽ち木のごとくなぎ倒され、速水はぽややん度一五〇パーセント増しになることは間違いないが――なんとも言えず甘美かつ心地よい心持ちを彼女に与えていた。
 むろん、舞とすればそのようなこと、たとえ天地がひっくり返っても口に出すことはありえないが、その態度の端々、そして瞬間百面相を繰り返すその表情と眼が、言葉を補って余りあるほどに彼女の心情を伝えていた。
 もちろん舞は気がついていないし、速水も口にするつもりはない。こんな楽しいことを誰が言うものか、と固く心に決めている。
 イヤな確信犯もあったものだが、まあ、とりあえずそれでうまくいっているのなら、余人が敢えて口を挟むことでもないであろう。
 ……誰も、自ら好んで地獄に飛び込む趣味はないだろうし。

「でね……。それから……、あ、こんなのもいいかもね」
「う、あ、あの、その……」
 立て板に水、口八丁手八丁とはまさにこのことであろうか。
 舞は頬が痛くなるほどに赤くなりながらも小さくうなずいたが、その後は速水によるデートコースに関する提案一斉射撃にさらされることとなった。そのスピードと量はガトリング砲だってこうはいくまいというほどで、言葉の甘い弾丸は、容赦なく舞に降り注いでいた。
 とはいえ、いつもならこの程度の論など軽く跳ね返し、相手に数倍する勢いでとうとうと持論を展開した上で論破するなど朝飯前の舞が、どうしたことか明らかに困惑の表情を浮かべ、何を言ったらいいのか分からぬ様子であった。
 別にそこまでうろたえなくてもよさそうに思うのだが、それもまあ、無理はなかろう。
 なにしろこれまで彼女は、その手の話に疎い――どころか、ほぼまったくの白紙状態であった。そのため、このようにいくら提案されても、そもそも比較検討すべき対象がまったく分からないのだ。
 闇夜に明かりも持たずに飛び出したも同然の状態で、一体どのように最適解を見つけ出せばいいものやら、舞はすっかり途方にくれていたといってもよい。
 いっそのこと、こんなときには「あなたと行けるなら、どこにでも」とでも応えてやれば、速水は満面笑み崩れてそのままリテルゴルロケットでも抱いたような勢いで中空に飛び出していたことであろう。
……同時に、本気を出した彼に、どこへ連れて行かれるか知れたものではないだろうが。
 理屈や理論でなく、ただ感覚で応えたところできっと許されたであろうこの状況で、なおかつ理論を求めるのも彼女らしいし、だからこそ速水は、いささかからかいを含みつつも真剣に提案を繰り返していたと言ってもいい。
 もし舞からそのような、いかにも小賢しい返答をされたとしたら、速水はそれこそ困惑し――過去の記憶を呼び覚まされ、いろいろと考察の上、舞に対する評価を変更することもあったかも知れぬ。もっとも、彼女が真剣にどこでも嬉しいと感じていたのならその限りではないが。
 いずれにしても舞に必要なのは決断であり、返答であった。彼は提案した。ならば彼女は答えねばならぬ。
 が、次から次へと流れ込んでくるプランの多さに、さしもの舞も少々頭脳がオーバーヒート気味となってきた。
 その表情に気がついたものか、それまでマシンガンのごとくしゃべり続けていた速水もいったん口をつぐみ、わずかに思案するような表情を浮かべると、こう切り出してきた。
「まあ、いろいろ行きたい所はあるんだけど、一日じゃそんなに行けないし……。とりあえずさ、市内で行けそうなところにしてみようか?」
「そ、そうか? ……そうだな、それがよいかも知れんな」
 速水もそこまで遠くに行けるとは思っていなかったらしく、あっさりと方針を転換してきたので、思わず舞は息をついた。
 判断に迷うときは、条件を限定するのはよい方法である。なまじ真っ白なキャンバスを渡されても、誰もがそこに思うさま絵を描けるとは限らない。慣れぬ者には塗り絵のほうがいい場合だってあるのだ。
 条件を与えられたことでどうにか動き出した脳内検索をフル回転させつつ、舞は己にとって、そして速水にとっても最適であろう解を探し始めたがが、正直なところ、最初のほうに挙げられた候補など、舞の頭の中からはとっくの昔に消え去ってしまっていた。
 それでもまあ、範囲が限定されたとなればまだ対処のしようもある。舞は心の中でそっと安堵の息をつくと、どうにか記憶の隅に引っかかっていた場所を引っ張り出してきた。
 ――図書館、は普段から行っているし、今さらに公園でもあるまい。……プ、プール? そ、そんなのはいかん、駄目だ、却下だ!
 何か期待していた速水君、残念でした。
 赤くなったり青くなったりしながら、舞は少しずつ候補を取捨選択していく。やがて、検索の手がある地点まで来たところで急に止まった。
「?」
 一瞬、舞の顔になにかが浮かんだのを見て、速水は何事かと思ったが、それも一瞬のことだった。やがて舞は、まだ顔は赤いままだったが、先ほどよりは落ち着いた表情で、
「プラネタリウム……、そう、プラネタリウムはどうだ?」
 と宣言した。
「プラネタリウムか……。うん、いいね。じゃあそれをメインにして、その前に新市街で軽くお茶を飲んだり買い物する、ってのはどうかな?」
「う、うむ。そのあたりはそなたに一任する」
「うん、じゃあ決まりだね。今度の日曜日、必ずだよ?」
「誰にものを言っている。芝村はそう簡単に約束を違えたりはせん。……で、では、決まりだな?」
 言葉こそは堂々としているが、これ以上赤くなるのは難しかろうといった舞に、速水は苦笑交じりに頷いて見せた。
「よかろう。……ならばそれまで、我らにはやることがあるはずだ。私は訓練に入るが、そなたはどうするのだ?」
「あ、じゃあ僕も……。ちょっと着替えてくるよ」
「そうだな。では一〇分後に鉄棒前に集合とする、いいな?」
「うん、じゃあ行ってくるね」
 速水はきびすを帰すとロッカールームに向かったが、その間中彼の顔はずっとにやけっぱなしであった。
「ふふっ、舞とのデートかあ。楽しいといいな……いや、舞にはぜひとも楽しんでもらわなきゃ。でも……」
 ふと、彼の足が止まる。
「さっきの舞……。あれって、なんだったんだろう?」
 それは、どこかここではない、はるか遠くを見ているような表情であった。だが、いくら考えても彼にその理由など分かろうはずもない。
「……ま、いいか」
 それも、デートに行ってみれば何か分かるかもしれない。速水は、すべてはそれからだと割り切ると、足早にロッカールームへと駆けていった。

   ***

 一体何者の采配かは分からぬが、それから数日は比較的平穏な日が続いた。
 もっとも、二度ほどあった戦闘と、それに伴う夜間緊急出撃、そして手ひどい損害を復旧するためにほとんど徹夜になった修復作業を無視できるなら、ではあったが。
 無視できた。少なくとも納得はできた。
 出撃した戦区は熊本市からはるか離れた南部方面であったし、士魂号にはかなりの損害が出たものの、少なくとも軽傷以上の負傷を負った者もいない。ともかくも全員が無事に明日の朝日を眺めることができたのだから、それで十分以上とすべきであった。
 その時一緒に戦った友軍の中には、小隊丸ごとこの世ではないどこかへと「突撃」してしまった者たちもいるのだから。

 本音を言えば、復旧作業は辛いどころの話ではなかったのだが、今日を耐え忍べば休日、それも今のところは良く晴れそうだという予報が出ていればおのずと心構えも違ってくる。
天気のいい日は幻獣は出現しないという経験則からすれば、それは十分に喜ぶべきことであった。
 ましてや速水にしてみれば、明日は何をさしおいても成し遂げなければならないイベントが控えているのだから、こんなところで弱音を吐いている暇などない。彼の手はいつもに倍するスピードで次々と整備を進めていた。
「ふん、ふん、ふ〜ん♪」
 軽やかな鼻歌が、ハンガーの中を流れていく。それを横目で見ながら、滝川はどこかげんなりした表情を浮かべていた。
「はぁ〜あ、こんだけしんどいってのに、あいつったらえらい余裕でやんのな……。いったいあの元気はどこから出て来るんだよ、ったく」
「そりゃお前、ラブってやつさ」
「おわあっ!? ……師匠、一体なんすか、いきなり? もしかしてサボりっすか?」
 慌てて滝川が振り向くと、そこには一階で指揮車の整備をしているはずの瀬戸口が、支柱に寄りかかって滝川を見ているではないか。瀬戸口は涼しい顔で、
「莫迦言え、一段落ついたから一休みしに来ただけさ」
 といったが、ニヤニヤと浮かべる笑みを見ていると、どこまで信用してよいものだか分からなくなってくる。
「はあ、そーすかー」
 とりあえずその方面の追求はあきらめることにした滝川は、疑問をそのまま口にした。
「で、ラブって一体なんのことすか?」
「お前さんだって聞いてるだろう? あいつが芝村の姫さんと付き合いだしたって話は。そして明日は日曜日となれば、おのずと分かってくるもんじゃないか?」
 それでも滝川はしばし眉を寄せていたが、やがてあ、と小さく声を上げると、余計にげんなりした表情を浮かべた。
「そ、そうか……。あの野郎、芝村とデートする気か……。くそっ、Hな雰囲気を見るときは一緒だぞって固く誓ったっていうのに、裏切り者ぉ……」
 最後の方はすっかり涙目である。不肖の弟子のあまりのしおれっぷりに、瀬戸口は哀れみと呆れがない混ざった視線を向けた。
「ま、そのあたりはお前も努力するんだな。……それと、前から言おうと思っていたんだが、Hな雰囲気云々は、あまり人前で言わんほうがいいと思うんだがな」
「はあ? なんでっすか?」
「……あー、分からないなら別にいいんだ。うん、まあ、気にするな」
 本気で首をかしげている滝川を見て、瀬戸口は解説してやる気も失せたようだ。まあ、こういうのは解説してもあまり楽しい話ではあるまいが。
「ま、せいぜい努力するんだな、不肖の弟子よ。それじゃな」
「あ、はい、お疲れ様っす」
 飄々と姿を消した瀬戸口を、滝川はしばし呆然とした表情で見送っていたが、彼の姿が完全に見えなくなると、一層気力を奪われた雰囲気でコックピットにとりついた。ともかくこれを終わらせないことには、休みを楽しむことすらできないのだからどうしようもない。
 しばらくは難解なデータと首っ引きで調整を進めていた滝川であったが、そのうちふと妙なことに気がついた。
「……そういや師匠、休憩って言ってたけど、なんでわざわざここに来たんだ?」

 そのころ、一番機のあたりでなにやら話し込んでいる瀬戸口と、耳の先まで朱に染めながら俯いている壬生屋の姿が見られたそうであるが、滝川の精神安定のためにも、これは知るべきではなかろう。
 世の中には、知らなくてもいいことなど、それこそ掃いて捨てるほどあるのだ。

   ***

 幸いにして戦況の急変もなく、無事に日曜日がやってきた。
 速水はいつもより相当に早い時間から準備を整え、余裕たっぷりに家を出ると、足取りも軽く舞の家へと向かった。
 初めての――それはつまり、前回の――デートの時は、学校の正門前を待ち合わせ場所にしたのだが、それは要するに周囲に「私たちは今付き合ってまーす」と堂々と宣言するに等しかった。
 なにしろここは、単に遊びに行く時もよく待ち合わせに使われるので、クラスメイトと出会う確率もかなり高い。
もっともそこはそれ、おのずと雰囲気に差も出てこようというものであるから、なんとなく分かれてはいるのだが、意識されるのはどうしようもなかった。
 結果、周囲の耳目にさらされ続けることとなり、これにはさすがの速水も少々げんなりしたものであった。おまけに舞は、その状況に気づいたとたんに回れ右してその場から撤退しようとさえしたのだから、彼にとっては踏んだり蹴ったりであった。
 そんなことがあってから、次回は舞を家まで迎えに行こうと速水は決めていた。舞と付き合っていることは、それこそ世界中に鳴り物入りで宣伝しても足りないくらいであったが、なにも余計な注目を集める必要もなかった。
 ――それに、なんか変な連中もいるって噂だしなあ。
 道すがら、速水は小耳に挟んだうわさを思い出していた。
 カップルのいる所必ず現れ、決して邪魔をするではないが、やることなすことを余すところなく記録された挙句、翌日にはそれをネタに冷やかしをかけるという謎の集団の話は、彼も耳にしていた。何かされるわけではないとはいえ、それはそれで少々うっとうしい。
 多少の欺瞞行動が必要なゆえんであった。

 舞の家は、築六〇年に達しようかという超老朽アパートであった。むろん、いくらなんでも随所に補強は入っているようであったが、この建築学の限界に挑戦するような建物には、速水も感心することしきりであった。
 ――もうちょっとなんというか、いいところに入っても別に罰は当らないと思うんだけどなあ。まあ、らしいっていえばらしいけど。
 などと思いつつドアを軽くノックすると、中からのいらえと同時にあわただしい雰囲気が漏れ聞こえてきた。
 少ししてそれが止み、舞が姿を現すと、速水の笑みが大きくなる。もっとも、この時の格好はあいも変わらぬ制服姿であったから、見栄えという点ではいつもと代わり映えしないものであった。
 これには、舞の意向もあった。
 本人の弁を借りるならば、
「ま、万が一だな、その、デ、デェトの最中に出撃があったりしたらなんとするのだ。われわれは学兵である以上、常にそのあたりの準備は怠るべきではないであろう?」
 とのことで、今回の服装と相成ったわけであるが、なんというかこう、どうもほかの理由があるように速水には思えてならなかった。事実、
「別に私服で学校行ったって……」
 という速水のつぶやきに対して、拳が飛んできたあたりからもなんとなく察せられることではあった。
 まあ、それもある意味瑣末事ではある。今はふたりでともにいられるという事実だけでも、十分に胸ときめかせるに足るものであった。
 呆けたような――実際、呆けていたのだが――速水の様子に、舞の表情がたちまち曇っていく。
「な、なんだ? ……私はなにか、ヘンなことをしたか?」
「ううん、ちっとも」
 その言葉に、舞は明らかに安堵の表情を浮かべていた。こういった些細な一挙手一投足ですら、速水にとっては愛しくてたまらない。
 おまけに上目遣いなどされてしまっては、一も二もなく全面降伏するしかないではないか。
「さっ、じゃ、そろそろ行こうか?」
「う、うむ。……ああ、厚志っ!? 手、手がっ……?」
 いささか硬い表情だった舞の声が、手を握られるという奇襲攻撃の前に見事に引っ繰り返った。仕掛けた当の速水は――内心はともかく――まったく涼しい顔である。
「ほら、そろそろ店も開くし、急ごうっ」
「だ、だからっ、そんなに引っ張るなと……厚志ーっ!?」
 いやはや、なんとも賑やかなことである。


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