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シャンプー(その1)


 闇の中の光。
 深い闇の中から、徐々に浮かび上がっていく感覚。それまでいた素晴らしき世界との決別にわずかに名残を惜しみつつも、体は徐々に強まる浮遊感のままに流されていく。
 はるか彼方に見えるかすかな光芒。どうやらその中心に向かっていくようだ。
 ――この感覚は、覚えがある。
 かつてはこの感覚にとらわれるたびに、消え去ってしまいたいほどの絶望感に襲われることもあった。時が経つにつれてそれは無感動にとってかわり、やがては陰惨なる悦びを迎える先触れとしてとらえるようになった。
 むろん、今はそんなことはない。それはただあたたかく、優しく、そして――愛しく。
「ん……?」
 かすかな声と共に、速水はゆっくりと目を開いた。

 窓から差し込む朝日が、柔らかく室内を照らし出す。見るともなく天井に反射する光を見ていると、速水は意識が徐々に覚醒していくのが分かった。
「もう、朝かぁ……。ほとんど寝てないような気がするんだけどなあ」
 それはある意味事実であるが、そんなことを言っても時が止まってくれるわけもない。仕方なく速水は体を起こし――光が指し示す先につられるように視線を向け、静かな笑みを浮かべた。
 傍らにはひとりの少女が、先ほどまでの速水と同じく静かな寝息を立てていた。
 少女の名は、芝村舞といった。
 軍事・財政に急激に勢力を伸張している振興の一族、芝村一族。その末姫として、起きていれば不遜なまでの自信と意思をみなぎらせ、また同時に断固たる実行力で理想を目指し突き進む傑物が、今はまさに年相応のあどけない寝顔を見せていた。
 むしろ幼ささえ感じる寝姿に、速水はしばし見入っていたが、やがて意を決したように彼女の肩に手をかけ、そっと揺り起こし始めた。
「舞……舞? もう朝だよ、そろそろ起きなきゃ」
「……んにゅ?」
 聞く者が聞けば揃ってひっくり返りそうな声を上げ、舞は小さくいやいやをすると再び夢の世界に戻ってしまう。
 速水はしばしの間顔を背け、肩を震わせながら何事かに耐えていたが、どうにか平静を取り戻すと、先ほどよりやや強めに舞を揺さぶった。
「……う、むう。も、もうそんな時間なのか?」
 先ほどよりは多少ましな声で舞は答え、しきりに目をこすりながらいとも無造作に半身を起こした。大きく伸びをすると体を覆っていた毛布がぱらり、と外れた。
 生まれたままの舞の姿が、そこにあった。
 意識がまだ夢の踊り場にいたせいか、舞はそのまま立ち上がりかけ――ようやくそこで、いつもよりあちこちが涼やかなことに思い至ったのか、何気なく視線を下に向けた。
 周囲に散らばる舞の抜け殻、そして己の姿。
 シャコ顔負けの速度で舞が布団に飛び込むまでには、たいした時間は必要なかった。まあ、茹で上がり具合もご同様、といったところであろうか。
「な、な、な……」
「あーあ。舞ったら、そんなに慌てることもないのに……」
「こ、これが慌てずにいられるかっ!? そ、そにゃたっ、いやそなた、知っててわざとやったな!?」
 まったくもってそのとおりであるが、それを正直に口にする速水ではない。というか、さっきから頬と頭のネジは緩みっぱなしである。
「えー、そんな人聞きが悪いなあ。僕がそんなことをするわけないじゃない」
「い、今までのことを考えれば、信用できんっ!」
 そこまで信用できなければ、もう少し警戒なりなんなりすればいいと思うが、それはまあ、突っ込んだりするのは野暮というというものなのだろう。
 なおもいきり立つ舞を柳に風と受け流し、速水はつとめてさりげなく口を開いた。
「それより舞、今のうちに一旦戻らないと……」
 その一言で、完全に沸騰していた舞もいささか熱を冷ますことができた。昨日はまったく突然のことだったので、学校の準備などまったく何もしていなかったのだ。
 実際には軍事教練がほとんどとはいえ、だからといって適当に済ませてよしとするのは、彼女の矜持が許さない。
 ともあれ、なすべきことを思い出すと、後の行動は早かった。舞は素早く布団から飛び出すと、近くに散らばっていた服を手早く身にまとっていく。
 それはまあそれでいいのだが、やはりどこかまだ寝ぼけていたのであろう。反射的に起こした己の行動がどのような結果を引き起こすか、そこまでは思い至らなかったようである。
 下着を身に着け、シャツを羽織り、あとはリボンを止めようかという段階になって初めて、舞は自分を見つめる視線の存在に気がついた。ぴたりと動きを止め、できの悪い人形のように傍らを振り向くと、口元を緩めながら突っ立っている速水の姿が目に飛び込んできた。
 準備の間にようやく収まったかと思われた顔に、あっという間に再び血が上っていく。いや、もう顔といわず耳といわず、完熟トマトも真っ青であった。
「き、きしゃまぁっ!? な、ナニを見ておるかっ!?」
「いやその、まあ、一部始終をバッチリと」
 あまりにきっぱりあっさりとした返答に、舞ももう二の句も告げぬ。頬は触れればやけどしそうに熱くなり、全身がおこりにでもかかったように細かく震え始めていた。
「だからさあ、そんなに照れなくたって……ぐへえっ!?」
 奇妙な声とともに、速水がその場に崩れ折れた。彼の顔には舞の投げた時計が、轟音と共にめり込んでいた。
 ま、自業自得というものである。
 舞は、己の戦果を確認するのもそこそこに、近くにおいてあった鞄を引っつかんだ。
「……あ〜、舞? 気をつけてね?」
 ナイスな一撃を食らった割には元気な声に、舞の顔が更に赤みを増す。
「わ、分かっておる!」
 乱暴に玄関のドアが閉められ、直後、何か柔らかい物が地面に転がったような音がかすかに響いてきた。
「あ〜あ、だから気をつけて、って言ったのに……」
 彼方をよたこらと走り去っていく舞の姿を見送りながら、速水は小さく苦笑を浮かべた。こんなときは敢えて声をかけないのが優しさというものである。
 ……それまでに散々慌てるような事をしたのが、果たして優しさなのかどうか、そのあたりは大変に疑問なのであるが。

 改めて時計を見上げると、針は六時を少し回ったところだった。これなら舞が家に帰り着いてからも、支度をする時間は十分にあろう。
「さて、と。こっちも支度にかかろうかな……」
 先ほどの打撃のことを忘れたかのような、けろりとした声であった。あの程度の攻撃など、いちいちダメージを受けていてはとても舞と付き合ってなどいられない。
 なんというか、さすがは絢爛舞踏に最も近い男、というべきだろうか?
 ともあれ彼は、朝食の準備、弁当のサンドイッチ作りをてきぱきとした手際でこなしていく。その姿は、萌をして「熟練の主婦の技」と言わしめるだけのことはあった。
 朝食を済ませ、あたりを軽く片付けてから、彼は再び時計を見上げた。
「まだ、時間はあるな……」
 そうつぶやきながら、速水は近くにかけてあったタオルを手に取った。少し頭をしゃっきりさせる必要もあった。
「ふふっ、それにしても舞ったら……」
 ……こいつには、熱湯でもぶっ掛けないとしゃっきりしないのではなかろうか?

   ***

 戦時中のこととはいえ、学校の朝の慌ただしさはさしてどこも変わりがない。たとえ学兵であっても、チャイムという名の最終兵器から逃れられるわけではないのだ。
「ふぇーっ! あっぶねえ、ギリギリセーフかよっ」
 今もまたひとり、最終兵器のあぎとを辛うじて逃れた学兵がひとり、教室に飛び込んできた。
「やあ、滝川。おはようっ」
 ゴーグルにバンダナ、鼻の頭にバンソウコウ。トレードマークは今日も相変わらずだが、滝川の服装はどこで戦闘をしてきたのかと言いたいくらいに乱れていた。少し遅れて彼の師匠たる瀬戸口も似たような格好で飛び込んで来たが、おそらく原因は全然違うだろう。
 滝川はまともに答える余力もないのか、肩で息をしながら小さく手を上げた。
「あーあ、すごい汗……。大丈夫?」
「はあっ、はあっ……。いやー、やべえやべえ。目覚ましが止まっちまっててよ。いやー、まったくあれは頼りにならねえよなあ」
「……それってひょっとして、もしかしてだけど、自分で止めちゃってるんじゃないの?」
「えーっ? そんなん記憶にねえけどなあ?」
 まあ、記憶にないから厄介なのだが、速水は、その辺りの議論は回避することに決めた。
 大変、賢明な判断というべきであろう。
「それはともかく、できたらもう少し早く起きた方がいいよ。制服もぐしゃぐしゃじゃない」
「まあなー、もうちっとなんとかしたいとは思ってんだけどよ。……そういやお前は、随分とさっぱりしてるよなあ」
 滝川はしげしげと速水を眺めていたが、不意に鼻をひくつかせ、不思議そうな顔を浮かべた。
「? どうしたの?」
「ん、いや。なんかお前……」
「そなたら、そんなところで何をしゃべくっているのだ」
 背後の声に振り返れば、そこには舞が呆れたような表情を浮かべて立っているではないか。
「あ、舞、おはよ」「おっす」
「芝村に挨拶はない。なんでもいいが、とっくに予鈴は鳴ってるぞ。席に着いた方がいいのではないか?」
「ああ、そうだね」
 そう言いながら、速水はそっと舞に視線を走らせた。どうやら身繕いには無事成功したらしい。少なくとも制服には一分の隙もないように思えた。
 速水の視線は制服から、少しずつ下へと移動していき、ひざのあたりで停止した。ストッキングのせいでよく見えないが、特に問題はなさそうだ。
「……な、何を見ている? 莫迦みたいな顔をしておらんで、そなたも席に着かんか」
 視線に気がついたのか、わずかに舞の声は上ずっていた。
「あはっ、それもそうだね」
 席に着く速水を追いかけるように、舞も自分の席へと向かったが、速水の傍らを通り過ぎた瞬間、舞の足が急停止した。
 ――今のは?
「おらー、全員さっさと席に着けぃ!」
 ちょうどその時、本田がいつもの調子でやってきたので舞も急ぎ席に着いたが、いったん吊り上がった眉はなかなか元に戻ろうとはしなかった。

   ***

 今日は珍しくごく普通の授業であったが、内容など舞の耳にはまったく届いていない。彼女の脳内は先ほど得た情報のせいで、忙しく分析と考察を繰り返していた。
 ――先ほどの香りは、花のような……。
「……ら」
 ――いや、そんなことは問題ではない! 問題は、なぜその香りがあやつから漂ってくるかだ。
「……むら」
 ――そのようになるためには当然……。あ、厚志めっ!
「芝村っ!」
 明らかに怒りを含んだ声が耳に届くと同時に、舞の頭に衝撃が走った。
「なっ!? なんだっ!?」
「なんだ、じゃねえ! さっきから呼んでんのに、なにボケーッとしてやがる! 早く続きを読め!」
「……続きとは、なんのことだ?」
「……ほぅお」
 本田の声に、全員の背筋に寒いものが走った。舞の珍しくもすっとぼけた声は、どうやら一番触れてはならぬスイッチを力いっぱい押し込んでしまったようだ。
「俺の授業を聞き流すとはいい度胸じゃねえか。オメー、よっぽど命が要らねえと見えるな?」
「なにを言うか、私の命をそう安っぽく言うな」
「……なら、俺が値段を決めてやらァッ!!」
 次の瞬間、いつの間に現れたのか、本田が両手に構えたサブマシンガンから大量の弾丸が放たれ、窓ガラスが割れる音と阿鼻叫喚の悲鳴がプレハブ校舎中に響き渡った。

「ふむ、なんとも短気なことだ」
「た、短気で済むかっ! ったく、力いっぱい感情逆なでしといて言う台詞じゃねえぞ? ……し、死ぬかと思った」
 今さらながらに実感したのか、滝川は己の体を抱きしめながら細かく震え始めた。よく見れば彼の制服はあちこちに何かがこすれたような跡が残っていた。それは多かれ少なかれ他の一組メンバーも同様であった。
 死者が出なかったのは何よりである。
 そういえば、当の本田も妙にがっくりしながら教室を去っていったようであるが……。
 ――全部本気で当てるつもりだったのに、避けられたらそりゃショックかもね。
 もっとも間近で射線を追えたせいか、正しく洞察できたのは速水ただひとりであった。
 なるほど、確かに舞にはかすり傷一つない。もっとも、それをいったら速水も同様であるのだが。
 なんというか、バカップルにして迷惑カップルの度合いは、ますます上がっているようである。
 それはさておき、現状については実に正しい洞察を下した速水であったが、直後の自分の運命についてはさすがに神ならぬ身の上、予測もつかなかったようだ。
「そういえば、お前さん、さっきは何を考え込んでたんだ?」
 声をかけた瀬戸口にしてみれば、ただの話の接ぎ穂、プラス若干の興味に過ぎなかったのだが、彼の放った言葉の効果は絶大であった。舞は一瞬体をこわばらせたかと思うと、般若もかくやという表情で速水のほうを振り向いたのだ。
 後に何人かは、彼女の背中から黒い炎が吹き出ているのがはっきりと見えたと証言している。
「厚志っ!」
「え、舞、どうした……いれれれれれっ!?」
 さすがの速水も舞の激変ぶりに気を飲まれたか、行動がほんの少しだけ遅れた。気がついたときには両の親指を口の中に突っ込まれ、情け容赦もなく捻りあげられていた。
 舞の必殺お仕置きコース、発動である。
 速水はなんとか逃れようと必死で体をくねらせるが、彼女の手はまるで万力であるかのようにびくともしない。
「厚志、そなたのその香りは一体なんだ!? いつもの香りではないぞ!」
「ひ、ひほひ? ほへっへ、はふほほほは?」
 相変わらず、見事なほどにさっぱり分からないが、舞の親指を噛まないように喋るのは、ある意味速水の優しさというやつだろうか。
 確かにかじるわけにもいくまいが、ヘンなところで優しさを発揮する奴である。
「しらばっくれるな! 貴様……」
 まだ何か言いたげであったが、後はもう言葉が出てこない。酸欠の金魚よろしくぱくぱくと口を開いていたかと思うと、舞は速水を乱暴に突き放した。
 ようやくのことで放免されたものの、すでに頬は早くも腫れかけている。それに構わず舞は怒り心頭のまま教室を出て行ってしまった。
 いつものことといえば、まあいつものことなので、誰も関心を見せた様子もない。正確に言えば、係わり合いになるなど真っ平ごめんである、というほうが正解であろうか。
 誰だって、命は惜しい。
 いや、若干の例外はいつだって存在する。
「ふむ、なるほど。よくは分からんが、また原因はお前さんだったか。今度は何をやらかしたんだ?」
「ひ、ひどいよ瀬戸口君、別に僕はなんにも……って、もしかして、目がマジ?」
「んー、ちょっとマジかな」
「な、なんでえっ!?」
 はっと気がつけば、周囲はいつのまにやら一組男子メンバーに取り囲まれている。一見誰の表情も穏やかに見えるが、眼だけは刃が潜んでいた。
 まあ、あれだけの連射にさらされれば無理もなかろうが、速水にしては寝耳に水もいいところである。なおも必死の弁明を試みようとしかけ、みなの視線にその無駄を悟った。
 と同時に、またも出遅れたせいで、彼の両腕は若宮と来須にバッチリとキめられていた。
 薔薇、とか言ってはいけない。
「わ、若宮さん? 来須さん?」
「ま、ちょっと付き合ってもらおうか」
「……覚悟しろ」
 来須、ストレートすぎです。
 よく見れば、彼の帽子にもいくつか穴が開いていたが、もしかして、怒ってる原因って……。
「いや、みんな、ちょっと待って! お、お願い、話せば分かるからっ!?」
『問答無用』
 恐ろしいまでにハモった声を最後に、速水の姿は教室から消えた。

 男子全員が――一名は除いて――同一の目的の元じゃれついているなか、無関心なふりを装いつつ、加藤だけは隠した口元ににやりと笑みを浮かべていた。
「ふう〜ん。こらおもろい台詞が聞こえたわなあ。舞ちゃん、速水君がいつも使ってるシャンプー知っとるんか。それが匂いで分かるくらい、いつも傍にいるっちゅうわけやな」
 速水たち、というか、殊に舞は、自分たちが付き合っていることを極力隠そうとしていた。それは恋する少女として考えるならば当然の反応かも知れぬが、学校で見る限りでは大方オシドリも赤面しそうなバカップル、という評価を下されているのもこれまた当然の帰結というべきかも知れぬ。
 第一、速水がまったく隠そうとしていないのだから、哀れ舞の努力はまったくの無駄であったといえよう。
 ともあれ、学校での仲の良さは誰もがも知悉しているところであったが、逆に学校を出てからのふたりについては分からないことのほうが多かった。
 しばしばカップル目当てに出動する某戦隊がいる、という噂は聞いたことがあるが、そいつらが別に何か教えてくれるわけでもない。だから、こういった断片であっても決しておろそかにすることはできない。
 情報は大変に貴重なのである。
 さすが、情報屋をもって任じる加藤だけのことはあった。もっとも周囲には何でも屋の加藤商会、という受け止められ方をされているのがいささか残念であったが、これはある意味本人の行動に責を求められるべきであろう。

 一方、怒りに任せて教室を飛び出してきてしまった舞であったが、徐々に感情が沈静化してくるにつれ、胸中が締めつけられるような感覚が湧き起こるのを押しとどめることができなかった。
 速水の髪から漂ってきたのは、男が使うものとはとても思えないシャンプーの香りである。一瞬だけ、速水には結構似合っているかも、と思ってしまったのはむろん内緒である。
「そ、それはともかくっ。い、一体あやつは、誰と会っていたのだ。いや、あそこから漂ってきたということは……、だ、誰かと一緒に、その……」
 妄想は妄想を呼び、やがて核分裂反応のように果てしなく暴走を開始する。それを往来激しい廊下の真ん中でやったりするものだから、可哀想に周囲の女子高生徒たちはすっかりおびえきり、遠巻きに舞を見つめるばかりであった。
 ともあれ、彼女の思考がそれがついに臨界点に達したとき、舞はすべてを振り払うように激しく首を振り、ひとつの決断を下した。
「こうなれば、私が真実を解きあかしてくれる! 厚志よ、そなたが何を隠そうと、私の前には全て無駄であると思い知るがよい!」
 もしかして、常識とか飛躍とか言う言葉も振り払ってしまったのかもしれないが、いったん決してしまった思考はそう簡単には変わらない。
 かくして舞は、周囲に新たな伝説を作りつつあったことにも気がつかず、どこかにあるはずの真実を突き止めるべく行動を開始した。
 ……そんなもんがどこにあるのか、それは誰にも分からないことであったが。

   ***

 女子高校舎の一室、普段は誰も使っていない物置が、舞にとっての「作戦司令部」となった。
「ここならまず、邪魔は入らないであろう。さて、と……」
 傍らにおいてあった小さ目のアタッシェケースを開くと、中にはどこかのスパイ映画に出てきそうなレコーダーやらレシーバーやらアンテナやらが飛び出してきた。そして、機能のほうも外見をおおむね裏切らぬものであった。
「この盗聴機なら、聞き逃すなどということはまずないからな。仕掛けておいた甲斐があったというものだ」
 ……なぜそんなものを彼氏である速水につけたのかといえば、それが世界の選択であると舞は答えたであろう。
 世界にとってはいい迷惑だが、速水にとってはもっと迷惑である。
 舞は盗聴機を、速水が着用している上着の袖、その留め金に模してくっつけておいた。当人の言うように二四時間完璧に、とまではいかないだろうが、最も着用している率が高い服だけに、行動の把握は容易であろう。
 舞はレシーバーをセットすると、まずは現在の様子を確認すべく受信スイッチを入れた。
『ぎゃーっ!! くすぐったい〜っ!?』
 レシーバーが盛大に叫んだ第一声に、立ち上る埃の真ん中で、おかしなオブジェと化した舞が痙攣していた。
「な、な、な、なんだいきなりっ!?」
『ほれほれ、まだいう気にならないか?』
『まあいいさ、時間はたっぷりあるからな』
『大きい薔薇と小さい薔薇、どっちがいいかな、ん、坊や?』
 聞こえてくるのは、明らかに怒りを含んだ男どもの声と、なぜかやけに色っぽく悶える速水の叫びばかりである。いったいどのようなサバトが繰り広げられているのか、あまり想像したくもない。
 あまりといえばあまりの展開に、舞は先ほどから石像と化したかのように動けなかったが、やがて速水のひときわ切ない声を最後に、謎の宴はぱったりと途切れた。
「い、一体、何をやっているのだあやつらは……」
 ひどく顔を上気させながら舞は力なくつぶやいたが、この瞬間に限っては、彼女は速水にちょっとだけ、本当にちょっとだけだが哀れみを感じていた。
「ふ、ふん。私に隠れて怪しいことをするからそうなるのだ。し、しかし、それにしてもなんと妖しい、その、色っぽい声を上げるのだあやつは……。私には、とてもあそこまでは……はっ! わ、私は何を言ってるのだ!? げ、現在がだめなら過去の記録だ記録っ!」
 妙にわたわたしながら、舞は過去の記録をあさり始めた。小型ではあるが高性能の記録装置のおかげで、およそ一週間分のデータはこの中に入っているはずだった。
 しかし。
 調べ始めてしばらくしてから、舞は先ほどとは別の意味で顔をしかめた。
「む……? 何も聞こえんぞ?」
 レシーバーからはわずかなメカノイズ以外、何も聞こえてこなかった。念のためモニターを見てみるが、タイムカウンターはちゃんと回っている。
「もしかして故障か? いや、さ、先ほどのあの、その、声は入っていたのだし、まさかそんなはずは……。む?」
 不意に、霧が晴れるように何かが聞こえはじめた。
 すわ証拠か、と舞はレシーバーに聞き入ったが、次の瞬間彼女は再び棒でも飲み込んだかのように硬直し、次の瞬間、全身を細かく震わせ始めたではないか。
「あ、あ、ああ……」
 顔面がたちまち朱に染まり、額に汗が噴出してくる。さては相当有力な内容なのかとも思えるが、それにしては舞の様子はあまりにもおかしかった。
「な、なんでこんなものが入っているのだーっ!?」
 言うと同時に、舞はレシーバーを床に叩きつけ、自らは頭をぽかぽかと殴り始めた。酔狂な行動もあったものだが、それもこれも、レシーバーから流れてくる声を聞けば納得できるであろう。
 聞こえてきたのは切れ切れの、だが、甘やかな響きさえ帯びた彼女自身の声だったのだから。
 カウンターの時刻は、ちょうど昨日の真夜中あたりを指し示していた。


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