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服を召しませ(終話)


 それから数日が過ぎ、五月二九日(土)。
 プレハブ校舎に授業の終了を告げるチャイムが軽やかに流れていく。
「……おーっし、今日の授業はここまで。オメーら仕事がねえからって、あんまハメはずすんじゃねーぞ?」
『はいっ!』
 やたらと威勢のいい返事に苦笑しつつ、本田は出席簿をひらひらさせるとさっさと教室から出て行ってしまった。
 後に残されたのは、これからの時間をどうすごそうか期待に胸を膨らませた、「ただの少年少女たち」の姿があった。
 休戦期からこっち、急に使える時間が増えた彼らは、余暇を満喫する方法を急速に習い覚えていた。
 だが、舞はあまりそのような変化にとらわれることもなく、いつもどおりに訓練でもしようかと、支度をして外に出ようとしたのだが……。
「まいー?」
「……!? あ、厚志? いきなり後ろからなんだ?」
 いきなり肩を叩かれて振り向けば、そこには速水がにこにこと――そう、必要以上に――しながら立っていた。
「……? なんだ、莫迦みたいににやにやしおって。要件があるなら言うがよい」
「そう、じゃ、遠慮なく。……あのさ、今日なんだけど家に遊びに行っていい?」
「なっ!?」
 怪訝そうな舞の表情が一瞬にして激変する。だが、気のせいか顔色は心なし青くなっているようだ。
「ねえ、いいでしょ?」
「え、な、何だと? いや、その今日は……」
 先ほどまでの悠々とした態度などどこへやら、しどろもどろになってしまった舞に、速水は更に畳み掛けるようにずい、と詰め寄った。目がすい、と細められる。
 ――まずい。
「まさか舞、また……じゃないよね?」
「……」
 ささやくような速水の声に、舞の額には大粒の汗が浮かび、口元がかすかにひきつっていた。
 と、次の瞬間、速水は舞の腕をがっしりと掴むとそのままずるずると引きずり始めた。
「なっ!? 何をする!」
「んー、ちょっと確認しに行こうかなと思ってね?」
 速水は笑顔を崩さなかったが、背後からなにやら怪しげな気配が立ち上っていた。うっかり視線を向けてしまった数名が慌てて目をそらしたほどだ。
「い、いや厚志、ちょっとまて、落ち着け……!」
 言葉を継ぐ間もあらばこそ、舞は踵から土煙を上げながらあっという間に引きずり出されてしまった。外からはまだ何やら抗議の声が聞こえてくるが、それもやがて静かになる。
 と同時に、室内に大きな音が響いた。皆が一斉に息をついたのである。
「やーれやれ、ようやく行ったか……」
「あいつらも相変わらずなんというか、賑やかなことだねえ、まあ、仲がいいのは美しいこと、ってもいうしな」
「ふふふ、不潔です、不潔ですっ!」
 瀬戸口の軽口に、壬生屋は顔を真っ赤にしながら拳を震わせたが、まさか自分が彼らのその後を正確に言い当てていようとは知る由もなかった。
「ま、放っとこーぜ。いつものこったし」
 滝川のいささか投げやり気味なセリフに、皆は深く頷いた。
 さわらぬ速水に祟りなし。
 周囲は急速にもとの雰囲気を取り戻しつつあったが、そんななか、瀬戸口は二人が出て行った戸口を見つめながら、そっと呟いた。
「それにしてもあいつ、やけにでかい荷物持ってたな……?」

   ***

「確か掃除したのって、先週の土曜日だったよね……?」
 ため息混じりの速水の声に、舞は一言もないが、まあ、無理もなかろう。
 うずたかく積まれた洗濯物に、記録に挑戦しているかのような乱読された本の山。
 水につけっぱなしの食器のふちには固まった油らしきものがへばりついており、床はと見れば様々なゴミですっかり覆われてしまっており、かろうじて飛び石状の空き地が通行を許すだけである。
 宇宙のエントロピーは常に増大する。
 それは確かに真実ではあろうが、それを何も自分の部屋でやらなくても、と言えなくもない。
「いや、あの、その……こ、これでも片付けようと努力はしたのだ。ホ、ホントだぞ?」
 努力というのは、部屋の隅に山盛りに積まれ、ぱんぱんになっているゴミ袋の団体様のことであろうか?
 あれだけのゴミを片付けながらなおこのありさまと言うのは、これはもう一種の才能かもしれない。
 いらん才能ではあるが。
 さすがに顔を上げられないのか、舞は顔を紅くして俯いたまま、人差し指を突き合わせていた。
 ……かわいいかもしんない。
 ――ま、予想通りといえばそうなんだけどね……。
 舞の姿には心躍らせつつも、速水は肺の底から盛大なため息をついた。こんな予想は当たってもあまり嬉しくはない。
「うーん、ともかくさ、まずは片付けでも始めようか?」
「……その、すまぬ」
 さすがにきゅうっと小さくなっている舞の姿には、速水も苦笑を浮かべるしかなかった。
「大丈夫だよ。さ、一緒にやろう? その前に汚れるといけないから、制服は脱いでおこうね」
「う、うむ」
 ようやく気を取り直したらしい舞を促すように、速水は部屋を占拠している「敵」との戦闘開始を宣言した。
 それは、彼のたくらみの第一段階でもあった。

   ***

「ぷわっ……。これでどうにかゴミは終りかな?」
 ひときわ高くなったゴミ袋の山を見つめながら、速水は額の汗を軽くぬぐった。実際は大して進展していないのかもしれないが、床が見えるというだけでも結構新鮮である。
「舞、洗濯物の仕分けは終わった?」
「ま、待て。もう少しだ」
 舞はといえば、そこらへんに散らかっていた洗濯物を拾い集め、一生懸命仕分けしている最中だった。さすがに下着を洗濯させるわけにはいかないので必死である。
 もっとも、当の速水は既にそんなことは何回もやっているから、無駄な努力といえなくもないが、その間、舞の神経が完全に下着に集中しているという事実の方が大事であった。
 そのことを確かめた速水は、忍び足でその場を離れると、舞の制服を予備まで全てかき集め、袋に詰めて玄関に放り出してしまった。
 当然、舞は何も気がついていない。
 ――よ、よし、これで大丈夫だ。
 それどころか、ようやく下着を仕分けられたことにかすかな満足感を抱いていたのだから、何をかいわんやである。
 そんなタイミングを見計らって、速水は出来るだけさりげなく舞に声をかけた。
「あ、そうそう。冷蔵庫の中も空っぽみたいだから、僕ちょっと買い物とかも済ませてきちゃうよ。悪いけどその間、できるだけ掃除を進めておいてもらえる?」
「わ、分かった。任せるがよい」
「うん、じゃあちょっと行ってくるね」
 速水は素早く玄関から飛び出すと、外に置いてあった袋を担いで市街地の方へと歩いていった。
 最初の目的地は――クリーニング屋。

   ***

 速水は「できるだけ」とは言ったものの、できることなら得点を取られっぱなしの舞としては、全て片付けてこのあたりで速水を見返してやりたかった。
 だが、普通のやり方では帰ってくるまでに片付けることなどできはしない。舞は今更ながらに整理の必要性を痛感したが、それで現状が打開できるわけではない。
「やむをえん、この手で行くか」
 そういうや、舞は手近に転がっている散乱物を片っ端から
引っつかむと、一切合財、押入れに放り込み始めた。
 本から資料から、ありとあらゆるものが宙を舞い、次々にある意味ブラックホールと化した空間に吸い込まれていく。
 約一五分後には、周囲にあったものは全てきれいに消えてなくなっていた。
「よし、収納完了だ」
 ……収納という言葉が世をはかなみそうな台詞ではあるが、舞は上機嫌のまま洗濯物の処置に取り掛かっていた。
 むしろ、洗濯物の方が時間がかかりそうだった。

「ただいま〜、調子はどう……おぉっ!?」
 クリーニングから戻ってきた速水は、玄関を開けたとたんに状況のあまりの違いに驚きの声を発した。とにもかくにも余計なものが目に入ってこないのだ。
「帰ったか。厚志……その、どうだ?」
 玄関に立った舞は、腕組みをしながら上目遣いをするという実にややこしい格好で速水を出迎えていた。声も態度を裏切らない複雑なものに成り果てていたのは言うを待たない。
「すごいよ、舞! やればちゃんとできるじゃない!」
 その言葉に舞はぱっと顔を明るくしたが、速水は押入れがご丁寧にガムテープやらつっかい棒やらで固定されているのをしっかりと確認していた。
 だが彼はその惨状を承知しつつ、敢えてそれには触れずに、ニコニコとしながら風呂場を指差した。
「お疲れ様。あ、そうだ、シャワーでも浴びておいでよ、埃だらけじゃない。僕はその間に食事の支度をするからさ」
「うむ、ではそうしようか」
 舞は意気揚々と風呂場に向かうと、そこには既にパジャマと替えの下着一式が丁寧に置かれていた。
準備をしたのが誰かは決まりきっているので舞は複雑な表情を浮かべたが、とりあえず脱いだ服を洗濯機に放り込むと、ゆったりとシャワーを浴び始めるのだった。

   ***

 労働のせいか、かなりあったはずの夕食はあっという間になくなった。
 腹の皮が突っ張れば目の皮たるむは万物の真理。
 この例に漏れず、舞も夜がふけるころにはソファで舟をこぎ始めていた。
「眠いの、舞? ほら、こっちで寝よう」
「うにゅ……」
 いつの間にかパジャマに着替えた速水に誘導されながら、舞はごそごそとベッドに潜り込んだ。柔らかな布団の感触が心地よく彼女を包み、そのまま溶け合ってしまいそうだった。
「ところでさ、舞」
「……何だ?」
「明日の着替えも押入れの中なの?」
 半ば夢の世界に旅立っていた舞は、その一言でベッドから飛び起きた。顔が見る見る青ざめていく。
 ――そ、そういえば……。
「で、ではきょ、今日着てたものを……」
「だーめ、おんなじ物を二日着るもんじゃないよ。それに洗濯しちゃったから、明日の朝も乾かないかもね」
「……そうだ、せっ、制服は!?」
「クリーニングに出したよ」
 事ここにいたって、疲労した舞の脳内でもようやくパズルが完成し――速水をきっと睨みつけた。
「あ、厚志、はかったな!」
 そういいながら鋭い一撃を食らわせた――つもりだったが、昼間の労働は舞から体力をすっかり奪っていた。速水にとって、ヘロヘロになっている舞の攻撃をかわすなど造作もないことだった。
「なんのこと? ほら、もうふらふらなんだからさっさと寝よう、ね?」
「あ、こ、こらっ……んっ、ふあっ……!」
 抗議の声をあげようとした舞は、たちまち唇を柔らかくふさがれてしまった。なおも抵抗を試みるが、戦局は火を見るよりも明らかである。
 速水は舞をそっと抱きかかえたまま、静かに横になった。
 ……のだが、寝るというよりは押し倒しているようにも見えるのだが。
「まーい?」
「あ、こ、こここらっ、待て……あんっ!」
 弱々しい抗議の声など、あっという間に打ち破られてしまった。
 ――明日も早いんだから、さっさと寝てもらわなきゃね。
 これも作戦のうちとか言い張るつもりなのであろうか?
 表情を見る限りは、本人は全く信じていなさそうではあるが……あ、パジャマが宙を舞ってる。
 ある意味、これもカラ剥きであろうか?

 この後は語るも聞くも野暮なこと。
 ちなみに、抵抗が全て鎮圧されるまでに、さして時間はかからなかったそうな。

   ***

 翌日。
「着ないといったら断固着んぞ!」
 ベッドの上で毛布に身を隠しながら、舞は満面を朱に染めつつ最後の抵抗を行なっていたが、身に何も着けていないせいで気合なぞ全く入るわけもない。
「まあ、いいけどね」
 先日買い求めた服を手にしながら説得を試みていた速水であったが、ふいに何かを取り出すと、床にセットし始めた。
 舞の瞳に不安そうな色が宿る。
「な、なんだ、それは?」
「ん? 殺虫剤だけど。ほら、せっかく掃除もしたんだし、消毒もしておいたほうがいいだろうしね」
「ま、待てっ!」
 だが、時既に遅く、速水がピンを引き抜くと同時にもうもうと煙が立ち込め始めた。
「ほら、早くしないと煙に巻かれちゃうよ」
 といっても、「下着未満」の姿では、まさか外に飛び出すわけには行かなかった。
 完全にはめられたことを悟りつつ、舞は悔しげに宣言した。
「く、くそっ! ……その服をよこせっ!」

「あはは、やっと着てくれた!」
「うううう、うるさいっ! お、お前なんか嫌いだ!」
 相変わらず顔を赤くしたまま舞は怒鳴ったが、速水はにこにこしながらそんな彼女を見つめている。
 何せ目の前には、ようやく念願の服を着てくれた舞が立っているのだ。クリームがかった白のワンピースは予想通りによく映え、腰のリボンは蝶結びのままかすかに風に揺れている。素足にスカート、ミュールという姿が慣れないのか、裾のあたりをやたらと気にしているのだが、それもまたなんとも愛くるしく、なぜか頭にはおそろいのリボンが結ばれているとあっては速水をノックアウトするには十分であった。
「僕はそんな舞が大好きなんだけどなあ」
「だ、黙れっ! お、お前はそうやって恥ずかしいことをさらりと……」
 ――わ、私をからかうなど、こんなところばかり父に似おって!
 怒り心頭――のはずの舞ではあったが、自分を慈しむような視線を投げかける速水を見ていると、どうにも調子が出てこない。
 それに――。
「本当に綺麗なんだけどなあ。自分のことを知らなさ過ぎるよ。まあ、そのくらいのほうが他のみんなに知られなくっていいけどさ」
「な、何を勝手なことを……」
 舞の口調が急に弱々しくなった。何となくそのまま俯いてしまう。
 ――これも、定めか。
 半ば諦めと、そしてけして嫌ではない感情が少しだけ沸き起こってくるのを舞は感じていた。
「さ、どこへ行こうか? 今日はまだ日はたっぷりあるしね」
「……もう、好きにしろっ」
 その声は、小さくはあったがもう激昂してはいなかった。
「うん、そのつもり。さ、行こう、舞」
 手を取って歩き始めた速水だったが、舞はといえば履きなれないミュールに思わず足をとられてしまい、大きくバランスを崩してしまった。
 あっと思った次の瞬間には、力強い腕が彼女を優しく抱きとめる。
「舞、大丈夫?」
「あ、あ、厚志っ! は、離せっ!!」
「やだ」
 速水がとろけそうな顔でキッパリ拒絶するのと、腰にさりげなく手をまわされている気恥ずかしさから、舞はぽかぽかと速水を叩いて抗議するが、もちろんそんなものが効くはずもなかった。
 それ以前に、これを見た世の人はそれをバカップルと表するに充分な姿であった。気づいていないのは恐らく舞本人だけであろう。
 なおも叩こうとした舞の耳に、速水がそっとささやいた。
「素敵だよ、舞」
 ――せめて、今くらいは安らかに。
「お、お前という奴は……」
 最後に一つ、ぱふんと力なく速水の肩を叩いた後、舞は沈黙した。
「……さあ、行こうか?」
 速水が差し出されたその手を見ると、舞は小さくこくんと頷くと、おずおずとその手を握るのであった。

 恋人たちの一日が始まる。
(おわり)


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