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料理と愛情(その1)


 一九九九年に勃発した九州中部防衛戦――俗に言う「第三次防衛戦」は、おおかたの予想を裏切って人類側が勝利を収めることができた。
 といっても、とりあえず夏期休戦期まで九州・沖縄を放棄せずに済んだ、という程度のものであったが、この戦いにおいて最大の殊勲者となったのは、なんといっても生徒会連合所属の学徒動員兵――学兵であったことは言を待たない。
 彼ら自身が楯となって、奔流にも似た幻獣の攻勢を押し止どめたからこそ、今でも九州は人類の版図たりえているのだ。

 その部隊のうちのひとつに五一二一小隊はあった。
 そこに所属する人型戦車・士魂号パイロットに速水厚志と芝村舞のふたりはいた。
 彼らは最初、純粋に戦力的見地からペアとなったわけだが、やがて互いの心に、そして生き方に触れていくにつれ、ふたりは魅かれ合い、求め合って――やがて、自然の摂理に従い、そこに愛が生まれた。
 戦闘機械のように言われることの多い第六世代であっても、人の情は存在するのだから当然である。
 当然なのだが……。
 情が変わらなければ、その情の表し方も自ずと似たようなものになる。
 舞の――以後、こう呼ばせてもらうが――考えも、そこからそうは外れていなかった。
 故に、彼女は己の能力の全てをもって、それを実行に移したのだ。
 料理という、少なくとも彼女にとっては限りない難事を。

 努力のかいあってか、それはやがて実を結ぶことになるのだが、それも順風満帆というわけにはとてもいかなかった。
 これは、舞と、そして速水、彼らふたりの料理にかかる記録である。
 ……単なるバカップルののろけあい、と解釈されても、それはまあそれで、もしかしたら間違いないのかもしれないが、それもまた記録のひとつとして残すものである。

(二〇〇〇年四月に発見された、奥様戦隊なる不正規部隊が残した記録より。記録者には五一二一小隊司令・善行忠孝の名が記されていた)
〜ケース1〜

 人間、誰しも腹が減る。
 まして、激しい運動と、それに見合うだけのカロリーの消費が行われたとすればなおのことであり、速やかな補給が必要となる。
 だが今は戦時中。食料の確保は平時とは比べ物にならぬほどに難しい。いや、彼らは軍人だから、補給のあてはなくもないのだが、そこに「嗜好」という要素はあまりない。
 まあ、そこを何とかするのが「腕」というものなのかもしれないが、はてさて……。

   ***

「全機固縛完了、収納よし」
「全士魂号クールダウン。代謝量を待機モードへ移行」
「移行します」
 整備士たちのやり取りと同時に、士魂号に接続されたモニターの数値が急速に小さくなっていく。
 鋼鉄の侍たちは、次の出撃までしばしの眠りに入ったのだ。
「移行確認」
「ウォードレス、定数確認。破損機なし。格納手順に移行します」
「全作業手順異常なし!」
 報告を聞いて、原は小さくうなずいた。
 整備士たちにはすっかり馴染んだ手順ではあるが、この声と同時に、周囲には明らかにほっとした空気が流れた。それはそれはとりもなおさず、今日も全員が無事に戻ってきたという証に他ならなかったからだ。
 たとえこの後に長々と整備があるとしても、今この瞬間の喜びはやはり本物であることには間違いない。
「了解。通常体制への移行をすべて確認しました。……みんな、お疲れさま」
 彼女は後ろを振り向くと笑みを浮かべた。とたんに、今度はさらに後ろのほうで安堵の空気が流れ始める。
 今この瞬間まで待機していたパイロットやスカウトたちが発したものだった。やがてそれに整備士たちも唱和する。
 なにしろ、これでうっとうしいウォードレスを脱ぐことができるのだ。薬品で感覚を抑えてあるとはいえ、いつまでも装着していたいものではない。彼らは早足でハンガーを出ると、ロッカールームへ直行した。
「本当にお疲れ様。さて、と……」
 彼らを見送ったあと、原も彼らに続くようにハンガーを後にした。
 ウォードレスにうんざりしているのは、彼女も一緒なのだ。

   ***

 出撃から帰ってきて、ようやく開放のひと時を味わっている五一二一小隊の隊員たち。
 戦争などという異常な状況下においては、彼らもひとりの兵士として戦わざるをえないものの、終わってしまえばそこはそれ、学生としての生活が顔を出す。
 ロッカールームでわいわい着替えながら、穏やかなひと時を過ごしていたのだが、話が食事のあたりにさしかかると、なんだか雰囲気が怪しくなってきた。
 みんな一様に眉をひそめ、中には遠慮なく顔をしかめてみせる者もいた。
「いい加減に食堂や味のれんの食事は飽きたなあ……。たまにゃ、もう少し変わった物が食いたいぜ」
 滝川がそうぼやくと、何人かが同意するようにうなずいた。
 なにしろ、最近の彼らのメニューの定番ときたら、プレハブ校舎の食堂兼調理場で配給食を受けるか、購買で何か買うか、さもなくば学校の前にある「味のれん」に行くしかないのだから、それも無理はない。
 たかが食事というなかれ。
 軍隊において食事とは数少ない楽しみであり、そうでなくてもここに集うは、食用旺盛な年頃の面々ばかりなのだから、どうしても興味がそこへ向かうのは致し方ない。
 調理場では、主に中村を中心とした料理が比較的得意なメンバーが担当しているために、食えないということはまずないのだが、食材のバラエティという面ではいかんせんどうしようもない。購買だって似たようなものだ。
 味のれんにしたところで、大将の腕は定評があるが、メニューにはおのずと限界があり、毎日そこに頼らざるを得ないとなれば飽きもこようというものである。
「しょうがないよ。食べられるだけましだと思わなけりゃ」
 そうは言っても速水の感想も似たようなものだったが、彼の場合、いささか事情が異なっていたところもある。表情はその思いを忠実に表現していた。
「そうは言ってもな、こうも毎日毎日同じメニューばかりじゃ、いい加減参っちまうぜ……あ」
 滝川は何か思いついたようだが、その表情はといえばますます渋くなっていた。彼の視線は、大したことじゃないという表情を浮かべている、この中で数少ない人物に向けられていた。
「そりゃお前はいいよな、速水。なんたって芝村が弁当作ってくれんだからよ」
 その言葉に、制服に袖を通しかけていた速水が振り向き、同時ににこりと――いや、正直に言えばとろけそうな感じでにま、と笑みを浮かべるでないか。
 たちまち数人が振り向いて、滝川に「莫迦が」と言いたげな視線を向けたのだが、幸か不幸か当の本人はまったく気がついていなかった。さすがに「空気を読めない男」ナンバーワンの座をほしいままにする男だけのことはある、そういうべきかも知れなかった。
 男たちの懸念どおり、彼らが見てる間にも、ただでさえぽややんとしている速水の表情がさらにふやけていくのがよく分かった。
「うん。舞ったらね、毎日すっごい早起きしてお弁当の準備してるんだって。手を見るとさ、いくつもばんそうこうが貼ってあったりしてさ、本当に大変そうで……」
 じつに嬉しげな表情で語る速水に、周囲はげんなりした表情を浮かべた。滝川もそこらじゅうから小突かれながら、ようやくのことで己のうかつさを呪ったのだがもう遅い。
「でさ、舞はいつもうちに弁当を置いていってくれるんだけど、初めて置いてあった時なんか、どこに置いたらいいのか決められなかったみたいで……」
 速水の話は少々時間軸をさかのぼり始めているようだ。
 その時を狙ったかのように――実際、狙っていたようだが――瀬戸口がわざとらしく咳をした。
「ああ、ところでな、速水」
「なに?」
 話の腰を折られたのが少々不服そうではあったが、瀬戸口は構わずに、そのまま言葉を続けた。
「姫さんの弁当については、何度聞いてもうらやましい話だとは思うけどな? でも、初めてもらった弁当を開いた時のお前さんの顔といったら……」
「あ、ちょっと待った! 瀬戸口君、それはなしっ!」
 速水が慌てた口調でパタパタと手を振るのを見て、ようやく周囲からも笑い声が上った。
 なにしろその時の舞の弁当ときたら、誰が言ったか知らないが、「遊星からの物体X」とひそかに命名されていたのは、速水には絶対内緒の話だそうな。
「まあ、あの頃に比べりゃ姫さんもだいぶ上達したようだがね……。それでも、食材のバリエーションが足りないのはこっちと同じだろう?」
「ん、そりゃまあね……」
 速水の顔にふと曇りが生じる。食糧不足は民間においても大きな問題――どころか、死活問題になりつつあった。
 芝村ならば食材の確保ぐらい――と誰もが思いかけたが、同時に別の事実も思い出していた。その芝村の手によって入手された食材の大半が、まわりまわって自分たちの口に入っていることを知らぬ者はなかった。
 そういえば、今日は珍しくシチューに肉らしきものが入っていたそうな。
「そうか、それじゃあ姫さんも料理を考えるのが大変なんじゃないか?」
 瀬戸口としては、純粋に疑問としての発言だったようだが、これは彼にしてはたいそう不用意だったと言わねばならぬ。
 なぜなら、速水はしんみりした口調でこう言ったのだ。
「うん、どうしても同じおかずが続くことも多くなるんだけどね……。でも、舞の料理なら、毎日同じでも飽きないよ」
 瞬間、周囲の空気が凍りつく。雰囲気の急変に、速水は怪訝な表情で辺りを見回した。
「あれ? みんな、どうしたの? ……って、なんだかみんなちょっと、その、怖いんだけど……」
「……速水ぃ、お前さ、それはひょっとしてもしかして、のろけてんのか、ん?」
 いつのまにやら滝川の額に青筋が立っていた。良く見ると、他のメンバーのかなりの部分も多かれ少なかれ似たような表情をしていたりする。
「あ、いや、そういうつもりじゃないんだけどさ。そのね、実は……」
 速水としては現状の改善を図るつもりだったようだが、すべてを言い切ることはかなわなかった。
「いーよなぁ、お前は。相手が芝村ってのは奇特もいいところだけど、彼女がご飯を作ってくれてよぉ?」
 遮るように突きつけられた滝川の声には、紛れもない羨望と嫉妬の響きがあった。
 ――まずい。
 速水の背中を冷たい汗が流れていく。
 小隊きってのエースとはいえ、この包囲網を脱出するのは極めて難しそうであった。
「あ、いやだからね、滝川……」
「ホーント、いーよなぁ!」
 滝川の声が足図となって、みんな平手で速水をぴしぴしと叩きだした。
 気のせいか、蹴りが混じっているような気もするが、その時には速水の姿は黒山の人だかりの中に隠れて、見えなくなってしまっていた。
 ……なんかみんな、目がマジ。

   ***

「舞〜」
 彼方から聞こえてくるようなか細い声に、ポニーテールがぴくりと反応した。
「厚志、遅いぞ! 一体何をやって……厚志っ!?」
 約束の時間をぶっちぎり、ようやくのことで姿を現した速水に文句のひとつも言ってやろうと舞は振り返ったが、彼の姿を見たとたん、彼女の瞳は驚きに大きく見開かれた。
「ど、どうした厚志? いつの間にそのような怪我を……すまぬ、同乗していながらまったく気がつかぬとは……」
 慌てて駆け寄った舞はそっと手を伸ばすと、傷を子細に点検し始めた。本気で心配そうな声と表情に、かえって速水の方が慌ててしまう。
「ちょ、ちょっと待って。これは大丈夫だから」
「そうは言っても、これはかなりの怪我ではないか! 一体どうして……」
「いや、ちょっとロッカールームで荷物が崩れてね……」
「ロッカールームで? しかしだな……」
「それよりもさ、すっかり遅くなっちゃったし、早く帰ろ? 今日は舞が作ってくれるんでしょう?」
「う、うむ」
「よかった! さ、いこっ!」
「あっ、厚志! そんなに引っ張るなとな、何度言ったら分かるのだっ!」
 握られた手から伝う温もりを感じ、舞は顔に血が昇ってくるのがはっきりと分かった。彼女とてそれが嫌なわけではなかったが、慣れることはなかなかできそうにない。
「いいから、ほら早くっ」
 速水に手を取られ、引っ張られていきながらも、舞の脳裏の片隅では、先ほどの疑問がなんとなくこびりついていた。
 ――ロッカールームに、崩れるほどの荷物があったか?

 辺りが夕闇に包まれる頃、ふたりは家に到着した。
 室内は、相変わらず散らかっていたが、それでもここしばらくの成果か、混沌の中にもいくばくかの秩序が生まれはじめていた。
 あくまでも比較対照論上の話ではあるが。
「もうすぐ出来上がるから、そのあたりで待っておれ」
 ソファーを指し示しながら、舞は傍らにかけてあったエプロンを身につけ、台所に入っていった。コンロには鍋がかけられ、ことことと楽しげな音を上げている。
 どうやら、それなりの下準備はすませてあったものらしい。
 ――昨日も、遅かったはずなのに。
 彼女の後ろ姿を見ながら、速水の瞳がふとなごんだが、周囲の惨状を見回すと、今度は苦笑が浮かぶ。
「……で、その結果がこれ、ってわけかあ。一体どうしたもんだろうね、これは?」
 その辺りは三日ほど前に、彼が掃除したばかりだった。

 そのままでは居場所もままならないので、なんとなく片付け物をしたりしながら、速水は今晩の献立を想像してみた。
 ――鍋を使ってるしなあ。煮物……カレー、はこの間作ったし、この匂いからすると……。
「今日も肉じゃが、かな?」
 ただし、速水にそれを気にするふうはない。
 さすが、有言実行といったところであろうか。

「できたぞ、そろそろ席に着くが……おおっ!?」
 ひょい、と台所から顔を出した舞が、驚きの声を上げた。
 先ほどまで、ここは宇宙創造の場であったのかというほどに混沌が支配していた室内が、なんとか見られるようになり始めているではないか。
 もっとも、いまだそこここにガラクタやゴミの類は放置されているのであるが、それでも床が見えるというのは大した進歩である。
 ……一体どれだけ汚れていたのやら。
「あ、厚志……」
「あ、もうそんな時間? 分かった、すぐ行くよ」
 部屋に秩序をもたらした張本人は、はたきをかけながら振り返ると、にっこりと微笑んだ。
 なぜか姉さん被りが妙に似合っている。
「う、うむ。早く来い」
 舞はそれだけ言うと、台所に引っ込んでしまった。
「それほど時間は経っておらんというのに……」
 家事へのよりいっそうの精進を誓いつつ、舞は料理を小鉢に盛るのであった。

「さーて、今日のおかずは何かなぁ〜」
 実に嬉しげな表情と声で席に着くと、速水はテーブルを見回した。テーブルの上にはご飯と味噌汁、それに恐らくは合成であろうが漬物と――ほかほかと湯気を立てる肉じゃがが鎮座ましましていた。
「に、肉じゃがだ。今度はかなりうまくできた自信があるのだが……」
 舞は、態度とは裏腹に、どことなく自信のない声音でそう告げた。
「どれどれ? いっただっきまーっす」
 速水はさっそくその「自信作」へと箸を差し入れる。舞の肩がかすかに震えたような気がした。
 じゃがいもを箸で割ってみる。
 ほくり、という手ごたえと共に真っ二つに割れたじゃがいもを、速水はそのまま口へ持っていく。かなり強い甘みが口の中に広がった。
「ど、どうだ?」
「うん、おいしいよ。砂糖を増やしたの?」
「うむ、この間は少々醤油が多すぎたということだったからな。そのあたりはどうだ?」
「うん、ちょうどいい感じになってきているよ」
 本当のことをいえば、甘みは彼の好みからするとやや強いのだが、このくらいは十分許容範囲といえる。最初の頃、舌が痺れるような甘さの味付けがあったことを思えば、大したものであった。
「だいぶ上達したね、舞」
「そ、そうか……。で、ひょ、評価はどれくらいだ?」
 舞の言葉に、速水は一瞬考え込むような表情を見せたあと、きっぱりと告げた。
「バージョン3・3B」
「む、そ、それは……いいのか?」
「はっきりと上達してるんだから、いいんじゃない?」
 まあ、上達したとはいっても、まだどことなくあやふやで不安定なところがあるのは否めない。
 ――でも、それはそれでいいじゃないか。
 彼女は自分のために、慣れない腕を振るって料理をつくってくれているのだから。
 努力はいつか報われるものなのだ。
「そうか……」
 ほっとした表情を浮かべる舞を見て、速水はまるで慈父のようなほほ笑みを浮かべる。
 ――ひょっとしたら僕は、この笑顔がみたいのかもな。
 ようやく箸に手をつけた舞を見て、速水はちょっとだけ苦笑を浮かべた。
 ――でもね、舞。肉じゃがに大根を入れるってのはどうなんだろうね?

 舞が満点をもらう日は、まだまだ先のようである。
 ……このように、芝村舞の料理に関するスキルは、最大限贔屓目に見ても発展途上といった具合であった。我々の調査によれば、芝村舞が購入した食材と、実際に食用に供した食材の比率は最大六対一を示していた(一九九九年四月の非公式調査)。
 これが何を意味するか、あえて記述の必要はあるまい。
(ちなみに、食用に供されなかった食材のうち、かなりの部分は速水厚志に回収され、再生・利用されたという未確認情報もある。参考までに、この時期の五一二一小隊における支給食は質量ともに他の時期を懸絶していたという証言があったことを書き記しておく)。

 ともあれ、芝村舞は料理という、ある意味果ての見えない道への第一歩を踏み出したのであるが、こればかりは彼女の天才技能をもってしても、そう簡単に突破できるようななかったようだ。
 これからしばらくの間の記録については、我々の書庫から溢れ出さんばかりに記録されているので、必要な場合は

 ――(以下数十行、復元不可能)――。

 そこで、我々はそれから数ヵ月後、芝村舞にどのような変化があったかを確かめるために、再び調査を開始した。
(前出に同じ。記録の日付けは一九九九年一二月とある)


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