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服を召しませ(1)


 馬子にもにも衣装という言葉があるが、似合うのに着ようとしない場合はなんと呼ぶのだろうか?

   ***

 休日というのは、特に予定がないとしても何となく心が浮き立つものだ。
 ことに、空の青さが今にもこぼれ落ちんばかりに澄み渡り、白い雲がぽっかりとのどかに浮かぶこんな日には、優しい日の光を楽しみながら静かに――
「あ、厚志っ! だから、そんなに急ぐなと何度言ったら分かるのだっ!?」
 ……どうやら、そんなわけにもいかないらしい。
 見れば、少年少女の二人連れが通りを仲良く――というよりは、少女がいささか引っ張られ気味で――新市街へと入っていくところだった。
 少女のやけに裏返った声が発せられるたびに、周りにいた者は一瞬伏せ気味に身を硬くし、注意深く周囲を見渡すが、その原因を発見すると今度はいささかほほえましげに、あるいは明らかに好奇の目を二人に向けるのだ。
 忍び笑いをもらされたことも一度や二度ではない。
 それが分かっているからこそ、少女――芝村舞の頬は先ほどから朱に染まりっぱなしだし、声はいよいよ怪しい調子に変わっていくのだが、少年のほうはといえば、そんなことにはお構いなし、というよりもむしろそんな彼女の表情を嬉しそうに見ているのだから、なんとも始末におえない事この上なかった。
「厚志っ!」
「だって、舞ったらいくら呼んでも起きないんだもん。だから僕も一緒に泊まる……むぐっ!?」
「そそそ、そんなことを軽々しく路上で言うなっ!!」
 少年――速水厚志は目を白黒させながらもがいているが、舞にとっての超重要機密事項を漏らしかけた事実によって、首に回され、そして口をふさいだ彼女の手は一向に緩む気配を見せなかった。速水の顔が段々赤くなっていくのが、傍目にもはっきりと見えている。
 だが――。
 二人にとっては(少なくともその一方には)必死の攻防のつもりであったのだが、中立的・客観的に見るのならば、仲の良さげな男女が路上でじゃれあっている、しかも女性が後ろから抱き付いているというふうに見ることも不可能ではないのであって――。
 しばらくしてから背中がやけにちくちくしだした舞が怪訝そうに後ろを振り返れば、それは先ほどに数倍する忍び笑いと視線の山であった。
 ……冷温どちらの視線が多かったかは定かではないが。
「!?」
 結果、舞の頬にはさらに朱がさし、腕にはなおのこと力が入り――
 いつの間にやら、舞は腕の中の手ごたえが妙に柔らかくなっていることに気がついた。
「? あ、厚志?」
 恐る恐る手を離すと、速水はまるで糸の切れた操り人形のごとく、くたりとその場に崩れ落ちる。
「おい、どうした厚志っ!?」
 どうしたもこうしたも、自分でやったのであるが。
 舞は速水の肩をがっしり掴むとものすごい勢いで揺さぶり始めたが、当の本人は首の座っていない赤ん坊のようにがくがくと頭を振るばかりで返事はなかった。
 もっとも、彼の表情はこれ以上もないほど幸せそうに緩みきっていたが。

 背中がずっと密着していたし。

   ***

「大体だな、そなたがあ、あんなことを言わなければ、こんな大事にはならなかったのだぞ? 反省しろ!」
 いささかばつの悪げな顔をしながらも、それでも舌鋒鋭い舞の言葉に、速水としては苦笑するしかなかった。
 ――騒ぎを大きくしたのは舞だと思うんだけどな。
 もちろん、そんなことを口には出さない。うかつなことを言えば、今度こそは天国への片道切符を握らされることうけあいであった。
 ――いや、僕の場合は……地獄かな?
「ごめんってば、もうしないから許して、ね? お願い」
 胸がほんの少し騒いだが、そんなことはおくびにも出さずに速水は拝むようなしぐさをしてみせると、舞としてもさすがにそれ以上は言いにくかったのか、
「む、まあそこまで言うならば許してやらんこともない。以後、気をつけよ」
とだけ言うとぷいとそっぽを向いてしまった。ただし、そのときの舞はほんの少し眉が下がっていたそうな。
「うん、じゃあそろそろ行こうか?」
 速水が差し出した手に気がついた舞は躊躇するようなそぶりを見せたが、しばしためらった後でその手をそっと握り返した。
 今度は、速水もせかそうとはしなかった。

   ***

 一九九九年五月二三日現在、九州は静かだった。
 五月一〇日を境に、各所で跳梁跋扈していた幻獣はその姿を急速に消していたが、それは別に恒久平和が訪れたわけでも、人類が降伏したわけでもない。
 ただ単に自然休戦期に入っただけであった。
 何故幻獣たちが過去五〇年にわたってこのような自然休戦期などというものをとっているのか、人類でその理由を知る者はいない。
 だが、この貴重な期間があったればこそ、人類は今まで滅びずに済んできたというのは動かしがたい事実であった。
 九月はじめまで続くこのかりそめの平和の間に、人類は可能な限り都市を再建し、奪われた領土を奪回し、そして世界各地に細々と生き残ってるプラントから資源を採掘して(あるいは廃墟となった都市から再利用できる残骸を根こそぎかっさらって)次なる戦いに備えてきたのだ。
 あるいはそれは盛大なイタチごっこに過ぎないのかもしれないが、それをあざ笑うものは少なくとも人類側の中にはいなかった。

 その状況は、九州においてもあまり変わることはない。
 自然休戦期へ入った事を確認した生徒会連合九州軍は、ただちに隷下の各部隊に対して「積極的反撃」を下令、熊本県の幻獣占領地域には日章旗と生徒会連合旗、そして国連旗がへんぽんと翻った。
 敵がいないのに「反撃」もないものだが、これには九州軍首脳の政治的思惑もからんでいた。
 すなわち、九州、少なくとも熊本各所にその姿を見せることで、実際に熊本を守っていたのが誰かをまざまざと見せつけたのだ。
 この戦争が始まってからしばらくは、彼らは土嚢だった。いくら吹き飛んでもともかく洪水を一時的にしのげればいい、その程度の存在だった。
 彼ら自身がそう自覚しており、この戦争が終わるまで生き延びる奴などいない、そう思い込んでいたのだ。
 だが、彼らも予想しなかったことに、彼らは比較的軽微な損害で生き延びた(実際の戦死者は四万人近かったが、それでも政府予測よりはましだった)。
 それ自体は素直に喜ぶべきことであったが、同時に疑問も沸き起こった。
 再び戦端が開かれた時、自分たちはどうなるのか?
 この時期、陸上自衛軍はまだ再編過程にあり、義勇軍や国連部隊の一部増派はあったものの、万全というには程遠い状態だった。
 学兵は一年任期の徴募兵とされていたから、自然休戦期が開ければまた駆り出されることは明白だった。そして今のような「時間稼ぎの駒」と見られていれば、この先にあるのは全員分の墓標でしかない。司令部はそう判断し、自分たちの存在意義を確保することが急務であると決断した。
 自然休戦期直後の大作戦は、その一環だったのだ。
 自衛軍すら差し置いたこの行動は、政府・軍中枢の一部で猛烈な反発もあったらしいが、当の自衛軍、それも九州駐留部隊からはそれとなく「忠告」めいたものがしばしば本州に向けて報告されたという。
 彼らは、自分自身が戦い続け、生き残ることができたのは誰のおかげであるか、正確に理解していたのだ。
 かくして、表向き静かな自然休戦期の間、学兵(というより在九州駐留部隊すべて)と軍中枢の間には、熾烈な駆け引きが行われていたのである。

 とはいっても、いくら九州屈指のエースパイロットとはいえ、一小隊の部隊員に過ぎない速水たちにしてみれば、現状に大した変化はなかった。
 もちろん、「電子の巫女王」の異名を持つ舞のことであれば、そのあたりの状況はそれなりに把握しているはずであったが、まだ彼女たちは状況に介入できる立場ではない。しばらく静観するほかになかった。
 いささか長くなったが、かくして学兵たちは、出撃がほとんどなくなったことを除けば今までとさして変わらない日を過ごすことになったのだが、死の危険が減ずれば、どうしても年相応の健康さが顔を出してくる。
 とすると今日みたいにデートに誘い出されたりするわけなのだが、はて、こうなってみると舞にとって心が休まるのは戦場と日常、はたしてどちらであろうか?

   ***

 ようやく一段落ついたとはいえ、戦火と無縁ではなかった新市街も全くの無傷というわけにはいかなかった。
 店先に置かれたショーウィンドウのひびなどざらであり、完全に店舗としての活動をやめてしまったものも、全壊して存在そのものがなくなってしまった建物も一つや二つではきかない。
 だが、あたりは異様なほど活気に満ち、道行く人の表情もけして暗くはなかった。
 焼け崩れた店の前では露店が広げられ、店主らしき男が人々に威勢のいい声をかけていたりする。
 たとえそれがひと時の安らぎであったとしても、誰もが今を楽しもうとしているかのようだ。だとすれば、やはり人類は自分自身が思っているよりは相当しぶとく、逞しいのかもしれない。
 二人はそんな市街をぶらぶら、といった感じで歩いていく。
 そうしていると彼らはすっかり周囲に溶け込んでしまい、本当にどこにでもいる恋人たち、といった風情であった(もっとも、そんなことを舞に言えばまた怒り狂うに決まっていたが)。
 露店に立ち止まっては店先の品を眺めてあれこれと言い合い、あるいは人の流れにそのまま身を任せるように歩いているうちに、舞の表情も少しだけ柔らかくなってきた。
 しっかりと握られている手だけはまだ気恥ずかしいが、温もりそのものはけして嫌いではない。
 ――女のような手だと思っていたが、意外に逞しいのだな。
 初めて会った時、何とひよわな、と思ったこともあった速水だったが、この二ヶ月間の訓練と戦闘は、彼にもかなりの変化をもたらしていたのだ。
 そうやって見れば、いつもの優しげな表情の中にもどことない頼もしさが感じれられるような気がする。
 ――ぽややんなのは、相変わらずだがな。
 舞は思わず苦笑をもらしたが、いささか自分の想いの中に入り込みすぎていたのか、速水が立ち止まったのにも気がつかなかったようだ。
「うわっ!?」
「!!」
 いきなり背中からぶつかられれば、それは驚くだろう。速水は慌てて振り向くと心配そうな視線を向けた。
「ま、舞? 大丈夫?」
「す、すまぬ。ちと考え事をしていた。それより、何故立ち止まった?」
 鼻を押さえながら言われても説得力に欠けることおびただしかったが、速水は敢えて追求を避けると、つい、と指を上げた。
「ほら、あれ」
「?」
 速水の指差す先にあったのは、カジュアルウェアを扱う店のようだった。奇跡的にほとんど損壊のない店内には、最近とんと見かけなくなりつつあった新品の衣料が山と積まれていたのだが、二人が――というより速水が目を惹かれたのは店頭に展示されていた品のようだ。
 そこにあったのはかすかにクリームがかった白色をしたワンピースだった。デザインそのものは比較的シンプルで、腰のあたりに同系色のリボンがあしらわれているほかは、かろうじて裾のあたりにフリルが施されている程度である。
だがそうであるがゆえに、逆にそれは清楚さにあふれた存在となって輝いているようだった。
「かわいいねえ」
「ん、まあ、そうだな……」
 あまり気のなさげに舞だったが、その目は服から離れようとしなかった。
 正直なところ、舞はこのような洋服のデザインなどあまりこだわるところは少なかった。なにせデート中の今ですら、洗いざらしのシャツにGパンという格好なのだから、そのあたりは想像もつこうというものである。
 だが、確かにこれは舞が見ても、速水の言う通り「かわいい」というにやぶさかでないのは分かる。彼女の視線がワンピースの上を丹念にさ迷い始めた。
 ――厚志は、こういう服が好みなのか?
 舞は、速水の表情を見、服をもう一度見、自分の格好をちらりと見下ろし、と忙しく視線をさまよわせた後、自分がこのワンピースを来た姿を想像しようとして――結局諦めた。
 ――こんな、服など……。
 と、その時速水が唐突なことを言い出した。
「ねえ舞、ちょっとこれ着てみない? 奥で試着できるみたいだし、よかったらプレゼントするよ」
「にゃ、にゃにっ!?」
 ようやく落ち着いたと思った頬がまた熱くなるのを実感しながら、舞はきっと速水をにらみつけるのだが、威勢に欠けることはなはだしかった。
「じょ、冗談は言うな! 私がこのような服を着るわけがないだろうが!」
「えー? でも、きっと似合うと思うんだけどな……」
「ううう、うるさいっ! ……行くぞ!」
 そういうや、舞はくるりときびすを返すとさっさとその場を後にしてしまった。
「あ、待ってよ舞! ……すみません」
 説明に出てこようとしてあっけにとられていた店員に軽く会釈をすると、速水は慌てて後を追いかけていく。
「ねえ、待ってったら!」
「やかましいっ! 大体そなた、一体何を根拠にあ、あれが私に似合うなどというたわごとを言うのだ?」
「え? だってあの服可愛かったし、舞も可愛いし……いたたたっ!?」
「そ、そういうことを路上で言うなと言っているのだ!」
 想いきり速水の頬をつねり上げると、舞は乱暴にその手を振り放した。
「おー、痛い……。舞、ひどいよ〜」
「ふん、そなたが世迷言を言うからそういう目にあうのだ……何をしている、早く行かぬと始まるのであろう? 行くぞ」
 ――やはり、厚志はああいう服が好みなのだろうか……?
 だが舞は、涙目で自分を見上げる速水の視線に多少心動かされはしたものの、やはり頷くことはできなかった。結果、己の心を振り払うかのような早足でその場を後にすることとなる。
「あ、待ってったら! ……ふぅ」
 ――きっと舞には似合うと思うんだけどなあ。
 速水はといえば、すでにあの服を来た舞の姿を想像してどこか別の世界へ行ってしまいそうだった。頭の中で、どこか甘いメロディさえ聞こえてきたような気もするくらいだ。
 彼としては普段のあまりにもそっけない舞の普段着にちょっと思うところあったので、これはいいかもしれないと思ったのだが、どうも今の様子ではそれは容易に実現しそうになかった。
 速水には普段から気になっていることがあった。
 芝村の末姫ともなれば当然かもしれないが、毎日の気の休まることのない生活を正直危惧していたのだ。もちろん芝村たれば敵も多いのは承知しているが、最近は僅かに疲れも見えている。戦闘も一段落したのであるから、糸を緩めるべき時があってもよさそうなものだった。
 速水はそんな状況を改善すべくいろいろと気を配っているのだが、本人がどうにかしない限りは限界もあった。
 どんな莫迦莫迦しいことでもいい、少しでも気分転換になれば――最近の速水はそこまで考えていたのだ。
 ――いつも、気を張りすぎてばかりいるんだし、これくらいはしたっていいのにね……。舞だって普通の女の子なんだから。
 必死で後を追いかけつつ、速水の思案はだんだんと実践的な方向へと進んでいた。
 ――なんか、いい手はないかなあ?
 速水は唐突にふ、と顔を上げた。目にはいささか強い光がある。
「そうだ、これでいってみるかな……」
「厚志、何をしているのだ!? 早く来い!」
 いつの間にか足を止めてしまったらしく、だいぶ先から舞が不機嫌顔でにらみつけていた。
 これ以上怒らせるのは得策でないと判断した速水は、慌てて足を速めた。
「ごめーん! 今すぐ行くよ!」
 妙に明るい速水の声に一瞬怪訝な表情を浮かべたものの、舞はそれ以上追及しようともせずに再び歩き出した。
 もしその時追求していれば、この後の流れは少し変ったはずであるが、神ならぬ身の上、そこまで予測できようはずもなかった。
「ふふっ、楽しみだなあ……?」
 速水はにやけそうになる頬を無理やり引き締めると、映画館へと入っていった。

 ……まあ、彼自身の思惑がかなり入り込んでいることは、少なくとも彼は否定しないであろうが。

   ***

 映画はまあ、相も変らぬ戦意高揚ものだったので退屈なこと極まりなかったが、二人にとっては一緒にいる時間が大事だったので、どのみちストーリーなどあまり関係なかった。
 ともあれその日は夕食をともにしてそのまま別れたのだが、舞の姿が見えなくなるや、速水はくるりと反転すると一目散に新市街へと駆け戻り、再び家路につく時には、手に大きな紙袋を抱えていたのだ。
袋の隅からは先ほどの服が顔をのぞかせている。
「ふう、間に合った……。それにしても、売れなくてよかったなあ」
 売れないのも当たり前で、品不足のおり、価格は通常の数倍に跳ね上がっていたのだ。
 だが、速水はそんなことなど意に介さずに即金で買い求めたものだから店員もかなりいぶかしんだが、ちゃんと支払われることがわかった途端にあれこれとおまけをつけてくれたのだから現金なものではある。
「さて、無事に手に入ったのはいいけれど、うまくいくといいんだけどな……。ま、いいや。なんとかなるよね」
 速水は口元に笑みを浮かべたまま、いとも気楽な口調でつぶやくと、闇の中へと消えていったのであった。

 ……何を考えているやら?
(つづく)


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