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瞬恋(その1)


 出会いは偶然。
 滝川にだって、たまにはこんな出会いもあるのです。

   ***

 熊本は、今春真っ盛りである。
 朝晩の寒さに身を震わせることもなく、風の冷たさに驚かされることもない。ここ数日はあまり天候はいいとはいえなかったが、それでも時おりは穏やかな陽光が差し込んで、あたりを心地よく暖めていた。
 ただし、いかに心地よい季節であろうと、戦争は徐々にではあるが、全てのものに影を落としている。
 ここは新市街。
 かつてはかなりの商店が並び、賑わいを見せていたここも、今ではだいぶ雰囲気が変わっていた。何割かの店はシャッターを閉め、残りの店もいつでも閉店できるように用意し、あるいは土嚢を店の脇に積み上げたり、避難袋がレジの下に見えたりしている。
 それでも、人影がまったく絶えてしまった一時期よりは、ずいぶんとましになったほうである。
 幻獣の「戦線」(幻獣が出現すると便宜上定義された線)がついに熊本市内まで達し、各所において市街戦が発生したが、それら全てが生徒会連合の尽力によって撃退され、「戦線」が市外に押し戻されたのは、つい先日のことであった。
 それによって市内中心部にかなりの損害が発生し、新市街も直撃こそ避けられたものの、周辺への着弾などで死傷者が出るなど、まさに戦場として巻き込まれたりもしたのだ。
 だが、今はとりあえず人の賑わいも戻ってきて、焼けたりシャッターを閉めている店舗の前にも露店が開かれていて、売り子たちが声を張り上げている。中には閉鎖している店の店主が一時しのぎとしてやっている場合もあるようだ。
 そのおかげか、今の新市街は常にもまして活気と賑わいがあった。それはゴタゴタとまとまりのないものではあったが、少なくとも熱かった。
 こうしてみると、人類という生き物はなかなかどうして、結構しぶとい生き物なのかもしれない。
 そんな中、人々のざわめきを聞きながら、どことなく所在なげな足取りで新市街ををぶらつく少年の姿があった。
 ぼさぼさ頭にゴーグルとバンダナ、鼻の頭にバンソウコウ。いわずと知れた五一二一小隊のチキ……いやもとい、二番機パイロットである滝川である。
 今は日曜、何もかも放り出して昼寝でもしたくなるような昼下がりであるから、少なくともサボりというわけではないようだが、それでも相変わらず学兵の制服に身を包んでいるのは、着替えるのが面倒くさいのか、さもなくば洗濯のストックが尽きたのか……いずれにしても、ろくな理由ではない。
 彼は、そこら辺の露店で買い込んだ串焼き肉に、つまらなそうにかぶりついていた。
 昨今のファーストフードとしてはまずます標準的なそれは、たちまちにして彼の胃の腑へとおさめられていったが、ではいったい原材料が何なのかといえば、「あなたの知らない世界」なところが多分にあった。しかしそれについては滝川も、そして他の者も一向に気にする気配はない。
 こんなご時世では、ともかく腹に入れば皆一緒、である。
 滝川は串に残ったわずかな残り香を惜しみつつ、道端のゴミ箱に放り込む。
「はあ〜あ、せっかくの休みだっつーのに、な〜んにもすることがねえや……」
 かてて加えて彼の財布は、幾度目かしれない氷河期に突入している。これについては自分に原因があるだけに、誰に文句のつけようもない。まあ、おかげで先の楽しみはあるものの、今の退屈さをしのぐにはいたらなかった。
「そうだ、ひょっとしたら……」
 何事かを思いついた表情で、滝川は左手に神経を集中させる。神経信号を感知して、手首に埋め込まれた多目的結晶が反応し始めた。
 むろん、結晶自体は隠されていて見えはしないが、それは淡い光を放ちながら滝川の思考を文章に変え、いずこともへとなく発信する。時間にしてほんの数秒の後、彼の脳内にやわらかなチャイムが響いた。
「これでよし、と。……おっ、きたきたっ」
 意識をそちらに向けると、多目的結晶がメールの着信を告げていた。滝川は急ぎそれを「開封」したが、結果は彼にとってはなはだ不本意なものであった。
 ――メールありがとう。だけど今、ちょっと用事があって忙しいから、またね。
 なんともそっけない文面に、滝川は盛大なため息をついた。半ば予想されたとはいえ、当たっても別に嬉しくはない。
「くーっ。親友よぉ、冷てえなあ……」
 彼の親友たる速水は、しばらく前に同じ士魂号に搭乗する芝村舞に対して一世一代の決心とともに告白を敢行していた。
 正直なところ、誰もが頭に「玉砕」の二文字を浮かべていたらしいのだが、意外や意外、舞の返事は「YES」であった。確かにふたりの間には、なにかしらただならぬ雰囲気がなくもなかったとはいえ、まさかあの芝村がそのような返事をしようとは予想もしなかったのである。
 この騒ぎで大散財をした者も少なくなく、そのうちのひとりが誰あろう滝川であったのだが、それはまあさておき。
 それからというもの、ふたりはどこに行くにも何をするにも一緒という有様で「オシドリすら顔を赤らめる、天下御免のバカップル」というのが大方の評価となっていた。その大半が速水によるものとはいえ、舞も少なくとも断りはしなかったのだから、内心は推して知るべし、であろう。
 そんなふたりに対して日曜日にメールを送ったところで、どうなるかなど結果は最初から明白であった。馬に蹴られなかっただけ、まだましである。
「ちぇっ……。あいつまーた芝村と一緒かよ……。まったく物好きなこったぜ。良くあんな奴とつきあってるよなぁ……」
 そういいながらも、彼の表情にはどことなく切ないものが浮かんでいた。
「くっそーっ! Hな雰囲気を見るときは一緒だぞ、って言ってたのに……。どうして俺には彼女ができないんだ? 運がねえのか、なんというか……」
 滝川は、がっくりと肩を落としながら新市街を歩いていく。右手にはようやくのことで書店で手に入れたアニメのムック、左手にはバンバンジーのプラモが入った袋が、がさごそと大きく揺れていた。
 ……滝川の場合は、運がどうこうというよりは、女性に好かれるための努力とそのすべを知らぬ、そういうべきなのではなかろうか?
 もしこの状況を瀬戸口あたりが見ていたとすれば、彼は肩をすくめながら苦笑のひとつも浮かべたであろう。
 まさに滝川は、彼にとって「不肖の弟子」であった。

   ***

 新市街は活気に包まれていたが、滝川のテンションは、周囲に反比例するかのように下降の一途をたどっていた。
 先ほどまで胸中にあった、ようやく目的のものを手に入れた達成感にも似たものも、今はまるで炭火がくすぶるように、心の奥底に漂うばかりであった。
 滝川は不意に足を止めると、あたりに視線をめぐらせた。急に何もかもがどうでも良く見えてくる。
「はあ……。もう、帰るか」
 足は、自然に家の方に向いていた。
 だが、どこの何とも知れない大いなる存在は、あるいはそんな彼を哀れと思し召したのであろうか――。
 滝川はため息とともに二、三歩歩み出し――そこで、そのまま硬直した。胸がざわめき、それはたちまちのうちに高まる動悸に変わっていく。
 彼の目の前を、ひとりの少女が通り過ぎていった。
 少女といっても、年齢は滝川より少し上というところであろうか。優しげな瞳と腰までかかる黒髪が印象的である。
 全てが控えめに纏め上げられた印象を与える彼女が、白い帽子とパステルグリーンのワンピースに身を包み、清楚な雰囲気を漂わせながら新市街を歩いていくさまは、戦時色がやたらと目立つ辺りの風景から妙に浮き上がって見えた。それが滝川の目を引いたのかもしれないが、当の本人は心臓をなだめるのに忙しく、自分の心理分析などどうでもよかった。
 ――か、かわいい……。
 彼女がどうのこうのといいながら、別に滝川は惚れっぽいというほどではなかったが、今回ばかりは一目見たとたん、どうにもならないほどの熱さが胸の中を駆け巡っていた。
 気がついたときには、滝川は少女の後ろ、数メートルほど離れたあたりを、歩調をあわせながら歩いていた。追いかけてどうしようというのか滝川自身にも判然としなかったが、このまま人ごみの向こうに見失っては、あまりにも惜しく思えたのだ。
「それにしても、なんだか危なっかしいなあ……」
 滝川の言うのも道理で、彼女の歩き振りはどことなく頼りなげで、危うく人にぶつかりそうになったりまごついたりする姿からは、あまりこういったところを歩き慣れていないようにも見えた。それでも、少女は歩きながら見るもの全てが興味深いのか、時々立ち止まって、真剣な表情で何かをじっと見つめたり、口元に小さな笑みを浮かべたりしている。
 その様子があまりに楽しげなので、彼女が笑みを浮かべたときなど、滝川までつられて微笑んでしまったほどであった。
 ……事情を知らない者が見たら、不審極まりない光景であったかもしれない。
 そんなこんなと、一体どれほど歩いたであろうか。
 突然、あたりを圧するほどの音量で、耳障りなサイレンが鳴り始めた。
数か所で同時に鳴らされたそれは、エコーを残しながら周囲に響き渡っていく。同時に周囲のビルで生き残っていた電光掲示板などの表示が一斉に切り替わり、モニターにアナウンサーらしい女性の姿が映し出された。
『こちらは、熊本市緊急防災放送です。ただいま、熊本市内および県南部に幻獣警戒予備警報が発令されました。市民の皆さんは指示に従い、避難の準備を開始してください。外出している方は直ちに帰宅するか、もよりの指定避難所へ避難してください。なお、警報発令時の自家用車の使用は禁止されています。自衛軍ならびに生徒会連合関係者は、直ちに原隊またはもより部隊へ出頭を……』
 いささか無機質ともいえる口調で、アナウンサーは原稿を淡々と読み上げる。既に何回目か分からぬ発令に、いちいち感情を込めているほどの余裕はもうなかった。
 人々は一瞬おびえたように立ち止まった後、ビデオを早回しした勢いで一斉に駆け出し、露店は慌てて荷物を取りまとめ始めた。誰もが手馴れた動きを見せ、ここが一体どんな世界であるのかを否応なく知らしめている。
 いや、一部例外があった。
 足を止めたのは一緒だったのだが、先ほどの少女は一体何をすべきか分からないらしく、その場にじっと立ち尽くしていた。滝川が何か言う間もないうちに、彼女の前に人の波が押し寄せていた。
 何しろ戦争である、ぐずぐずしていれば命にもかかわるこんな時によけいな暇などあるわけがない。訓練効果もあって滑らかに動くことはできても、人の心に余裕はなかった。
 ――間に合うか!?
 滝川が走り出すと、ようやく事態を認識したのか、少女は慌てて身を翻したが、残念ながらそれは一歩遅かった。
「きゃっ!」
 誰がぶつかったものか、少女の体が弾かれたようによろけ、バランスを崩す。
「危ねえっ!」
 とっさに滝川は手にしていた荷物を放り出すと、少女を抱きとめるべく彼女の下に飛び込んだが、目測が少々甘かった。
「ぐえっ!?」
「きゃっ!」
 彼女は背丈から想像するよりは軽かったが、人ひとりの体重が一点にかかれば、それは結構な衝撃である。滝川は見事彼女の下敷きになった格好であるが、目的は達したと言えなくもなかった。その傍らを群集が急ぎ足で駆け抜けていくが、滝川たちに目を止めた者はいなかった。
「い、いてて……」
「あ、あの、大丈夫ですか?」
 少女の座布団よろしくつぶれていた滝川は、その声に後ろを振り向きかけ、慌てて視線をそらした。
 彼の目の前には、ワンピースの裾があった。
 ――み、見てない、俺は何も見てないぞ!
 同時に、背中に当たるまろみを帯びた感触がなんであるかを理解し、彼は全身が熱くなるのを感じていた。
「お、俺はどうってこたあねえけど、そっちこそ大丈夫か?」
「は、はい。……すみません」
 なんだか表情まで想像できそうな声だった。
「い、いいってことよ。それより、その、どいてくんねえかな……?」
「あっ! す、すみません!」
 ようやく自分の格好を思い出したのか、少女は弾かれたように立ち上がる。背中の重みがなくなったのをほんのちょっぴり残念に思いつつ、滝川はようやくのことで立ち上がると、制服のほこりを払う。
「あの、どうもありがとうございました」
 黒い大きな瞳に覗き込まれて、滝川の胸が再びざわめいた。
「あ、危なかったな。でもよ、警報が出たらすぐに動かねえと危ねえぞ? みんな殺気立ってやがんだからさ」
「すみません、私、こういった事って初めてで……」
「へえ、珍しいな。あまり出かけないのかい? ま、ともかく今後は気をつけるんだな」
「はいっ」
 容姿を裏切らぬ優しい声が、滝川の耳朶を優しく撫でていく。自分の顔はもう真っ赤に違いないと滝川は確信していた。
「あ……」
「なっ、なんだい?」
「あの袋……」
 その言葉に、滝川の表情が急変した。
「ああっ!? お、俺の荷物ーっ!?」
 滝川が少女の指差すあたりをみると、そこにはよれよれになった袋が転がっていた。次の瞬間、彼は第六世代にふさわしい体力に物を言わせて、普段の彼からは想像もつかない勢いで、あっという間に袋のもとへと駆け寄った。
 ……こんなところで、能力の無駄遣いはしてほしくないものである。
 一目見て、彼は嘆きのうめき声を上げた。
 袋にはあちこちに足形が残っており、中身がはみ出しかけている。それでもムック本はまだビニールカバーもかかっていたからましであったが、プラモのほうは見事に踏んづけられて、箱が真ん中から「く」の字に折れ曲がっていた。
「ああ、せっかく手にいれたのに……」
「あの、ひょっとしてそれ、私のせいで……」
 はっと気がつけば、いつの間にか背後に立った少女が、心配そうに覗き込んでいた。滝川は慌ててそれらを後ろ手に隠すと、笑顔らしきものを浮かべることに成功していた。
「えっ? あ、あはは、大丈夫、もう全然関係ねーからさ、も、全然平気っ!」
「でも……」
「いや、本当に大丈夫だって! 学兵やってればこんな……」
 そう言いかけて、滝川はようやくのことで現状を思い出した。幻獣警戒予備警報発令中。自衛軍ならびに生徒会連合関係者は原隊または最寄部隊に出頭すべし。
「! こうしちゃいられない、俺もういかなきゃ!」
 今まで気がつかなかったが、多目的結晶も集合を指示するシグナルを先ほどからわめきたてていた。急がねばならない。
 ここならば、尚敬高校に行く方が早い。そう決断した滝川はあっという間に走り出した。
「あっ!?」
「早く、気をつけて帰れよ!」
 少女が呼び止める暇もあらばこそ、滝川は風を食らったようにその場を走り去っていた。
 そのあたりは彼も学兵であった。
 ちなみに、彼が少女の名前を聞くことすら忘れていたのに気がついたのは、尚敬高校到着寸前のことであった。

 全く余談ではあるが、結局その時は大した事態にならず、幻獣の出現数も少なかったために、五一二一小隊が戦場に駆り出されることはなかった。
 滝川はそのうっぷんを晴らすかのように速水と茜を捕まえると、ようやくのことで手にいれたムックやプラモを自慢するのであった。
 茜はともかく、速水はやたらとそわそわしながらなんとかしてその誘いを断ろうとしたようだが、妙に荒んだ目つきの滝川に常ならぬ迫力を感じ、どうにも断りきれなかった。
 後に判明したことには、速水はこの時舞となんらかの約束を交わしていたようである。それは校門付近で舞が立ち続けていたこと、ならびに彼女のただならぬ表情から推測されていた。
 その後舞と、そして速水がどうなったかについて、歴史は黙して語らぬ。
 ただ、翌日の彼の表情――というか顔面――を見るに、その件についてはあえて聞かぬのが優しさというものであろう。


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