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浮気(その1)


 自分が良く知っている人が、ある日急によそよそしくなったら……、あなたはどうしますか?

   ***

 人類は、どうにか一九九九年の第一四半期を生き延びることができた。時の定めに従い、季節は移り変わろうとしていたが、そんなことなどお構いなしに、人間が作り出した人工の環境――戦争は、今日も飽きることなく続けられていた。
 もっとも、人類側はそんなことを言われれば声を大にして反論したことであろう。戦争には相手のあることであり、彼らも好きでこんなことをやっているわけではない。
 かくしてここ――九州を防衛するために送り込まれた、一〇万になんなんとする学兵の一部である第五一二一独立対戦車小隊は、戦意にまったく不足するところのない幻獣どもの相手を務める羽目に陥っていたのである。
 瓦礫と化した町並みの中を、強化処置を施した戦闘舞踏服――いわゆるウォードレスに身を包んだスカウトたちが走り回り、装甲車両がかつての生活の痕跡を踏みしだきながら、周囲に破壊を振りまいていく。
 そんな中でも彼ら、五一二一小隊の行動はじつに良く目立った。何しろ彼らの主装備は三次元機動すら可能な人型戦車――士魂号である。
 そして戦場では、目立つものは必然的に標的にもなる。普通なら全身総毛立つような状況のはずだ。
 だが、もし他の者が彼らの小隊無線を傍受する機会があったとしたら、驚愕のあまり顎を地まで落としたかもしれない。軍の士気を維持するためには、それがなされていないということは喜ぶべき事実であった。
『ったくよぉ、あいつらもまあ、よくも毎日毎日飽きもせずに攻め込んでくるもんだよなあ!』
 薄暗いコックピットの中、三番機パイロットたる速水のヘッドセットに心底うんざりした声が遠慮なしに響き渡った。それに大口径砲のものらしき射撃音がわずかにかぶさる。
『おしっ、ゴルゴーン一体撃破!』
 速水は苦笑を浮かべながら、先ほどからご機嫌な二番機パイロットを呼び出した。
「今日はずいぶんと調子がいいじゃない、滝川?」
『おう、頼んでた新品のライフルが届いたからな。前のはいくら調整しても、弾着が左に寄る癖があったからなあ……』
『それは、あなたの腕のせいもあるんじゃないですか? だめですよ、武器のせいばかりにしては。武器は、持ち主の心を写す鏡なんですから』
 突然、別の声が割り込んできた。まだ若い女性――いや、明らかに少女と呼んだほうがいいようなその声は、かすかに面白そうな響きを含んでいた。
『なっ!? おい壬生屋、そりゃねえだろう? 俺の射撃の腕は知ってるだろうが』
『それはもちろん存じておりますが、ねっ!』
 一番機、壬生屋の声の調子がわずかに強くなった。
『ミノタウロスに攻撃を敢行、撃破いたしました。……舞さんはどう思われます?』
「そなたらしい物言いではあるな。まあ、数少ないとりえなのだからいじめてやるな、というところではないか?」
 わずかに苦笑を交えながら、速水のパートナーにして三番機ガンナー・芝村舞は悠然たる口調で答えた。
『おいっ! それ、フォローになってねえぞ!』
 むろん、舞にそんなつもりなどあるはずもない。彼のフォローなどをしていては、いくら時間があっても足りはせぬ。
 同時に彼女はこの部隊も変わったものだ、そう思っている。
 ――未央が軽口を叩くなど、以前なら考えられもしなかったのだがな。滝川にしたところでずいぶんと落ち着いた。
「……変われば、変わるものだ」
「え? 舞、何か言った?」
 速水に聞き返されてから、舞はいつの間にか声に出してしまっていたことに気がついた。
「い、いやなんでもない。……厚志、二時方向にキメラ二体。レーザー発射体勢に入った。叩き潰すぞ、接近コースを送る」
「コース了解。……ねえ舞、良かったら今日、ご飯でも食べに行かない? 新市街で珍しく遅くまでやってる店があるんだ。定食屋だけど、結構おいしいんだって」
「こら厚志、あまり調子に乗るでない! まだ戦闘が終わったわけでは……」
 さすがに戦闘中にするにはあまりな軽口に、舞は眉をかすかに吊り上げると声を強めたが、その直後にさらに別の声が割り込んできた。
『あー、小隊各機? お前らな、余裕があるのはいいんだが、ここが一体どこなんだか忘れちまってるんじゃないか、ん?』
 自らもって「お耳の恋人」などと言い切るだけあって、オペレーターである瀬戸口の声は良く通ったが、今のそれにはどことなく呆れたような、疲れたような響きが混じっていた。
『あ……、し、師匠、その……』
『申し訳ないですがね、談笑ならもう少し後にしてもらえませんか? ……小隊各機、敵は徐々に戦線を縮小しつつある模様、各機追撃体勢に移れ』
 止めに割り込んできたのは、小隊司令たる善行であった。彼の声にも苦笑の響きははっきりと混ざっていたが、言葉の底には鋼が仕込まれているように聞こえなくもない。
「了解っ!」
 速水たちは慌てて気を取り直すと、再び敵との距離を詰め始めた。

 戦線後方に展開している小隊指揮車、その車内に設けられた戦況確認用のモニターには、各士魂号を示す青い三角印がゆっくりと移動を開始したことが表示されていた。
「小隊各機、前進を開始。……ったく、あいつらもたいした余裕だな」
 瀬戸口はモニターを眺めながら、そうぼやいて見せた。もっとも彼とてサボっているわけではなく、のんびりした口調とは裏腹に、両手の指を流れるようにあらゆるスイッチの上を駆け巡らせている。
「司令、もうちょっときつく言ったほうがよくないですか?」
「まあ、あんなものでしょう。一応の効果はあったようですし、下手に緊張しているよりはるかにマシですよ」
 指揮官用シートに身を沈めながら、善行は瀬戸口とどっこいどっこいの口調で答えてみせた。
「ま、いいんですけどね。確かにあいつらは、それだけの働きはしているわけだし」
 瀬戸口の言うことは、まさに事実であった。
 部隊発足、そして三月二〇日の戦闘加入からこのかた、五一二一小隊は即席部隊と思えぬほどの戦果を挙げていた。
 誰も期待しなかったからこそのインパクトも多分にあったことは疑いないが、他に類を見ない人型戦車・士魂号を操るこの部隊は、これまでの戦闘ですでに一〇〇をはるかに超えるスコアをたたき出しており、なお驚くべきことには、これまでただのひとりも戦死者を出していない。
 これは、最初の出撃で歴史上の存在となってしまうことすら珍しくない学兵の部隊としては、奇跡といってよかった。
「そうなるように、それなりの手は打ったつもりですからね」
 善行は姿勢を変えることなく、誰にともなく呟いた。
 彼は、共に配属された若宮戦士と共に、徹底的に彼らを鍛える策に出た。
 兵士の育成には年単位の時間、どんなに速成でもせめて数ヶ月はかかるのが常識であるというのに、いくら時間稼ぎとはいえ、彼らはわずか一週間で戦場に出されようとしていたのだから、これは無理とか無茶といった範疇を超えていた。
 そこで善行は、なんだかんだと理屈をつけて部隊の編制完結を多少遅らせ、その間に若宮に訓練プログラムを作成させて、それを実行に移させたのだ。
 むろん、一週間が二週間に増えたところで、速水たちが殻も取れないひよっこ未満だという事実は変えられないが、それをそのまま受け入れることは、善行にとって容認できることではなかった。
 かくして、地獄のほうがまだましであろうと思われる若宮の特訓は昼夜兼行で行われ、「戦死させるより、営庭で恨まれたほうがまし」という善行の言葉のとおり、小隊メンバーは善行を恨みつつ、黙々とトレーニングを行った。
 ――あれのせいだけだとは、別に思いませんけどね。
 善行は本気でそう思っていたが、素質と、そして戦場の実戦が彼らを鍛え上げたとはいえ、あの訓練が根底にあったからこそ今の彼らがあるのも事実である。
 量ばかりでなく、運命さえも自らの手でねじ伏せさせるがごとき、あの訓練が。
 だからこそ速水たちは今、まるでそれが単なるルーティン・ワークでしかない、とでもいうように戦闘中だというのに軽口のひとつも叩くことができる。
 そう、確かにこの戦いはここしばらくのパターンから一歩も外れたものではなかった。ただ、いつもとひとつ違うところがあるとすれば、それはひどく市内に近かった――というより市内そのものだったというところであろうか。
 このあたりは、かつての熊本城攻防戦において、熊本城周辺ならびに北部一帯がそうであったように戦場となり、容赦のない鉄と暴風の嵐が吹き荒れたのだが、その割には損害は比較的少なかったともいえる。
 なにしろ、残った建物があったのだから。
 とはいうものの、ライフラインの大半が寸断されてしまってはまともな生活など行なえず、その後も頻発する幻獣の出現に、つい先日全住民の避難が行われたばかりであった。
 今は人の影も絶え、人がいない、ただそれだけのことが異様なまでに違和感をかもし出す戦場となっていた。

 半ば崩れた板塀を吹き飛ばしながら、三番機は戦場を駆け抜けていく。むろん、ただ直線に走るような莫迦な真似はしない。時おりジャンプを交えつつ、曲線と折れ線を微妙に複合させたラインを描きながら、徐々に敵――いまやレーザー発振子を赤々と輝かせているキメラ――に向かって飛び込んでいった。
 敵の接近に気がついたキメラは、四つある擬頭部を全て士魂号に向ける。漆黒の体に配された真紅に輝く目がわずかに動き、それに合わせて擬頭部がゆらめき――突如、発砲した。
 瞳と同じ真紅のレーザーは、空間を切り裂きながら疾る。多少の知恵が働いたものか、レーザーは扇状にやや広がりながら士魂号へと向かっていた。このまま行けば最低でも一発は当たる。
「厚志!」
「ふんっ!」
 レーザーが発射される寸前、慎重にタイミングを測っていた舞が叫ぶと、速水は間髪入れずに出力を上げる。とたんにふたりを強烈なG(重力)が襲った。
 彼らの行動を外部から見ると、このような感じになる。
 レーザーが士魂号を貫いた――とまさにそう見えた次の瞬間、彼らの機体は中空に舞い踊っていたのである。
むろん、力の限り飛び上がり、わざわざ射的の的になるような真似はしない。むしろ、跳躍力ぎりぎりの低さでレーザーをかわした三番機は、着地と同時に右へとジャンプし、さらにやってきたもう一体の第二撃を難なくかわした。
 目標を失ったレーザーは後方の民家に命中。派手な火災を引き起こした次の瞬間、プロパンにでも引火したのか、大爆発を引き起こした。家の破片が舞い散る中、なぜかほとんど無傷だった白い熊の人形がやけにはっきりと見えた。
 むろん、三番機はそんなものに注意を払わない。彼らは相変わらず複雑な、だが合理的な軌道を描きつつ、急速に距離を詰めていった。
 やがて舞の視界の片隅に。ジャイアントアサルトの射程内であることを示す赤いシンボルが点灯した。
「テッ!」
 自らへの号令と共に、舞は既に照準を済ませていたアサルトライフルの引き金を「引い」た。腕にはそれと察した速水によってスタビライザー(砲安定装置)が働いており、激しい機動の中でも敵を指向し続けている。
 アサルトライフルと呼ぶにはやたらと大きい機関部にかすかな機械音が走ったかと思うと、水冷式の銃身からテクタイト製の二〇ミリ高速弾がばら撒かれ、弾幕を形成していく。
 急激な事態の変化に対応できなかったキメラは、なんら行動を起こすこともできずに、その弾幕の中にもろに突っ込んでしまった。
 いまや宝石よりはるかに貴重品であるタングステン・カーバイト、いわゆるレアメタルの代わりに多用されることが多くなった硬化テクタイト弾は、弾道上に存在するありとあらゆるものを食い破り、粉砕しつつ飛び去っていく。声なき苦悶に身をよじりつつ、キメラはその場でのた打ち回るが、さらに襲いかかった第二撃によって完全に沈黙を強いられ、徐々に霧散を始めていった。
 死体が怪しげな靄となって流れていくその向こうで、もう一体のキメラが同じ運命をたどっていた。
 三番機は足元の瓦礫を踏みしめながら、新たな敵を求めてその場から立ち去った。

 補給車脇で、小さな歓声が起こった。
 戦線後方にある補給車の傍らには小さなブースがしつらえられ、そこにはモニターが、指揮車の見るそれと寸分たがわぬ情報を表示している。その周りには整備士たちが鈴なりになって、食い入るようにモニターを眺めている。
 万一の時には速やかな補給と修理を行う必要があるために、このような措置がとられているのだが、何しろ実際に戦っているパイロットにしてからがあんな調子だから、後方にいる整備士たちにしたところで緊張のしようなどない。
「すごーいっ! 今の見た? 舞っちたち二体連続だよ?」
 モニターに目を向けたまま、新井木は興奮もあらわに拳を握り締めた。ほとんどスポーツの試合観戦のノリであるが、周りも多かれ少なかれ似たような雰囲気であったので、さほど目立ったわけでもない。
 擬似リアルタイム制のユニット表示とはいえ、いや、それだからこそかえって彼女たちは戦況の流れにだけ意識を集中することができる。これで生の映像でも流れてきた日には、自分たちが精魂込めて整備した機体が傷ついていくさまを、これほど冷静に眺めていられたかは疑問である。
 そんな、半ばゲームじみた画面の中でも、三番機の動きは際立って見えた。まさに、流れるようなというのがふさわしいともっぱらの評判である。
「やっぱ、あいつらすげーよな。しかし、なーんかなー、あいつらのウデもすげーんだろうけどよ……」
 輪の片隅で、田代がつまらなそうに呟くのを聞いて、何人か――ことに、女性陣が苦笑しつつ大きく頷いた。
 彼女の言ったとおり、速水と舞、このふたりにおける最近の技量の上昇はとてつもない勢いであり、今のままならシルバーソードはおろか、アルガナ勲章の授与さえも夢ではないのではないかと囁かれていた。
 そして同時に、技量の点でもさることながら、彼らの間柄というものは、今やただのパートナー、コンビなどというものでは説明できない、はるかに深いものであると誰もが理解していた。
 というよりも、だ。
 夕暮れのプレハブ校舎屋上で、スピーカーでわめいているのかと言いたいほどの大声で告白をやってくれれば、誰だって否応なく理解しようというものであろう。
 ちなみにこのときは、小隊のほぼ全員が急性の湿疹にも似たかゆみに襲われまくったという。

 それはさておき、戦場音楽は既に最終楽章に突入しており、小隊は互いに連携を取りつつ、幻獣に対する包囲の輪を縮めていった。
「厚志、ここの敵は目の前の奴が最後だ」
 飛ぶ勢いでコンソールの上に指を走らせつつ、舞は付近をうろつく小型幻獣に向けて、ひとつ、またひとつとロックオン・シンボルを同定させていく。先ほどの高速機動の衝撃がまだ少し残っているのか、時おり指が宙をさまようことがなくもないが、それでも常人に倍する勢いでシンボルは着実に増え続けていった。
「ミサイルシークエンス動発中、目標選定完了まであと六秒、ミサイル発射まであと一一秒。厚志、このまま突き進め」
「了解。……ちょっときつかった? ごめんね」
 ふいにかけられた言葉に、舞は一瞬だけ眉を吊り上げかけ――口元を緩めてみせた。
「勝利に必要なことは全て受け入れる。気にするな。……だが、感謝する。目標、ロック!」
 力強さと繊細さの混交した舞の宣言に、速水も笑みを浮かべながら士魂号をさらに加速、ミサイル発射地点へ移動する。
主力兵器たるミサイルの発射まで、三番機は事実上の無防備となる。ならば、その時間をわずかでも縮めるのは速水の役目であった。
 彼は士魂号を右に左にと振りながら、ゴブリンリーダーの繰り出すトマホークをかわし、ゴルゴーンのロケット弾を振り切り、ミノタウロスの拳をかいくぐり――ついに、発射地点に到着した。そこはかつて住宅の立ち並ぶあたりであったかもしれないが、敵の攻撃によって焼き払われ、わずかに開けた地形となっている。全手動誘導である「ジャベリン改」ミサイルにとって、視界の確保と誘導用ワイヤーがからまず飛翔できる空間は必要不可欠であった。
「ポイント、達した!」
「よし、ミサイル、安全装置解除!」
 この揺れるさなかにも、ただの一体たりともシンボルが外れることはない。士魂号の補助もあるとはいえ、「電子の巫女王」の名を持つ舞ならではの技量というべきであった。
 三番機は目的地に到着すると、片手を地面について地を這うように深々と身を沈めた。自然、ミサイルランチャーは天を衝き、全ての発射口が敵を向く。
「姿勢、よし!」
「発射!」
 ころあい良しと見た舞が、一瞬の遅滞もなく発射コマンドを実行させたが、その瞬間、ふっと彼女の視界の中を何者かがよぎっていった。
「!?」
 彼女が驚きを表現する間もなく、コマンドは即座に実行に移され、ランチャーに収められた二四発のミサイルは一斉に推進剤に点火、プラスチック製のカバーを打ち破って、長いワイヤーの尾を引きながら予め定められた目標に対して飛翔を開始した。
 幻獣たちの一部は何事かを察したものか、慌てて回避行動をとろうとしたものもいたが、予め行動可能範囲までを計算に入れて飛翔経路を決定していたミサイルは、全ての目標に――命中しなかった。
「ちょ、ちょっと、舞、一体どうしたのっ?」
 速水の素っ頓狂な声がコックピットに響き渡る。発射されたミサイルのうち、四発ほどがえらく不思議な軌道を描いた挙句に明後日の方向に飛翔、ワイヤーをぶった切ったあげくに近くのビルに命中し、盛大な爆煙をあげたのだ。
「す、すまぬ。ちょっと手が滑ったようだ……」
 どこか心もとない、衝撃を受けたような声に、速水はいたわるように声をかけた。
「そうなの? やっぱりさっきの機動がきつかったのかな……ごめんね、大丈夫?」
「心配ない、大丈夫だ……」
 いささかのミスはあったものの、わずかに残った敵は程なく壬生屋・滝川両名によって簡単に止めを刺されていた。
『敵の全滅を確認。全機、帰還せよ』
「了解。いくよ、舞」
 舞はその言葉にあいまいに頷いたが、彼女の視線はある一点に向けられたままだった。

   ***

 結局小隊は、各士魂号が損傷とも呼べないほどの小さな傷を負った程度で無事勝利を飾っていた(スカウトなどは、若宮などに言わせると「昼寝をしているようなものだった」だそうだ)。
 だが、例え戦闘に勝利してもその後の整備をサボっていいという法はない。ましてや士魂号は兵器としてはまったく完成には程遠い、システムの異端児、いや反逆児と言ってもいい存在であったから、一日でもほったらかせば次の日はまずまともに機動すらできない存在と成り果てる。
 ゆえに、部隊はホームベースたる尚敬高校脇のプレハブ校舎、そのさらに脇にしつらえられた仮設ハンガーに機体を運び込むや、総員で点検と整備に取りかかったのだ。
「あ〜あ、これさえなければラクチンなんだけどなあ……」
「ぶつくさ言ってんじゃないの、これでも楽になったほうなんだから。……なんだったら試作型の士魂号でも整備させてあげましょうか?」
 整備班長である原が苦笑交じりに、だが目が全然笑っていない状態で言った台詞を聞いた新井木は、ぺろりと舌を出すと、すばらしいスピードで駆け去っていってしまった。
「まったくもう……。さあ、急いで片付けちゃいましょう」
 ちなみに、試作型の士魂号は「一機整備するのに一個小隊が必要」と揶揄されるような存在だった。

「右腕部、神経伝達系統A二番、三番、五番、八番信号入力」
「チェック」
 速水は手元のコンソールでいくつかキー入力を行った。
 信号反応異状なし。
 整備にはパイロットも整備士も区別はない。というより、いくら人数を減らすことができたとはいえ、各機に配されている整備士自体が元から足りないのだから、ハンガー二階では速水と舞が三番機に取り付いて、自らのできる範囲のチェックを行っていた。
 舞がセンサーを読み上げ、速水が確認と調整を行っていくのだが、良くみると速水の手が時々宙をさまよっている。彼は戸惑ったような視線を舞に向けるのだが、舞はそんなことにまったく頓着せずに数値を読み上げていく。
「一二番、一三番よし、右腕部全神経系統異常なし。次、左腕部行くぞ」
「ちょ、ちょっと待ってよ、舞! 何でそんなに早いのさ?」
 ついに速水が音を上げると、舞は虚を衝かれたような表情を浮かべた。
「早いだと? 私がか?」
「そうだよ、さっきなんていつもの倍ぐらいのスピードだったよ? ちょっと待ってって言ってもとまらないし、そんなに焦るほどに損傷はひどくないと思うんだけどな……」
 速水の視線に、舞は不自然なほどに大きな咳を何回か繰り返すと、彼のほうに向き直った。
「まあ、なんだな。これも訓練のうちだ。緊急事態はいつ何時訪れないとも限らんからな、早くチェックができて悪いことはなかろう?」
「それはまあそうなんだけど……。でも、もう少しゆっくりやってよ。いくら早くチェックしても、調整を間違えちゃったら何にもならないよ」
「……それもそうだな。了解した」
 舞の言葉に安心したように、速水は小さく頷いた。
 ――舞の言うことにも一理あるんだけどね。
 一応反論してみせたものの、実のところそれほど苦情があったわけでもない。人間の適応能力は決して侮ることはできないのは良く分かっているつもりだった。
 ただし、無謀というほどの訓練というものには、提言があってしかるべきであろう。
 ――なんでも一生懸命なのはいいんだけど……。そこまでやらなきゃならないとも思えないんだけどなあ?
 速水はそう思わなくもないが、今は整備に集中すべきであろうと再びモニターに向き直った。

 結局、整備が終わるまでに、舞はあと二回ほど同じ注意を速水から受けることとなった。

   ***

 それでもなんだかんだと言いながら、舞の「訓練」の効果もあったものか、速水たちの整備は通常よりもはるかに早い時間で終了することができた。
もっとも、そのために速水は両手の指が腫れ上がりそうな速度でキーを叩き続けなければならなかったし、舞の声も気のせいか枯れ気味であった。
「お、終わったぁ……。うわ、もう手がプラプラだよ」
「うむ、ご苦労であっ……ごほっ、ごほっ!」
「ま、舞、大丈夫? やっぱり無茶だったんだよ。気をつけないとだめだよ。僕らは体力が資本なんだから……」
 速水の声に含まれる、彼女を案じる響きを感じ取ったものか、舞はかすかに目を細めたが、それはすぐにいつもの表情の裏に隠されてしまった。
「そう言うな。今回の経験はきっと役立つはずだ」
「まあ、いいけどね。じゃあさ、舞。せっかく早く終わったことだし、さっき言った定食屋にでも……」
 だが、気を取り直した速水の声に、なぜか舞はひどくうろたえた様子を見せた。
「あ、す、すまぬ。私はこれから非常によんどころない事情によって出かけなければならぬのだ。その、そなたにはすまぬが、その誘いは受けることはできぬ……」
 舞の声は、彼女の言葉に見る見るテンションが下がっていく速水に合わせるかのように、尻すぼみな、頼りないものになっていった。
「用事、あるの……?」
 目をかすかに潤ませて、速水がいささか上目遣いで見上げると、舞の心臓は時ならぬ全力疾走を開始した。
 ――あ、厚志っ! そ、そなたはずるいぞ、そ、そんな目で私を見るとは……。
「あ、うむ、そうだ。どうしても外せぬ、大事な用事なのだ」
「そう、なんだ……」
 今度は伏し目がちに、寂しげに呟く速水の姿は、まるで打ち捨てられた子犬そっくりであった。犬耳でも付いていたら、ぴったりと伏せられたであろうことは間違いない。
 その姿は舞の心に鋭い針をつきたてたが、それでも彼女の決心を翻させるには至らなかった。
「……そなたには誠にすまぬと思うが、すまぬがもう行かねばならぬ。きょ、今日はこれで失礼するっ!」
「あ、舞っ!?」
 速水が引き留める間もあらばこそ、舞はあっと言う間に身をひるがえすと、たちまちのうちにその場から駆け去っていってしまった。
「あ……」
 それでも速水は、なおも諦め切れぬように手を差し伸べたが、雲を霞と舞が消え去ったあとに残るは、わずかな土煙ばかりなり。
 彼はがっくりと頭をたれて、しばらくの間その場に立ち尽くしていたが、やがて頭を上げると、大きなため息と共に苦笑を浮かべた。
「……あーあ、この手なら絶対に引き止められると思ったんだけどなあ、失敗しちゃった」
 ……どうやら、確信犯のようだ。
 周囲にいた人間は、賢明なことに何も言わぬ。速水がこのような作戦に出たのは何も今回が初めてではないのだ。
「まあ、仕方ないや。これだけやってだめって事は、本当に大事な用事なんだろうし……。あまりしつこくやって、嫌われるのもいやだしね」
 まるで今まで程度なら何の問題もない、と思っていそうな口ぶりである。少なくとも彼の表情を見る限りでは間違いなかった。
 たいした自信である。
「まあいいや。おかげで早く終わったんだし、今日はマイたちの面倒でもみながら、次の作戦を考えようっと」
 マイとは、速水が飼っているアメリカンショートヘアーの雌である。今や子猫も生まれ、全くかわいい盛りであった。
 むろん、彼女の名付け親は速水である。
 初めて速水の家に遊びに行った舞がその事実を知った時には、主に恥ずかしさからまるで烈火の勢いで速水を問い詰めたものであるが、すぐさま現れた子猫たちに舞が「撃沈」されるまでにさして時間はかからなかった。
 その結果、今はまあ好意的黙認といった立場をかち得ているようである。
 速水自身が多忙なこともあり、普段は放任に近いところがあるが、やはり飼っていれば情もわく。たまにはみんなに囲まれて過ごすのも悪くないように思えてきた。
 あるいは、そう信じ込もうとした。
「さて、そうと決まれば早く帰ろうかな。でも……」
 家に向かいかけた速水の足がぴたりと止まる。彼は口元に手を当てながら眉を寄せ、小さな声でつぶやいた。
「舞の用事……。僕にも言えない大事な用事って、なんなんだろう?」
 先程までの笑顔は消えうせ、目はいささか剣呑な光をたたえ始めていた。
 それは、まぎれもない嫉妬の光であった。


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