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整備士哀歌(その1)


 兵站・補給は戦闘の要諦にして根幹なり。

   ***

 一九九九年三月からなし崩し的に勃発した第三次防衛戦。
 その主戦場となった九州においては、幻獣と人類との飽くなき戦いが今日も繰り広げられている。
 人類は生存のために。
 そして、幻獣は飽くなき殺戮のために。
 ひょっとしたら、幻獣には他の目的があるのではないかと唱える者もいないではなかったが、それを確かめられた者はいまだ誰もいない。
 だから人類は、己のもてる力をすべて注ぎ込み、妥協の存在しない戦場において敵が撤退するか、あるいは自らがしたたかに叩き潰されるかの救いのない消耗戦を強いられていた。
 現在戦いの舞台となっている九州中部・熊本戦線では、一〇万名近くの学徒動員兵、いわゆる学兵が次々と投入され、そのうちのかなりの部分は最初の戦いと最後の戦いを同時に体験している。
 その中で、奇跡的に現在まで戦死者を出さないどころか他に抜きん出る戦果を納めている部隊があった。
 生徒会連合第二師団(自衛軍名第一〇六乙師団)、第五連隊第一大隊第二中隊第一小隊。
 通称「五一二一小隊」である。
 最初は誰も期待していなかったがゆえに、誰もが期待しなかった兵器「士魂号」を半ば強奪に近い形で装備したこの部隊は、指揮官が比較的有能であった(現実を理解していた、と言い換えてもよい)こと、一部パイロットの技量が当初の予想をはるかに上回るものであったこと、なによりも多量の幸運に見舞われたこともあいまって、今では県内で押しも押されぬ精鋭部隊ということにされている。
 生徒会連合内やメディアの取り扱いには皮肉のひとつも飛ばしたいかれらではあったが、それでもいまだ仲間を失う事態に至っていないことについてだけは素直に喜んでいた。
 だが、たとえ周囲が誉めそやそうとも絶望的な事態に陥っている事柄は存在した。
 現在の戦況と、兵站線の崩壊である。

   ***

 熊本市内に位置する尚敬高校。
 その一角を間借りするように存在する第六二高等戦車学校――五一二一小隊のハンガーでは、今日も今日とて士魂号の整備に余念がなかった。
 とはいうものの、表面的には比較的きれいな士魂号であったが、それは表面装甲の自己修復機能(昆虫の外骨格を連想すると一番早いかもしれない)のおかげであり、中身はといえばいささか難儀なこととなっていた。
 それは、小隊随一の殊勲機である三番機も例外ではなかったのである。
「……まずいな、センサーの一部が反応しておらん。このままだと視覚に欠損が発生するぞ」
 チェック用のコンソールを覗き込んでいた舞は、手元のチェックリストと次々吐き出されてくるデータを交互に見比べながら、難しい顔を浮かべていた。
「欠損? どういうこと?」
 メンテナンスハッチに上半身を突っ込んでいた速水が、ひょこんという感じで顔を出す。
「ちょうど盲点ができてしまったようなものだな。厄介な事に、こいつは接続している本人には認識できん……。口で説明するよりも実際に見たほうが早いな。厚志、ちょっと『つないで』みろ」
「わかった」
 速水はコックピットにもぐりこみ、左手を神経接続ソケットに差し込むと、士魂号に『つない』だ。
 一瞬視界が暗くなり、その代わりにはるかに広範囲の映像――自分だけでは見えないはずの範囲まで――が眼前に広がっていく。
 一見したところ、これと言った異常はないように速水には思えた。
『準備はいいか?』
「いつでも」
『視線は動かさずにいろ。……始める』
 そう言うと舞は整備台から降り、士魂号の足元をゆっくりと歩いていく。
 速水は言われたとおりに視点を動かさずにその様子を眺めていたが、ある地点に舞がさしかかった時、彼女の姿がふっと消えてしまった。
「あっ!」
『どうだ、分かったか?』
「う、うん……。でも、直前まで正常に見えたのに」
 いささか信じられないと言った速水の口調に、舞はかすかなおかしみを感じて口元を緩めた。
『だから盲点のようだと言ったのだ。もういいぞ』
 速水がコックピットから出てくると、舞は笑みをしまいこんで難しい表情を浮かべたまま、士魂号を睨みつけていた。
「いかんな……」
 速水には舞の懸念が良く分かった。
 考えてみるといい。本来神経接続の映像には盲点は存在しない。それなのに偶然でも何でも、新たにできた盲点の中に敵が入り込んでしまった場合、反応が遅れてしまうかもしれない。そうなったら――
「で、これが一体どのくらいあるの?」
 舞が差し出したリストを見て速水は驚いた。
 士魂号の視界を模した範囲図には、大小あわせて一〇箇所近くの領域が赤く囲まれていたのだ。
「うわ、こりゃひどいね……。これじゃ盲点っていうよりは虫食いだよ」
「そうだな。ここまでくると、センサー系をそっくり交換したほうがいいのだろうが……あまり、期待はせんほうがいいだろうな」
「ああ、それはそうかもね……」
 速水たちは揃ってハンガーの反対側を眺め、顔を見合わせると小さく息をついた。
 そこでは整備士たちが別の士魂号に取り付いて四苦八苦している最中だったのだ。

 整備班は、久方ぶりに届いたコンテナの山を欣喜雀躍して出迎えたのだが、時間が経過するにつれてそれは慨嘆と諦観に取って代わられていった。
「なんですか、この人工筋肉は。壊死してるじゃないですか! ……くっ、これはまた、強烈な臭いですね」
「なんだァ? ナットの数が全然足りねぇじゃねえか! おまけにこのナットと来たら……。五角形のナットなんて使えるかよ!」
「ん、もうっ! この透析機、全然動かないじゃない。こんなのボクもうやだよー! 替えのフィルターもなんだかおかしいし……」
 整備士たちのぼやきはなおも続くが、内容は兵站の意味を理解できる者ならば、恐ろしいほどの意味をはらんでいた。
 数量の不足、品質維持能力の低下、そして品質そのものの劣化――。
 戦況がいささか押され気味なのはまあ仕方がないとして、それにともない軍の兵站線が徐々に崩壊してきているのが、ここにきて特に顕著な影響を見せ始めていたのだ。

   ***

 もともと生徒会連合の兵站線は、兵器や一部弾薬はともかくとして、その他の補給品や食糧・生活用品のほとんどを自衛軍のそれに完全に依存する格好になっている。
 そして、学兵は一般に正規軍より格下とみなされている関係もあってか(戦場においては立場が逆転しつつあるのだが)、どうしても補給自体も後回しにされてしまう傾向にあった。
 結果、学兵は徐々に主戦力として認識されるに至ったわりには、常に不十分な補給体勢の下での戦いを強いられるようになってきている。それで戦果だけはしっかり期待されるのだから、ひどい話ではあった。
「武士は食わねど高楊枝」などという言葉があるが、現代の侍たちは、ありとあらゆるものを消費し続けなければ戦うことすらできなくなってしまう。
 ことに、鋼鉄の侍たちにおいてをや。
 むしろこういうときに言うべきは「腹が減っては戦ができぬ」であろう。
 兵站・補給とは恐ろしいほどに重要な「戦闘行為」なのであり、軽んじる者には必ずや、相応のしっぺ返しが待ち受けているものなのだ。
 小隊整備班は別にそれを軽んじているわけではないのだが、それでもどうしようもないという状況は変わりはしない。
 八方ふさがりであった

   ***

 原は、周囲を見回しながらため息をついた。
 彼女の手元には、つい今しがた到着したばかりの補給品リストがある。リストの中に彼女たちが希望した品物は、全体の半分も入っていなかった。
 そして、どうにか届いた分の実態がいかなるものかについては――先ほどからの悲鳴が物語っている。
 どうやら彼女らは「新品」という言葉の定義をいささか変更しなければならないようだ。
「どうしようもないわね、これは」
「まったくもう……。自衛軍も、私たちに物資なしで戦えって言うんでしょうか?」
 傍らに立ち、いささか不満げ意見を漏らす森の表情を見て、原は思わず苦笑を浮かべる。彼女が先に怒り出すから自分は冷静でいられるようなものだ。
 ――まるで安全弁ね。
 しかし、「安全弁」が開きっぱなしでは危なくて仕方ないので、原は早速それを閉じにかかった。
「さあね、きっと私たちが魔法のポケットでも持っている、とでも勘違いしているんじゃないかしら? ……現在のストックはどう?」
 森は手元のボードにちらりと目を通すと、よどみなく答え始めた。例え文句は言っていても本来の業務で手は抜かないし、また、そうでなければ原の後輩はやっていられない。
「フル出撃があったと仮定した場合、あと一回ぐらいは全機C整備まで可能ですが、その後になると整備のグレードを落とさないと間に合いません。ですが……」
「?」
「一部の部品については、次回の整備から使用を制限した方がいいものもあります」
「そう……。で、どれ?」
「それが……」
 しぶしぶといった感じで差し出されたリストを見て、原のため息が大きくなった。
 リストには、あちこちに赤でチェックが入っている。ことに人工血管の欠乏量は目を覆いたくなるほどであった。
 士魂号は実質生体部品の塊といっていいシロモノであり、全身くまなく張り巡らされた人工血管が、隅々までエネルギーをいきわたらせている。
 それが、肝心の人工血管の使用が制限されるということは、直接性能に響いてくる可能性が高いのだ。
 電子部品における配線とある意味似た関係にもあるが、こちらのほうが数倍デリケートでもあるし、決して耐久性が高いともいえない。
 それでは、いくら他のハード面でC整備――分解整備を含む、最も大掛かりな整備――が出来たとしてもあまり意味はなかった。
 つまり森は、間接的に整備が危機的状況にあると進言していたに等しかったのだ。
「補給がこのありさまじゃ仕方ないわね……。で?」
 ――何か対案があるんでしょう?
 そういう意味をこめて原が視線を向けると、森は急になにやら非常に言いにくそうな表情を浮かべた。
 どちらかといえば言いたくはない、そんなニュアンスがありありとうかがえる。
「怒りはしないわ」
 意外なほどに優しく諭され、森は不承不承といった感じで自らの提案を口にした。
「その……。現在待機状態、あるいは廃棄予定にある機体を活用することはできます。すでにめぼしい機体のあたりもつけました」
「やっぱりね」
 実のところ、それは原も考慮してはいた。
 待機状態――つまり予備機か、あるいは修理のしようがないほどに破損した機体から使えそうな部品を外し、他の機体を維持する、と言っているのだ。
 これは俗に「共食い整備」と言われ、古今東西の軍隊、ことに戦況のよろしくない側の部隊維持の秘訣として、頻繁に使用されてきた。
 それだけこの方法が有効であることの証明でもあるが、同時に軍隊では兵站線ならびに部隊崩壊の第一歩として、決してお目にかかりたくないと忌み嫌われている。
 ことに整備士にしてみれば、今まで手に塩かけて維持してきた機体を自らの手で解体することになる。破損機から部品取りをするのはよくある話でも、今度はまだ使える機体から剥ぎ取ろうというのだから、それは面白かろうはずがない。
 森の口が固くなるのも、ある意味やむをえない話であった。
 それは原とて気分は同じであるが、同時にその方法が有効であることも認めないわけにはいかない。
 だから、原の口調は森を怯えさせない程度にはおだやかなものとなっていた。
「で、どの機体?」
「はい。先日大破した一番機――シリアル五〇二一一と、もう一機、シリアル五〇二五五を予定しています」
「五〇二五五? それって――」
「はい、昨日納入された予備機です。ですが……中枢制御機構のエラーがどうしても止まらず、このままでは各部の生体部品に壊死が発生する恐れが出てきたので……」
 原は思わず渋面を浮かべてしまった。
 中枢制御機構のエラーということは、恐らく生体脳に何らかのトラブルが発生しているということだ。いや、もしかしたら脳死状態になっているかもしれない。
 ――まったく、一旦調子が悪くなると、なにもかもおかしくなってくるわね。
 それですべてを放り出せれば楽かもしれないが、あいにくそうするには原は責任がありすぎたし、任務に精通しすぎてしまっていた。
「先輩?」
 森の提案を脳内で検討し、直ちに答えを出す。
「新品を部品取り、ね……」
「予備機にわざわざ手を入れるよりも、今の機体を維持するほうがよほど楽です」
 森のきっぱりした言葉に、原は笑みを浮かべた。
「まったくその通りね。いいわ、それで手配を進めて」
「はいっ」
 森が走り去っていくのを見ながら、原は整備台を見上げた。そこには速水たちの三番機が出撃の時を待っている。
 この機体は、戦力的には恐らく今が最高値を保持しているはずだったが、そこに至るまでの整備士たち、あるいは速水と舞の苦労というものは、それこそ人には言えぬほどの並々ならぬものがあった。
「本当に手がかかるんだからねえ、この子たちは」
 原は一瞬だけ苦笑を浮かべると、新たに手に入った予備部品の利用計画を練り始めた。

 現用機の列を通り過ぎると、やがて不自然な姿勢で固められている機体の列が見えてくる。予備機として送られてきた機体である。
 小隊規模にしては不似合いなほど――六機が開封されるその時を待っていた。もっとも、そのうちの一機はその時を迎えずして経歴に終止符が打たれてしまったわけだが。
「まったく、戦場でこの子たちがちょっと活躍したからって、チューンアップも済んでいない新品ばっかり送られてきても困るのよね。まあ、ないよりはいいんだけど……。どうせなら、部品の製造をもっと増やしてもらえないものかしらね、ほんとに……」
 なおもブツブツ言いながら、原は解体すべき機体の検分を始めたが、製造側の名誉のためにあえて弁護するならば、ここにこれだけの機体が集まっているのは、もとをただせば五一二一小隊の要請の結果でもあった。
 いったん製造中止になり、ラインさえ解体されかけていたものをもう一回復旧させるのは並大抵の苦労ではない。だが彼らは現地部隊、そして戦果に驚いた軍上層部の突き上げを受け止め、これに応え、なおかつ要求どおりの数を期日までに納入してみせたのだ。
 これで文句を言われては、製造側もたまったものではない。
 だが、兵器全般として見た場合には、彼女の文句は充分に理由のあることだった。

   ***

 兵器としてみた場合、士魂号はまったくの落第作である。
 その理由は色々あるが、敢えて大きく上げるなら二点ある。
 ひとつは、整備に多大な労力を必要とすること。
 初期型では軽整備ですら一機あたり一〇人は常に必要といわれ、一体何を整備するのかと整備士たちを呆れさせた煩雑さに、関係者は皆青くなったという。ちなみに他の装軌式戦車などでは、通常そのくらいの整備は乗員のみで行なうこととなっている。
 関係者の努力によりかなりの改善は図られたものの、それでも現在の一機あたり三人ではとても足りず、手が空けば他の機体を手伝うのは当たり前、時にはパイロットまで駆り出して人数を融通してようやく、というのは周知の通りである。
 そしてもうひとつは、手をかければかけるほどに能力が向上していくことであった。
 ちょっと考えると、これはいいことだと思うかもしれない。手をかければかけるほどに能力が向上するならば、敵に勝てる可能性が飛躍的に高まるではないか、と。
 だがそれは、現在の機体がまったく破損しないという前提でのみ有効な理論である。
 ゲームでもあるまいし、戦場に出れば損傷は避けられない。
 ましてや現在のようにいつ機体が全損になってもおかしくない状況では、この欠点は恐怖以外の何者でもない。
 万が一予備機に交代した場合、その機体は従前の能力をまったく発揮できないばかりでなく、同じ性能を取り戻すためには多大な労力が必要とされるからだ。
 兵器というものは、いつでも、どんな状況下において誰が扱っても一定の性能を発揮するのが最上とされている。
 仮に予備機に交換されても、その機体がただちに同じ性能を発揮できるのが「良い兵器」なのだ。
 つまりそれは安定性・確実性ということであり、兵士にとっては安心感を与え、指揮官にとっては戦力の把握がしやすいことを意味する。
 図らずも森が言った「今の機体を維持するほうがよほど楽」という言葉は、士魂号の性格を良く表しているといえる。
 士魂号は、安定性の対極にある兵器なのだ。

   ***

 それでも、どうにかこうにか整備にもストックにも目処がつき、皆が安堵の息をつき始めた頃、それは突然に襲いかかってきた。
 こういうときにやってくるのは大抵ろくでもない話に決まっており、その法則は今回も健在である。
「警報、警報! 幻獣警戒警報発令、幻獣警戒警報発令。各員は出撃準備と為せ……。訂正、幻獣警報発令! 二〇一V一、二〇一V一、各員は直ちに作業を中止し、出撃準備と為せ、繰り返す……」
 一瞬、誰の表情にも愕然としたものが浮かび――弾けた。
「出撃用意ーッ!!」
「全士魂号、クールよりホット! 各整備台電源ヨシ!」
「予備電源スタート! 人工血液注入開始ッ!」
 半ばやけくそじみた叫びとともに、怒涛の勢いで出撃準備が整えられていく。
 ――これでまた、どれだけ壊れるか。
 整備士たちは誰もがそれを思いつつ、それが口に出されることはついになかった。口に出せば、ひょっとしたら本当にそうなってしまうのではないかと誰もが危惧したからだ。
 三番機の仕上げにかかっていた速水たちも、諦めたように再び顔を見合わせる。
「……間に合わなかったね」
 速水の力ない笑みに、舞は一見冷静なままに頷いた。
「仕方あるまい。私が可能な限りサポートする」
「うん、よろしく。こっちもうまく視界を振り分けるよ」
 ふたりの顔に笑みが浮かんだが、言った方も言われた方もそれがどれだけ達成できるか自信があるわけではなかった。

 結果、小隊の部品不足はさらに進行した。


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