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ある授業風景 〜善行の基礎講座〜(その2)


 その日、プレハブ校舎にいた者のほとんどにとって、午前の授業終了を告げるチャイムはまるで天の福音のように聞こえていた。
「……もうこんな時間ですか」
 善行はいささか残念そうな声を上げたが、すぐに出席簿を閉じると皆を見回した。午前中の「猛攻」で、ほとんどの者は戦闘以上の疲労を感じているようだ。
 ――この後は、こんなものではすまないんですがね。
 口に出さずに呟くと、善行は出席簿を取り上げる。
「それでは、座学はここまでとします。昼休みは通常どおり。午後からは実技となりますので、各員ウォードレスを着用の上、授業開始時刻までにハンガーに集合するように」
「はぁーい……」
 あまりにもだらけきった返事に善行は思わず苦笑を浮かべたが、それもまあ無理のないものだと言わねばならぬ。
 それほどに彼の講義は膨大な量に及んでおり、同時に容赦がなかったのだ。
「では、解散」
 そう言うと善行はさっさと教壇から降り、姿を消した。
 同時に大きなため息があちこちで漏れる。
「ふい〜、効いたァ……。なんだか一年分のノーミソを使ったような気がするぜ」
 机にへたばりながら、滝川がうめくような声を上げた。そのまま放っておいたらとろけ出していきそうだ。
「なーに考えてるんだろうな、委員長ドノは……。こいつは午後も覚悟しておいたほうがいいだろうな」
 瀬戸口もいささか疲れを感じさせる声を上げながら、力なく背もたれに寄りかかったが、
「その通りだな」
 周囲を圧するようなはっきりとした断定に、思わず全員が顔を上げた。
「舞? その通りって?」
 代表するような形で速水が問うと、舞はふっと不敵な笑みを浮かべた。いつもなら皮肉と取るべきかも知れなかったが、あいにくと眼は真剣だ。
 そして手には、いつの間にか弁当が用意されている。
「覚悟をしておいたほうがいいということだ。……何だ厚志、気がつかなかったか? あやつは先ほど何と言っていたか思い出してみるがよい」
「え? 午後は実技だから、ウォードレス着用の上で授業開始までに……ああっ!?」
 速水は思わず叫び声を上げた。今自分が言った言葉の中にとんでもないことが含まれているのに気がついたのだ。
 善行は「ウォードレス着用」で「授業開始までに」集合するように、と確かに言った。
 そして、ウォードレスの着用にはかなりの時間がかかるのは常識以前の問題である。
 ようやく事態を理解したのか、クラスの大半の表情がいささか蒼ざめていた。
「分かったか? 時間はないぞ」
 舞の言葉が終わるか終わらないうちに、誰もが脱兎のごとく部屋を駆け出していた。少なくとも栄養だけは摂取しておかなければ、この調子でやられたら体が持つわけはない。
 たちまちに部屋は空っぽになってしまった。
「ふむ、ののみは瀬戸口が連れて行ったか……。厚志、面倒だ。昼食はここで済ませるぞ」
「う、うん……」
 慌てて弁当を取り出す速水に軽く目をやると、舞は弁当をまるで親の仇のようにかき込み始めた。

 その日の昼食は、ほとんどの者が味など分からなかった。

   ***

 午後のチャイムが鳴るほんの少し前、ようやくのことでウォードレスの装着を完了した一組の一同は、ハンガーへの移動を開始していた。
「でも、なんでハンガーなんでしょう?」
 壬生屋が純粋な疑問を口にする。
 通常校内での訓練といえばシミュレーターが中心であるから、それなら女子高の特設教室を借りるのが普通だったからだ。実機を使っての機動訓練もないではないが、それには少々グラウンドは狭すぎる。
 ――まさか。
 壬生屋はふとあることを思い出した。以前、特設教室がまだ使えなかった頃の訓練法を思い出したのだ。
「でも、まさか……」
「未央、どうした?」
 舞に声をかけられて、壬生屋は初めて自分が声に出していたことに気がついたらしい。
「いっ、いえっ、何でもありません!」
 顔を赤くしながら返答する壬生屋に怪訝そうな表情を向けた者はいたが、誰もそれ以上深く追求しようとはしなかった。
 誰もが、同じ疑問に頭を悩ませていたのだ。
「総員、集合ッ!」
 突然、割れ鐘のような声が全員の耳朶を打った。見れば、ハンガー前に善行と、一足先に出ていたらしい若宮が待ち構えている。
 ドリル・インストラクター(訓練教官)でもある若宮の指示に従わないのは愚か者だけである。彼らは急ぎ駆け足で走り寄ると、数秒で整列を完了した。
「司令、全員集合いたしました」
「よろしい。……それではこれから午後の訓練に入ります。訓練は主にシミュレータを中心として行います」
 そこで善行は言葉を切った。
「……ただし、使う機体は本物ですがね」
 ――やっぱり。
 壬生屋はひそかにひとりごちた。
 まだ女子高のシミュレータが使えなかった頃、彼女らは士魂号に各種装置を直結して訓練を行ったことがあった。ただ、あまりに手間がかかるということで、手軽にシミュレータが使用できるようになってからあとは行われていなかった。
 ――どうして、今さらそんなことを?
 程なく彼女たちはその答えを知ることになる。

「こ、これは……?」
 彼らの困惑は極限に達したと言ってよかった。
 士魂号はいつもと変わらぬように整備台に固縛されていたが、その機体からは数十本ものケーブルがあちこちから、だが整然と生えていた。
 それらのケーブルは数本ずつの束にされて中継器らしきボックスに繋がれており、そこからさらに太いケーブルとなって中央に設置された大型のコンソールに繋がっている。
 そこまでなら以前使っていた装置と大して違いはないが、コンソールからさらに一部分割されたケーブルをたどっていくと、そこにはまるで航空機のコックピットをそのまま持ってきたようなシートが置かれており、ケーブルはそのあちこちと接続されているではないか。
 シートは両手首・足首・胸部・腰部などで身体を固定できるようになっており、頭部には大型の磁気入力式ヘルメットが設置されている。御丁寧に左手の先には神経接続ユニットまで用意されていた。
「これはまた懐かしいものが……。歩兵用のバーチャルシミュレータじゃないか」
 若宮が興味深げな声をあげた。彼はこのシミュレータで嫌というほど鍛え上げられた経験がある。
 ――もっとも、これで教え込まれた情報なぞ、大して役には立たなかったがな。
 若宮の顔にかすかに苦いものが浮かんだが、それはすぐに笑顔の裏に消えてしまった。
 このシミュレーターの「効能」は、それこそ善行もいやというほど知っている。その彼があえて使うからには何か意味があるのだろう。
 シートはふたつ用意されていた。スカウトのために用意されたのは明白である。
 その隣には整備士のために用意されたらしい簡易神経接続ユニットとアイピースがずらりと並んでいる。
 他にもケーブルは外へと伸び、ハンガー前に停車していた指揮車のメンテナンスハッチと接続していた。更に一部は整備士用のコンソールと直結している。
 更にグラウンドへ目を転じれば、明らかに用途廃止で放棄されたはずの士魂号が数機放置――いや、意図的に設置されており、その周囲にもセンサーや各種機器が用意されていた。
 いうなれば、五一二一小隊は電子的な戦場を手に入れたも同然であったのだ。
 ――なるほどな。これでは無理もない。
 舞はひそかに状況を確認してひとり頷いた。女子高のシミュレータではここまで統合しての訓練は行なえないし、一旦改造すれば容易には元に戻せない。それならここで一から組み上げてしまうほうがよほど合理的であった。
 そういえば、ここ数日やたら電子部品の搬入が多かったが、どうやらそれがこれらしい。
「あら委員長、遅かったのね」
 すでにウォードレス姿でてきぱきと指示を下していた原が振り向くと、いささかからかうような口調で言った。
「少し熱弁をふるいすぎましてね……。こちらの準備はもういいようですね」
 善行はざっと周囲を見回すと、小さく頷いた。周囲では整備士たちがこれまたウォードレス姿で配線や機器の設置を行っていた。
 彼らの表情から、こちらでは早々に「実技」に入っていたらしいと想像できた。
「ええ、いつでも始められるわ」
 と、そこで原はすっと声を潜める。
「……本当にこの内容でやるの?」
「実際には何が起こるか、予測なんてできませんからね」
 善行は生真面目な表情で答える。
 目だけが何かを語っており、原はそれを見て小さく頷くと同時ににやりと笑みを浮かべた。
「そのとおりね。……でも、これだとあなた、ちょっと悪乗りもしてるんじゃないの?」
「……違いないですね」
 善行の顔に苦笑が浮かんだ。

   ***

「それでは、これより訓練を開始します。見てのとおり本日の訓練はシミュレーターを中心として行いますが、いつものパイロットだけではなく、スカウト、オペレーター、そして整備士の諸君にも参加してもらいます」
 善行は全員を見渡す。
「パイロットは全員士魂号に搭乗の上、仮想戦場での実戦訓練を行います。機体は固縛されたままですが、G(重力)を再現するため、多少動作が可能になっています。間違ってもロックは外さないように」
 速水たちが一斉に頷く。こんなところで士魂号が飛び回ったらどうなるか――想像したくもなかった。
「スカウトはバーチャルシミュレータで同一戦場に参加します。身体は動かせませんが、神経接続で同化しますから、まあ問題はないでしょう」
 若宮がほう、というように善行を見た。神経接続による同化の場合、仮想戦場では実際に移動したように感じられるし、心身の疲労は(ある意味錯覚ではあるのだが)実際のものにかなり近くなる。言い換えればそれは、「ただ遊ばせるわけではない」という宣言だった。
「今言った通り、指揮車並びに整備班もそれぞれの配置でシミュレーションに参加します。統括指揮は指揮車から私が行い、整備班は整備班長の指揮下で補修並びに回収訓練を行います。その際にはシミュレータにおける士魂号の破損程度を基準とし、訓練結果をシミュレータに反映させます」
 誰もがこれはかなり大掛かりな訓練だと思ったが、驚きはそれだけではなかった。
「ああ、あと整備班は、訓練状況に応じて神経接続による仮想戦場への参加を命じる場合がありますので、その点に留意しておくように」
 整備士の間にざわめきが走る。
 実体験による補修訓練を行うのに、更に神経接続による「実戦」への参加が必要な状況とは――戦場における現地回収、または整備士の戦闘参加ではないだろうか。そんな予感が彼らの胸を掠めたのだ。
 誰もがいささか不安そうに原を見たが、彼女は微動だにしていない。予め説明を受けていたことは明白だった。
 事ここに至り、彼らは善行と原の決断の深さを思い知った。
「何か質問は?」
 しばしの間、しん、とした雰囲気が場を支配していたが、やがて一本の手がおそるおそると上げられた。
「壬生屋さん」
「は、はい。……質問ですが、もし士魂号が撃破されたらシミュレーションはそこで終わりですか?」
「いえ、脱出訓練と撤退も同時に行ってもらいます。それに今回は予備機があるという設定ですので、再出撃も可能です」
「本当ですか?」
 驚くのも無理はない。普通の戦闘で予備機まで持っていくなどということは普通ありえないのだ。
「なんか、まるでゲームみてぇだよなあ……」
 などと、滝川は場違いに暢気な意見を吐いているが、その彼にしてからが緊張に少し声が震えている。
 がっくりと肩を落としているのは、どう間違っても当分の間「状況終了」の声がかかることはない、ということに気がついたからだろう。
 空気がぴん、と張り詰める。
「それでは、訓練を開始します……。総員、配置につけ!」
 それまでとはまったく違う朗々たる声に、全員が敬礼もそこそこに、はじかれるように持ち場に散らばっていった。
「シミュレータ起動」
「プログラム、現在ローディング中。自己診断モードスタート……異常なし」
「信号ゲイン、一番から三番グリーン。全士魂号、接続を確認。四番五番異常なし……。八番反応なし、チェック?」
「チェック。再接続完了」
「地形データならびにユニットデータ入力完了」
「仮想戦場、用意ヨシ」
 最後の報告と同時に、原はシミュレータ管理用コンソールのマイクを取り上げた。
「司令、シミュレータ全スタンバイを確認。起動用意ヨシ」
『了解、起動タイミングは任せます』
「了解……。総員に告ぐ、これより訓練を開始する。神経接続開始」
 手元のモニターに次々と緑のシンボルが点灯していく。最後のひとつを確認したところで原は赤いボタンを押し込んだ。
 同時に画面は仮想戦場を映し出す。
「状況開始」
 
 後に、「小隊殲滅戦」と呼ばれたこの訓練は、こうして始まったのだった。

   ***

『……全士魂号、クールよりホット! 戦場到着を確認』
 薄暗いコックピットの中に、瀬戸口の声だけがこだました。
 つまりは、全機が無事シミュレータへのアクセスを完了したということだ。
 舞はゆっくりと目を開き、周囲を確認する。コックピット内に特に異常は見受けられなかった。
「厚志?」
 彼女が前席にそっと声をかけると、小さないらえがあった。
「こっちも異常なし。いつでもいいよ」
「了解した」
 やがて、それまで薄い青としか認識できなかった世界に変わって、神経接続によって広がった視界に、徐々に映像が広がっていく。
 実際には各種データを元にした3D映像だが、実際に見ている者には本物と見まがうほどの精巧さだ。
 そして画面に現れたのは――。
 幅広い堀、高く組まれた石垣、そして、後方はるかには天守閣が悠然と聳え立っている。
 レプリカとはいえ熊本の誇る名城、熊本城であった。
 舞の眉がぴくりと動く。
「へえ……」
 速水は小さく呟いたきり何も言わぬが、舞には神経接続の感じから困惑しているわけでないことは分かった。
 むしろ、楽しんでいるかのようだ。
 ――こやつめ。
 彼女がかすかに口元をほころばせた時、レシーバーにはしっかりと困惑した声が入る。
『なんだよここは? 今までこんな所に来た事なかったよな? ましてや戦闘なんてよ……』
 滝川だった。
「何を言っている。今までやったことがないからこそ訓練になるのではないか。……各機、状況を知らせ」
『こちら一番機、壬生屋。異常ありません』
『に、二番機滝川、異常なし!』
「よし。……指揮車、こちらは舞だ。全士魂号異常なし、行動可能、戦闘可能。指示を請う」
「状況確認、状況確認。幻獣数部隊が北部より侵攻を開始。各機はただちに迎撃体勢をとり、敵を撃滅せよ。本戦場における友軍部隊のデータを転送する」
 士魂号のモニター――速水たちには視界の隅に映っているように見える――に味方部隊の配置状況が見える。友軍を示す青い矢印が次々とモニターに広がっていった。
「自衛軍!?」
 ちょうど五一二一小隊を底に見立てれば、その両脇にその他学兵部隊が展開している。
 これはまあいいのだが、更にその外側には陸上自衛軍がなけなしの兵力を総動員して待機していたのだ。
「6D、42IR。……第六師団第四二歩兵連隊のほぼ全力ではないか。随分と奢ったものだな」
「両脇固めは万全、か。相当気合いが入っているね」
「そうだな。……ところで厚志。これを見て何か思わぬか?」
「……多分、舞と同じことを」
 それを聞いて、舞は本物の笑みを浮かべた。


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