ラスト・ディッチ(終話)
「厚志よ、そなたは己の命が消えてもなお、士魂号を動かし続けた。そなたの技量と気力のおかげで、私は今戦い続けることができている。……見事だったぞ、厚志」
声は、かすかに震えていた。既に聞くこともない者に対して、呟くように告げた。
後に三番機のモニターを確認した結果、速水の心臓は被弾から二分以内に完全に停止していたことが判明した。だが驚くことに、かれはそれから一〇分近く士魂号を操り続け、戦線を離脱させていたのだ。
何のために彼がそうしたのか、見誤る者はいなかった。
「……私は芝村だ。そして芝村にとっては戦場こそ最も心安らぐ故郷。そして――そなたもいる」
舞の口元に微かな笑みが浮かんだ。
「厚志よ。私を狂ったなどとは思わないでもらおう。自棄になったわけでもない。動ける者が戦う。自然の理だ。それに、私の志は確かに蒔かれた。いや、そなたが蒔いてくれたのだ、あの小隊にな。……今日は、六月の、二日だったか? あやつらは無事に海を渡ることができたのだろうか?」
今の舞にはそれすら知るすべもない。長距離通信網などとうに崩壊し、わずかに近距離無線が微かに音をたてているが、意味のありそうな信号を拾うことはできなかった。
それでも一〇日ほど前までは、熊本市内にあるラジオ局が、崩壊しかけていた軍の通信網の代わりに情報を流したりもしていたが、今はそれも聞こえなかった。
「まあ、よい……」
――何かひとつぐらいは、よいことを信じてもかまうまい。
舞は、そう思っていた。と同時に、あまりにも芝村らしからぬその考えが無性におかしくもある。
舞は、誰もいない前席に目を向けると、そっと呟いた。
「そなたのせいだぞ、そなたのぽややんがうつったのかもしれんな……」
前席から聞こえてくるのは、沈黙だけであった。
***
「速水君をここに埋葬しろ、とあなたは言うのですか?」
善行の眉が、かすかに上がった。
速水の死亡が確認された日の夜、戦場から程遠からぬ地点で野営をしていたのだが、今後の行動方針について検討を行っていたときに、不意に舞がそう言い出したのだ。
「そうだ。我が小隊は甚大な損害をこうむった。そんな時に余計な荷物を運んでいく余裕はなかろう」
自らの恋人に対するものとしてはあまりな言いように何人かは激昂しかけたが、彼女の瞳を見たものは沈黙せざるを得なかった。
そこには、冷酷とは対極にある何かが浮かんでいたのだ。
ともかく議論が再開し、後方への移動を開始するという点で話がまとまりかけた時、舞はさらに驚くことを言った。
「私は、三番機と共にここに残る」
むろん、小隊のメンバーはこぞって反対した。
部隊の要たる三番機は事実上喪失したに等しい。それに他の二機もいったんは脱出に成功したが、結局その後の戦闘で相次いで大破し、小隊は戦闘能力をまったく失ったに等しかった。このような状況でここで戦闘を継続する意味はまったくない。
司令部の下した命令は「学兵の残存部隊は戦力ある限り現地点にとどまり、持久を図り遅滞防御せしむべし」であった。これは同時に、戦力を失った場合は後退が可能であるという解釈の余地を残している。少なくともそう上層部に言い訳する大義名分は十分にあったのだから、なおのことだった。
中には舞が悲しみのあまりに狂ってしまったのではないかとすら思ったものもいたらしい。
だが、舞はその懸念を明確に否定した。
ここを押さえている限り、幻獣の進行は著しく遅延することは間違いない。だが、全戦力がここに残るのもまた無意味であった。残った者たちには負傷者も多くおり、ここにいても役には立たない。舞はそうはっきり言ったのである。
「……だが後退し、多少なりとも時間を稼げれば傷ついた者も再起は可能だ。そうであればまだ色々とできることもあろう。……ここはふたりで十分だ」
舞はあえて「ふたり」と言い切った。
周囲に沈黙が落ちる。善行は中指で眼鏡を押し上げると、感情を交えない声で言った。
「この戦争は、恐らく負けです。それでもですか?」
舞は善行をはったと睨みつけた。そこには紛れもない意志の光があることを、全員が否応なく理解した。
「負け? 負けとは全てを失ったことを言う。少なくとも私と……厚志がここにいる限りまだ負けてはいない、私はまだ負けなど認めない!」
「……そうですか。あなたはここでなすべきことを見つけた、そう言いたいのですね?」
「その通りだ、善行司令。それを命令違反だというのなら、私を今この場で銃殺するがよい」
「分かりました」
善行は腰の拳銃をすばやく抜くと、誰も何もできないうちに銃弾を二発発射した。
弾丸は舞の両脇を掠めるように通過すると、あらぬ方に着弾する。
「……芝村舞千翼長は、命令違反ならびに脱走を企てたため、上官判断により射殺した。記録上はそうなります」
「了解した」
全員があっけにとられる中、善行はむしろ笑顔を浮かべながらそう言った。例えその笑顔が歯を剥き出しにした、限りなく痛々しいものであったにしても、彼は笑い続けようと決めていたのだ。
次の瞬間、乾いた音があたりに響く。舞は驚いた表中を浮かべ、張られた頬に手を当てた。
痛くはない。
「あなたも、意外と莫迦だったんですね」
「さてな。……厚志のぽややんが移ったのかも知れぬ」
「そうかもしれませんね。……あなたがこれからなそうとしていることは、あなたにとってかけがえのないものなのですね?」
「その通りだ」
「ならば、私ごときに何が言える。そういうことになるでしょうね」
善行は、一語一語を区切るように言った。
「物資の一部はここに残していきます。あと、あの士魂号は可能な限り整備を行っておきます。ただし、移動はもう不可能でしょう」
舞は小さく頷いた。
善行は舞の肩に手を置くと、ささやくように言った。
「決して、無茶はしないように。この周辺に残存する部隊には、あなたのことは伝えておきます。覚えておきなさい。我々は軍人ですが、決死はあっても、必死はないのですよ」
善行の声に明らかな感情が込められていることに気がついた舞は小さな驚きの表情を浮かべたが、すぐにそれは消え去ってしまった。
「……覚えておこう」
最後に善行は、彼としては意外な質問をした。
「なぜ速水君をここに?」
「それをそなたが聞くのか?」
善行と舞、速水について何事かを知るふたりは、それ以上何も言うことはなかった。
その瞬間から、小隊は蜂の巣をつついたような騒ぎとなった。動ける者は皆総動員でたった一機の士魂号に取り付き、装甲版を外し、ありったけの人工筋肉を入れ替え、電子装備をチェックした。まったく反応しなくなってしまった神経接続系の代わりに、緊急操作用の手動操縦系が用意され、全ての操作が舞の手元でできるように変更された。
整備が終わった三番機は、クレーンで吊り上げられた上で姿勢を整えられ、クラウチングスタートに似た姿勢ですえつけられ、固定された。
武装も整えられた。難を逃れた装備のうち、銃器は全て三番機の手の届くところに整えられ、弾薬もまた同様にされた。全てにカバーがかけられ、厳重に梱包される。
誰もが無言であったが、その中で森だけがたった一言こう呟いたという。
「みんな、変よ。私たちは生きて帰ってきてもらいたいから整備をするはずなのに、これじゃまるで、芝村さんの棺桶を用意するみたいじゃない……」
だが、彼女も整備の手を止めようとは思わなかった。
翌朝までに、全ての準備は完了した。
不要装備の全てを捨て、指揮車と空になった補給車、そしてトレーラーは、車列を形成しながらゆっくりと移動を開始した。トレーラーのうち一台には負傷者が寝かされていたが、彼らも可能な限りで遠ざかっていく士魂号を見つめている。
車列が一斉にクラクションを鳴らすと、皆が一斉に敬礼を行った。遥か彼方、士魂号の上では、完全武装に身を固めた舞が、たった一人友軍に対して見事な敬礼を返していた。
彼らは互いに、お互いの姿が見えなくなるまで敬礼を続けていたという。
***
舞はうっすらと目をあけると、のろのろと周囲を見回した。いつの間にか少しまどろんでいたらしい。太陽が先程より少し傾いている。
舞は苦笑を浮かべると軽く首を振り、胸元に手を伸ばす。
小さな音と共に、ウォードレスに生命が吹き込まれた。ドレスは不平のきしみを上げながらも、持ち主の意に添うべく活動を再開した。
士魂号と同じく、ふだんなら数時間程度しか活動できないウォードレスだが、予備のペーストを大量に置いていってもらったのと、待機をしている間は機能を最低限に落とすことでどうにか永らえて来ていた。それでも、筋肉のいくらかは壊死をおこしかけており、完全な働きは期待できない。
これほどまでに長時間装着しっぱなしでは、皮膚のかゆみなどは耐え切れないものになるはずだったが、消えることのない疲労と、これはどうかと思われるほどの汚れがそれを感じさせていなかった。
舞は、可能な限りウォードレスに負担をかけないよう、ゆっくりと足を踏み出した。わずかに音がして、ドレスの股間のあたりから何色とも形容し難いような液体が染み出し、床に小さな染みをつくる。もっとも、床自体が汚れきっていたので、すぐに目立たなくなってしまったが。
舞とても人間であり、であるからには人間としての生理的欲求と無縁ではいられない。そのような事態に備えてウォードレスにはトイレパックが装着されているが、そのようなものはとうの昔に機能を失っていた。
異臭の原因は前席だけではないのである。
「これでも私は、女であるはずなのだがな……」
苦笑とも諦観ともつかないような口調で舞は呟いたが、足取りは全く変わらない。
恥じらいなどという余計なことにエネルギーを使う余裕はすでになかった。
***
小隊のメンバーは、撤退する時に士魂号用の全ての弾薬を置いていった。
それらは三番機が利用しやすいようにと手の届く範囲に整然と並べられていたが、数度にわたる戦闘でその一部が散逸してしまっていたのだ。
舞は、どうにか無事だが空になった九二ミリライフルのマガジンを引き起こすと、周辺に散らばっていた九二ミリ弾を一発ずつ集め始めた。
保護のカバーを引き剥がされ、雨にすら叩かれたものも多かったので、弾薬の中には薬莢の表面に錆が浮いているようなものもあった。
「腐れ弾のようなものだからな、仕方が、ないか……」
不良品を弾き出し、合格したものの中からさらに必要弾数を選び出し、薬莢込みで二〇キロ以上はある弾丸を抱え上げる。その姿は疲労を勘案しても、ウォードレスを着用している者としては異様なほどに弱々しく見えた。
渾身の力を込めて押し込むと、鈍い金属音がして、弾丸が弾倉にはまり込んだ。
弾倉を引きずるようにして、士魂号の手が持てる位置まで運び終えると、ひどいめまいを覚えた。
「ふ、これくらいでへたばるとは情けない……」
少しこけた頬に苦笑を浮かべると、舞は作業を再開した。
それを、やや離れた地点から眺める目があった。
ぱっと見たところでは自衛軍か、義勇軍あたりの兵士に見えないこともなかったが、彼らが士魂号を見る目は、どう贔屓目に見ても友軍に対するもののそれとは明らかに異なっていた。
やがて、そのうちのひとりがその場を離れ、走り始めた。程なくして数人の集団が集まっている場所に到着すると、何事かを報告し始めた。
「ご苦労、引き続き状況を見張れ」
「はっ」
集団のうち、明らかにリーダー格であることが分かる男は、細い面に思案の色を浮かべた後、周囲をぐるりと見回した。
周囲の男たちは集中している、大丈夫だ。
「……では、作戦内容を確認する。俺たちの攻撃目標は、この街道を抑える敵の人型戦車だ。特に、パイロットと思しき人物を集中的に攻撃する」
「友軍は、今まで攻撃しなかったんですか?」
彼は「友軍」という言葉をまるで出来の悪い冗談であるかのように吐き捨てた。
「やったさ、何回もな。それで無理だってんで、俺たちにお鉢が回ってきたって訳さ」
一機対無数。本来なら勝負になるはずもなかったのだが、舞はそれをある方法で補った。仮説ではあったが、幻獣の中にも何らかの指揮系統が存在することが以前から囁かれていたが、舞は指揮官たりえそうな中型幻獣だけを集中的に狙って、これを撃破してきたのだ。万が一違ったとしても、中型幻獣を撃破すれば、幻獣が後退する可能性は飛躍的に高くなる。結果は、いまだ舞が踏ん張っていられることからも一目瞭然であろう。
「やれて当たり前、やれなきゃ……考えたくもないですな」
誰の顔にも苦い表情が浮かぶ。リーダーは苦笑しながらもきっぱりといった。
「仕方あるまい。第五世代である俺たちに、他の生き方なんてものは残っていないのさ。……質問は?」
返事はない。
「かかれ」
男たちは表情を改めると、文字通り影のように姿を消した。
第五世代。あまりに極端なまでの同調能力を持つがゆえに、人類から幻獣に寝返った裏切り者。
一般的に人類側からは蛇蠍に等しい扱いを受けている第五世代であるが、では人類を裏切って幸せになれたかというと、必ずしもそうはいかなかったようだ。幻獣の中枢部――人類側からは窺い知ることの出来ない指揮系統の上層部――にくい込んだり、参謀格として登用された者もいるが、たいした能力を持たない大半の者が投入されるのは常に最前線、あるいは人類側領域の奥深くであり、損害率は決して低いものではない。人間の姿と幻獣の能力を持つが故、神出鬼没のゲリラに等しい戦いを期待されている、と人類側では理解されているが、幻獣側にしても彼らは胡散臭い存在としてしかみなされていないのかもしれなかった。
それでも彼らに否はない。既に彼らに帰るべきところは人類側には存在しないのだから。
程なくして、特殊部隊の一団は士魂号を包囲する位置への展開を終えた。
「……まあ、やってみるさ。連中の鼻を明かすのも悪くはないしな」
リーダーはそっと手を上げると、一気に振り下ろした。
***
むろん、舞とて油断をしていたわけではなかった。作業の間も周囲の注意は怠りなかったが、それを支援すべき電子機器は大半が使用不可能になっていた。
だから、全ての作業が完了した瞬間に受けた一斉射撃を、舞は全ては避けきることができなかった。
「!!」
腕に鈍い痛みが走る。見れば、ウォードレスの装甲が一部はげかけていた。
「敵か!」
いささか緩慢な動作ながらも、舞は傍らに立てかけてあったアサルトライフルを引っつかむと、わずかに見える発砲炎に向かって応射を行うが、すぐに他からも反撃を受け、物陰に隠れざるをえなかった。
荒い息を整えつつ、舞は背後を振り返る。ハッチは比較的近くにあったが、それに取り付くためには敵の射線をもろに横切らなければならない。
――だが、このままではいずれやられる。
舞はしばし何事かを考えた後、アサルトライフルを放り出すと、ウォードレスの倍力機構を最大限にセットした。もしかすればこれでウォードレスはいかれてしまうかもしれないが、その可能性はあえて無視する。慎重にタイミングを測っていると、瞬間、銃火がやんだ。
――いまだ!
舞は大きく身をかがめると、ハッチに向かってジャンプを敢行したが、同時に足の人工筋肉がちぎれる、鈍い、嫌な音が聞こえた。
「ぐっ……!!」
まるで焼け火箸でも突きたてられたような痛みと衝撃が右脇腹に走り、あっという間に全身に広まった。舞は空中でバランスを崩したが、目の前に見えたハッチの手すりに全身を叩きつけるようにして取り付いた。
「ぐああっ!!」
再び痛みが体を突き抜けるが、歯を食いしばって耐え抜くと、舞はどうにかコックピットに入り込むことに成功した。
荒い息をつきつつ、のろのろとガンナー席につく。湿った音と共に、赤い雫が周囲に跳ね飛んだ。
「再起動、開始……」
コマンドを入力すると、それまで残骸と見まがうほどに傷つき、汚れ、あちこちにへこみや破孔の見える士魂号がいきなり生気を吹き込まれたかのように左腕を持ち上げ、弾倉をつかんだ。これもだらりと垂れ下がっていた右腕が微かにきしみながら九二ミリライフルを持ち上げる。
両の腕は予め定められた動作に基づき、鈍い音と共に弾倉をはめ込み、その銃身をぴたりと敵に向けた。
異変に気がついたのはリーダーだった。彼は顔色を変えると周囲に叫ぶ。
「い、いかんっ! 退避……!」
「遅いっ!」
一声叫ぶや、舞はトリガーを握り締めた。
だが、ライフルを発射する直前、舞は更なる驚きに包まれることになる。不意に後方から一〇数本の光の筋が飛び込んできたかと思うと、士魂号の周囲に着弾。今の今まで周辺に展開していた男たちをきれいに吹き飛ばしてしまったのだ。
「なんだと!?」
さらに中型幻獣に対する攻撃。今までとは比べ物にならない強力な一撃が士魂号を襲う。
幻獣は――幻獣そのものか、第五世代の参謀が考えたのかは知らないが――、第五世代の特殊部隊すら囮にして舞を、士魂号を抹殺しようとたくらんだようだ。
「ぐっ!!」
内臓をつかまれて激しく揺さぶられるような衝撃に、舞の意識は危うくかき消されそうになった。体がシートに激しくたたきつけられ、反動で飛び出しかけたところをハーネスが容赦なく締め上げる。
さらに数度装甲板が激しく叩かれるが、舞はがっくりと首を垂れたまま動こうとはしない。
反撃がなくなったとみた幻獣は。まるで凱歌をあげるがごとくに進撃速度を上げる。もう間もなくスキュラのレーザーが三番機を射程に収めようとしていた。スキュラのレーザー発振子が赤く輝き始め、それはだんだんと強さを増していく。
まさに光の奔流があふれ出そうとした瞬間、スキュラが大きくバランスを崩した。レーザーはあらぬ方へと流れて行く。
『そこの士魂号、大丈夫か!? こちら独立第一三独立大隊第二中隊、貴機を援護する。今のうちだ、見たところ移動ができなさそうだが、逃げるなり何なりさっさとしろ!』
後方から援軍が到着。自ら志願して山中にてゲリラと化していた部隊のようだ。
「独立部隊……? こんな所で、何をしている?」
『そりゃご挨拶だな……。この付近で活動中に、民間人の生き残りを発見したんだ。そいつらを連れて後退中に、偶然あんたの戦闘に出くわして……』
不意に、舞の全身に力が漲った。
「待て、民間人を連れているのか?」
『あ、ああ。だから、なんとか後方まで届けてやろうと思ってな。この辺の味方はあまり残っちゃいない。あんたも引くなら今のうちだぞ?』
舞は、相手の言葉から自らにとって重要な部分だけを抜き出し、ほんの瞬間検討した後に尋ねた。
「後方……。まだ連絡路が残っているのか?」
『正直可能性は高くないが、熊本空港まで行けば……。滑走路はだめだが、陸自と生徒会連合のヘリが、まだ連絡輸送をやってる。それに陸路も』
「分かった。そなたらは後退を急げ。私は……ここで戦闘を継続する」
『待て、そんな無茶な! 分かってんのか? もう周囲には味方なんてほとんどいないんだぞ!』
「承知している。だが我らは醜い楯だ。寄る辺ない無辜の民間人にさしかけられた楯。私はその義務を果たそうとしているに過ぎん」
『莫迦野郎! そんなことを言われて、俺たちだけおめおめと逃げられるかよ!?』
「たわけ、何を寝言を言っている? そなたらには民間人を送り届けるという義務があろう。それぞれが為すべきことを為すのだ」
スピーカーが沈黙する。
鈍い痛みと同時に、ひどくめまいを感じた。舞がわき腹に手をやると、ぬるりとした感触とともに手が赤く濡れた。
照準内に敵、発砲、振動、そして出血。
「ともかく、そういうことだ。そなたらはそなたらで為すべきことを為せ。私には私が為すべきことがある」
『……了解した。我が隊はこれより後退する。いいな?』
「承知した。幸運を祈る」
『そっちこそな。すぐ戻ってくるからな!』
「たわけ!! 下手な慰めなどいらんわ! できぬかも知れぬ約束をされて、なまじ希望をもった者が、その約束を守れなかった時、どう思うか考えたことがあるか!?」
『……そうだったな、すまない』
「とはいえ、だ」
再び射撃。脇腹の痛みは、すでにどこか遠くへと去ろうとしていた。
「そなたの心遣いは嬉しく思う……感謝を」
『畜生、あんたいい女だな』
意外と言えば、これ以上はないくらいに意外な言葉に、舞はかすかに目を見開き――速水以外には見せたこともないであろう優しい笑顔を浮かべた。
彼女の視界は、すでに半ば以上が暗く閉ざされていた。だんだんと敵の姿すら見えなくなってくる。
「意外ではあるが、悪い気はせんな……。だが、すまんが私にはカ……恋人がいるのでな」
『げっ……。まあ、あんたほどの女なら、ほっとかないだろうけどな。まさか、そこにいるのか?』
「ああ……。今はちと話せんがな」
『そうかい、そいつは悪かった。彼氏さんにもよろしくな、それじゃ!』
「無事に、行くがよい……。通信、終了」
舞は、かすかに残る視力で外を見た。
「嘘では、ないな。厚志よ……」
彼女の視界には、自分に向けて飛んでくるミサイルが映っていたが、既に舞はそれを理解する能力を失っていた。
その言葉を最後に、彼女はそっと目を閉じた。手がトリガーから離れ、だらりと力なく垂れ下がる。
直後、三番機に爆煙が発生した。
***
独立第一三大隊第二中隊は、再び士魂号の前に立っていた。奇跡的に他の部隊との邂逅に成功した彼らは、民間人を預けると、自らがなした約束を果たすべく、戦場にとって返したのだ。
彼らが戦場に到着した時、幻獣たちは煙を上げる士魂号に意識の全てを集中していた。だから、奇襲をかけることは難しくなかった。
ほどなく幻獣が後退を開始した後士魂号を調査したところ、ミサイルは士魂号の胸部をわずかにそれ、右腕を吹き飛ばしていた。コックピットは無事だった。
舞は、そのコクピットの中で事切れていた。
「……間に合わなかったか。すまん」
先ほど舞と通信をかわした兵士――生徒会連合の千翼長だった――は、黙って頭を下げた。
「認識コード、確認できました。間違いなく五一二一小隊の機体です」
「彼女の傍らに、こんなものが落ちてました」
見ると、そこには舞の字で、これまでの戦闘記録が残されていた。士魂号に記録していた場合、破損した場合のデータ消失を恐れたのだろう。
しばらく無言で読んでいた千翼長が、つい、と指を止めた。
「そうか、そういうことだったのか……」
「どうなさいますか?」
彼は傍らの墓標を指差した。
「あそこの隣に埋めてやれ。ここを守り通した英雄を葬って悪い理由はあるまいし、恋人を離れ離れにしたままじゃ、恨まれるぜ」
「そうですね……」
兵士たちの手によって、速水の墓標の隣に穴が彫られ、ありあわせの布で包まれた舞の亡骸がそっと横たえられた。
「勇敢なる少女に、敬礼」
千翼長はしばし黙祷を捧げると、士魂号を見上げた。
「……こいつも、主人の後を追ったな」
物言わぬ屍となった士魂号は、墓標でもあるかのように半ば崩れ折れたまま沈黙していた……。
***
いつの間にか、だいぶ時が過ぎていた。デッキを通り過ぎる風も冷たさを増している。
「さあ、いつまでここにこうしていても仕方がないわ、中に入りましょう。私たちにだってやらなければならないことはたくさんあるんだから。……彼女のためにも、ね」
「……そうですね」
善行は火のついていないタバコを海に放り込むと、デッキを後にした。
自らの運命も、彼女の運命も全ては不確実の中にある。
己は己のなすべきことをするしかないのだ。
そのころ、フェリーを追跡する航跡があることに気が突いた者は誰もいなかった。
つい、と何かが水面に顔を出し、深紅の瞳がフェリーを睨みつける。
そう、誰にとっても明日は不確実なのだ。
(おわり)
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