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被害担任者(その1)


 戦争とは一種の狂気である。
 人は通常と違った論理の支配する世界の中で、普段の常識や情といったものを実に簡単に失っていく。
 だが、そんな中においても人は最低限の理性や合理性を保ちつづけようと血と鉄の嵐の中でもがきつづけるのだが、この巨大な自動機械はそんなささやかな願いなどお構いなしに狂気を撒き散らしながら回転を続けるのだ。
 人類の歴史の中で幾度となく動かされてきたこの機械に今また再びスイッチが入り、軋みを上げながら稼動したこの機械は敵味方お構いなしに多量の血を欲した。
 今度の敵は「幻獣」と呼ばれていた。
 彼らとは一切の意思疎通が不可能とされており、知られていることはひどく少ない。
 理解できない存在は恐怖を呼び起こし、妥協の存在しない戦場は過去のいかなるそれに比べてもより凄惨で過酷なものにならざるを得なかった。

 兵士となった、あるいはされた人間に猛訓練が施され、組織の枠の中で半ば反射的に行動できるように鍛え上げられていくのはこれが理由でもある。
 このような狂気の中で戦争について余計な事を考えていては、その者はたやすく心を押しつぶされてしまう。
「兵士よ問うなかれ」とは、狂気と暴力の中で個々の兵士を守る最低限の手段でもあるのだ(その点、志願兵は己の内面にある何かを心のよりどころにすることも出来る点が多少違うが、訓練が必要であることに変わりはない)。
 だから、良き兵士はただひたすら疑問も持たずに戦い続けられる。疑問を持てば、長く生き延びることはかなわないであろうことを誰もが知っているのだ。
なにしろ実例は周囲に無数にある。
 それを批判することはたやすいであろうが、兵士にとって弾丸も飛んでこず、常に死の危険を感じるわけでもなく、泥の中で食事をとることも、恐怖に震えながら眠りにつくことも、朝共に話した戦友を夕方遺体袋に詰めるようなこともない、安全な場所からただ声高に叫ぶだけの声は、木の葉一枚ほどの重みすら持ってはいない。
 彼らはただ、生きたいだけなのだ。
 それでも、全てのものには終わりが来る。
訓練は有効であるが、万能ではない。
限界の中で判断を求められた時、人はどのような道を歩むのであろうか?
 ましてや、それが年端もいかぬ少年少女たちであるとしたならばどうなるのか……?
 これは、歴史の流れの中で運命に抗い続け、戦い続けた、とある小隊の記録である。

   ***

一九九九年四月二五日(日) 一五三〇時
熊本市内

 熊本は、いい天気だった。
 空は比較的高く澄み渡り、春というにはもはやいささか強すぎるほどの日差しが、それでも優しく降り注ぐ。綿菓子のような雲がふたつみっつと浮かび、のほほんと流れていた。
 熊本市内に位置する尚敬高校もまさにそんな光の中にある。
そこだけ見れば、できることなら仕事など放り出してのんびり昼寝でもしていたい――平和な時ならばそう思ってしかるべきほどの雰囲気があった。
 だが、本来なら楽しかるべき休日は、すでにこの地からは失われつつあった。
 それが証拠に、道行く人の顔は一様に暗く、道々に並ぶ家屋のいくつかは無残な焼け跡をさらし、後片付けもされないままに放置されていた。
 本来なら周囲に明るさをもたらすべき子供たちの姿もほとんど見えず、街全体がどことなく息を詰め、身を潜めているような印象さえ受ける。
 当然であろう。
 過去半世紀にわたって行われてきた幻獣との絶滅戦争は常にこの地に暗い影を落とし、敵による容赦のない攻撃はあちらこちらに深い爪痕を残しているのだから。
 熊本県――九州中部戦線と呼称される九州防衛、いや日本防衛の最前線たるこの地は、いまや敗北と崩壊への道を突き進もうとしていたのだ。
 三月の終わりから投入され始めた学徒動員兵――いわゆる学兵の奮戦により一時期は持ち直すかとまで言われていた戦況は、幻獣の非常識なまでの増援によりあっさりとひっくり返された。
 ひとたびはずみがついてしまえば戦局の挽回は容易なことではなく、学兵部隊はひとつ、またひとつと幻獣の海の中で細切れの肉片へと分解されていき、正規軍もまた同様の運命をたどっていった。
 政府はすでに九州での組織的抵抗は不可能と判断して市民に対して疎開令を発動。
陣容が哀れなまでに衰えた自衛軍ならびに生徒会連合各部隊の目的は、彼らが脱出するまでの時間を稼ぐことに主眼が移っていた。
 勝つことが目的ではなく、傷口を少しでも広げないようにする――消極的戦略目標への転換が行われた時、事実上九州での戦いには決着がついていたと言ってもいいであろう。
 そのような現状が、目の前の風景を作り出していたのだ。

 と、道の向こうにかすかに土煙があがったかと思うと、やたらに角張った車両が姿をあらわした。
 それが民間車でないことは、白・黒・灰色を基調とする都市迷彩が施された装甲板と車上に備え付けられた機関砲らしき長い――だが、折れ曲がった銃身が主張している。
 その後ろには、恐らくは自衛軍払い下げらしい中型トラックと、民間徴発車とおぼしき二台のトレーラーが同じ都市迷彩の姿で続いていた。
 道行く者たちはそれにちらりと視線を向けはするものの、特にその情景に何の感慨も呼び起こさなれなかったのか、すぐ視線をそらし、のろのろと道を空けた。
 車両――独立第五一二一対戦車小隊指揮車もあえて彼らを急かすでもなく、ゆっくりとしたペースを維持しながら傍らを通り過ぎていく。
 タイヤにも車体にも泥やなんだかわけのわからないものがこびりつき、埃のせいかやたらと色あせて見える装甲のあちこちには、何かがぶつかって塗装のはげた跡が車体上部を中心に放射状に残っていた。
後続のトレーラーやその背にある荷物――士魂号もそのあたりは大して変わらない。その姿は堂々の帰還というよりは、どうしても落ち武者を連想させてしまう。
 トレーラーはまるで己らのしてきたことを恥じるかのような静かさで粛々と道を進んでいったが、何人かは最後尾の車輌が空荷であったことに気がついたかもしれない。
 車輌群はまるで葬列のように尚敬高校の車両通用門をくぐっていき、やがて門が全てを拒むような音を立てて、ゆっくりと閉まった。

   ***

「二番機リフトアップ! 整備台への移動を開始します!」
「了解! ほらそこ、ちょっとどいて!」
 五一二一小隊のハンガーは、過去戦闘が終わった時と同じように喧騒の只中に放り込まれていた。
トレーラーからは士魂号単座型――二番機が整備台に移動するために立ち上がりかけていたし、その足元では整備士たちが己の本分を果たしつつ、忙しく立ち働いていた。
 だが、そこには慌しさはあっても活気はなかった。
 整備士たちは皆厳しい表情をしたまま、必要最低限の言葉しか交わさずに作業を進めていく。
『二番機、整備台に移動する』
 士魂号のスピーカーがそう告げると、その瞬間だけ全員の視線が集まった。
 士魂号はそれにまるで一瞬躊躇するかのように動きを止めていたが、やがてゆっくりとした動きで整備台へと移動を開始した。
 指揮車以上に薄汚れ、あちこちに弾痕を穿ったり装甲をへこませたりはしていたものの、それでも意外としっかりした足取りに、整備士たちの間からは安堵とも感嘆ともつかない声が漏れた。
ただ、それはよく言っても死刑の日程が延期された死刑囚が発するような、どことなくうつろな声ではあったが。
 整備台へ二番機を固定し終わると、作業をしていた田代が額の汗を拭きながら大きなため息をついた。
「ふぃーっ、いっちょあがり、っと! それにしても派手に壊しやがったな……」
「でも、戻ってきたからまだいいじゃないですか」
 工具をしまいながら呟く森に、田代はやれやれといったように首を振った。
「まあ、そりゃそうだけどよ……」
 言葉はいささか不満そうでも、口調はまったく逆だった。
 彼女の視線は、昨日まで三番機が存在していた整備台に据えられたままだった。
 そこは単なる空洞と化しており、三番機担当となっていた整備士たちがのろのろとした動きで整備台の片付けと封印作業を進めていた。
 少なくとも当分の間そこを使う予定はない、と連絡があったのはつい先ほどのことだった。
「オイ、あいつら……そんなに具合、悪いのか?」
「分かりません」
 少し突き放したような森の口調に田代は口元をゆがめたが、考えてみれば、ずっと自分と一緒にいた彼女がそんな詳しい事情を知るわけもない。
 それに現実問題として、彼らが戻ってきたところで動かせる士魂号複座型はもうなかったし、予備の陳情はまったくなしのつぶてと化している。
 まあ、単座型すら満足に補充のきかない状況で生産数が一〇分の一に満たない複座型がまともに届くなど、期待するほうがどうかしていた。
 ――あいつらの状況、司令あたりなら知ってんだろうな。でも、どうせならしばらく休みでももらっとけや。どうせどこにも逃げられねえんだから、せめて万全の体調で戻ってこいよ、な?
 田代はそんなことを心の中で呟くと、再び二番機に意識を集中した。

 そう、確かにそのとき速水と舞には休みが与えられていたのだ。
 ながい、ながい休みが。

   ***

「あ、滝川君!」
 森の声に振り向くと、ようやく開かれたハッチからちょうど滝川が顔を出したところだった。滝川は押し黙ったまま妙にのろのろとした動作でハッチを閉めると、疲れたような笑顔を浮かべた。
「よう、お疲れさん。森、田代、わりぃな、また壊しちまった……」
「何言ってんだ、こんくれぇ屁でもねえよ。それよりオメーはどっかいかれたりしてねぇだろうな?」
 田代がわざと張り上げた明るい声に、滝川は戸惑ったような笑みを浮かべた。
「ああ……まあ、なんとか」
「……ともかく、少し休んでください。いつまた出撃があるか分からないんですから」
「ああ、んじゃ悪りぃけどちっと休ましてもらうわ……」
 力なく手を振ると、滝川は階段をひょこひょこと下り、やがて姿を消した。
「……疲れてんな、あいつ」
「疲れてるのはこっちも同じですけどね」
 先ほどからの態度に、田代は思わず眉をひそめると森を睨みつけた。
「オイ、黙って聞いてりゃさっきからなんだその口は……」
 だが、浴びせようとした罵声は全て出て行く前に口の中で消えてしまった。
 森の目には、本気で彼を案じる光が浮かんでいたからだ。
 そしてそれは、多かれ少なかれその場にいた整備士たち全員に共通した感情であったといえる。
 藁にもすがる気持ち、というのはこういう時をさして言えばいいのであろうか。
 もっとも、かなり心細げな藁であることは、周囲も本人も承知していることであった。

 いささか乱暴に更衣室のドアを閉めた滝川は、そのままの勢いでどっかりと丸椅子に座り込んだ。椅子が抗議の軋みをあげるがとりあわない。
 室内は静かだった。滝川はやたらと空きの目立つロッカーに目を止めると、かすかに顔をゆがめた。
 とたんに全身から疲労感が押し寄せてきて、めまいにも似た感覚が滝川を包み込む。まるで激流に押し流される木の葉のように彼の上体はぐらぐらと揺れた。
「……くっ」
 嫌な汗がどっと噴き出す中、滝川はテーブルに手をついてかろうじて倒れこむのをこらえていた。
 今倒れてしまったら多分起き上がる気にはなれないだろうことは容易に想像がつく。身体は真綿のように疲れていたとはいえ、これ以上無様な姿は晒したくなかった。
 しばらくしてようやくめまいが去った滝川は、胸元をまさぐってコンソールのカバーを開けると、無造作にウォードレスの開放ボタンを押し込んだ。
 鈍い音とともにあちこちのパーツが外れ、ラバーコーティングが顔を覗かせた。滝川は己を縛り付けるようなそれをいささか乱暴に引きちぎる。
 半ば裸体があらわになったところで、滝川は股間に手を伸ばした。
ウォードレス着用時に装着が義務付けられているトイレパックはじっとりと濡れており、滝川自身の股間にある「装備」は見るも無残に縮み上がっていた。
「はは、またかよ……」
 滝川はパックをいささか乱暴にサニタリーシュートに放り込んだ。
 もともとパックは一回限りの使い捨てだが、ここのところ滝川はそれを湿らさずに戻って来た事はなかった。
 自分がいつも通りの反応を示していた事に情けなさと安堵感の奇妙に混交した感情を抱きながら、滝川はのろのろとシャワールームに入っていった。
 蛇口をひねると薬品入りの熱い湯が残ったコーティングを溶かし、容赦なく肌を打つ。滝川は頭から湯をかぶりながら、小さく呟いた。
「速水ぃ、芝村……俺ひとりでどうしろってんだよ? 早く戻って来いよ……」
 シャワーブースの中に信じられないほど弱々しく流れた声は、聞くものとてなく虚空に消えた。

   ***

 この時、九州中部戦線の状況を一言でいうのならば、「最悪」の一言に尽きた。
 熊本県南部ならびに福岡県北部で三月よりなしくずしに展開された防衛戦闘は、先に述べたとおり戦況我に利あらず、過去半世紀の間人類が繰り返しやってきたように後退につぐ後退を重ね、組織的抵抗力はほぼ瓦解していた。
 そんな中にもいくつかの例外はあり、順調に侵攻を続ける幻獣に痛撃を与える部隊も存在していたが、そのうちのひとつが五一二一小隊であった。
 彼らは疲労した機体と己の身体に鞭打ち、絶望的な戦力差のなか、連戦に次ぐ連戦を渡り歩いて数多くの部隊を崩壊の淵から救い、市民の脱出に尽力してきた。
 そのせいもあって、小隊の面々にとっては迷惑以外の何者でもないが、いまや彼らは学兵のみならず全九州軍の希望とすら呼ばれるようになっていた。
これも、常勝無敗という神話がもたらしたものではあるが、同時にまただいぶ虚飾に覆われたものでもある。
 彼らとて負けることはいくらでもあったのだが、ただそれが今まで致命的なレベルになっていなかっただけであるというにすぎない。
大半の者はきれいに忘れ去っているようだが、彼らのほとんどはつい二ヶ月前までは軍人ですらなかったのだ。
 いや、周囲もそのくらいは知っているが、絶望的な戦況は、彼らにとって何かすがるものがなければ到底耐えがたいレベルへと跳ね上がっていたのだ。
 すがられるほうにとってはたまったものではないが。

 だが、神話はいつか崩壊する。奇跡を独り占めしていたようにも思われた五一二一小隊にもその瞬間は刻一刻と近づいてきていた。
 始まりは、あまりにも衝撃的であった。
 一番機パイロットであった壬生屋の戦死である。
 突貫娘とかなんとか言われ、毎回多大な損害を受けつつも己の剣の力で生還を勝ち取ってきた彼女も、ついに運命のあぎとから逃れることはかなわなかったのだ。
 猪突猛進を絵に描いたような操縦に文句を言われることも多かったが、重装甲に身をよろった漆黒の士魂号を駆り、装甲の厚さと剣技を頼りに敵を蹴散らし、行動を鈍らせる突撃衝力は得がたいものだったこともまた確かであった。
 彼女の最期は半月ほど前のことであった。
 戦闘でいつものように先鋒を務めるべく突撃を開始。
数匹の小型幻獣をその刃にかけたまでは良かったが、一時後退に移ったところでキメラによる敵味方お構いなしの長距離砲撃に補足されて士魂号の右足を折損した。
 その後はむやみやたらの滅多打ちで士魂号は大破。
本人はどうにか脱出に成功したものの、周囲を幻獣に十重二十重と囲まれていては、いかに武芸の達者といえども抗すべくはずもない。
 包囲を打ち破って三番機が突入したときには、壬生屋は赤い液体でまだらに染め上げられ、でたらめに活けられた活け花のように手足をそこかしこに突き立てられた、奇怪な形状を持つ抽象芸術へと変化を遂げていた。
 これにより、小隊はまず先鋒の槍を失った。
 その次は、若宮の戦死であろうか。
 善行を除けば唯一の正規軍経験者であり、小隊のドリル・インストラクター(訓練教官)であった彼は、壬生屋の死から三日後、ある後退戦のさなかに戦場をさまよっていた民間人を数名発見・保護した。
 自由射撃ゾーン(要するに動くものは皆撃って構わない)に民間人がいること自体信じられないことではあるが、ともかく彼は民間人をかばいつつ戦場を疾駆し、幻獣を迎撃した。
 その甲斐はあったといっていいだろう。
彼はついに全員を戦区外へ退避させることに成功したのだが、あいにくと自身は脱出の直前にミンチとなった。
攻撃したのは味方の砲兵部隊だったとも言われているが、戦場につきものの混乱で、真相は闇の中であった。
だがもう、そんなことはどうでも良かったのかもしれない。
 壬生屋の死から立ち直る暇もないままに迎えた、部隊の柱石とも頼むべき彼の死は、戦力の減少という以上に不吉な予兆として皆に受け止められていたのだから。
 それから一〇日。
 その間に五一二一小隊は、彼らにあるはずのない(周りの認めない)「敗北」を経験するたびに、まるで今までのツケを一挙に取り立てられたがごとく、ひとり、またひとりと櫛の歯が抜けるように隊員を失っていったのであった。


一九九九年四月二六日(月) 〇二〇〇時
   五一二一小隊ハンガー

 どんな騒ぎでもいつかは必ず終わりが来る。
 それを証明するかのようにようやく静かになったハンガーの中に、こつ、こつと小さな靴音が響いた。立てた本人が驚くほどに、その音はハンガーの中にこだまする。
「ずいぶんと、寂しくなったものね……」
 腕の包帯も痛々しく、原はそっと呟いた。傍らに聳え立つ二番機を見上げ、小さく息をつく。
 原を筆頭とする整備班は日夜を分かたぬ戦闘の中、不眠不休の努力をもって部隊の維持に努めてきた。
その努力は驚嘆するに値するが、原は目の前にある二番機に視線を向け、思わず眉をしかめた。
「分かってはいても、気に入らないわね……」
 彼女の罵倒の対象は、むろん滝川ではない。
 彼女の見ている二番機は懸命な修理にもかかわらずあちこち傷だらけであり(多少の傷は自己修復するにせよ、だ)、明らかに応急、あるいは代用品を使用したとおぼしき粗雑な修理の跡もそこここに見受けられた。
 明らかな物資不足の跡を見せつけられては、整備を束ねる者として機嫌よくできようはずもない。
 そして、不足していたのは物資ばかりではなかった。
戦闘は整備士も例外としなかったゆえに。
 その際たるものは三日前の奇襲であり、ここで彼らは一度に四名もの整備士(中村・田辺・狩谷・新井木)を失っている。
補給車ごと吹き飛ばされた彼らの遺体は、認識票すら回収できなかった。
 余談ながら、このときには指揮車でも戦死者が出ていた。機銃手兼衛生官として配置についていた萌の近くで、幻獣のミサイルが過早爆発を起こしたのだ。
派手な爆煙にしては彼女の負傷は意外なほど少なかった。体の大部分には傷ひとつなかったのだ。
ただ一箇所の例外は首から上だけだった。
 帰還した時、機銃座には赤い液体とジャムのように粘ついた灰白色の物体が、そこらじゅうにこびりついていたという。
 ともあれ整備士は自らの損害に加え、これらラインスタッフの穴埋めにも引き抜かれていたから、全機に万全な整備などどうあがいても不可能になりつつはあったのだ。
 それが曲がりなりにもどうにかなっているのは、皮肉にも出撃できる機体が減っているからということに他ならない。
それでもこれが精一杯なのだ。
 だが整備を預かり、整備士たちを束ねる立場にいる原にしてみれば、それは恥辱以外の何者でもない。戦場に身をさらすパイロットのために、安心して「行って来い!」というだけの環境すら与えられないのだから。
「……でも、これだけはできるなら直したくはないわね」
 原は視線を一番機に転じた。 
かろうじて戦場から回収されたとはいうものの廃棄寸前の無残な姿を整備台にさらしているそれは、まるで死体が磔にされているような、不気味な連想を原にもたらした。
「冗談じゃないわ! ……でも、あながち外れてもいないかもね」
 背筋に薄ら寒いものを感じつつ、原は首を振った。
 あるいは、この機体で出撃した壬生屋、そして恋人の遺志を継ぐかのようにパイロットへと転向した瀬戸口が相次いで未帰還になっている事実がそう思わせているだけだったかもしれなかったが。

 そして今日、更に大きな衝撃が小隊を襲った。
 ただでさえ出撃できるのは二機だけで、スカウトは来須ひとりだけであった。スカウトを補強しようにも発令は明日の予定だったのでどうしようもない。
 それほどに急な出撃でも、命令であれば是非もない。小隊はそのまま出撃した。
 そして今日は、それが仇となった。
 スカウトの主な任務は士魂号の補佐である。
戦車随伴歩兵の名のごとく、スカウトは士魂号にとっての目でもある。士魂号は通常の装軌式戦車とは比べ物にならないほど視界が広いとはいえ、万能ではない。そこをスカウトが補佐するのだ。
 だが、今回は人数の不足から生じたセンサーや視界の死角に潜み、ひそかに接近してきたゴルゴーンのロケット弾一斉射撃を食らったのだ。
 その結果、小隊の守護神ともいうべき三番機が大破した。
 普段なら楽々避けられるものであったに違いないが、死角からの奇襲と満足に整備ができないことによる能力の低下がそれを許しはしなかった。
 更に不幸があったとすれば、ロケット弾のひとつが腰部ミサイルランチャーを直撃、そこにあった「ジャベリン改」ミサイルをすべて誘爆させたことであろう。
 これによって、士魂号は上半身と下半身が引き裂かれてしまい、コックピットは嫌な音とともに地面に叩きつけられた。
 幸いに来須がそばにいたのと二番機の救援が間に合い、二人は重傷を負いながらも辛うじて病院に運び込まれたが、現在にいたるまで予断を許さない状況である。
 ことによったら、復帰は不可能かもしれない。
 ――でも、彼らには悪いけどこれでマンパワーを集中することが出来る。複座型の入手はもう望み薄だけど、労力と時間があれば、うまくすれば一番機の修復すら不可能ではないかもしれない、そうなれば……。
「悪いことばかりじゃないかもしれないわね……」
 原は、先ほどまで一番機に抱いていた感覚はきれいさっぱり忘れることに決めた。あれとて立派な戦力である。
 彼女は物事のよい側面を何とか見ようと努力をしたが、それは長続きしなかった。
「まだいたんですか? もう作業は終わったはずでしょう」
 聞きなれた声に振り向けば、ちょうど善行がハンガーに入ってくるところだった。
「それを言うならあなただってそうでしょうに……何か、あったの?」
原は思わず善行を見直していた。
一体なんという表情を浮かべているのであろうか。
 いつも表情を眼鏡の奥に押し隠し、冷静に指揮をとっている彼が、いまはまるで幽鬼にでもであったかのように蒼ざめている。
「……どうしたのよ、一体?」
 もう一度問いかけられ、善行は黙って懐から二枚の用紙を差し出した。
 何気なく受け取った原であったが、読み進めるにつれて、顔色が見る見る善行と似た色に変わっていった。手が小さく震えるのが自分でもわかる。
さすがに叫び声を挙げることはなかったが、目が驚きに見開かれるのはどうしようもなかった。
「つい先ほど届きました。……夜中なのに仕事熱心なことですね、あそこも」
「……まさかとは思うけど、冗談じゃないでしょうね?」
「冗談をやっていられるほど、あそこも私も暇じゃないですよ。それに連絡をよこしたのは日向医師です」
 原は納得せざるを得なかった。少々おっとりしたところはあるものの、日向は人を騙して喜ぶような人間ではない。
「……で、どうするのよ、これから?」
 原は、自分の声がどうにか震えていないことを感謝した。
「二人の手術は無事に終わりました。これ以上の容体悪化は避けられましたが、重傷ゆえ絶対安静、面会謝絶とします。以後当分の間、彼らは出撃任務から外します」
「……ふぅん?」
 不自然といっていいほどの明るい声に、原は揶揄するような頷きを返した。彼は一言も「彼らを除籍する」とは言わなかった。
 念のために周囲を見回してから、原は小さな声で呟いた。
「……使えるものなら幽霊でも働かせようってわけ?」
「我々は大きな痛手を負いました。それでも……戦い続けなければならないんです。たとえなんと言われようと、希望の火は消すわけにいきません」
 原の言葉を無視し、まるで自分を信じ込ませるかのような口調に、原は軽いショックを受けた。
「……司令、整備班の全業務は終了いたしました。退出してもよろしくありましょうか?」
「許可します、お疲れ様でした」
 わざとしかめつらしいやり取りを行った後、原は足早にその場を立ち去ろうとした。何でもいい、とにかくこの場にはいたくなかった。
「整備班長」
 善行の声に、原は思わず足を止めた。
「なんでしょうか?」
「分かっていると思いますが、他言無用に願います」
「……私には自虐趣味はないわ」
 原は手をいらだたしげに振りながらハンガーを出た。
 表は意外なほど明るかった。珍しく黒い月に覆われることもなく、本来の月が煌々と青白い光で地上を照らし出している。青黒く沈んだ世界がどことなく現実感を欠いており、原は思わず笑い声を漏らした。
 暗く、乾いた笑いだった。
 ――なんてこと、運命ってのは相当に派手好きだったらしいわね。今までのツケを取り立てるにはちょっといたずらが過ぎるんじゃない?
 ひとしきり笑った後、原は表情を厳しく改めるとポツリと呟いた。
「……これじゃ私たち、本当に全滅かもね」


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