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航空消耗戦


 戦況、我に利あらず――。
 過去幾たびも、運命の天秤が大きく傾いた時に使用された常套句であるが、できれば一生出会いたくないたぐいの言葉でもある。
 だが、その願いも空しく、今また陸で、空で、そして海でこの言葉の意味をかみ締めつつ、多くの兵士たちが朽ち果てていった。
 戦場の名を、九州中部戦線といった。

   ***

 紺碧の空が、どこまでも広がっている。空のはるか高みには、雲がいく筋かのんびりと流れていた。
 すでに強さを感じさせる日差しのもと、ひとりの男が芝生の上で大の字になって寝転んでいた。鮮やかなオレンジ色のフライトスーツは、彼がパイロット以外の何者でもないと主張している。
 どことなく古武士を連想させるような蓬髪と精悍な顔つきは、まさにその職業にふさわしいともいえるが、今彼は全身を弛緩させきって、全力をもってひなたぼっこを楽しんでいるようにも見えた。
「あ〜……」
 なんだか声までが、どことなく緩んでいた。
 彼の名は瀬崎零次(せざき れいじ)。
 航空自衛軍の少佐であり、熊本航空隊第一小隊長(第一中隊長兼任)である。自衛軍の編制としてはいささか怪しげであるが、ここでは何もかもが異例づくめでもある。
 パイロットとしての腕と運は一級品であり、かの激戦であった八代平原攻防戦の数少ない生還者でもあるが、地上にいるときはまあこんな感じである。
「い〜い天気だなぁ。こんな日はこうしてごろ寝してるに限るんだよなあ……」
 こいつは一体、どこの隠居だか。
 ともあれ、彼がのどかな時間を全力で楽しんでいると、ふっと顔に影が落ちた。
「ん?」
「少佐ぁ、こんなとこにいたんですか? まったく、探しましたよ」
 瀬崎と同じフライトスーツに身を包んだ男が、やれやれといった口調で、腰に手を当てながらため息をついた。
 高村雪之丞(たかむら ゆきのじょう)大尉。第一小隊二番機パイロットで、その整った顔立ちと今ひとつ押しの弱い言動から、「熊本航空隊一の優男」の異名を奉られている。また、戦闘出撃から帰ると二回に一回は目を回してしまうことでも有名である。
 ただし彼もまた八代平原攻防戦の生還者であり、単に運だけで生き延びてきたわけではないことを証明している。
 もっとも、地上にいるときは瀬崎の手頃なオモチャというのが周囲の一般的評価であるが。
「ん、なんだ、もうそんな時間か?」
「いえ、まだお呼びはかかっていませんけど……。それでもそろそろ戻ってた方がいいですよ」
「だがなあ……ん、いや、確かに戻った方がよさそうだな」
 起き上がった瀬崎の表情は、まるで刃のような鋭さを放っていた。いつの間にか高村も固い表情を浮かべている。
 ふたりは、遥か彼方からごろごろとかすかに響く音を耳にしていた。もちろんそれは、いかなる自然現象でもない。
「行くぞ」
「はい」
 ふたりは揃って司令部に向かって駆け出した。
 休息の時間は終わったのだ。
 これからふたりを待ち受けるのは、鉄と血が交錯する地獄。
 先ほどの音は、その開幕を告げる不気味なファンファーレであった。

   ***

 司令部の一角に設けられた作戦室が、現在のところ瀬崎たちのたまり場である。中を覗き込むと、そこには種々雑多な男女がたむろしていた。彼ら・彼女らは装備もまちまちであり、どうかすると言語すら違っていた。
 とりあえず会話は、コミュニケーションを取る程度には問題はないとはいえ、やはりそこはどうしても一種独特な雰囲気がただよっている。
 それもそのはずで、熊本航空隊自体はれっきとした航空自衛軍の正規部隊でも、その内幕はというと空自の機体などほとんどおらず、残るは日本連合空軍(各国亡命政府の正規軍など)や義勇兵などが入り乱れる、さながら傭兵部隊かごった煮かといった様相を示していた。
 瀬崎あたりなどは「邪魔な奴は全部ひとまとめにしておけ、ってことだろうさ。どうせなら幻獣が吹き飛ばしてくれればありがたい、くらいには思ってるかもしれんぞ?」とか公言してはばからないが、本州側の思惑もそれからたいして外れていないのだから、何をかいわんや。
 九州の敗残兵と将来の禍根になりかねない寄せ集めどもで、本州の戦力が温存できるなら安いものだ、というわけである。
 昨今は多少認識が改まってきているみたいだが、状況は大して変わっていない。
 ――ま、だからこそこの時期に至っても、たいして部隊の運用には困っていないわけなんだがな。
 確かに瀬崎の言う通り、いまだに総勢四八機、予備も入れれば六〇機以上という頭数を揃えられるというのは、ある意味奇跡に近かった。
 そんなことを考えていると、向こうの方で瀬崎に笑顔で手招きをする者があった。この部屋での絶滅危惧種に所属する者らしく、彼もオレンジのフライトスーツに身を包んでいた。
「よう、どこほっつき歩いてたんだ?」
 年のころは二〇代後半の、パイロットやるよりスカウトになったほうがいいくらいに筋骨隆々な黒髪の男だった。隣で、彼の僚機のパイロットらしい男が軽く会釈した。
 佐藤亮二(さとう りょうじ)少佐。熊本航空隊第一中隊第二小隊長(本来は第二中隊長)である。
 彼は、八代平原攻防戦には参加していなかったが、鹿児島・新田原基地所属のベテラン・ファイターであり、航空機型幻獣八機撃墜のエース(空自では伝統にのっとり、航空機型幻獣であれば五機以上撃墜でエースと呼んでいる)でもある。
 壊滅しつつあった鹿児島航空隊の中で唯一気を吐いた男として知られていた。
 傍らにいる吉沢隆明(よしざわ たかあき)中尉にしたところで、他のメンバーに比べれば目立たないものの、鹿児島、福岡、熊本と各激戦区の航空隊を渡り歩いた猛者である。
 結局のところ、熊本航空隊に残っているのはよく言えば一騎当千、悪く言えばクセのある奴ばかりだった。
「なに、食後の休憩ってやつを、ちょっとね」
 瀬崎も笑顔で答える。彼らはかつて新田原基地でも同じ航空隊に所属していたことがあった。
「静かに!」
 決して大きくはないが良く通る声に、室内がしんと静まり返る。声を発した作戦参謀は軽く室内を見回すと、入り口の方に軽くうなずいてみせた。
 やがて、ひとりの男が壇上に立った。いささか不精髭が目立ちはするが、一見芒洋とした表情の中に浮かぶ瞳には、のんきさなどかけらもない。
 だれもがなんとなく姿勢を正しながら、次の言葉を待った。
「御苦労。あー、さっそくだが敵が動き出した。南部方面だ。現在の出現推定数はおよそ八〇〇〇〇」
 小さく息を飲む音が聞こえた。
「それが数十体から数百体程度の集団に分かれて進撃を開始したらしい。また、未確認ではあるが、戦線後方ではさらに大規模な実体化を確認したという報告もある。敵さんも本腰をいれた、というところだな」
 男――後藤司令は口元をかすかに歪めたが、目は笑っていなかった。

 幻獣の本格的な侵攻が再開したのはほんの一〇日ほど前、四月の末のことであった。
 それまで人類はそれなりに優勢を確保していたのだが、最大予測出現数七〇〇万とも八〇〇万とも言われる進撃は、それをすべて引っ繰り返してしまった。
 一体なぜこうなったのか、誰にも理由は分からない。
 一説には生徒会連合九州軍の全力を挙げて実行された作戦である「熊本城攻防戦」が原因であるという者もいた。あそこでなまじ大打撃を与えてしまったことが、幻獣に火をつけてしまったというのだ。
 もしかしたらそうかもしれないが、正直なところは誰にも分からなかった。それでもひとつはっきりしているのは、ここで何もしなければ、人類は――少なくとも九州の人類は――歴史上の存在になるしかないということだけだった。
 そして、それだけで十分でもあった。
「現在、陸上自衛軍と生徒会連合が遅滞防御を行うべく展開しつつある。我が隊はこれを上空から支援する。地上の連中の手助けをしてやれ。今回の出撃に兵装の制限はつけん。全機全力出撃だ。……ああ、もっとも今回は核は使わんがな」
 核を使わないのは、今後の作戦の支障になりかねないからだろうが、それだって戦況次第ではどうなるか分からない。誰もが、緊張を隠しきれない様子だった。
「作戦開始は、陸さんの展開が完了する二〇三〇時。夜間出撃になるから十分注意するように。……よし、それでは作戦参謀に二〇分だ。謹聴!」

   ***

 闇の中を、幾筋もの光と轟音が駆け抜けていく。光は見事な編隊を組みながら、漆黒の空に輝いた。
「こちらナイトクロウ。間もなく目標地点に到着する。各機安全装置解除、武装チェック開始」
 ナイトクロウ――瀬崎は同時にいくつかのスイッチを操作する。闇の中にヘッドアップディスプレイの光がぼんやりと浮かび上がっている。腹の下に抱えたやんちゃ坊主共は、いつでも遊びに行けると主張していた。
 彼の周囲では僚機の翼端灯だけがやけにはっきりと光っている。各機からの報告は、今のところ問題はなかった。
 彼の操る三菱/スホーイF14「麗風」は、大型ながらも優美なスタイルを闇に沈ませながら飛翔を続ける。鶴にも例えられる機体につき従うは七機。
 瀬崎をいれた計八機が、航空自衛軍としての熊本航空隊の全力であった。
「随分と寂しくなったもんだよなあ……」
 外に漏れぬよう、瀬崎は口の中でだけひとりごちた。
 むろん全力出撃である以上、他にも予備を除いた四〇機近くが飛び立っていたのだが、人間も雑多なら機種も雑多なこの連中は、瀬崎たちとの合同進撃などおよびもつかぬ。
 中にはどこから引っ張ってきたのか、ミグ21などまで混じっているような状況では、いくら腕が良くても統一した行動など不可能に近かった。
 そこで、ある程度セオリーを無視することには目をつぶり、比較的性能の似通った機体で臨時中隊を編成し、波状出撃とあいなったわけである。その切っ先を務めるのが瀬崎たち、八機の麗風というわけだ。
 ――なんとしても、あいつらの花道を作ってやらなきゃな。
 それは同時に死出の旅路だったかもしれないが、何もできずに撃墜されるよりははるかにましなはずだった。
 と、無線連絡が飛び込んできた。彼らの更に先を行く偵察機からのものだ。
『こちらスカイキッド12、部隊各機に告ぐ、目標に到着した。……こいつはちっとばかし、ゴッツイことになってるぜ』
「こちらナイトクロウ。スカイキッド12、状況を報告しろ」
『ナイトクロウ、自分で見た方が早いぜ。貴編隊から見て前方下方、距離約四〇〇〇』
 どことなく投げやりな報告に舌打ちしつつもなにげに視線をむけた瀬崎だったが、次の瞬間、たちどころにその理由を理解した。
「こいつぁ……」
 後の言葉が出てこない。
 それは、いったいなんという光景であったろうか。
 すっかり闇の中に沈んだ九州の大地。ことに熊本県南部地域はすでに文明の存在を示すものは何もなく、ただ漆黒のうちに沈んでいる。
 いや、よく見れば、闇の中にちらちらと赤くうごめくものが浮かんでいる。
 目だ。
 幻獣どもの目、人類に対する限りなき憎悪を滴らせた瞳が、この高度からもはっきりと浮かび上がって見えたのだ。
 それもひとつやふたつではなく、数千、数万、いや数十万もの光が、まるで溶岩の流れのようにのたうち絡み合いながら、ゆっくりと北上を続けている。
 なるほど、これではまともに報告する気すら起きまい。
『い、一体、どんだけいやがるんだ……』
 明らかに恐怖を含んだ声に、瀬崎の眉が吊り上がる。
「しっかりしろ! これだけいりゃあ外れようがないってもんだ。それに見ろ、陸さんもやる気だぜ」
 たしかに、紅の奔流の先に目を向ければ、ちらほらとではあるが違う色の光が横列に展開し、時折光の玉が筋を引きながら奔流目がけて飛び去っていく。
 敵前方に展開した地上部隊の阻止攻撃だったが、それは波打ち際に作られた砂の城のように頼りなげであった。
 だが、それでも攻撃は止まらない。
「健気なもんじゃねえか。これで奮い立たなかったら熊空じゃねえぞ。連中の負担を少しでも軽くしてやれ、いいな!」
『了解!』
 正直なところ、瀬崎も全身の震えは止めようがなかった。だがここでリーダーたる彼が逡巡するわけにはいかぬ。
 そのような恐怖は容易に伝染し、兵士たちの継戦意欲を奪っていく。そんなものに関わっている暇は、今の彼らには存在しないのだ。
 ともかく今は、たとえ一体でも多く敵を撃破し、少しでも進行の足を鈍らせることだ。それが分かっているからこそ、瀬崎はあえて乱暴に命令した。
 そして、それはそれなりの効果があったようだ。
 瀬崎の鋭いターンに、僚機はちゃんと食らいついてくる。
 ――よし、これなら問題ない。
 さすがにここまで生き残ってきた猛者どもである。己の取り戻し方はそれぞれに心得ているようだ。
 瀬崎はにやりと笑みを浮かべると、機体を降下に入れる。ディスプレイにシンボルマークが浮かび上がった。

   ***

 時計の針は、午前二時をさしていた。
 どことなく薄暗い司令部の廊下を、瀬崎たちはややふらつきながら歩いていく。どの顔にも隠しようのない疲労が張り付いていたが、同時にどこか安堵しているようにも見える。
 とにかく、今は生き延びることができたのだ。
 結局あの後三次にわたる出撃により、一部ではあるが敵の侵攻をとめることはできた。天候次第で威力が変わる――そのせいか、本州ではほとんど配備されていない――が大威力の気化燃料弾を、湯水のごとくばら撒いた価値はあったというものだろう。
 だが、地上に限りなく生み出された光球は地上のあらゆるものを容赦なく幻獣ごと焼き尽くし、この地に深い傷跡を負わせた。核よりはましとはいえ、自然はともかく人類の居住地としての再生は、限りなく困難になったと言ってよかった。
 彼ら六名の靴音だけが、やけに甲高く響く。
 これまでの戦闘とは違い、幻獣の対空攻撃への対応は素早かった。
 一次攻撃ではさほどでもなかったが、二次攻撃では無数の光条が天空を埋め尽くし、闇を切り裂いた。やけに正確になったレーザーを必死に回避するうちに、彼方に生まれた火の玉を見たのも一度や二度ではない。
 そして、三次攻撃――。
 幻獣はこの段階で、初めて夜間の航空機型幻獣(各軍の機体に幻獣が寄生したもの)の大量投入に踏み切った。地上軍を叩くことだけに専念していた熊本航空隊は、完全に虚を突かれたといっていい。
 二機の損害は、その時に発生したものだった。
 ――それでもまだいい、生きていればチャンスはある。
 先ほど瀬崎は、ふたりとも地上軍残存部隊――予想通り、持ちこたえられなかった――に回収されたという報告を受けていた。たとえそのうちのひとりが、もうパイロットとして飛ぶことはなくとも、生きていて悪いわけがない。
 ほんの少しだけ気分を明るいものに切り替えると、彼は食堂のドアを開けた。
「おおっ?」
 男たちの口から驚きの声が漏れたかと思うと、すぐにそれは歓声へと変わった。
 食堂のテーブルには、ぼた餅が山盛りになった皿が多数用意されていたのだ。
「こりゃありがたい。みんな、遠慮なく食おうぜ!」
『おおっ!』
 なにしろ五時間近くも飛びっぱなしだったのだ。エネルギーなどとっくの昔に使い果たしている。彼らは我先にと席に着くと、めいめいにぼた餅をぱくつき始めた。
「うめえ!」
 瀬崎は口の中に広がる甘味に驚いた。昨今では珍しい本物の砂糖である。それに中身も本物のもち米であった。
 ――司令の奴、えらく張り込みやがったな。まあ、それだけ盛大に暴れたんだ。このくらいは罰は当たらんだろうさ。
 だがそこで、隣にいた高村は妙な表情を浮かべると、瀬崎をそっとつついた。
「ん、なんだ?」
「少佐、なんだか変じゃないですか?」
 言われてから瀬崎たちもようやく気がついた。先ほどからかなり時間がたっているはずなのだが、一向に誰も入ってこないのだ。
「……おい、他の連中はどうした? 誰も食わないのか?」
 近くで茶を用意していた当番兵は、一瞬ぎくりとした表情を浮かべた。
「おい?」
「……戻ってきたのは、少佐たちを含めて、一四名です」
 沈黙が落ちた。よく見れば、隅のほうに少しだけ、空になった皿が置かれている。
 当番兵の言葉に、瀬崎は手にしたぼた餅をじっと見つめていたが、次の瞬間にはやにわにそれを口に押し込むと、あっという間に飲み込んでしまった。
「しょ、少佐?」
 目を丸くする当番兵に、瀬崎は凄みのある笑顔を浮かべた。それは佐藤もまた同じであった。
「なんだよおい、あいつら俺たちに押し付けて先に逝っちまったのか。ってこたぁ、その分俺たちが頑張らなきゃいかんってこった。そうですな、佐藤少佐?」
「まったくだ。おら、お前ら、今のうちに精つけとくぞ、もっと食え、腹いっぱい食え!」
「は、はいっ!」
 つられたように親の仇のごとくぼた餅をぱくつくパイロットたちを、当番兵は呆れたような表情で見つめていた。
 ――畜生、また仲間が減っちまったか。
 瀬崎の思いは限りなく苦い。熊本航空隊は今日一日だけで、戦力の半分以上を失ってしまったのだ。予備を投入しても、組織的戦闘ができる期間はそう長くはない。
 彼らはそれでも戦い続ける。
 人類の明日を信じて、そして、己の命を掴み取るために。

 だが、それが未来をもたらすのかどうか、確たる答えを返せる者は誰もいなかった。
(おわり)


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