06
後ろから、足音が近付いてくる。
以前までは手加減されていたのだと分かるほどに、みるみる距離が縮まっていく。
電話の向こうで千葉がなにか言っているのが聞こえるが、それどころではない。
早く、アパートに逃げなければ。
しかしついに、着ていたパーカーのフードを後ろから掴まれ、誠は首が締まりそうになりながら強制的に足を止められた。その拍子に通話のままの状態の携帯電話を落としてしまい、恐怖が全身を襲う。元々人通りが少ないこの道は、今人っこ一人いない。いや、もし人がいたとしても、このストーカーには関係がないのかもしれない。
「騒ぐな。ゆっくりアパートに戻れ」
誠の当初の予想通り、ストーカーは男だった。低い声でそう言うと、ポケットからナイフを取り出し、それを抵抗する誠に見せつける。
誠はいきなりのことに驚き、悲鳴にもならないか細い声をあげた。
抵抗しなくなった誠に歩くように促し、アパートに向かう。男は左手に誠のパーカーのフード、右手にナイフを持ち、息荒く進む。
今アパートに帰るのは危険だと分かっているが、ナイフが怖くて足を止められない。
しかしスーパーから長い距離を走ったせいで、アパートにはすぐに着いてしまった。腰元にナイフを当てられながら階段を登り、震えと戦いながら部屋の鍵を開ける。一瞬の隙をついて部屋に入り、すぐにドアを閉めようかと考えたが、鍵が開くと同時に突き飛ばされ、男も押し入ってきたのでそれは叶わなかった。
「……うっ」
突き飛ばされ、玄関に倒れた隙に、男がドアを施錠する。それから誠のフードを掴んで無理矢理立たせて前を歩かせ、ワンルームにあるベッドの上に転がした。
嫌な予感しかせず、誠は抵抗しようとしたが、目の前にナイフを突き付けられて息を飲む。涙目になった誠に男はニヤリと笑うと、予め用意していたらしい細いロープを取り出し、それで誠の両手首とベッドヘッドの柱を固定してしまった。
それから布を取り出し丸めると、もはや恐怖で声も出ない誠の口に突っ込み、さらにその上からガムテープを貼ってしまう。
声も出せず身動きも満足に出来ない状態に陥り、ついに誠の目から涙が落ちた。
そんな誠を、男は嬉しそうに眺める。
初めて見た男の顔は、至って普通の印象だ。特に顔が整っているだとか、醜いだとかということはない。それこそ、同じ大学にいそうな顔だ。いや、実際にいるのかもしれない。
ニヤニヤしながら見てくる男に、誠は底知れない恐怖を感じた。
やがて男は、耐えきれなくなったのか、声をあげて笑った。嬉しくて堪らないと言うかのように。
「誠。やっと、手に入った。待たせてごめんね」
男が発した猫なで声に、誠の全身に鳥肌が立った。それを楽しむように、男が頬を撫でてくる。愛おしむように、何度も。
「ずっと待っててくれたよね? 途中で退屈になったのかな? 僕にヤキモチを焼かせようとしたりしてさ。本当に可愛いよ、誠」
ね? と尋ねてくるが、誠の返事など聞く素振りはない。頬を撫でる手が、顔全体や首元にまで渡る。
「あの警察官、馴れ馴れしく誠に話しかけて、迷惑だっただろう? 僕が恐ろしくなったのか、最近来なくなったみたいだけど」
ふふ、と勝ち誇った顔をする男。
しかしすぐにその表情を歪める。
「でも、昨日の男は誰? 僕以外に甘えるだなんて、いい度胸だね、誠」
ナイフで切り裂かれたい?
そう言われながらナイフを鼻先に向けられ、誠は泣きながら小さく首を振る。
死にたくない、死にたくないとただひたすら願っていた。
昨日の男とは、背負って送ってくれた千葉だろう。そして馴れ馴れしく話しかけていた警察官も、千葉のことだ。
男は二人が同一人物だとは気付いていないようだ。
「僕に嫉妬して欲しくて、あんなに見せつけるようにおんぶされて帰ってきたんだろ? ふふ、大成功だよ誠。僕は嫉妬した。そろそろ誠には、自分が誰のものかを分からせなきゃみたいだ」
誠には、男が何を言っているのか分からなかった。
しかし次の瞬間パーカーを戸惑いもなくナイフで切られ、今までの比ではない恐怖が全身を駆け巡る。
腹のあたりを直に撫でられ、このままでは犯されると確信した。
自由な足で男を蹴飛ばそうとしたが、やすやすと受け止められてしまう。そのままズボンと下着を一気に脱がされ、誠は恥かしい部分を男に晒すことになった。
「ふふ、毛が薄いんだね。シャワー浴びたばっかり? 良い匂い」
あらぬ部分に顔を寄せてそう宣う男に、誠は恥ずかしさで顔どころか全身が熱くなった。なのに冷や汗は止まらなくて、涙もずっと流れたままだ。
嫌だ嫌だと、全身が訴える。
叫べないことが、辛い。
助けてと叫びたいのに。
千葉に、助けて欲しいのに。
「誠の体、おいしそう。俺がたくさん味わってあげる」
そう言うや否や、身体の至るところに男の舌が這う。
気持ち悪くて、胃液が喉元までせり上がる。鼻でうまく呼吸ができず、苦しくて頭がぼんやりする。
もう自分はこの名も知らない男に犯されてしまうのではないか。
頭の中はそんな考えで埋め付くされ、誠は絶望した。
その時。
ピンポーンと、この部屋のインターホンが鳴った。
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