クロコダイル長編 | ナノ


「おれはお前が好きなんだろうな」

真っ直ぐな瞳で突拍子もないことを言い出したイサゴに、クロコダイルは口に含んでいたスコッチを盛大に吹き出した。琥珀色の液体は余すことなくイサゴの顔面に引っ掛かったが、怒声が轟かなかったのは七日間の喧嘩を経て心が広くなったというわけではない。アルコールが目に入って、悲鳴も出せないほど悶絶していたせいだ。

「…っ…クロ、コダイッ、ル…!テメッ…!!」
「てめェがふざけたこと言いやがるせいだろうが!!」
「うっせェ馬鹿!ふざけてねェよ目がいてェ!!」
「ほらよ、これで洗え!」

スコッチのボトルの隣に置いてあった水割り用のボトルを、クロコダイルはうずくまるイサゴの頭上で逆さまにした。当然中身は溢れ、ばしゃん、と掛けられた水が、頭から指先まで滴って床を濡らす。またか。
七日間の喧嘩を経ても心は広くならなかったが、多少は我慢がきくようになったようだ。深い溜め息で怒りを押し込めたイサゴは、しかしせめてもの意趣返しにとびしょびしょに濡れた両手でクロコダイルの頭を鷲掴みにし、整えられた髪の毛を雑に乱した。

「お前は!人に嫌がらせしねェと気が済まねぇのか!」
「うるせェ、てめェが血迷ったこと抜かすからだ」
「何がうるせェだ人に水ぶっかけといて!この、」

バカダイル!と罵ろうとして、イサゴは口を止めた。頭どころか顔すらもみくちゃにされるクロコダイルは大人しい。撫でられる猫のように目を細め、しかし急に無言になったイサゴを訝しんでうっすらと瞼を開けた。

「…お前さ」

急に静かになったイサゴの声色に、クロコダイルは目だけで訝しむ様子を見せた。いつもイサゴはこの意趣返しの瞬間に違和感を覚えるのだ。罵倒すれば口喧嘩が勃発し、殴れば殴り合いに発展する。やったらやり返されるのが当然で、『悪いことをしたから罰を受けよう』などと罪悪感の精神があるはずもないクロコダイルが、イサゴのこの意趣返しはすんなり受け入れるのだ。他は何をしても3倍にしてやり返そうとするくせに、こうして濡れた手で触れる時には、大人しく目をつぶってされるがままになっている。だからイサゴも段々と落ち着いて、最終的には猫を撫でるように手付きも静かになるのだ。

「…お前、おれに撫でられたくて、わざわざ水ぶっかけてくんの?」

    んなわけねェか。
自分で言っておいて有り得ないと心の中で鼻を鳴らしたイサゴは、しかしみるみるうちにクロコダイルの顔色が変わっていったことで思考が停止した。

両手で挟んだクロコダイルが、カーッと、それはもう、火が出るのではないかと心配になるほど赤く染まっていた。

「馬鹿言ってんじゃねェ」と言ってももはや誤魔化しようがない顔をしてしまっていることにクロコダイルも気付いているのか、反論の声は小さく、掠れていた。それを見たイサゴは唖然として、絶句した。心臓をグッと鷲掴みにされたかのような錯覚を感じる。

クロコダイルのことを、好きなんだろうな、と言ったのは勿論妙な意味ではなかった。なんだかんだでクロコダイルに愛着があって、お前のことが心配で、言い換えるなら好きだということなのだから、この間告げた『お前が好きだから構いたくて仕方がない』というのも別に誤りではないのだと、そういう意味だ。

しかしイサゴは、その好きの意味がまるでスイッチを押したかのようにベクトルが変化したのを自覚した。クロコダイルは赤い顔のまま、焦ったようにイサゴを罵倒し、イサゴの手を離させようと手首を掴んで引き剥がそうとしている。イサゴにはもはや、そんな仕草ですら愛おしくてたまらない。

馬鹿げた話だ。こんな強面で陰険で陰湿で陰惨な男を、かわいいと思ってしまう日が来るだなんて。

イサゴは激しく鼓動を打つ心臓に急かされるように、矢も盾もたまらなくなり    、クロコダイルの唇に勢いよくかぶりついたのだった。


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