50000 | ナノ


掃け口が少ない船上では男同士で処理をするというのもよくあることだとは知っていたが、真性の女好きであるサンジにとってそれは身の毛もよだつ話である。男なんかとあれこれするくらいなら、一生自分の右手が恋人の方がまだマシだ。ましてこの船には絶世の美女が二人もいる。無論気安く手を出せるような軽々しさなど微塵もないが、船上に咲く二輪の花は見るだけで心を和ませた。彼女達がいなければ、サンジの精神はとうの昔に崩壊していたのではないだろうか。

ところで最近、麦わらの一味に新しい仲間が加わった。名前はなまえ。女ウケしそうな顔立ちだったので、この船の華に気安く手を出すんじゃねェぞと忠告したのだが、それに対して返ってきたのは「あ、おれゲイだから大丈夫」だった。全く大丈夫ではない。ちっとも安心が出来ない。思わず尻を隠したサンジやウソップは正しい反応のはずだ。再度いうが真性の女好きであるサンジには、男が男を好きになるという思考すら理解が出来ない。

「サンジくん睫毛に小麦粉ついてるぜー」
「やめろ触るんじゃねェクソホモ」
「残念、もう取っちゃった」

こねているパン生地で両手が使えず、無防備なサンジの顔になまえの手が伸びてすぐに離れていった。触れたかどうかもわからない指に他意はないようだが、男に、ましてゲイになど睫毛一本触られたくはないものだ。サンジが舌打ちをひとつすると、なまえは朗らかに笑った。「そんな邪険にするなよ」。やることがないからと手伝いを申し出てくれる気遣いは尊いものだが、性別と嗜好、そして元来のスキンシップ好きという性格がサンジに拒否感を抱かせるのだ。仲間としては申し分なく気のいい男なだけに、時折ナミから「かわいそうよ」と叱られてしまうものの、なまえとてサンジの反応が面白くてわざとつついたり近付いたりするのだからあながち可哀相とも言い切れない。こっちは相手が楽しむような反応しか返せないものだから、構うなよとサンジは思う。なまえには好きな男がいるのだから、そっちへ行けよ、と。

「…てめェ、今日の日課はどうした」
「日課?」
「マリモ鑑賞」
「…んー…鬱陶しいって言われたから、今日は我慢」

サンジの拒否は受け入れないくせに、そっちはあっさりと聞き入れるのか。腑に落ちない部分があるものの、マリモことゾロに心を奪われたというなまえにとっては当たり前といえば当たり前なのだろう。サンジとて女性に叱られるのと男にとやかく言われるのではダメージが全く違う。むしろ意識の問題とはいえ、女性とゾロとを同じ次元として考えることすら納得がいかないくらいだ。やはりサンジにとってゲイとは理解の出来ない人種である。ゾロを恋愛の対象には出来ないし、ゾロの筋トレや昼寝を毎日毎日眺めていられない。けれどなまえがゾロを好きだというなら、その気持ちを扱き下ろす気はなかった。恋はいつでもハリケーンだ。誰かの意見や体裁なんかで、好きになる相手を決められるわけではない。

「あーゾロが見てェサンジくんじゃ物足りねェ」
「おれの聖域に入りこんできて文句たァいい度胸じゃねェか」
「いいだろ手伝ってんだから愚痴くらい聞き流せよ」
「モヤシのヒゲ取りで何を偉そうに」
「じゃあサンジくんのシモの処理の手伝いをしたっていいんだぜへっへっへ」
「やめろ近付くんじゃねェクソホモ!!」

冗談とは分かっていても鳥肌が立つ言動にサンジの黒足が火を噴く寸前、どかん、だか、ばたん、だかのやたら激しい音と共にキッチンのドアが開いた。犯人は話題のマリモ、もといロロノア・ゾロだ。筋トレをしてきたばかりなのか、汗だくのまま険しい表情で立つ姿はもはや修羅のようだった。

「ゾロ!筋トレ終わったのか?お疲れ!」
「…水」
「ん!」

サンジに向かって手をわきわきと動かしていたなまえは、現れたゾロに直ぐさま嬉しそうな声を上げて冷蔵庫から水を手渡した。受け取ったゾロはすぐに出ていくのかと思いきや、珍しくもそのままなまえの隣に腰を下ろす。おや、と思ったのはサンジの方だ。微かな違和感を覚えながらも、手についたパン生地を洗い流すため二人のいるテーブルから離れてシンクの蛇口に手を伸ばした。

「…てめェ、こんなところにいたのかよ」
「ん?ああ、だってほら、ゾロが鬱陶しいっていうから」
「人の言いなりたァ、それでも男か。情けねェ」
「…へっへっへ、なんだよツンデレかよおれがいなくて寂しかった?」
「やめろ変態」

ぞっとする会話だ。なにやらバカップルのような空気に思わずサンジが振り向くと、なまえはゾロの腰を撫で回して強烈な肘打ちを食らっていた。想いだけは時折面食らうほど真剣なくせ、こうやって茶化さなくては近付けもしないというのは本人から聞いた話だ。にやにや笑って、震えそうな手で体を撫で回して、からかう口調で『本当だったらいいのに』と信じてもいない言葉をぶつけて相手の反応を伺っている。同性愛者とはノーマル相手だとこうも臆病になるものなのだろうか。再三いうが真性の女好きで何の引け目もなく愛を囁いてきたサンジには理解が出来ない。情けないと罵るのも憚られ、神聖なキッチンでべたべたとしていても叱り付けないのはサンジなりの優しさだった。ただしそれ以上やったらすぐに蹴る。容赦なく蹴る。

「さてはおれがいなくて心配でキッチンまで探しにきたんだろー」
「ちげェよ」
「またまたァ。ゾロ、お前実はおれのこと大好きだろ?」
「好きじゃねえよ!」

がたん。突如ゾロの座っていた椅子が弾かれて勢いよく倒れた。まさかそんなに拒絶するほどでもないと思っていたなまえもサンジも呆気にとられて、目を吊り上げたゾロを凝視する。サンジが焦ったのは、今にもなまえが死にそうな顔をしていたからだ。ゾロがそっぽを向いていたのがせめてもの救いなのかもしれないが、今にも断末魔をあげそうなほどひどい顔だった。

「…おい、マリモにホモ野郎。神聖なキッチンで喧嘩なんかするんじゃねェよ」
「…え、あ、…あー、ごめんごめん。サンジくん、ゾロ怒らせちゃった!」
「手伝わねェなら出てけ馬鹿」
「手伝う手伝う!次なにすりゃいい?」
「芋の皮剥け」
「はいはーい」

サンジが口を出したのは手助けのつもりだ。案の定助かったとばかりに強張っていた顔を緩めたなまえは、キッチンの隅で山積みになっているジャガ芋へと一目散に駆け出した。サンジはゾロに声を掛ける。なまえには聞こえない程度の小さな声だ。

「マジギレしてんなよマリモ野郎。あんなのただの冗談じゃねェか」
「…ふん」
「ましてあいつホモだぜ?万に一つも本気だったらどうすんだよ。傷付いて船降りるなんつったら船長が何言い出すかわかんねェぜ」
「…うるせェな」

不自然なほど不機嫌なゾロは、サンジの言葉に睨みをきかせて舌打ちをする。何をそこまで怒っているのか、違和感ばかりで答えが出ない。やがてゾロはそのままサンジに背を向けると、一度だけなまえの方に視線を向ける。

「…どうせ相手にしてねェくせに」

ドアを閉める瞬間に聞こえた悔しそうな声に、聞き間違いかと耳を疑い、間違いではないと確信した途端心底ぞっとした。なにそれ怖い。ジャガ芋を大量に持って再びサンジの元へきたなまえは聞こえなかったようで、閉まったドアを見つめていまだ不安げな表情で「失敗しちまった」と呟いた。
怒らせたことを失敗というのであれば確かに失敗だ。嫌われたことを恐れているのであれば、あの反応は違うのではないだろうか。サンジはひとつの仮定にたどり着いて、ぞっと背筋を冷たくさせた。

「…ホモは一人で十分だ」
「えっ、なに?」
「うるせェクソホモ野郎ども!」
「な、なんで今怒るんだよ!」

教えてやるべきか黙っているべきか。ホモの擦れ違いなど見たくもないがホモのカップルも見たくはない。なにせサンジは、真性の女好きなのだ。まったくもって、理解が出来ない。


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -