50000 | ナノ


「ま、片腕だけで済んでよかったな」

大したことじゃない、と言わんばかりの声を出しながら、なまえさんはおれの左腕に巻かれた真っ白な包帯を表面だけ指先でなぞった。触られているのかもわからないくらい慎重な手つきは、まだ塞がりきっていない傷口を懸念してのことだろう。おれを後ろから抱きしめるこの人の表情は見えないが、動揺してるのは何となく分かる。いつものようにふらりとやってきたなまえさんに「久しぶり」と挨拶した途端、捲られた外套の中には腕が一本足りない。それを確認した時のなまえさんの顔は、背筋が冷たくなるくらいの無表情だった。あんな顔、久々だ。

なまえさんはいつだって気まぐれにおれを訪ねてくるから、例えば生死を分かつような局面におれが立っていたとしても彼がその場にいないのは当然のこと。うちのクルーでなければ、もう先輩と見習いというような立場でもない。守るのも守られるのもお門違いだ。だけどそれでも、いつだっておれに甘いこの人は、おれの無茶を嫌うしおれの怪我を疎む。おれが海賊であることに干渉しないくせして、海賊だからこそ負う危険には睨みを効かせているのだ。矛盾している。

「なァ、怒ってんのかよ」
「何に?」
「…なんだろうな」

心の内を探ろうとした一言に、案外あっさりとした声色で問い返されてそれ以上言葉が出てこない。けれど否定しないということは、少なからず心中穏やかではないんだろう。
なにかに怒っているのかとしたら、出来ればそれはおれの方がいい。おれに対して怒るなら大したことではないけれど、他に対して怒っているならこの人は何を仕出かすかわからない。
例えばおれの腕を喰った海王類を滅ぼしに行く。
例えば山賊の生き残りを皆殺しに行く。
例えば    
    ルフィに、なにかしに行く。

最後のひとつは考えたくもない話だ。おれ達がフーシャ村にいた頃、なまえさんとてルフィに会って、からかいがいのあるあの子供をとても気に入っていた。犬猫だったらストレスで病気になるようなしつこい構い方で可愛がっていたから、まさか危害は加えないだろうが、なまえさんの言葉を借りるなら「感情と衝動は別」だ。この人には、思いもよらないところに八つ当たりしないとも限らない前科がある。

    随分と前の話になるが、おれの左目に傷をつけた男に対して、「どこに傷をつけようが、つけられようが、まァ海賊なら当然のことだな。死ななくて良かったじゃねェか」と大して気にも留めない素振りをしていたくせに、とある島で偶然白ひげの船を見掛けたこの人は、何でもないような顔で奴に会って、何でもないような顔で奴の頭に酒をぶっかけ、何でもないような顔で火を付けようとしたらしい。幸か不幸かその放火は未遂に終えたとのことだが、それは紛うことなき白ひげへの挑発行為だ。伝え聞いたおれはゾッとした。彼が白ひげへ喧嘩を売ったことに対してではない。あんな平然とした顔で、腹の中に渦巻く殺意を孕ませていたことに対してだ。全てを理解したつもりでいたから、尚更底知れないものを感じてしまった。この人は怖い。そしておれをとびきり愛している。おれはそれを誰よりも解っていたはずなのに。


    ところでそれは、誰にやられたんだ?シャンクス」
「……海王類さ。ビビらせてやったから、もうおれには近付かねェよ」
「ふーん」

事の顛末を尋ねてくる、不自然なほど優しい声に油断してはならない。嘘はついていないが詳細を避けたおれに、なまえさんは納得したんだかしてないんだかわからない声で頷いた後、「じゃあ、聞き方を変えるか」と穏やかに言った。

    『誰のせいで』、そうなったんだ?シャンクス」

なまえさんの手の平が、おれの頭を撫でる。麦わら帽子がなくなって、赤い髪が剥き出しになった頭。ゾッとしちまう。なまえさんは麦わら帽子のことも、ましてフーシャ村を離れたことも、あんなに気に入っていたルフィのことも、おれに会ってから一度も口にしていない。まるでわざと、その話題を避けているみたいに。

「…どうしたシャンクス?そんなに顔を強張らせちまって」

にやにやした声。顔は見えない。

なァ、なまえさん。
あんた本当は、全部分かってるんだろう。
本当に、悪趣味な人だ。


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -